私の先祖は幕末の頃結城藩の武士だったようなのですが、図書館で調べて確認したのですが嘉永2年の分限帳に載っていなかったのですが、やはり載っていなければ武士ではなかったのでしょうか?
わかるかた教えていただけないでしょうか?

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A 回答 (2件)

一般論として言いますと、各大名家で家臣名簿に記載されるのは、「士分」の者です。

だいたい「数十石」の禄高の家が下限となります。

結城藩というのは、水野家1万8千石の家臣であったということでしょうか。その場合「分限帳」に載っている一門・世襲家老以下の「士分」の家臣は100家行かない程度ではないでしょうか。

質問者さんのご先祖については、明治維新以前についても名前が分かっていますか?その場合
「木村文左衛門基安」「木村金兵衛基成」「木村将右衛門基里」
など
「姓+通称+諱」
が判明しており、各人の没年と享年が判明しており、諱に通字(上記の例であれば『基』)があれば「士分の家柄であった」と判定して良いでしょう。そういった情報がそろっていない場合、
「士分の家柄ではなく、武士と伝わってはいるが、実は足軽身分であった」
可能性が出てきます。

どの藩でも、足軽身分の者は正規の藩士とは扱われず、「足軽(小人などとも言います)何名」といったくくりで扱われますので、「分限帳」のような「家臣名簿」には載りません。「いくら探しても載っていない以上見つかるわけがない」ことになります。

一方、質問者さんの家の明治維新以前の系譜がはっきり判明しており、先ほど述べたような各代の「姓+通称+諱」が分かり、通字も認められるということですと、「分限帳」の見方が間違っているのかもしれませんよ。

結城藩の「分限帳」がどんなものか知りませんのではっきりしたことは申せませんが、私も高校生の頃に自分の先祖について藩の家臣名簿で調べたことがあります。結城藩よりずっと規模の大きい藩で家臣数も多く、家臣名簿が何冊にも分かれていて大変だったということもあるのですが、自分の先祖を探すのにはかなり苦労しました。何故かというと「配列が現在の感覚と違う」からです。文体も漢文を読み下したような、あるいは漢文(本来の漢文とは違う日本風漢文)ですから意味を掴むのに骨が折れました。

先祖の「姓+通称+諱」が分かっており、禄高も分かっていましたので探し当てることが出来ましたが、実を言うと高校生の時の私の読解力では藩の文書をきちんと読み解けず、大きな読み違えをしておりました。近年になって藩の資料を読み返し、自分の誤読に気づいて赤面した次第です。

「藩の文書での先祖探し」は一筋縄では行かないという体験談をお話しました。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。参考にさせていただきます。

お礼日時:2009/05/27 00:46

分限帳や藩士系図等は各藩によって、載せる規準が異なっています。

また、直臣のみを載せるので陪臣ならば載りません。また、分限帳は部屋住み等も載ることはありません。
分限帳に載っていないからと言って、すぐにあなたのご先祖が結城藩士ではないとはいえません。
各時代の分限帳を調べ、同姓の藩士がいないか。文献等に同姓の藩士がいないかも確認した方がよろしいと思います。
分限帳に載っていなくとも、足軽身分、郷士身分などや明治ぎりぎりになって分家独立なども可能性があります。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございました。参考にさせていただきます。

お礼日時:2009/05/27 00:49

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今日付けのある地方紙に「ここ手取は二百石から三百石の知行取りの下級武士の住まいだった・・・」とありますが、正しい記述でしょうか、お尋ねします。

Aベストアンサー

誤った記述です。

100石以上の家禄の武士は、どこの藩でも「上士」とされます。きちんとした屋敷に住み、外出する時は供を連れて歩く身分です。上士の出身であれば、実力や運次第で一代家老に昇進することもできたはずです。

ちなみに、「鬼平」で知られる長谷川平蔵宣以(のぶため)は、家禄400石くらいの旗本です。下級旗本と言われることはありません。

ちなみに、映画「たそがれ清兵衛」で、主人公の清兵衛は家禄50石程度の徒士(映画では勘定方)、清兵衛の友人は家禄300石程度の上士という設定でした。両者の身なりや屋敷を見れば納得できるでしょう。


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