電子書籍の厳選無料作品が豊富!

現在は辞書を便利に使うことができますが、例えば、日本人が始めて英語を耳にした時代に、どうやって言葉の意味を理解したのか、その後、どうやって英和辞書というものを作ったのか、興味があります。

どなたかご存知でしたら、教えてください!

A 回答 (5件)

日本人が英語に接する前に、ポルトガル語、オランダ語と出会っていました。


ヨーロッパ人が日本に渡ったはじめは、1543年に種子島に漂着したポルトガル人でした。その後ポルトガル人は毎年のように九州に来航し貿易を行っています。
フランシスコ・ザビエルが布教のために渡ってきたのもこのころです。

彼らは、貿易やキリスト教の布教のために来るわけですから、その土地の人の話すことばが分からなければ仕事にならないのでしょう。来日する前に日本語をある程度学んでいたようです。

江戸幕府は、1616年にヨーロッパ船の寄港地を平戸と長崎に制限し、鎖国状態に入っていきますが、それまでは、海外との交易が盛んに行われ、海外へ移住する日本人も増え、南方の各地に日本人町が作られました。
シャム王室に重用された山田長政のような人もいます。

はじめのうちは、手振り身振りを交えた会話だったのでしょうが、次第にそれらを書き留めて、辞書が作られていきました。ポルトガルの宣教師たちが編纂した『日葡辞書』は1603年に刊行されています。
1796年には、稲村三伯という人たちによって「ハルマ和解」というオランダ語辞典が作られています。

幕末になって英語が必要になるまでは、ヨーロッパの事情を知るには、オランダ語が必要でした。
特に医学を学ぶにはオランダ語が必須でした。

蘭学を学びに長崎へ行く話は、時代劇にもよく出てきますね。

英語はオランダ語に近い言語ですから、オランダ通詞が英語も学び、「英蘭蘭英辞典」のオランダ語の部分を日本語に訳し、英和和英辞典を作ったようです。

参考URL:http://www.gifu-u.ac.jp/~gulib/kanpo/No21/2100.h …

この回答への補足

皆さんの情報を参考に、蘭学の発展や通詞について自分でも少し調べてみました。(といっても、参考URLを載せるだけですが。。。)


ハルマ和解(日本初の欄和辞書らしいです)
 http://www.city.mizusawa.iwate.jp/syuzou01/list/ …

通訳の歴史
 http://nikka.3.pro.tok2.com/dokkyo/021126.pdf

『阿蘭陀辞書和解』(『ドゥーフ・ハルマ』あるいは『長崎ハルマ』)
 http://www.users.kudpc.kyoto-u.ac.jp/~o51340/ind …

補足日時:2003/03/18 22:50
    • good
    • 0
この回答へのお礼

詳しい回答ですね。参考URL(特に1つ目のもの)も大変参考になります。ありがとうございます。

「宣教師が来日前に日本語を学んでいた。」ということはまったく考えつきませんでした。。。中国語(または東南アジアの言語)-日本語の通訳をできる人を利用して、ポルトガル人などが日本語を勉強したのでしょうかね?

お礼日時:2003/03/18 19:42

英和辞書についての質問だと思っていましたが,蘭学などにも興味がおありのようなので,ちょっと補足します。



No.3の方の回答のように,蘭学は英学より歴史があったわけで,辞書のほか,1801年に初のオランダ語の文法書「和蘭詞品考」が作成されました。オランダ語の通詞があっという間に英語を習得したのは,彼らの努力もあったでしょうが,オランダ語の文法の知識を英語学習に応用したからでもあったようです。事実,「諳危利亜語林大成」における品詞の分類は,「和蘭詞品考」の分類に似ているということです。

英語の学習と前後して,フランス語やロシア語の学習も始まっており,「諳危利亜語林大成」の作成協力者の一人馬場貞歴の弟は,日本初のロシア語辞書を作りました。

なぜイングランドなのかはよくわかりませんが,諳危利亜という漢字は,いかにも危険な民族だという当て字ですね。フェートン号事件の印象でしょうか。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

補足ありがとうございます。文法書の歴史も大切なのですね。
諳危利亜についての補足も勉強になります。

質問の題目では表わせていませんが、一番の興味は、「聞いたこともない言語をどうやって学習できるものか?」というものでした。No.3の方の回答をきっかけに、蘭学やキリスト教の布教、唐や南蛮との貿易で、中国人や他のアジア人や西洋人が日本語を、日本人が中国語や他のアジアの言語や西洋の言語を、伝えたり学習したりした様子を頭の中でイメージできるようになりました。

じゃ、「唐人がどうやって日本語を、オランダ人がどうやってフランス語を、... オランダ人がインドの言葉を、インド人が中国語を、正確に理解できるようになったの?」(抽象的な形容詞や自国語にない文法など、身振り手振りでは理解ができないと思われるのですが)という軽い疑問が残るのですが、今後勉強してみたいと思います。

お礼日時:2003/03/20 07:44

1808年,イギリスの軍艦フェートン号が長崎港に侵入したという事件が起こり,幕府はオランダ中国以外の外国研究の必要性を実感して,長崎の通詞(通訳)本木正栄たちに英語の習得を命じました。



翌年彼らは,オランダ商館のブロムホフから英語を習いはじめ,1811年に,英単語と簡単な英会話プラスそれらの和訳を集めた「諳危利亜興学小筌」を,1814年に英和辞書「諳危利亜語林大成」を作りました。つまり,「諳危利亜語林大成」がわが国最初の英和辞書ですね。ちなみに「諳危利亜」はアンゲリア,と読み,イギリスのことです。

この英和辞書の語数は5910語だったそうです。英語の単語を直接和訳するだけでなく,オランダの本やフランスの辞書などを参考にして反訳再訂し,それを和訳し漢字を当てはめるなど,相当な苦労をして作った,と序文に書いてあるそうです。

たとえば,'kiss'には「相呂(クチスウ)」という訳語がついています。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

知らなかったことのオンパレードです(笑)
ありがとうございます。

ちなみに、どうして日本人だけ「イングランド」でも「UK」でもなく、「イギリス」というようになったのでしょうね?その点も不思議。(便乗の質問になってしまいますが。)

お礼日時:2003/03/18 19:49

私も気になったことがあります。


日本最初の英和辞書はたしか1850年だったか60年だったか、いずれにせよ幕末ギリギリだったと記憶しています。
辞書がない頃にどうやって学習したのか、具体的には知りませんが、赤ん坊は辞書などを使わずに言葉を覚えますよね。結局はそういう方法が乱暴ではあるけど、一番早いし、かつそれ以外にこれという手段はないと思います。ジョン万次郎だって釣竿と網くらいしか持っていなかったでしょうし。もちろん、日本における当時の英語は「教材」(=英語圏人)がごく限られたものだったでしょうから、赤ん坊とは比較にならないほどの労力が必要だったでしょうね。
お陽様を指差せば「サン」と言い、それをメモにとり・・・という作業を延々と繰り返したのでしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

幕末頃ですか。
もっと早い時期に英語の学習が始まったものだと思っていました。

自分が日本人で始めて英語で英語を勉強することになったら、名詞はなんとかなりそうですが、他はまったく理解できる自信がないです。。。

お礼日時:2003/03/18 19:25

昔(江戸末期?)は、会話するときに似た日本声を発音していたとTVで聞いた事があります。



今でも記憶に残っているのが、時間を尋ねるときの、
「What time is it?」
ですが、
「ほったいもいじるな」
で、会話していた記録が残っているそうです。
(実際、現代でも通じていたし)

多分、初めは聞こえたまま日本語で話していて、そのうち文字と参照して学者?が、整理していったのものと
私は推測しますけど。
自信ないです(^^;
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
そうですね。まったく知らない言語の場合、文章の訳の方が、一語一語の訳(例えば、what や it の意味)よりは簡単に学習できそうですね。でも、視覚ではない形容詞(例「ありがたい」、「虚しい」)の意味を知ったり、日本語の感覚にない過去分詞など、昔の日本人(教材も辞書もないのに)がよく理解できたものだなー、と考えたのでした。

お礼日時:2003/03/18 19:20

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!