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こんにちは。江戸経済、特に元禄期の貨幣経済からの江戸財政の困窮化についてお聞きしたいと思います。


江戸元禄には、三貨を軸とした通貨体制が確立したことで貨幣を媒介とした流通形態になったかと思います。幕府・大名は年貢米を主な収入源としていますから、この年貢米を市場に売却して貨幣に換金する必要がありますよね。


ここから質問内容になるのですが、
参考書では、「米価安の諸色高」という言葉を使っていて、米価は低く設定されているのにも関わらず、他の物価は高くついている。
なので相対的に幕府財政は困窮化する。
という説明がされていました。(それと農村部での本百姓体制も絡んでいると書いてありました。)


なぜ、米価が安くて諸色(他の物価)は高くなるのでしょうか?
それには商人が関わっているのでしょうか?
なるべく具体的に、わかりやすい説明をお願いします。

A 回答 (3件)

原因は、


農業技術の進化と新田開発に伴い生産量が増えたにも係わらず、
通貨の供給量は増えなかったからです。

更に人口が増加しているにも係わらず、生糸の貿易で金銀は外国に流出しています。
佐渡金山の産出量も減少していました。

通貨は不足しデフレーションを引き起こしました。
米価は他の物に比べて価値を大きく下げたのです。(理由は米=金)

この通貨不足を補う為に作ったのが金の含有量が5割程度の元禄小判です。(慶長小判は8割以上)
しかし、の金の含有量にも問題があり、たった15年で新小判に換えています。

その後の宝永小判は大きさが小さくなり、
経済的に苦しくなって行きます。
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武士階級は主に消費者として機能して、それを支えるために農民はいつまでも生産者の位置に縛り付けられ、搾取され、消費を押し上げる方に回りませんでした。

武士への米も、お金にすぐ換えられてしまい、市場に出回りやすくなります。武士階級の人口低減を図るべきでした。税金を引き下げることが可能になったはずです。
 幕府の財政のうち3~4分の1が大奥の費用にあがなわれ、貿易の代金を払うため金銀が海外へ流出し、デフレが解除されないのです。
 大奥の無駄遣いをもっと抑制すべきでした。武士の作った幕府であれば、京都から嫁をもらわず、武士の娘だけに限定しておけば、贅沢にならなくて済んだでしょう。節約したお金で公共事業をしていかばよかったのです。
 農本主義から重商主義へ移行して行く段階にあったにも関わらず、政府が財政危機になると徳政令をだしたり、緊縮政策をひいて経済の足を引っ張ってしまいます。デフレになれば品薄になるものは高くなります。田沼意次は悪徳政治家とされていますが、かれが私服を肥やしたりせず、政治を指導していれば江戸時代ももっと裕福な時代になったと思います。
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米価は大坂で相場が立っており、そこで需要と供給の関係で値段が決まりました。

それは今の商品市場と全く同じです。米を売却した貨幣が幕府や藩の収入となるのですが、江戸時代はすでに米本位から脱して現在と殆ど変わらない経済状態になっているにも拘わらず、その経済活動から得られる利潤に課税することに気付かなかった幕藩体制では自らの生活がそのような経済活動の結果として、様々な出費が必要になっているのに、武士階級がそれに見合う収入が確保されていなかったことが困窮の原因だったのです。これに気付いたのが上杉鷹山で、彼は米以外の産物を藩内で奨励し、これによる収益を藩の財政に組み入れた結果、たちまち積年の借金を返済することができました。しかし殖産興業を奨励し、そこからの上がりを財政の基礎にすることが国全体に行渡るのは明治維新を待たなければならなかったのです。
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