人によって違うとは思うのですが、
あなたにとって数学とは何ですか、
と聞かれたらどう答えますか?

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A 回答 (34件中1~10件)

“数我苦”ですか? “数楽”ですか? 私は後者です。

大学では4年間理学部数学科に在籍していました。
“数我苦”の人達”は小・中学校の数学教師とういう悪性ウイルスに犯された病人です。
わたくしDr.Johns(若い頃はインディ・ジョーンズ役のハリソン・フォードに似ていると言われていたから)の処方する薬で間違いなく治ります。 ようこそ,”数楽”の世界へ! 
まず,教科書が良くない。
従って教科書通りに教える教師は悪の使いです。例えば1次関数を直線だという人がいるが全くの嘘です。
関数の英語はFunction で頭文字の f をよく使う。 ある数 x を2倍して 1 を加えるという決まりを f とする。 f:x→2x+1,f(x)=2x+1,xをyに対応させるという意味でy=2x+1と書いたりします。
よって1次関数は y=2x+1となります。そして,y=2x+1を満たす点(x,y)を全て集めると直線になるのです。つまり,直線は軌跡であり関数とは全く違うのです。
明治時代の初めにFunctionを函数と訳し関数と変化した。歴史を見て欲しい,関数という和訳が悪いのです。
今,高校3年生は”受験戦争”の真っ最中! 現在のセンター試験を利用することによって”考える”ではなく”覚える戦士”が勝ち残る悪い 制度です!文科省は方針を変えろ, と言いたいのです。 現在の文部科学省のやり方に腹を立てています。
数学の教科書は明治時代の初期に和訳されたまま変更されずに使用されています。そのため,時代にそぐわず“数我苦”を増やしています。
センター数学で,確率やベクトルができない生徒のために、放課後を使って商業科の生徒が学ぶコンピュータのプログラミング言語である「Basic」をWindows上で動く“十進Basic”というフリーソフトを使って教え;自分で打ったものが実際に動くと“数我苦”の人達も楽しそうな顔をする。

日本では,最新の数学である “コンピュータ言語” である “Basic” を進学校では学びません。
やはり、文部科学省の教科書のせいで“数我苦”が増えたと実感する。オーストラリアは主に電卓を使う授業をすると国際系の留学生が言っていた。 教育課程が10年ごとに変更されますが教科書はたいして魅力的にはなりません。
コンピュータは世界一で初めて価値を持ち,第二位では全く価値がありません。民主党は”鳩山”,”管”と珍しく理系の総理を輩出しながら科学技術関連に対して厳しい予算となって日本を後進国にしようとしています。
文系の人には科学技術の大切さを理解できないかもしれませんが,日本には“技術”以外に売るものはありません。
以上!
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バカですいません・・・。



>>数学とは何ですか?
と聞かれたらわたしは


A:人生の楽しみです。
 
根拠:あるじゃないですか、そこら辺に・・・。
   そこら辺に数学なんて転がってます。
   人生のどこにでも転がっている数学を探して拾って楽しみます。
   そしてそれがどうなるかを見て、求めてるのが1番楽しいのです。

・・・。
バカですいませんね、

役立たず人間ですいません。
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#26です。



久しぶりに自分の書いた物を読んで見て、誤植だらけだったことに恥じ入っております。それでもほとんどの部分は文脈でも判ると思いますが、#26の第6段落目の最後の部分には意味不明の誤植がありました、

「何かい、お前はこの宇宙が不安だとでも言うのかい」 => 「何かい、お前はこの宇宙が不安定だとでも言うのかい」

と読んで下さい。さもないと全く意味が通じません。
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自然現象を理論的に表現するための手段。

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具体と抽象の階段を自由に行き来することが数学ではないかと思っております。

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自分にとって数学とは趣味ですけど、数学ってよくできてるじゃないですか。

だからどんなゲームより楽しいです
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この質疑応答にも何度か登場しています岡潔氏は「数学を志す人に」という文章の中で、アンリ・ポワンカレの「数学の本体は調和の精神である」という言葉を重んじています。


 岡潔氏の文章は、まさに天才の文章で、鵜呑みにすると、飛んでもないことになるような危ういところもあるのですが、数学とは何かといったことを考えるのでしたら、読んでみられるとよいかも知れません。
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#26です。



抽象化について常々考えていたことで、重要なことを言い忘れておりました。#26及び以前に挙げた幾つもの具体的な例でも分かるように、抽象化の作業で決定的に重要なことは、具体的な事物の中から抽象化を通して見つけ出された共通な概念を使って、それこそ抽象的に物事を論じる作業ばかりでなく、それとは逆に、その抽象化された概念に対応する具体的な例を幾つでも指摘してみせるという、言わば、抽象化とは逆の方向を向いた作業です。具体的な物事から抽象的な物事を引き出す能力は、ある程度の段階に来た人なら、比較的に易しいのですが、その逆の、抽象的な概念を具体化して見せると言う能力は、余程優れた生産的な学者さんでないと、中々出来る物ではないことが、それを出来る人や出来ない人を見てた経験から思うようになりました。#25で述べたコルモゴロフの例のように、これだけ抽象化能力があると、数論でもいきなり具体的な世界に使ってみせることができるのかと感心したのは、そのほんの一例です。

別な言い方をすると、抽象的な能力があると言うことは、皆さんがどうも通常思っているように「抽象的な概念を抽象的な形で論じたり理解できる能力」ではなく、「抽象的な世界と具体的な世界を自由に往き来できる能力」ではないかと思うようになったのです。

この認識は数学屋さんから大分異議が出てきそうな認識ですね。
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質問者さんが提起した大変興味のある問題のお陰で、一連の長々とした無駄話を投稿する機会を手に入れたことに、感謝しております。

もういい加減にせいと怒られてしまいそうですが、毒を食らわば皿まで、とも言いますから、ここいらでお皿を食らうことにします。

>物理屋さんは、とにかく計算ができればいいという考えでしょうか。
>数学者は、∞も見えます。
>数学では、この世の中の現物より、頭の中での極度に抽象化された論理を見ています。

以下に説明しますように、特に上の最後の主張に対して私も同感です。ただし、どうしてそう結論できるのかに付いては、私には、相当な分析が必要です。私論を述べますので、少々長いですが、その分析にお付き合いして下さったら幸いです。 

だたし、私の私論が、以下のモンテーニュの『エセー』の中の断片のようになっているかも知れないと、怖れてもいます:
「アリストテレスばかりでなく大部分の哲学者がむずかしさをよそおったのは、空虚な事柄に箔をつけて、われわれの精神にうつろな、肉のない骨を与えてしゃぶらせ、好奇心を満足させるためでなくて何であろうか。、、、難解さは、学者が手品師のように自分の技倆のむなしいことを見せまいとしている貨幣であり、愚かな人間どもはこれで簡単に支払いを受けたつもりになる。、、、
彼はあいまいな言葉のために、むしろ愚かな者の間に有名である。、、、
なぜなら、愚かな者は難解な言葉の下に隠された意味を見つけて感嘆し、これを喜ぶからだ。」

さて、数学では「抽象化」という言葉が使われるようですが、物理学ではそれとは微妙に意味の違った「理想化」という言葉が使われます。この意味の違いを深く認識せずに話をしてしまうと、分かったような分からないような議論になってしまいます。数学者も物理学者も数式を使って論じているうちは良いのですが、「だから何なのだ」と通常の言葉を使い出すと#18のところで紹介した「音楽と物理学」を論じた素粒子屋さんのような間抜けな話になってしまいます。

抽象化とは、いろいろな物事を比較して、その人にとって余り重要でないと思えることを取り除いた後にもまだ残っている何かに気付いた時に、それを敢えて同じ物だと認識する行為ですね。ですから、抽象化の行為は、何が重要であるかを判断する主観が入る余地がある。従って、その主観の良し悪しによっては、抽象化が出来なかったり、あるいは見当違いの抽象化をすることだってあり得る訳です。例えば、チンパンジーに3本のバナナと3冊の本を見せて、ここに何か共通な物があるか聞いてご覧なさい。チンパンジーは、そこには何も共通した物がない、バナナは食べられるが、本は食べられないからだ、と主張すると思います。また、貴方の周りには、いつも失敗を繰り返し、経験から学べない方が必ず一人位いるはずです。その方に、どうしてまた同じ失敗をしたのかと、問いつめてご覧なさい。その方は「いやそれは同じことではない、だって、あれは朝起こったが、これは夕方起こったではないか」とか何とか言って共通性を認めませんよ。私は、私も含めて経験から学ぶことが出来ない人を、抽象化能力の欠如した人と呼んでいます。逆に、われわれ凡人にとって何でもない事象や、考えても見なかった事象の間に、思いがけない共通性を見出すことができる方を、抽象能力のある方と呼んでいます。優れた詩人や、優れた学者とは、こう言う意味で抽象能力の優れた方だと思っております。ホメロスが美しい目の女性を形容するのに、「牛の目をしたヘーレー」と言ってのけたり、昔あるとき、私が自分では何でもない小さな計算をして私の学問の師に見せたら「何かい、お前はこの宇宙が不安だとでも言うのかい」とびっくりすることを言われたなどがその例です。

一方、理想化とは、この途轍もなく複雑に出来ている現実の世界を理解するために、話を思い切って単純化して、極端なことを考えようと言う行為です。例えば、ボーリングの球を10m位の高さから落としてその運動を記述する時には、厳密には空気の存在も考慮に入れて、気体分子運動論か、あるいは非線形流体方程式を解くのが筋なのですが、そんな物、誰にも解くことが出来ません。しかし、現実の経験では空気の影響は有っても無きがごとしなので、空気の存在を無視すると言う、現実とは違った物と置き換えるごまかしをやります。このことを理想化と言います。これなら誰にでも解けますね。例えば、摩擦が小さいので摩擦を無視するなどと言うのも理想化の一つです。理想化にはしばしば抽象化が伴いますが、それよりも、この例でも分かるように、本質的には、こちらの都合で、現実の系を在りもしない系に置き換えると言う「ごまかし」の行為なわけです。もちろん、そのごまかしで失う物もありますが、その代わりに、系の振る舞いの本質が理解できるようになるという利点もあるわけです。

ここまで準備して、「数学者は、∞も見えます」との関連で、いよいよ物理学者にとっての無限大とは何かに触れてみましょう。物理学の計算で無限大や無限小と言う概念が本質的になるのは連続変数を扱う場合です。この宇宙に存在する全粒子の数は約10の80乗個程であり、有限だと考えられています。宇宙の大きさも有限のようです。ところが有限な大きさである限り、例えば、フーリエ展開の例などのように、われわれは級数を扱わなくてはならにことになり、その級数をいきなり積分で置き換えることは出来ません。ところが、級数を取り扱うのは積分よりも桁違いにむずかしいですね。そこで、物理学者は、無限大の大きさを持つ在りもしない宇宙を考えて、上のボーリングの玉の問題と同じ様に理想化してしまうのです。これなら、フーリエ積分でも、ルベーグ積分でも、解析接続でも、超関数でも何でも使って、この理想化された在りもしない宇宙を論じられるようになるからです。宇宙などと大げさな例を出さなくも、もっと短なれいはトランジスタやナノデバイスなどです。この現象は結晶の中で起こっている現象ですが、このデバイスの結晶の大きさは高々数センチや数ミリと有限な大きさですね。でも、物理学者が現実の計算をする時には、平気で積分を使って、数学屋さんが手に入れくれた道具をフルに使って計算しています。そんなことは、厳密には無限大の結晶でなくては出来ないはずですね。流体力学だって、今ではこの世の中は連続体ではなく、粒子の集まりで出来ていることが判っているのだから、この力学は現実の世の中を記述するには厳密には間違っていることが判っているのに、工学者も物理学者も、これは理想化だとかなんとか言いながら平気で流体力学を使って現象を論じていますね。

#24でも述べたように、数学は「分析的真偽」を扱いますから、この自然界に現実に存在しているかどうかの問題は扱っておらず、人間の脳味噌の創り出すことが出来る概念の間のあらゆる整合性を探ろうという学問です。無限大とか無限小と言うのもそう言う概念の一つであると私は考えています。そして、この現実の宇宙には在りもしない数学者の創り出した概念を、物理系の理想化と言うごまかしをする事によってこの宇宙を理解するために物理学者が使わしてもらっている、そう私は考えています。

こんな理屈をこねくり回していると、またまた、モンテーニュさんに皮肉を言われてしまいそうですね。
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>数学にも、ぞくに純粋数学と応用数学と呼ばれる分野がありますが、



に関しても一言。

人間の歴史を振り返ってみると、面白いもので、人は何も役に立たないことをやっている者ほど、自分に誇りを持ち、威張って来たようです。昔は、何もしないで哲学を語っていた貴族達が、物を作る連中を馬鹿にしていました。理系の連中のなかでも、原理を語る物理学者は、もっと地に着いた物を研究している化学者や生物学者や、それよりももっと直接役に立っている工学者達よりも威張っているところがあります。また、物理学の中でも、宇宙論や素粒子論などのように、最も役に立たないことをやっている連中が最も誇りが高く、その反対に、化学や生物や工学に最も役に立つ熱力学をやっている連中を見下すようなところが在ります。ナノサイエンスをやっている物理学者は物理学の間では大分肩身が狭いと思います。ただし、本当のことを言うと、基本原理だ何だと威張っている宇宙論屋さんや素粒子論屋さんの中には、彼等から言わせると単なる現象論をやっている、最も油にまみれた熱力学が、量子論という基本原理を導き出したことを、つい忘れている連中も一杯いますが。

多分それと同じ様なことが数学者の間でもあるかもしれません。昔ある本で読んだのですが、ある数学者が大変興奮して、自分の証明した定理を捲し立てていました。彼は、その定理が応用できるところがどこにも存在していないことを大変な誇りを持っていたと言う笑い話です。

この笑い話のご仁のように、並な数学者は、自分は数学基礎論と言う所謂純粋数学をやっているので、応用数学のように実社会に役に立つ物ではないと、と言うかもしれませんね。ところが、人間とは恐ろしい者で、数学の基礎論をいきなり現実の物理現象に適応して、物理学の難問を解いてしまった並外れた数学者も居ります。ロシアの数学者コルモゴロフ(K)は1954年に、天体の運動の3体問題と呼ばれる非線形数学の代表的な問題に対して、その問題にもエネルギー以外にも、力学の基本的な量である運動の恒量と言うもが、非常に特異な形で存在できることを発見したのです。その発見は、その後、現代の大数学者アーノルド(A)とモーザー(M)によってそれぞれ独立に、厳密に証明されました。これは、KAMの理論と呼ばれ、近代非線形力学およびカオスの問題の夜明けをもたらしたと言われています。

私がコルモゴロフの原論文を読んだ時に度肝を抜かれたのは、彼が天体の運動を論じるのに、数論で数の分類の時に使われるデオフォントスの不等式を使ってその運動の恒量の存在を示したことでした。この時には、数学基礎論だ応用数学だと言っているのは我々凡人の戯言であり、人間行き着くところまで行き着くと、そんな区別は余り意味がないのかと、目から鱗が落ちたような気がしました。

でもその一面、物理学をやるのに数学の基礎論も勉強しないといけないのかと、見方によってはウンザリしたことを覚えています。数学者の方から見ると、数論がどうの、超越数がどうのということは数学の中でどの位置を占めているか知れませんが、物理屋から見るとこんなもの、物理学をやっていても一生お目にかかれない数学の分野だと思っていました。

全くの現象論である熱力学が量子力学の基本原理を導き出してみせたり、数論のような数学の基礎論が現実の天体の運動を記述してみせたりと、この世の中には一筋縄では行かないところあるから、学者は食いっぱぐれずにいられるようですね。
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Q数学とは‥‥

漠然とした質問で大変申し訳ありません。

数学とは一体何なんでしょうか?
なぜ数学を学ぶのか?数学を学ぶことで何を得られるのか?‥‥などなど数学とは一体何なのかを教えていただきたいと思い、質問させていただきました。
今まで文系一筋だった私としては正直言って、数学をイヤでもやらなければならないというだけの考えでした。
そこで、どのようなことでも構いませんので、お答えいただければありがたいです。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

大昔、自然は人間に対してあまりにも厳しいものでした。

飢えや病気や寒さや猛獣や台風に対抗できる手段がほとんどなく、ただ神に祈るだけの時代が何百万年と続いたはずです。

しかし、人間には「どうしてそうなるのか」を考える能力がありました。
長い時間をかけて、自然現象から法則を発見して、それを未来の予想や道具・システムの作成に利用してきました。

それが自然科学の始まりです。
内容が発展するにつれて、カテゴリーが細分化され、数学もそのようにして誕生してきました。

同時に、「直接は何の役にも立たないが、法則性を発見すること自体が楽しい」ということもあり、一見ムダな部分も含めた学問体系になりました。

さらに、一見ムダと思われた内容が、ずっと後になって、意外な場面で最新科学に利用されるということもしばしばありました。

そういう部分が、また、数学の魅力でもあると思います。

ただ、日本では、受験数学ばかりが前面に出すぎています。
「なるべくミスをしないで出題者の求める正解にたどりつく」という受験数学の世界は、例えるなら、地雷のある荒れ地を、地面ばかり見ながら進んでいるようなものです。

そういう世界しか知らない多くの日本の受験生が、数学に嫌気がさすのは当然なのだと思います。

本来は、景色の良い草原を、転ぶことを恐れずに走り抜ける子ども達のように、失敗を乗り越えて新しい法則性を切り開く数学の世界を多くの人に味わってもらいたいものです。

大昔、自然は人間に対してあまりにも厳しいものでした。

飢えや病気や寒さや猛獣や台風に対抗できる手段がほとんどなく、ただ神に祈るだけの時代が何百万年と続いたはずです。

しかし、人間には「どうしてそうなるのか」を考える能力がありました。
長い時間をかけて、自然現象から法則を発見して、それを未来の予想や道具・システムの作成に利用してきました。

それが自然科学の始まりです。
内容が発展するにつれて、カテゴリーが細分化され、数学もそのようにして誕生してきました。

同時に、「...続きを読む

Q数学的考えってどんなことですか?

幼稚な質問ですが、ご存知の方、教えてください。

私は学生の時、算数も数学もあまり興味がなくて微分/積分 関数、、、なんて
理解できなくても足し算/引き算あたりがわかれば生きていくのに
困らないだろうと考えていました。
しかし当時の数学教師が「数学的思考は人生の、きっと役に立つよ」と
教えてくれました。
成人した私は、しばしば周りの人間から「数学的考えができるね」と言われます。
自分では、何のことなのか、さっぱりわからないのです。
単に合理的、理論的という意味なのでしょうか?
そもそも、数学的思考って何なのでしょうか?
実生活で具体的に表現すると、数学的思考とはどういうことなのでしょうか?

Aベストアンサー

 
「数学的思考」と「論理的思考」はまた別なのですが、数学は論理的という考えが一般化しているようで、「違い」がどこにあるのか、なかなか理解しにくいようです。

簡単には、数学は論理的でもあるのですが、その使用する「論理」のレンジが狭いということがあります。「論理的思考力」は、もっとレンジが広く、広い世間知や経験や知識・教養などをベースにして、総合的に発揮される思考能力です。これは、数学の論理思考よりも、修得が難しいのです。

「数学的思考」とはどういうものか、とりあえず、それはデジタル的、解析的な思考法だと言えます。無論、数学的な形式論理思考は含まれます。

具体的に例で言いますと、何か会社で問題などがある時、その問題を、ステップや要素に分けて考え、問題の性質を、解析的に分析し、どう対応すれば問題が解決するか、ステップや要素の持つ意味や働きに応じて、「見通しの良い」回答が出せるような思考が、数学的思考と言えます。

「論理的思考」の場合、こういうデジタル的、解析的な思考も無論しますが、もっと総合的で、相互交差吟味などの内的検証や、無意識の直観の吟味など、非常に幅広い「思考力」を駆使して、ものごとの本質に迫ろうとする思考です。

数学的思考は、外から見ると、「問題の整理の仕方」が明晰、解決の筋道が、分かり易くステップ的デジタル的になているという風になります。実際、内部の思考処理でも、こういうことを行っていることになります。

これは自然科学の基本手法である、要素還元的な方法で問題を眺め、把握し、次に数学の問題を解く時のように、ステップ的な回答を出すような思考で、これが、数学的思考的だということになるのでしょう。

数学的な思考は、ある意味で、形式的な思考で、綺麗に問題を把握してエレガントな回答を出すように見えますが、総合的な論理思考ではないので、抜け落ちが出てきます。

数学的「形式性」の限界というか弊害があるのです。これは、あの人は、堅苦しいことを考える人だという評価にもなりますし、思考の余裕が狭いという評価にもなります。

質問者が述べている通り、「数学的思考」は、足し算引き算程度でも実は十分なのです。無論、証明のステップ的思考法というのは修得していなければまりません。しかし、訓練しなくとも、そういうステップ的思考が馴染んでいるという人もいるのです。

(金銭の損得問題で、どうすれば得か、ということを真剣に考えていると、微積分など習わなくとも、こういう思考は訓練されます。逆に微積分はできるのに、お金の損得勘定ができないという人も結構います。高校・大学程度の数学だと、答えが分かっているものがほとんどで、「解き方のテクニク」などがあります。しかし、現実世界の金銭問題は、場合場合で問題が異なり、正解のない問題もたくさんあるのです。こういう問題には、学校数学の思考法や解法テクニクはあまり意味を持ちません)。

問題について、デジタル的、つまり数字的に考え把握し、数字の計算をきちんと行っているというのが、おそらく、他の人に「数学的考えができる」と言われる根拠だと想定します。これは関係ない要素を切り捨てて、数値的に評価できる面を思考するということでもあるのです。

他の人は、人間関係の問題とか、感情の問題が入って、なかなかスパっと割り切れない問題を、数やステップで置き換えて、スパっと切って回答にするという「合理的」問題思考だと、数学的考えが得意という風に言われると思います。

数学と論理の関係は難しいです。以下の質問のわたしの回答も参照して見てください:

>No.272799 質問:(^_^.) 数学がよくできる人って、ほんとうに頭がよい人??
>http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?qid=272799
 

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?qid=272799

 
「数学的思考」と「論理的思考」はまた別なのですが、数学は論理的という考えが一般化しているようで、「違い」がどこにあるのか、なかなか理解しにくいようです。

簡単には、数学は論理的でもあるのですが、その使用する「論理」のレンジが狭いということがあります。「論理的思考力」は、もっとレンジが広く、広い世間知や経験や知識・教養などをベースにして、総合的に発揮される思考能力です。これは、数学の論理思考よりも、修得が難しいのです。

「数学的思考」とはどういうものか、とりあえず、...続きを読む

Qいい数学の先生ってどんな教え方をする先生でしょうか?

こんばんは。

いい数学の先生ってどんな教え方をする先生だと思いますか?

抽象的な質問ですみません。
例えば、
・公式はたくさん覚えるべきだ、と主張する先生
・とにかく問題はたくさんとくべきだという方針の先生
のような感じで答えていただけるとうれしいです。

Aベストアンサー

『良い選手は良い監督になれない』では無いかなぁと思います。
中には王監督のように良い選手でありよい監督である事もありますよ。
ではその差は何か?と考える…

理論的な頭からすれば数学の目標はいち早く答えにたどり着く事かと思うんです。
そうなると途中の計算式や考え方ではなく、『こう言う問題はこう考えてこう答える』
これがマニュアル化してしまう可能性があるんですね。
ですから『わけ解らないまま答える』という事が大いにありうるんです…

確かに、実際の数学の試験では問題解決の方針を考えている余裕が無い事が多いです。
ですが、どう考えるのかどういうものかを、しっかり教える先生が良い先生かと思うんです。

私は数学が大好きで理系大学に入り、朝な夕な家庭教師をしていました。
私が良い教師であるかは、生徒にきかなければわからないでしょう。
ですが少なくとも、中学高校時代の数学教諭と比較して『解りやすい』とは言わていましたね。

何のためらいも無く公式を言う、『ここまで教えなさい』という事が頭から離れない教師と
自由奔放に以下に数学って面白いんだよを主張する私では比べてはいけないのでしょうけれど…
例えば2次関数
私は家庭教師時代とにかくグラフを書かせる事に徹しました。
展開や因数分解などしない、とにかく式からグラフを書かせるんです…
公式はその後でした。
式の変形は公式は必要ないんですね。きちんとどういうものかを見せる事により
計算結果が雰囲気で正誤判定ができるようになりました。
パズルのようなものです。算数は平気なのに数学になったと慌てるから駄目
算数と同じようにじっくり解るように教えれば、後は生徒に任せていても実に速く解けるようになるんですね。
待て!と言ってもどんどん次から次へ進んでしまう…
『良い点数を取らせる事』よりも『数学は楽しい』と言ってもらえる事を目指すのが良い先生かなぁなんて我ながら思いました…

と言いつつも、いまだに忘れない言葉があります。
『紫蘭先生のおかげで点数がが25倍になった!』
普段出来てもせいぜい一問、4点だった生徒が100点満点を取ったんだな…
あの時は驚いて次の瞬間、自分の事のように泣いてしまった…

もし宝くじで3億円当たったら家を建てて、その一室でもう一度、家庭教師をしたいなぁなんて思う紫蘭でした…
箇条書きになっていませんでしたね失礼しました…

・数学のイメージをきちんとつけてくれる先生
・数学は実は楽しいという事を気づかせる先生
と言う所でしょうか…

『良い選手は良い監督になれない』では無いかなぁと思います。
中には王監督のように良い選手でありよい監督である事もありますよ。
ではその差は何か?と考える…

理論的な頭からすれば数学の目標はいち早く答えにたどり着く事かと思うんです。
そうなると途中の計算式や考え方ではなく、『こう言う問題はこう考えてこう答える』
これがマニュアル化してしまう可能性があるんですね。
ですから『わけ解らないまま答える』という事が大いにありうるんです…

確かに、実際の数学の試験では問題解決の方針...続きを読む

Q東大の理1と理2の違いは?

僕は次から高1になるのですが、大学は東大の理系を考えています。
理3が医学部だということは分かっている(し、行く気はない)のですが、
理1と理2の違いがあまりはっきりしません。
学部進学の際、どのように振り分けられるのですか?
できれば具体的な人数なんかのデータがあればいいのですが・・・。

Aベストアンサー

>工学が1、農学が2、理学部ではそんな変わんないって感じでしょうか。

理学部はひとくくりにできませんよ。
物理学科、数学科などは理1優勢ですし、化学科だと同じくらい、生物学科なら少し理2優勢といった感じです。
#2で示した集計表のとおりです。
細かいこと言い出すと、工学、農学も学科によって色合いがかなり異なりますよ。

大まかなことを言えば、#2の文中に示した進学振り分けについての資料にありますが、
理科一類 工学部・理学部・薬学部・農学部
理科二類 農学部・理学部・薬学部・医学部・工学部
↑は、それなりに人数比率も反映した順番になっていて、理1なら工・理が大部分を占めるし、理2なら農・理・薬が大部分を占めます。

ここまでいろいろ書きましたが、どちらかというと、momomoredさんには#2の集計表とにらめっこしてほしくありません。
むしろ、大学側からの「進学のためのガイダンス」(http://www.u-tokyo.ac.jp/stu03/guidance/H16_html/index.html)や、#2の進学振り分けの資料の中の各学部の紹介とか、あるいは、各学部のホームページ(学部ごとにホームページをもっています)を見て、できれば研究室のホームページまでチェックして、具体的に何がやりたいか、そしてそれをやるためには東京大学のあの研究室で学びたいんだ、ということをしっかりと意識することのほうが大切だと思います(それがなかなかできないわけですが…ハイ)。

あくまで#2の集計表とかは参考までにね。#2で書いたように、入ってから行きたくても行けない学部・学科なんてものはほとんどないですから(文転もありですよ)。
目標高く勉強のほうがんばってください。

>工学が1、農学が2、理学部ではそんな変わんないって感じでしょうか。

理学部はひとくくりにできませんよ。
物理学科、数学科などは理1優勢ですし、化学科だと同じくらい、生物学科なら少し理2優勢といった感じです。
#2で示した集計表のとおりです。
細かいこと言い出すと、工学、農学も学科によって色合いがかなり異なりますよ。

大まかなことを言えば、#2の文中に示した進学振り分けについての資料にありますが、
理科一類 工学部・理学部・薬学部・農学部
理科二類 農学部・理学部・薬学部・...続きを読む

Q数学の嫌い人へ。数学の嫌いな理由は何ですか?

題名の通りです。数学の嫌いな理由は何ですか?

Aベストアンサー

公式が覚えられない。
覚えても実際に使えない。
手を動かすのが嫌い。
今後の生活に意味が無い。
ですね!

Q数学の感想文

中3(4月から高1)の女子です。
入学説明会でいろいろと宿題をもらったのですが、そのなかでよく分からなかったものが1つあるので質問させてください。
素因数分解や平方根などのことについて書かれている文章があってそれを読んでの感想文を書けといった宿題です。しかしどういった感想を書けばいいのかまったく分かりません。普通の本を読んで書く感想文とは違いますよね。感情的なことが書かれている訳でもないので、共感する部分や感動する部分もなく・・・。その文章を読んで感じた事を書ければいいんでしょうけど、もともと数学が好きじゃないこともあってか『ふ~ん。そっか』としか感じられません。父は『この宿題は、きっと自然科学的な数学の捉え方をみたいんだな』といっていましたが、自然科学的な数学の捉え方ってなんですか?それが分かれば感想文の書き方も分かるようなきがするんですが・・・。数学の宿題で感想文がでるなんて思ってもなかった事なので、もう頭がぐちゃぐちゃです。ほかの宿題もやらなければいけないのに・・・。
分かりにくい文ですみません。回答してくださると嬉しいです。

Aベストアンサー

 項目を分けて書いたらどうでしょうか。

1.文章を読んで新しく理解した事柄。
2.新しい内容だが理解できなかったこと。
3.新しく生じた疑問点。
4.自分が今まで分かっていると思っていたのに実は
  本当は理解していなかった事柄
5.興味がもてた点。
6.高校の数学を勉強する自分の心構え。

この中なら適当に選んで書いてみたらいかがですか?

Q進研模試の過去問を手に入れたいのですが・・・。

単刀直入ですが,進研模試の対策をするために,進研模試の過去問を手に入れたいのですが,学校や塾の先生に頼む他に何か入手する方法はないのでしょうか? 勉強がしっかり出来ているかどうかの確認をするためには進研模試を解くのが,レベル的にも難しすぎず簡単すぎず,良いと言われたので,何回分かの進研模試を解いてみたいと思い,このような質問をするに至ったのです。ご回答,よろしくお願いします。

Aベストアンサー

模試の対策をする必要はありません。
普段の勉強の成果を確認するための物ですから。
対策の結果、実力以上の点が出てしまえば、かえって実力が見えなくなります。

適切なレベルの物で勉強したい、というのは伝わります。
しかし模試は模試。
最適な教材になるとは思えませんし、なるようなら進研がとっくに発売していますし、進研ゼミなどとっくにやめているでしょう。

書店に行っても教材が多すぎると言いますが、自分の学力が把握できればおそらくそれでかなり絞れるはずです。
それも判らなければ、基礎的な薄い物をやってみて、その感触で量るのが良いでしょう。
また、色々な教材を良く眺めてみるいうのも良い勉強です。
根性決めて書店に「通って」ください。
進研の模試もそうですが、教材には相性やレベルがあります。
進研の問題は確かに基礎的な良問であるような気はしますが、だからと言って、あなたがそれで勉強できるかどうかは判りません。
もっと基礎が抜けているのかも知れないし、そんな問題では簡単すぎるのかも知れません。
それはどの教材であってもそうです。

基礎ができていないのなら基礎、入試標準レベルのところでつっかえているのならそれ、と今自分が何をすべきか、で決めて、それをさっさと終えてください。
最後までそれだけでやり通そうとするから基礎から応用まで、なんて事を言うんです。
そもそも化物に至っては、教科書をきちんと読んでいるのか。理解できるよう読んでいるのか。なんて事が第一です。
その上で参考書、です。
物理は、一読しただけではさっぱり判らなくて当然です。
何度も教科書や参考書を読み、基礎問題を解き、解らなくなってまた教科書参考書に戻る、の繰り返しです。しつこくしつこく。
天才を除けば根負けするかどうかの科目だと思っています。

単語帳は相性次第です。
前書きからしっかり立ち読みし、相性が良さそうな物を選んでください。
当面センターレベルで良いので、さっさと終わらせることです。
現代文は、出口、田村、板野、河合の入試現代文へのアクセス、辺りを。これも前書きからしっかり読んで、やり方を把握したり指示に従ったりしましょう。
古典は知りません。
理系なら、二次私大でで国語を使うのかどうかでどこまでやるかが変わると思います。
あなたなら、伊藤さんの「ビジュアル英文解釈」ができると思います。
最初は易しいですが、最後までやり通したり、その後の「英文解釈教室」まで行けば大した物だと思います。

模試の対策をする必要はありません。
普段の勉強の成果を確認するための物ですから。
対策の結果、実力以上の点が出てしまえば、かえって実力が見えなくなります。

適切なレベルの物で勉強したい、というのは伝わります。
しかし模試は模試。
最適な教材になるとは思えませんし、なるようなら進研がとっくに発売していますし、進研ゼミなどとっくにやめているでしょう。

書店に行っても教材が多すぎると言いますが、自分の学力が把握できればおそらくそれでかなり絞れるはずです。
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Qなぜ人間には心があるのでしょう?

動物にもあるかもしれないので、「人間には」というと語弊があるかもしれませんが・・。
人間のあらゆる感情がなぜ必要なのか、ふと疑問に思いました。

今まで「生物は生きるために生活している」と思っていましたが、生きるために生活するなら、感情があるのは諸刃の剣なのではないかと思ったのです。生きる「喜び」を感じることもあれば、「絶望」して死に向かうこともあるからです。
どんな動物もそんなに生きるのに効率よく出来てはいないのでしょうが、人間が脳を発達させて心とか想像力とかを豊かにしてきたのはなぜなのでしょうか?

Aベストアンサー

こんにちは。
我々動物にとって「心」とは、「与えられた状況に対応した適切な行動を選択するため」にあります。
それは生後学習の結果を基に環境からの情報に対して価値判断を行い、「自分にとって利益となる行動」を選択します。これにより、我々動物は生後環境に発生する様々な変化に対応し、「本能行動では解決することのできない問題」に対処します。

さて、「なぜ心があるのか?」ということですが、このご質問を整理しますと、それは心ではなく、「なぜ人間には高い知能があるのか」ということになるのではないかと思います。これはたいへん難しい問題でありますが、そのためにはまず、「心と思考の違い」というものをはっきりとさせる必要があります。これにより、質問者さんがご指摘をなさる問題の構造を明らかにすることができます。

我々動物の行動といいますのは以下の二種類に分類されます。

「報酬刺激に対する接近行動」
「嫌悪刺激に対する回避行動」

中枢系は感覚器官からの入力を基に「利益・不利益の価値判断」を行い、その結果を運動系や自律系に出力します。これにより、我々動物は身体内外に発生する様々な環境の変化に対応し、与えられた状況に応じた適切な行動や反応を選択しています。
そして、我々高等動物の行動選択には、その脳の構造上、以下の三系統があります。

「命の選択:本能行動(本能行動・無意識行動):生命中枢」
「心の選択:情動行動(学習行動・無意識行動):大脳辺縁系」
「知の選択:理性行動(学習行動・意識行動):大脳皮質」

このように、「思考」と「情動」といいますのは、その構造も性質も異なる全くの別物です。
「本能行動」といいますのは我々動物にとって最低限必要なものでありますから、その「反応規準」は生涯に渡って変更することができないようになっています。このため、本能行動では生後環境に発生する様々な変化に上手く対応することができないわけですが、学習行動といいますのはこれを補助するためにあります。
「情動行動の判定規準」といいますのは個体の生後体験によって後天的に獲得されるものです。大脳辺縁系ではこの学習結果に基づいて利益・不利益の判定を下し「情動反応」を発生させるわけですが、これが即ち我々の脳内に発生する「心の動き」であります。
この「心の動き」といいますのは環境からの入力に対して発生します。そしてその役割とは、「食べたい」ものに接近行動を選択させ、「怖い」という判定に従って回避行動を選択させることです。従いまして、環境からの入力に対してこのような判定が下されないとしますならば、我々は食べることも自分の身を守ることもできないということになります。
このような基本的な判定でしたら本能行動だけでも十分に可能です。ですが、本能行動では状況に応じた柔軟な選択というものができません。では、我々動物にとって「心の役割」とは、それは「行動選択に学習結果を反映させる」ということです。これにより、我々高等動物は自らの存続の道を巧みに切り開いてきました。

「情動行動」と「理性行動」は行動選択に生後体験を用いた共に学習行動でありますが、このふたつの違いといいますのは、それが意識行動であるか無意識行動であるかということです。
「本能行動」と「情動行動」はその場の判定に基づいて直ちに選択されるものであるため、この結果は常に「無意識行動」です。これに対しまして、「理性行動」といいますのはその場の状況だけで選択されるものではなく、過去の学習体験を基に「未来の結果を予測する」という計画行動であり、こちらは原因と結果の自覚された「意識行動」ということになります。
では、この未来の結果を予測するために必要なのが「想像力」であります。我々の想像力、即ち「人間の高い知性」とは、本能行動や情動行動では予測することのできない「未来報酬」を想定し、より価値の高い行動の選択を行なうためにあります。
但し、この「知性」を以って可能となるのは未来を予測するというところまでありまして、この結果に対して利益・不利益の判定を下す機能は大脳皮質にはありません。このため、最終的な意思決定といいますのは大脳辺縁系の情動反応によって下されなければなりません。つまり、大脳皮質がどんなに素晴らしいアイディアを提案したとしましても、大脳辺縁系の情動反応、即ち脳内に何らかの「心の動き」が発生しない限りそれが実行に移されることはないということです。そして、これは我々の脳内では「思考を行う機関」と「情動を発生させる機関」がそれぞれに異なり、その機能が分離されているからです。

このように、心には心の大事な役割というものがあり、思考と情動ではその機能が違います。
情報反応の判定規準といいますのはそのひとの個人体験を基に獲得されるものですから、そこには必ずや「個人差」というものがあり、これが我々の性格や個性を作ります。そして、生まれてからこれまでに獲得された無数の判定規準が即ち我々の「価値観」であります。
「個人的価値観:食べ物の好き嫌い、異性の好みetc.」
「文化的価値観:一般常識、社会道徳、お国柄、時代の考え方」
このようなものがそのひとの体験を通して大脳辺縁系に積み重ねられてゆきます。
もちろん、同様の記憶情報といいますのは大脳皮質ではもっと詳細に整理されていますし、学校で習ったり親から言われたことは思考によって幾らでも理解することができます。ですが、ただ口で言われただけではなく、親や先生に叱られた、などいったことは、恐らく九分九厘こちらの大脳辺縁系にしっかりと記録されます。ですから、我々がそこに豊かな価値観を育てるためには単に知識を身に付けるだけではなく、豊かな実体験を積み重ねるということがたいへん重要ということになります。

さて、我々高等動物の脳内では行動選択の機能は三系統に分離しているわけですが、実は、これらは「並列回路」として構成されています。これがどういうことかと申しますと、ひとつの入力に対して複数の異なる判定が下されてしまうことがあるということです。果たして、我々の全ての苦悩とはここに発生します。
「苦悩」とは欲求が自覚されることによって発生するものです。
本能行動と情動行動は共に「現在の利益」に従う無意識行動でありますから、ここでは判定の対立は起こりませんし、欲求が自覚される必要もありません。判定の対立が起こるのは、大脳皮質が未来の結果という別の利益を予測するからです。
理性行動では「現在の利益」と「未来の利益」を比較する必要があります。ですから、ここでは必然的に複数の欲求が自覚されるわけですが、果たしてこの場合は、そのどちらかは必ずや阻止されなければなりません。
「苦悩」といいますのはこのようにして発生します。そして、我々人間の欲求に限りがないのは、大脳皮質にはより価値の高い結果を予測することができるからです。このため、我々の人生は様々な選択と苦悩の連続ということになります。これが、大脳皮質を発達させてしまった人類の「苦悩の構造」です。

では、どんなに辛く苦しいからといいましても、第一線を越えてしまうような選択といいますのは通常、そう簡単に起こるものではありません。何故ならば、他に如何なる選択肢もない状況に至ったとしましても、「いざっ!」というときになりますならば、まず必ずや「生物学的利益」に従った行動が優先されるからです。当たり前のことを申し上げているようですが、これがどういうことかといいますと、我々の行動選択機能といいますのは並列回路としてそれぞれに独立して働いてはいるわけですが、とはいいましても、やはりそこには「最低限の秩序」というものが保たれているということです。
一定の秩序が保てなくなるほどの大きな変化を「カタストロフィー」といいます。「窮鼠返って猫を噛む」というのはこのカタストロフィーであり、通常では考えられない行動が選択されてしまいます。では、もしこのカタストロフィーが発生するならば脳が第一線を越えてしまうということはあり得るわけです。ですが、飽くまでもこれは通常の状態ではありません。
確かに人間の思考は複雑であり、現代のような社会が心の健康に良いわけではありませんから、そのような不幸な出来事もしばしば耳にします。ですが、大脳皮質にはその選択を想定することもできますが、この時点ではまだ秩序が失われてしまったというわけではありませんし、果たして最終決定といいますのは大脳皮質ではなく心の動きによって下されるわけです。そして、学習行動には本能行動と異なる結果を選択することも可能ではありますが、ここに苦痛や恐怖を報酬として学習してしまう、つまり全く正反対の判定規準を獲得してしまうというのは、普通の動物にはまず不可能です。
ですから、通常の状態でありますならば、我々の脳内に「生物学的な秩序」といいますのは現時点でも他の動物と同様に十分保たれており、少なくとも質問者さんがご心配をなさいますような、人類がその知能や情動の発達によって自らを絶滅に追い込んでしまうというような事態には幸いまだ至ってはいないと思います。

本能行動といいますのは命の選択でありますから、これを止めるということはできません。ですが、心の選択といいますのは我々が育て上げた価値観であり、知の選択とは未来の選択であります。
質問者さんが仰いますように、そこには様々な矛盾が発生します。ですが、人類が何故そのような道を歩んでしまったのかはまだ科学では解明されていません。では、我々がそれに振り回されて誤った選択を行なわないようにするためには、より豊かな体験によって心の秩序を保ち、より多くの知識を身に付け、それを自分の未来に役立てるというのが大切なのではないかと思います。そして、それが果たして、我々人間に与えられた脳の構造に適したやり方、ということになるのではないでしょうか。

こんにちは。
我々動物にとって「心」とは、「与えられた状況に対応した適切な行動を選択するため」にあります。
それは生後学習の結果を基に環境からの情報に対して価値判断を行い、「自分にとって利益となる行動」を選択します。これにより、我々動物は生後環境に発生する様々な変化に対応し、「本能行動では解決することのできない問題」に対処します。

さて、「なぜ心があるのか?」ということですが、このご質問を整理しますと、それは心ではなく、「なぜ人間には高い知能があるのか」ということになる...続きを読む

Q「以降」ってその日も含めますか

10以上だったら10も含める。10未満だったら10は含めない。では10以降は10を含めるのでしょうか?含めないのでしょうか?例えば10日以降にお越しくださいという文があるとします。これは10日も含めるのか、もしくは11日目からのどちらをさしているんでしょうか?自分は10日も含めると思い、今までずっとそのような意味で使ってきましたが実際はどうなんでしょうか?辞書を引いてものってないので疑問に思ってしまいました。

Aベストアンサー

「以」がつけば、以上でも以降でもその時も含みます。

しかし!間違えている人もいるので、きちんと確認したほうがいいです。これって小学校の時に習い以後の教育で多々使われているんすが、小学校以後の勉強をちゃんとしていない人がそのまま勘違いしている場合があります。あ、今の「以後」も当然小学校の時のことも含まれています。

私もにた様な経験があります。美容師さんに「木曜以降でしたらいつでも」といわれたので、じゃあ木曜に。といったら「だから、木曜以降って!聞いてました?木曜は駄目なんですよぉ(怒)。と言われたことがあります。しつこく言いますが、念のため、確認したほうがいいですよ。

「以上以下」と「以外」の説明について他の方が質問していたので、ご覧ください。
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?qid=643134

Qパーセントの計算がまったく出来ません…

本当にお恥ずかしいのですが、パーセントの計算方法を教えて下さい。

お店のバーゲンセールなどでよく「50%オフ」「45%オフ」といった表示を見ます。50%は半分ということは「感覚」でわかるので、定価が2000円ならその50%オフは1000円ですし、1500円なら750円と計算が出来ます。
ですが、たとえば75%オフだとか、44%オフだとか、80%オフだとか、そういう中途半端(?)な数の場合、さっぱりわからないのです。テレビなんかでバーゲンセールを取材している様子を見るとリポーターの女性なんかが「定価が○○円で、65%オフ!?ということは○○円ですね!?」などとパッと暗算で計算しているのを見るととても驚きます。

暗算とまではいかなくても計算機(ケータイにもその機能はありますし)があればいいので、どういう計算式でその%オフされた数字を出すのか教えて下さい。

また、今のバイト先で、商品の売り上げ目標というのを作るのですが、先輩たちのミーティングを見ていると「目標○○万円でしたが、××円しか売り上げがなく、△△%の達成率となってしまいました」と報告をしているのですが、この場合もどのような計算式で計算しているのでしょうか?

消費税を出す場合につきましても教えて頂きたいのですが、今現在の税率は5%で、その計算をする場合は「定価×1.05」で出ますよね。なぜ、1.05をかけるのかわからないのです。

本当にお恥ずかしいのですが、どうか教えてください。まったくわからないので、出来る限り丁寧で細かい説明をして頂けると本当に助かります。よろしくお願いいたします。

本当にお恥ずかしいのですが、パーセントの計算方法を教えて下さい。

お店のバーゲンセールなどでよく「50%オフ」「45%オフ」といった表示を見ます。50%は半分ということは「感覚」でわかるので、定価が2000円ならその50%オフは1000円ですし、1500円なら750円と計算が出来ます。
ですが、たとえば75%オフだとか、44%オフだとか、80%オフだとか、そういう中途半端(?)な数の場合、さっぱりわからないのです。テレビなんかでバーゲンセールを取材している様子を見るとリポーターの女性なんかが「定価が○○...続きを読む

Aベストアンサー

丁寧で細かい説明が希望とのことなので、ちょっと長くなりますが書いてみます。
数学的には無駄の多い説明ですが、分かりやすく説明したつもりですので読んでみてください。

1000円の50%は500円、30%は300円であることは分かりますね?
これは以下計算をしていることになります。
 1000×(50÷100)=500
 1000×(30÷100)=300
●%ってのは●÷100のことです。
で、▲円の●%を求める場合、▲×(●÷100)で計算します。

次、1000円の30%オフって場合ですが、「オフ」=値引きです。
つまり、1000円の30%分を値引きします、ということですよね。
だから、元の値段1000円から1000円の30%分である300円を引いた
残りである700円が答えです。
でもそれを計算するのは面倒なので、ちょっとテクニックがあります。
30%オフということは、元の値段の70%分を求めればよいと考えます。
つまり、1000円の70%なので700円、となります。
ここまではいいですか?

次、達成率の計算ですが、、
目標100万円に対して売り上げも100万円だったら達成率は100%なのは
感覚的に分かりますよね?
つまり、達成率=(実際の値÷目標値)です。
%で表現する場合はこれに100を掛けます。(●%=●÷100だから)
たとえば目標50万円で売り上げ35万であれば35÷50×100なので70%になります。

最後、消費税。前述のオフとは逆で、消費税5%分を上乗せする、と考えます。
つまり、税抜き●円であれば、●円と●円の5%を足した金額が税込み金額です。
式にすると●+(●×5÷100)です。
これが基本ですが、先程のオフの計算のテクニックと同じ考え方が適用できます。
5%上乗せした額ってことは、元の値段の105%分を求めればよいと考えます。
ですから●×(105÷100)です。
ここで出てくる(105÷100)は1.05ですよね。
つまり、元の値段●に1.05を掛ければよいのです。

おまけ。暗算を早くするためのテクニック初級編として3つだけ書いておきます。
1.計算式に掛け算と割り算しかない場合、もしくは足し算と引き算しかない場合、
  順番を無視しても答えは一緒です。
  上の例でいくと35÷50×100は35×100÷50でも答えは一緒です。
  で、100÷50を先に計算して、それに35を掛けます。
  これならすぐに暗算できますね。

2.割り算の場合、前後の数字に同じ値を掛け算しても答えは一緒です。
  たとえば35÷50であれば、前後に2を掛けて(35×2)÷(50×2)でも
  答えは一緒です。
  35÷50の暗算は一瞬悩むけど、70÷100なら簡単ですよね。

3.掛け算の場合、前後の数字を分解して細かく掛け算しても答えは一緒です。
  たとえば25×32を計算する場合、32は4×8なので25×4×8を計算しても
  答えは一緒です。
  25×4は100、100×8で800ということで25×32=800です。
  これなら暗算できそうですよね。

丁寧で細かい説明が希望とのことなので、ちょっと長くなりますが書いてみます。
数学的には無駄の多い説明ですが、分かりやすく説明したつもりですので読んでみてください。

1000円の50%は500円、30%は300円であることは分かりますね?
これは以下計算をしていることになります。
 1000×(50÷100)=500
 1000×(30÷100)=300
●%ってのは●÷100のことです。
で、▲円の●%を求める場合、▲×(●÷100)で計算します。

次、1000円の30%オフって場...続きを読む


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