dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

日頃から観察しているとやはり美人は美人というだけで好かれるようです。もちろん不美人も好かれることはありますが、それは彼女自身の内面や競争原理が働いてのことのようです。

 また美人は嫉まれさえしなければ同性からも好かれるようです。不美人は同性に共感を示すことによって初めて好かれるようにも見受けられます。

 一方で男性は美男だからという理由から好かれることは女性ほど多くない気がします。もちろん女性からはモテるでしょうが。

 各々の内面も重要なのは承知していますが、なぜこれほどまでに美人は好かれるのでしょうか?また「美人薄命」ともいいます。美人ゆえに得をすることと損をすること、それぞれ何だと思われますか?どうぞよろしくお教え願います。

A 回答 (14件中1~10件)

No.8です。


補足があったので自分の考えを述べさせてもらいます。

あくまで世間的に見れば不美人より美人のほうが価値があり人気もあるでしょう。
しかし美人というのは雰囲気であったり顔立ちであったり人気であったりさまざまな要因があります。
用は周りの人がその人を美人だといってれば美人ですし、本人が「私は美人!」といくら言っても周りが認めなければ美人ではないです。
そうすると多数の人のいろいろな観点から美人となってるわけですから不美人は言い換えると注目されない、あまり人気が集まらないといえます。
そうすると美人のほうが多くの人から指示されてるわけですから美人は好かれます。
なので美人が好かれるほ言うよりは無条件で好かれる人が美人なのではないでしょうか?

しかし個人的な部分だとダイヤモンドと石炭は同じ炭素ですがダイヤモンドは石炭のように燃料にはなりません。
ダイヤモンドの粒子なしには鋏などは紙を切れませんし鉛筆の芯がダイヤなら絵を描くことは出来ないでしょう。
私は絵を描くのでもしこの世からダイヤが鉛筆が消えるのならダイヤに消えてもらいます。
別にダイヤの代わりの宝石もあれば金もあるわけですし。

何が言いたいかというと物の価値なんてものは人の価値観によって左右されるものです。
実を言えば私はモデルのような美人やアイドルよりも少し癖のある顔、いわゆる不美人のほうが好きです。
自分の好みじゃない絶世の美女と好みの不美人なら世界中で他の人が「絶対に結婚しない」という人とでも結婚できるから人間は不思議ですね。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

なるほど。素晴らしく柔軟で理にかなったお考えですね。そう考えれば悩むこともありません。なぜ今まで気づかなかったのでしょうか。大変参考になりました。再度のご回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/04/03 00:15

NO.9です。


>美人はあまりに受け身なせいでレズと誤解されることを恐れるのでしょうか?ゲイと疑われるリスクはあまり男女差がないような気がします。
はっは、突っ込まれました。世にはレズもゲイも同数おられるだろう(片方が少ない理由がない)ということですね。そうかもしれません。ことに最近は芸能界に於いても彼らが市民権を得たことで更に忌避する理由がなくなってきました。では男性が美男を一般に好まない別の理由を探しましょう。
同性の間の友情は男(同士)には想像できても、女(同士)ではどうも多くないのではないでしょうか。これはひとつは社会環境が影響しているのかもしれませんが、女と違って男は余り簡単に群れを作らない、多くは孤独(一匹狼)のままで一生を過ごすのではないでしょうか。そんな彼らにも大抵一人や2人の友人は存在するものです。所謂親友というものですが、それはきっかけはさまざまであれ、ただ美男だからという動機から親しくなることは余りないだろうと想像できます。こんなところで宜しいでしょうか。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

男のゲイも女のゲイも大して変わりはないのではないかという意味でお尋ねしました。質問の書き方が悪かったようです。申し訳ありませんでした。ご指摘のように女性はひとりでいるのを好まずに群れるので、あまりに男性を避けると美人は妬みからゲイではないかと噂されるリスクがあると推測したわけです。確かに女性は仲間うち以外の同性に冷淡なようです。女には女の事情があるのでしょうね。ご回答いただきありがとうございました。

お礼日時:2009/04/04 01:36

NO10です。



>生まれついての美人には大きなアドバンテージが与えられているようにも感じます。精神面においてもすくすくと成長した美人には、いかに内面を磨いた不美人でも太刀打ちできなくはありませんか?

当然だと思います。違う言い方をすれば、家系だとか、家柄だといわれそうですが、生まれつきの美人は、世代を超えた徳の積み重ねでそうなったのですから、むしろ、喜ぶべきことだと思います。ただ、そこに胡坐をかけば、元の木阿弥となり、いずれ、奈落の底に落とされるでしょう。どこかで子孫が気がつくことがない限り。また、現在、内面を磨いている不美人でも、いずれは生まれつきの美人に近づく訳ですから、問題ないと思います。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

やはり不美人からしても、美人に追いつく努力こそすれ、たとえ追いつかなくとも嫉んではいけませんね。嫉んではますます美人の背中が遠ざかります。見た目の平等を求めること自体がナンセンスですね。再度のご回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/04/02 22:23

>なぜこれほどまでに美人は好かれるのでしょうか?



美人というからには自分の見せ方をよく知っていて(演技力がある)、それが個人的な趣味といえども同時に周囲を不快にしない気配りになってます。

自分を知るということは自分を研究する以前に理解されてなければならない。飼い犬は飼い主がどんなに不細工でも懐きますが、犬の心が寛容だからではなく、実は【犬は飼い主がどんな人か気付けない】んです。自分に対しても飼い主に対しても安全と認め、疑わ(え)ないということは、判断する先入計画プログラムがないからです。

形容詞や動詞など述語の言語が立ち上る時には先行条件として自己の客観視(先入観、データー)があります。それによって自分が恋したり信じていることに気付けるのですが、動物は自省能力がないので自分を疑うことをしません。芸術や言語を獲得しなかった、というか必要ですらなかったのです。

>美人には男のやる気を起こさせるなにかがあるようです。

同じく「女に好かれたい・モテたい」男性も自分をよく知っている自信がある。なので美人だと客観視してる自分と実際に魅かれている自分の演技に(主観の自分は演者です)納得し満足するでしょうね。

女性が美人でなくても自信はゆるぎなく(?)おおかた演技を間違うことがないのでしょう。

説明が下手ですが;自分を客観視する自分が、主体の自分より先に現われていて「好んでいるかのように」能動相を仕向けているということなんです。

>美人は女性から見たらどうなのかはよくわかりません。

やはり運の不平等は感じますが(苦笑)幸いに必要にして充分なものはあるので、美にまで資本主義の物差しがあっても物質の不平等はとなえません。努力家ではないし嫉妬しない主義ですが、女性の個性も多様でしょうね。フェチさ(?)の相関によって美の基準も、敗者復活も可能ですし。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

思い上がることなく自己を認識できる美人こそ最強の女性といえるかもしれませんね。何度も求めに応じていただきありがとうございました。

お礼日時:2009/04/02 18:58

>なぜこれほどまでに美人は好かれるのでしょうか?


ひとことで申し上げれば、「人間の本質というか生まれ持った特質だから」かも知れません。
例えば、人は、転ぶと自動的に起き上がります。寝てから目を覚ますと自動的に起き上がります。植物は、風雨や人から倒されても自動的に上へ上へと伸びて成長していきます。このように、動植物に限らず、この世に生を授かったものは、自然の摂理によって、上へ上へと伸びて成長していくように出来ています。

そして、ものは「成長すること」によって、また、「人の手」を加えることで綺麗になっていきます。家だって、部屋だって、服だって、人の心だって、広義的な意味で地球のエコもそうだといえるでしょう。人間に備わった「心」というものは、自然の摂理によって、上へ上へと(もっとよりよく)伸びていくように出来ているようです。つまり、もっとよりよく心を磨くことで輝きが増してきます。真の美人には、何となく近寄りがたい雰囲気が漂っています。その雰囲気が、ここでいう「輝き」だと思うのです。この「目に見えない輝き」が人を、男性を引き付けるのではないかと思います。

人間は、動物にはない「心」というものを持っています。汚い部屋より綺麗な部屋がいい、汚い服より綺麗な服がいいなど、このように、綺麗ものにあこがれ、綺麗ものに吸い寄せられていきます。そこに、綺麗な人がいると、引き込まれていきます。通常、女性は、綺麗さを前面に出しますが、男性は、綺麗さよりも男らしさを前面に出します(これが「男性は美男だからという理由から好かれることは女性ほど多くない気がします」理由)。だから、男性は、女性に比べて、よりきれいさに憧れるのではないかと思われるのです。

そして、人間の本質である心に磨きをかけると、人の顔も世代を超えて美しくなっていくように感じています。(社会で出世したとか成功したとかでは、ありません。)今は美人ではないけれども、「心の美」を得ようと努力することで、将来的に美人に近づいていくようです。その努力の結果が、究極の美人といえるかも知れません。(勿論、間違った美は、除外します。)また、仕事でも趣味でも、どんなことでも構いませんが、その努力する姿に人は惚れ、憧れます。当然ながら、いくら美人でも心が醜い人はいますが、そういう方は、世代を超えて醜くなっていくと思います。「美人」というのは、ある意味、世代にまたがる美の結晶だから、憧れて当然なのかも知れません。


>なぜ美人ばかりが二物も三物も与えられるのでしょうか?不美人にはチャンスはないのでしょうか?まったく神様は不公平です。

神様がいると仮定します。
私は、神様は、誰に対しても平等であると理解しています。人は、オギャーと生まれたとき、裕福であろうとなかろうと、美人であろうとなかろうと、大半がその環境に大きく左右されます。オギャーと生まれた赤ん坊を、夫婦がどのように育むかによって、その赤ん坊の将来が決まってくるのではと考えています。

仮に、この生まれた時点がスタートだとして、この時、すべての人が平等であったとします。人は「心」というものを持っています。そして、心には、「欲」というものがついてきます。この欲が人の心を変えていき、せっかく貰った平等な心を歪めて、長い世代の間に顔も、段々、不美人の顔に変化していきます。つまり、本来、平等で生まれた顔かたちを、人間の心が変化させているといっても過言ではないと思います。

美というものは、世代を超えて完成すると思っています(だから、美人は、二物も三物も備わっているという言い方が正解かも)。その長い世代の間には、山もあれば川もあります。せっかく、美に近づいたと思ったら、逆戻りする方もいらっしゃると思います(心が醜い見た目だけの美人)。私たちが不平等だといっているのは、あくまでも、その場その場の見た目だけで言っているだけであって、神様の世界からみたら、誰にでも分け隔てなく平等になっているのだと思います。

この回答への補足

お話はよく理解できますし異論はないのですが、生まれついての美人には大きなアドバンテージが与えられているようにも感じます。精神面においてもすくすくと成長した美人には、いかに内面を磨いた不美人でも太刀打ちできなくはありませんか?よろしくお教え願います。

補足日時:2009/04/02 18:48
    • good
    • 0
この回答へのお礼

詳しく深いお話をしていただきました。後天的で内面から滲み出る美は本物ですね。ありがとうございました。

お礼日時:2009/04/02 18:52

「好かれる」ということは、その対象に近づきたいという意思の表れですよね。

異性であれ同性であれ、更に人間以外の美しいものにも人間は惹かれます。これはやはり自分もかくありたい、同化したいという美しいものへの飽くことない憧れのようなもの、個々の生命力の中の向上性がそうさせると言う事が根本にあるのではないでしょうか。
ことに女の場合は、皆さんの回答にありますように男の様々な心理的社会的な、特殊な打算的なもの、また虚栄心といったものも彼らを大いに美人指向へ強めていることは言を待たないわけですし、そういった特殊性(もちろん、ホモと誤解されかねないという警戒心もあるでしょうし)が美男への指向と差が生じたということでしょうね。

この回答への補足

たまたまホモという言葉を使われたとは思いますが、美人はあまりに受け身なせいでレズと誤解されることを恐れるのでしょうか?ゲイと疑われるリスクはあまり男女差がないような気がします。よろしくお答え願います。

補足日時:2009/04/02 12:46
    • good
    • 0
この回答へのお礼

皆さんそれぞれ興味深いお考えをお持ちですが、私の質問趣旨に否定的なご回答は見当たりません。やはり美人は特別に好かれるのでしょうか。女性に限らず人は美しいものに惹かれますよね。ありがとうございました。

お礼日時:2009/04/02 12:53

同じ大きさのダイヤモンドと石炭どっちかをくれるって言われたら誰でもダイヤモンドを選ぶ。


美人と不美人なら美人を選ぶ。

美人というだけでなんでも出来そうだし男からしたら彼女にすれば自分に箔がつくと思っているんじゃない?
用は価値がある感じがする。

ただ美人というだけでブスから妬まれるだろうし、変な男に付きまとわれるかもしれない。

歳をとれば捨てられるかもしれない。

この回答への補足

教えていただきたいのですが、確かにダイヤモンドと石炭では前者がいいでしょう。やはり美人は不美人より圧倒的に価値があるのでしょうか?よろしくお願いします。

補足日時:2009/04/02 02:39
    • good
    • 0
この回答へのお礼

男からすれば箔がつくのは大きいですね。しかし美人ゆえの苦労も大きいようです。ありがとうございました。

お礼日時:2009/04/02 02:42

>出世欲の強い男性ほど美人を獲得する可能性も増えるのでしょうか?



好きなことは合点がいくまで納得するまで続けようとしますよね。努力ではなく夢中がさせて。それを中断することは意志でもって感情を抑えなければならない場合多くは不快です。出世欲もそう、美人を獲得する目的もそう。こういうことが嫌なら美人を好きになってから改めろというより、美人を好きになる前に検討する余地がなければならない。

しかし!美人を寝かせておいただけでは女が腐ってしまうこともあるし、平凡な女性が熟成して価値がつくこともある。この辺に美のプロとする女優さんとかの個性が出ます。結局は女も個性で生存競争に勝ち残れるものと思います。

美人は、恋心は意志とはお構いなく現われますし、願おうにも異性と疎遠になることもありますし(苦笑)出生欲の根拠に至る自信を持った男性は持たない男性よりも目立つし、夢を叶えたいと表明することでそれに見合う交流も持ちますし、何らか有利な機会も得られ選択をし続けます。男性の資質以外の参考条件を加えても、障壁も多くなるかもしれません。

しかし、修羅場こそ気力、体力の滋養となります。安穏と暮す人よりやはり美人獲得にも有利だと思います。可能性としては不可能と断定できない程度ですけどもね。
言葉足らず、纏まってない文面と思うところですが。

この回答への補足

つまりより受動的な美人に対するより能動的な自信溢れる男性、この組み合わせこそエクセレントと言えるのでしょうか?よろしくお願いします。

補足日時:2009/04/02 00:36
    • good
    • 0
この回答へのお礼

やはり美人には男のやる気を起こさせるなにかがあるようです。美人は女性から見たらどうなのかはよくわかりません。ありがとうございました。

お礼日時:2009/04/02 00:40

こんにちは、お礼と補足を拝見して、少し補足を…



「美人は何故好かれるのか」との問いなので、美人の得るものを中心に答えておりますが、

「不美人にはチャンスはないのでしょうか?」と問われると答えは違ったものになって来ます。
質問者さまの言われる“チャンス”をどの様に解釈するかにもよりますが、

チャンス=幸福とか、財産や子どもに恵まれると言うことなら、
チャンスは、均等であり、神様は不公平をしません、
与えられることで、起こる幸福と不幸、そして
与えられないことで、起こる幸福と不幸は、本人の考え方、感じ方と
親からの教育に左右されます。

与えられた人間には獲得していく喜びが味わえませんし、
ある事が当たり前の、感覚では、無いことで簡単に不幸を感じ、
あるもの(財産や美貌)が失われていく恐怖さえ存在します。

与えられない(物を持たない)人間たちは、助け合い工夫仕合って、
心のつながりを得る喜びもあります。
 (※わが国が豊かになって一番失われたのが、この助け合う喜びだと思います。)

私たちは、達成感によって幸福を感じる生き物です、
最初から、与えられている人間の達成感へのハードルは高く、
持たざる者のハードルは、低いと思われます、自分自身で、
成しえる事が多い方がより多くの幸福感を味わえるのではないでしょうか?

お金をいくら稼いでも不幸な人は、沢山存在します、
むしろ、お金が多くあるほど、(自分の)幸せについて、しっかりとした考えを持っていないと、
それを狙う他人に振り回されてしまう傾向があるようです。

持つものにも、持たざるものにも、それなりの課題が存在します。
この意味で、神様は、平等だと思っております。

この回答への補足

少し私の理解が浅いので教えていただきたいのですが、神様が不公平をなさらないとしたら美人は得をするぶんはどこかで損をしている、あるいは冷遇されているともいえなくはありませんか?よろしくお願いします。

補足日時:2009/04/01 21:51
    • good
    • 0
この回答へのお礼

持たざる者はハードルも低く、達成感も高いのですね。そうやってバランスを取っているのでしょうね。ありがとうございました。

お礼日時:2009/04/01 21:58

こんにちは、面白くて難しい質問ですね、



美人の定義をしていると、話が複雑になるので、割愛しますが(笑)

美人のメリット&デメリットは、1)女性本人の側の心理的&経済的側面と
2)男性の側の心理的側面と、3)遺伝子的側面にあると思われます。

先ず、女性側(本人)のメリットは、小さい頃から整った顔立ちだと、
周りから可愛がられて、大切に育てられることで、
心に受ける傷が少なく、素直で心豊かな性格に育っている可能性が高いと思われます。
特に親からですが、幼い頃に周りに、認められ受け入れられる体験は、
他者を認め、自信や楽天的な性格を育てるのに役立ちます。

逆に、幼い頃に、余りに可愛いと、自宅周りの環境もありますが、
変態者などの、性的被害に遭いやすくなるかも知れません。

後、本人の性格にも因りますが、周りが褒めるのに対して、
自分で自分自身を認めきれない場合、そこに心の葛藤が起こり、
複雑な性格が形成されることもあり得ます。(これは男性でも同じです)

そして、経済的な側面ですが、(心理学的な)実験があったと思いますが、
美人は、他人に聡明で性格のよさそうな印象を与えます。
これは、他人に簡単に信用してもらえるとか、その他色々な、
社会生活を送る上での、かなりのメリットになるのではないかと思われます。
デメリットとしては、目立つ注目されることが不利になることも考えられますが
これは、性格との兼ね合いで、どっちにでもなります。

また、生物学的には、遺伝子の優位性が考えられます、
顔立ちが整っていることを、私たちは、目鼻などのある程度の左右の均等性と、
微妙なずれ(ばらつき)を、美しいと感じ取るようです。

左右の均等性が優れているということは、生物学的には、
遺伝子に傷が少なく、優れた遺伝子であることを示していると、
「シンメトリーな男」で某武内久美子氏が書いていました。
http://www.asahi-net.or.jp/~wf3r-sg/ntztakeuchi. …

ということは、美人は優れた遺伝子(病気に強く欠損の少ない)を
持つ可能性が高いと思われ、スポーツなどをするにも
基礎的な要素が整っていると考えられますし、

また、相手の男性にとっては、
・他人に見せて、自分はこんなに美人と付き合っていると、自らの価値を高められる。
・性的な興奮が高い→子孫を残す可能性が高い
・優秀な遺伝子を持った子孫を残す可能性が高い
・子どもが美形だと、数々のメリットが与えられる

勿論、競争相手が多い、性格の悪い美人は最悪、など多少のリスクはありますが…

美人は、性格さえ良ければ、鑑賞してよし、手に入れてよし、子どもを作って良しですが…

…どこかの不細工な科学者が、美人で有名な女優を口説いたときのセリフを思い出しました。
科学者「君のその容姿と、僕の頭脳を持った子どもが出来たらどんなに素敵だろうか…」
女優「貴方の容姿と私の頭をもった子どもが生まれたらどうするの?」

美人に見合うだけの男でなければ orz…

この回答への補足

おっしゃるとおり美人はただ容姿がいいというだけではなく、内面も良い場合が多いようです。なぜ美人ばかりが二物も三物も与えられるのでしょうか?不美人にはチャンスはないのでしょうか?まったく神様は不公平です。よろしくお願いします。

補足日時:2009/04/01 17:22
    • good
    • 0
この回答へのお礼

竹某久美子さんの本は読みました。読了後は焚書にすべきだと思いましたが、今ではああいう考え方のほうが気楽でいいと思っています。「アイツも同じ人間だろう!おまえだって努力すれば勝てる」こういう叱咤激励には反論できないのです。そんなときは竹某さんの本を思い出します。ありがとうございました。

お礼日時:2009/04/01 17:29

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています