ベジタリアンという生き方を批判する考えで、説得的・論理的なものに出会ったことがありません。
そこで、説得的な批判があれば教えていただきたいです。
価値の押し付けをするから、暴力的だから、というイメージによる批判はお避けください。
以下の批判は説得的でないと思われます。
・「植物も動物も同じ命であり、平等に同じように食べるべき」との考えについては、同じ命であるからといって、その価値が同じであるとは必ずしもいえないと思います。花を折るのと動物を踏みつけるのは同じでしょうか。 また、動物を生産する過程でその数倍の植物を消費するため、動物を食べたからといって、植物の命を大事にしたことにはなりません。
・「動物の命を大事にすべきというのは感情的だ」との意見については、命の価値を論じるにあたって、主観を排除することは不可能であって、感情論であることは批判にならないと思います。命は大事であるという前提そのものが、感情論にすぎないからといって、否定されるべきとはいえないのと同じことです。
・「肉を食べることは原罪であり、その罪から目を背けることは偽善であり傲慢だ」との意見については、誤解によるものではないでしょうか。ベジタリアン自身も生きていくうえで他者の命を奪っているという矛盾を抱えて苦痛を感じています。殺したくない者がなるべく殺さないようにすることのどこに偽善や傲慢があるのでしょうか。
A 回答 (43件中21~30件)
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No.21
- 回答日時:
#20です。
>倫理感の実践における「ストイックな精神作用」は「倫理感云々とはまた別の要素」なのでしょうか?この点がわかりにくかったです。
:ストイックは禁欲的という意味で使用しましたが、倫理は本能の抑圧が絡むので必然的に禁欲的と言えるかもしれません。
しかし、一人の人間の中で過剰な抑圧作用が進行する場合もしばしばあります。
この場合、(本能を)抑圧することが当初の目的であるわけですが、結果として倫理感が醸成されたかのような感覚が得られます。
「>自己の利益よりも他者の利益を優先する」のが、
「>倫理を実践する」ためではない場合もある、ということです。
>「自己のため」ではなく「将来の人間のため」であるのなら、
:これは突き詰めると、将来の人間のために自己を犠牲にすることができる、という意味になりませんか?
人間は、「自己のためにならない」と感じたら決して行動しない生き物です。
ただ、何が自分のためなのか、というそれぞれの価値観の問題はあるということでしょう。
ですから、
>ベジタリアニズムにおいて、行動者の「単なるエゴ」に過ぎない点があれば教えていただきたいです。
:ベジタリアニズムがどうということではなく人間全般について、そういうことが言えるのではないか、と思うだけです。
>「より倫理的」という表現に問題があるのなら、「よりストイック」と言い換えてもいいと思います。
:大体私の考え方はご理解いただけたのではないか、と思いますが、
なぜ「ストイック」になるのか、というその動機というかモチベーションの持ち方に留意をすることも必要ではないか、と考えます。
>>下位に見ている
そう思われるのが一番つらいです。
:失礼しました、と慇懃無礼に述べて話を変えても良いのですが、そういった偽善的姿勢を発揮する雰囲気ではないので、あえて申し上げます。
倫理とは趣味の一種である。
と私は思います。
ベジタリアニズムに関しても、そう思っていなければ下位に見ているのとたぶん同じことになるでしょうし、また言葉にしなくとも相手はそれを感じることになるでしょう。
余談ですが、
一種の宗教的感覚も混在しているのかもしれませんね。
何度もお付き合いくださり、心より御礼申し上げます。
>過剰な抑圧作用が進行
補足をいただき、理解することができました。
「自分の精神の修行」という目的のために、「倫理的とされる行動」をとっている人もいるということですね。最初は倫理感から行動しても、次第に目的と手段が逆転することもあるでしょう。
お坊さんの中にも、精進料理を食べる期間が終わったら意気揚々と焼肉を食べに行く人もいるようです。トリビアという番組で「お坊さんが一番好きな焼肉の種類はカルビ」という検証結果があったことを思い出しました。
>人間は、「自己のためにならない」と感じたら決して行動しない生き物です
「情けは人のためならず」という格言が表しているように、すべての行いは「自分のため」にやっていることを中心に据えて、その付随的効果として「相手のため」にもなっていればよい、との捉え方がよいのでしょうか。
>趣味の一種
そうですね。一生続けられるエキサイティングな趣味であろうと思います。
>宗教
超自然的な存在を確信するという意味での宗教観を、わたし自身は持っていません。ベジタリアンの知り合い(ヨーロッパ人)にも無神論者が多いです。
この点は人それぞれだろうと思います。
もう一つ、ベジタリアンの思想に一般の人が無理解なのは、動物の利用についての現状の無知・無関心によるところが多いと思います。
情報を共有したうえでの議論であれば、「考え方が違うんだね」と相互に分かり合えると思うのですが、情報を共有していないことが無理解を助長しているように思うのです。
学校教育やマスメディアなどでも、もう少し現状について客観的な情報を教育、報道するべきではないかと考えています。
No.22
- 回答日時:
ベジタリアンを論理的に批判するとなると、先手を打つ意味で相手の立場と入れ替わってのディペードがありますね。
キーワードにするもの
・ボランティア精神、博愛精神の主体性によるもの
・環境・自然保護目的
・健康と美容目的
・倫理観
・自己主張説…等をあげます。
その辺を絡めて(私はいつも適当なんですが)
>>「立派な独立精神を備えた強い遺伝子は逆に増やせません」
>という文の意味がわかりにくかったです。
博愛主義というと身内や恋人に優しく、かつ万人にも優しい人となりますが、人間ごときの優しさには限界があります。いくら願っていても現実には行動で示せないことは口先だけで現実逃避の性向があるということになります。活動が目立つところに向けられるとか、救済のみに重きを置いて本当の解決「恵まれない人や可愛そうな生き物を生み出さない世界を築く」という問題は大きい問題で、精神性より権力、財力、手腕が必要となってしまう。幾人か人道を説く博愛主義的な人と知り合ってきたのですが、身内や知り合いの発展と保身を願う一般的な基準と反対に身内に優しくなれないことが多いようです。正義を行うにしても厄が回らないよう危惧しますから親孝行も結婚もしてないことが多く、独立精神=博愛精神かもしれません。なので博愛主義となると悲しい一代限りです。
>人間はすべての生き物の頂点にあるから、どのような動植物を捕食してもよいとの結論でしょうか。
動物愛護団体とか自然保護目的で追い出される土着民の生活は?とかペットを養うのに月数十万かけられているケースがあれば、月一万円の食費で一人暮らしのお年寄りもいます。人間にも優劣判断があり人間の格差に疑問を持ってます。エスキモーの人にベジタリアンは無意味となるように食材も職業も適材適所となるのがいいのですけど。
・健康と美容目的
・倫理観
・自己主張説
は時間を頂けるなら、というか説明する気が起きるまで待てるならするかもしれない…。
再度の回答ありがとうございます。
>人道を説く博愛主義的な人
私の知り合いのベジタリアンはみな、理性的で、家族や恋人、友人を大事にしていますよ。人それぞれですね。
>食材も職業も適材適所となるのがいいのですけど
現在の日本の食糧供給システムに矛盾や問題点があるとお考えでしょうか、ないとお考えでしょうか。
わたし自身は、とくに肉、牛乳、卵の供給システムには大きな問題があると思います。捨てることを前提に大量に生産しすぎていること、それぞれの動物の自然の本能にほとんど配慮しない過度に合理的な育て方をしていること、環境負荷がかかりすぎていることなどの問題です。また、飼料は海外から大量に輸入して、自給率を減らす一因ともなっています。
もしお時間があれば、補足をいただければたいへんあり難いです。
No.23
- 回答日時:
#21です。
>すべての行いは「自分のため」にやっていることを中心に据えて、その付随的効果として「相手のため」にもなっていればよい、との捉え方がよいのでしょうか。
:「>方がよい」というよりそれが事実に基づいた姿勢になるでしょう。
「自分のため」とは決して我侭という意味ではなく(ある程度その要素も無論含まれますが)、主体的に世界と関わるというニュアンスです。
人間はもともと(生命力でもある)本能の壊れた動物なので、この主体性に関しても蔑ろにしがちな部分を持っています。
主体的でないということは依存的ということで、相手に依存的すぎるのが我侭です。
ある意味では我侭もひとつの力なので、それで他者より優位に立っているように錯覚される人もいることでしょう。
>ベジタリアンの思想に一般の人が無理解なのは、動物の利用についての現状の無知・無関心によるところが多いと思います。
:これは関連性が薄いのではありませんか?
動物にしろ植物にしろ、生命を利用しないで(犠牲にしないで)生きていくことはできないわけです。
それは、命を弄ばない、可能な限り尊ぶという倫理の問題であって、肉を食わなければそれが解決できるというものではない以上、仮に動物の利用について共通の理解を持ったとしても、それがベジタリアンの理解につながるとは思えません。
>「お坊さんが一番好きな焼肉の種類はカルビ」という検証結果があったことを思い出しました。
:そうなんですか。
私はミノが好きですが、そう言えばもう何年も食ってないな・・・。
食べたくなったら肉も食べる準ベジタリアンなんていう身分は無いのでしょうかね。
無理しすぎるとイライラしたり、反動で肉ばかり食べすぎてしまう人もいそうな気がして心配です。
肉中心は体に良くないことは確からしいですからね。
でも全くゼロというのはどうなんでしょうね。
まあ、好き好きですからいいですけども。
>「自分のため」とは
数回にわたり、丁寧に詳しく説明してくださりありがとうございました。
>無知・無関心
「ブタのいた教室」で生徒達が泣いてブタとの別れを悲しんだのは何故でしょうか。初めて鶏のと畜を経験する人が泣きながら屠ることがあるのは何故でしょうか。これらの人も、それまで日常肉を食べていたにもかかわらずです。
動物の飼育・と畜を経験することや、その映像を見ることによって、肉を食べるとしても、その飼育方法や生産量に問題はないのか考える契機があると思います。仮に問題点(過剰供給・飼育方法等)があるとして、解決方法はいろいろだと思います。
「他にもっと環境にいい生産方法はないの?」と生産者に訴える方法や「草を食べて牧場で育った牛肉を買う」という方法もあるでしょう。「食品ロスを減らすために、ロスに課税する立法をすべきだ」との考えもあるでしょう。
そういったたくさんの改善策のひとつに個人が食べる肉の量を減らすという手段もありうるという結論に至るのではないでしょうか。
一例として、牛乳の生産方法に問題があると考えている人は少ないのではないでしょうか。それも、事実を知らないことが原因ではないかと思います。
(参考:「家畜の悲鳴を聞いてください」
http://www.alive-net.net/animalfactory/fact/work …
著者の主観も交えていますが、客観的事実だけでも参考になります)
>準ベジタリアン
もちろんあります。また、妊婦や子どもなど、栄養的に肉を必要とする世代もあるようですから、完全に肉を禁止するべきとは思いません。
肉を、今食べている量の半分にするとか、たまのご馳走にするとか、やり方は色々あります。
その背景には詳しくないのですが、マクロビや、”ゆるベジ”といった菜食料理も現在小さなブームとなっているようです。
No.24
- 回答日時:
いまはじめてこの質問に気付きました。
ベジタリアンを批判する論拠を、とくに批判しない集合から募集するとは、、、変わった趣旨と思います。
ふたつほど。
こういう批判があるかどうかわかりませんが、
社会性の欠如という批判は、可能ではないですか。
赤信号を渡る人々のなかでは赤信号を渡れ、としての。
この赤信号状態は世界的な経済そして政治の形や力関係を決定させていますので、
ベジタリアンもまた、赤信号を渡ることの恩恵に与っているのは確かなのですね。
アーミッシュのように別社会にて閉鎖すれば、この批判を無効にすることができるでしょうけれども。
食肉が、地産の技術や人手の範囲で確保される土地では、やはり数がわずかで貴重ですから、
むしろタンパク源として非常に食肉を重宝する食文化になり、ベジタリアンにはならない。
ですから、生理や自然の本質的な要求によってベジタリアンが生まれるのではなく、
飽食の文化を背景とする社会文化によって、ベジタリアンが生まれるということは言えるでしょう。
今後文明のパラダイム変換があり、食肉の頭数がさまざまな意味で最適化するならば、
ベジタリアンは必要なくなるだろうという、逆説的な認識をベジタリアン自身が持っているかどうか、
こうしたレゾンデートル(存在意義)についての批判も可能ではないでしょうか。
どちらも、ベジタリアンは赤信号社会の内側にある「同心円」で、
社会変革や意識変革を誘引する力のある外部ではない、
自分をお客さん扱いしてベジタリアンを遂行していさえすればよいとしたら大間違いで、
生産・流通・消費のすべてについて食の健康と関わっていくのでなければ、理念など形骸化しているね
という批判でもあります。
お答えいただき、感謝します。
>社会性の欠如
多数派に反発すること=社会性の欠如である、との私の理解が正しいのであれば、以下のように思います。
慣習と相反する行動への反発は、とくに日本では苛烈なものがある、と感じています。
しかしながら、歴史上、多数派が常に正しく、人々を幸福に導いていたかというと、そうでもないことを省みる必要があります。
そして、多数派により成り立っている社会を否定するのであれば、その社会から離脱する必要がある、との主張もまた極端なものではないかと思います。
確かに、日本社会の矛盾(に見えるもの)が致命的なものであって、その価値観をまるきり転換しなければその社会を維持しえないのであれば、革命か離脱かしかないのだろうと思います。
しかし、それが致命的なものではなく、改善の余地があると考え、実行途中であるのなら、いまだにその社会に属している理由があると思うのです。
>飽食の文化を背景
全くその通りです。肉も魚も野菜も、あらゆる食材がお金さえ出せば手軽に手に入る社会だからこその立場です。「現在の日本社会を背景とした」議論であることを抜きにしては語れないと思います。
>食肉の頭数がさまざまな意味で最適化
まさにそれが理想とする社会です。人間のエゴのためだけに生産され、捨てられる肉がなくなるのならば、食肉文化の大きな問題点が改善されます。そうであれば、すすんで食肉を選ぶベジタリアンも多数いるでしょう。
>レゾンデートル(存在意義)についての批判
上記のような立場を明確にすれば、この批判は免れうるでしょうか。
>生産・流通・消費のすべてについて食の健康と関わっていくのでなければ、理念など形骸化している
「食の健康」とは具体的にどういう意味でしょうか。すこしわかりにくかったので、補足をいただければと思います。
ベジタリアンの理念は、倫理学にとどまらず、経済・政治・人間の行動学・輸送・諸外国との関係・食物連鎖・動物学・環境など様々な分野にかかわる問題であり、一概に「肉食をやめたら、現代社会にある問題の一部を解決できる」とはいえないと思います。わたしも勉強途中の身であり、知らないことがとても多いです。そういった仕組みに関心を持たないまま、単に肉食をやめることで倫理的問題を解決できるとするのは、問題がある、との主旨でしょうか。
No.25
- 回答日時:
#23です。
>初めて鶏のと畜を経験する人が泣きながら屠ることがあるのは何故でしょうか。
:鶏であっても生命という点では人間と共通しています。
殺すということは、自らも殺される可能性のある存在であることを自ら証明することになります。
つまり、鶏に自分自身を投影するために悲しくなるのでしょう。
小さな虫などであれば、これは人間ではない(=私とは何の関連もない生き物である)と無意識的にでも納得することが可能なため(想像力が及びづらいため)、泣きながら蚊を叩き潰す人は稀です。
鶏は進化状況からいっても虫よりは人間に近いため、そうはいかないということでしょう。
(犬や猫であれば、さらに猿などであれば余計にその感覚が強くなるはずです。)
ましてや飼っていたとなると、日常的には食肉材料としての目的は失念されがちですから、「>泣いてブタとの別れを」悲しむのは自然な感情でしょう。
生徒たちは、命を弄んではいけないということを学んだはずです。
他の生命を犠牲にしながらしか生きられない自分という現実としっかり向き合うという意味で価値があるのだと思います。
その(弄んではいけないという)意味で、「どのような形で犠牲にするのか」という倫理的課題があるのでしょう。
しかし、肉食することを完全に非倫理的だとしてしまうと、
なぜ植物なら良いのか、ということにも言及しなければなりません。
同じ生命のはずです。
動物の場合に限っても、この「倫理」を突き詰めていくならば、ブタを狭い小屋で飼うことはもちろん、猫なども含めて繁殖を制限することも倫理に悖ることになりはしないでしょうか。
地球上に生じてくる全ての動植物を繁殖するに任せておくのが究極の倫理という結論に結びついていくように思いますが、ここには人類の滅亡をも厭わないというベクトルが存在しています。
つまり、最終的に行き着く先が受け入れられないものであるにも拘わらず、そこを目指すことに倫理性が伴なっていると主張するのは、やはり無理があるでしょう。
これが偽善や傲慢という印象を与えてしまうのかもしれません。
今回のご返事で示していただいたような【なるべく殺さない】を目指すというのは方向性として大いに共感できますし、それに伴ない【生命を弄ばない】ことが我々の無意識に対して作用する効果は大きいものがあると思われます。
しかし、倫理という概念は人間にとって都合の良いものであるに過ぎないわけですから、その基本を無視すると噛み合わなくなってしまうのでしょう。
>人類の滅亡をも厭わないというベクトル
とても説得的で、よくわかりました。
また、そのような危機感が多くの人を菜食から遠ざけているという感覚も理解することができました。
わたしは以下のような疑問を持ったことがあります。
「命を犠牲にするな」という考えを持っても、客観的には、自分という一つの個体を維持するために、自分よりはるかに多くの命を犠牲にしなければならないことを直視しなければならない。結局、自分が生き続ける限り、(もっと多くの)他者の存在を消しながらでなければ生きながらえないのだから、「命を犠牲にするな」をつきつめると、完全な「自己否定」という危険な思想に至ってしまう。
しかしながら、「他者を殺し続けても、やはり自分という存在を維持して、いろいろな欲望を満たしたい」という自分もいる。
そのうえで、「どのような倫理の実践も、自分を否定しては成り立たない。そして、自分がエゴイスティックであることから完全に脱して矛盾から逃れることもできない。ただ、『なるべく』犠牲にしないという方向性を自分に課すことは自己と他者との関係を維持するうえで両立する」と考えました。
どのような倫理も、究極の事態を想定しては、結論を出せないのではと思います。
>最終的に行き着く先
「嘘をつかないこと」という倫理もつきつめて実践すると、人間関係を破壊する「最終的に行き着く先が受け入れられないものである」とはいえませんか。
カントは、友人を追ってきた殺人鬼に、友人の場所を問われて教えるのは「正しい」といいます。しかし、このような嘘にかんする道徳の実践は一般的には受け入れがたいものであるでしょう。
倫理がつねに「人間にとって都合の良いものである」ことを前提としているとはいえないのではないでしょうか。
どんな道徳であれ、究極の場面では矛盾が生じえます。その矛盾と向き合わずに生き続けることこそが、非倫理的であり、矛盾と向き合ったうえで自己の行動の方向性を定めるのが倫理的人間のあり方であると思います。
その意味で、ものを食べて生きる以上「他の生命を犠牲にしながらしか生きられない自分という現実としっかり向き合う」ことが必要だと思っています。
No.26
- 回答日時:
肉食者とベジタリアンの関係は喫煙者と非喫煙者の構図にとても良く似ています。
喫煙の害が広く知られるようになると喫煙者が減っていったように、今後先進国においてはベジタリアンの割合が急激に増えていくことになるだろうと思います。なぜなら、ベジタリアン(非喫煙者)から肉食者(喫煙者)への批判はできても、その逆はまず無理だからです。
現在のベジタリアンのあり方を批判するということであれば、肉食者や食肉業界からの非難を恐れて声が小さくなっているということがいえます。 畜産業は環境汚染や地球温暖化にとても大きなインパクトがありますので、将来の世代に良い地球環境を残すという意味では待った無しの状況にあります。 批判を恐れずにどんどん発信していきましょう。
参考URL:http://www.goveg.com/
回答ありがとうございます。
日本でのベジタリアンに対する視線はまだまだ偏見に満ちたものであると思います。
そうであるとはいえ、多少なりともミータリアン側の考えを理解しなければ、こちらの主張も暖簾に腕押し状態となってしまいます。そのためにこの質問への回答はとても役に立っています。
ベジタリアン側もあくまで冷静に、客観的に論を進めていければいいですね。
有用なサイトも教えてくださってありがとうございました。
No.27
- 回答日時:
#25です。
> 倫理がつねに「人間にとって都合の良いものである」ことを前提としているとはいえないのではないでしょうか。
:この場合の人間とは自己のことです。
たとえば、キリスト教徒とイスラム教徒にもそれぞれの倫理があるということです。
自爆テロが絶対的な意味で非倫理的であるとは誰にも言えないはずです。
>その矛盾と向き合わずに生き続けることこそが、非倫理的であり、矛盾と向き合ったうえで自己の行動の方向性を定めるのが倫理的人間のあり方であると思います。
:なるほど。
しかし、
「>矛盾と向き合わずに生き続ける」のが非ベジタリアンだとすれば、ベジタリアンというのは、
「矛盾があるにも拘わらず、矛、あるいは盾のどちらかだけで生き続ける」ことを目指しているような印象を受けます。
どちらもいい勝負ではないですかね。
「何かが欠けている」という点では。
今さらですが重要な点なので確認させていただきたいのですが、ベジタリアンというのは、肉食の完全否定論者のことですよね?
>その意味で、ものを食べて生きる以上「他の生命を犠牲にしながらしか生きられない自分という現実としっかり向き合う」ことが必要だと思っています。
:同感です。
No.28
- 回答日時:
>現在の日本の食糧供給システムに矛盾や問題点
>とくに肉、牛乳、卵の供給システムに捨てることを前提に大量に生産しすぎ
>飼料は海外から大量に輸入して、自給率を減らす一因と動物の自然の本能にほとんど配慮しない過度に合理的な育て方をしている
>環境負荷がかかりすぎている問題
文明開化(?)した人間社会は食物連鎖と同列に腐食連鎖(デトタリスhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%88% …)の自然サイクルも狂わせてしまってますよね。
食物連鎖の頂点である人間の草食化が進むと草食動物の個体数が増えるに従い肉食動物の個体数も増すのが自然で、草食動物だけ繁栄することは不自然となるはずです。
命を粗末にするというと、人間も死ぬと他の生物に有機体として再利用されることなく(腐食せず)火葬して無機質なものに処理されてしまう。これも腐食連鎖上位の小動物(鳥や魚含め)虫や微生物、更に上位の植物、命の母、土壌にとっても飢えを意味し、有用な微生物虫などが減る→植物が育たない→草食動物の減少→肉食動物数も減少となってしまいますね。
動物由来の製品(薬品、化粧品、調味料、装飾品)は多いし、動物実験なしに医学や生活その他でも向上発展を望むのも難しくなるでしょうし。
草食動物でも産後の胎盤を食べたり食虫植物もいたり、過酷な大地(極寒地帯、灼熱の乾燥地帯、深海にも何らかの生命がいる)のも腐食連鎖があるお陰で、厳密には腐食連鎖のこともベジタリアンは熟慮し改善実行に移さなければ正等と見なせなくなります。
私は食に関してまだまだ雑食ですが、農耕民族の遺伝子を持ってるゆえに腸は長い(手足が短い)です。手足が長く腸が短い狩猟民族や熱帯地域の人種が草食に偏るとなると文系草食系男子が増してる風潮とかで、精神面だけでなく長期的には体型もコンパクト化していくかもしれない。すると、スポーツや格闘技の規定も記録にも影響してくるかも。
マタマタ自分のことですが、食べ物以外で動物由来の商品を極力買いません。動物実験しているメーカーだということで敬遠することもあります。植物由来のものを消費するということは植林と農耕に一票入れて、日本の自給率を上げるのにも植物で生計を立てる輸出している国の自発性を助けることにもなると思うから。生理のナプキンも手作りの布ナプキンで、使用後は水につけてその水を植木に播いてあげます。肥料の節約にもなってます。日本人としては衛生観念の低い者ですがアレルギーや神経性の疾患はありません。なので医療費の節約にもなってる??
石油由来のものも買わないようになりたいのですが、、そうなるのが今じゃ贅沢なこととなってますね。自由に使えるお金が余分にあったら天然素材ばかりに囲まれて暮らしてみたいです!
大切な命=エネルギーの連鎖の過剰供給を減らすには一人一人の地道な節約にも関わってきてやがて社会が改善されればいいなと思います。
どんな固体としての命もいつか自然に吸収(帰宅)されます。どう生ますよりも「第一にどう死なせてその後、次はどう生ませるのかるか?」もこれから私も未来へのビジョンキーとして考えて行きたく思いました。
No.29
- 回答日時:
24です。
>多数派に反発すること=社会性の欠如である、との私の理解
いえ、多数派云々の視点は必要ないです。
わたしたちが、現代の市場経済システムの恩恵に与っていること、また、
ブロイラーの鶏肉や遺伝子組み換え作物や農薬の氾濫する病める赤信号世界の、
生産と供給の安定 (量と質が一定、価格が一定・予測が可能...)の上に乗っかっていること、
原油先物取り引きも国家経済もこの安定を期待していること、
そういう視点をもってお金を使って暮らしていると、赤信号世界と個人生活の間には、いろんな齟齬や矛盾があります。
個人的嗜好によるベジタリアンのほかに、齟齬や矛盾を自覚していない社会的ベジタリアンはいませんか? ということです。
> 生産・流通・消費のすべてについて食の健康と関わる
とは、現代食が人間にとって、世代に渡る成長のさまたげとならないうえに遺産となる在り方を模索する上で、
功利主義に走らずともよい生産消費循環を作り上げ実践することでしょうね。
たとえばバイオダイナミック農法とマクロビオテッィクの消費をつなげるのは政策でしかないのです。
農家の方が大規模に土を健康にすることは経済的にも労働的にも容易ではないはずで
畑を駐車場にしたほうが儲かるという社会の一翼を、ベジタリアン投資家が担っているのでは話になりません。
> あらゆる食材がお金さえ出せば手軽に手に入る社会だからこその立場です。「現在の日本社会を背景とした」議論であることを抜きにしては語れないと思います。
> 人間のエゴのためだけに生産され、捨てられる肉がなくなるのならば、食肉文化の大きな問題点が改善されます。そうであれば、すすんで食肉を選ぶベジタリアンも多数いるでしょう。
> 上記のような立場を明確にすれば、この批判は免れうるでしょうか。
批判された者が、立場を分析し、意義の範囲を限定することによって、
立場の意義を問う批判は、生産的批判でなくなるというだけのことでしょう。
生産的批判つまり議論は免れると思います。
これは、批判を納得せず迂回する方法です。討論に勝ちたい時はこの方法は便利です。
ベジタリアンが、自身の健康のための行為であるならば、批判は呼ばないのではないでしょうか。
現に健康に生きているならば誰にとってもそれはよいことですから。
八種類の必須アミノ酸、乳幼児は加えてヒスチジンを含め、どれも不足しないようにするには、
大豆の加工に優れた日本食を除くと、ベジタリアンの献立は難しいものです。
また、酵素は食事からのみ摂ることができるもので、浪費しないとともに不足しないようにしなければなりません。
酵素は新鮮な食材に含まれ、動物の新鮮な内臓に特に豊富です。新鮮な野菜と果物も量は摂れませんから、ベジタリアンには味噌がよい供給源です。
久司博士のマクロビオティックは人体を気の器と見ますので、肉はエネルギー的な理由で病気を作るため奨めません。
しかし、魚の摂りかたは指導します。
また、ベジタリアンの半数が摂るであろう卵も、エネルギー的な理由から病気を作りやすいため奨めません。
ほかにもパンなどにかなり強い制限がかかります。体の状態次第ですが。
批判を待つと言うなら、ベジタリアンの種類によっては、栄養学上の批判も、マクロビ上の批判もできるでしょう。
No.30
- 回答日時:
何度か回答欄に投稿しております。
ヴェジタリアンです。もう長い。40年くらいかな。もっとかな、もっとだな。
今も昔も、同じです。つまり人と異なることをしております。
異なることは、何事もそっとやらないと、異様な目で見られ、時には排斥されます。
一所にみなさんと生きさせていただくためには、迷惑にならないように、影響がないようにしております。
ここを訪問するのも、何が迷惑かなとか、どんな影響があるのかな、ということを知るためです。
でもヴェジタリアンとしては市民権をきちんと確立してもらう必要はないのです。
迫害、排斥は困りますが、食生活では片隅で生きて居ればいいのです。
ですから、好き嫌いと同じ次元ではないか、といわれても反駁はしません。
足(四足、二足)のあるものや、無足のものをそっと、避けるだけです。
左右を人と異ならしめているのではないので、障害者でもありません。
捨てなければいけないものが出てきたら、どなたかに譲るし、それができなければ、板さんに予め告げます。
或いは了解してもらってそっと、持参して帰ります。
もう、接待や会議にでることもなく、my方式で生存しております。
食物であるものを決して無駄にしてはいけません。
どんな切れ端もきちんとその目的を果たしてもらうように、口を通して五臓六腑に届けています。
この聞きたいのどこかで、セックスのことをきいております。
食物連鎖も、何事も神のプロセスと存じますので、私たちもできるだけ、人間のいやらしさではなく、創造の意志にあまりに反しないように自分を生きていきたいと存じます。
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