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とあるテレビで江戸時代、不倫は男女共に重罪と言っていました。
でしたら、遊郭の存在はどうなるのでしょうか。
妻子ある男性が、遊郭へ行ったら不倫になるんじゃないんでしょうか。
それとも妻子持ちは遊郭へ行かなかったのでしょうか?
単なる娯楽?それともお妾さん?てことでしょうか?
いまいち、そのお妾さんと不倫の境界線もよくわかりません。

回答よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

その通り、不倫つまり不義密通は重罪でその罪が発覚すれば男女ともに切り捨て御免、命をとられても文句は言えないものでした。


が、それは武士の世界のこと。刀を持たない町民や農民の場合は、おもに密通の罪を犯した妻が三行半(みくだりはん)をたたきつけられ、家を出されるという事だった。
あるいは番所に届けられ詮議にかけられるが、実際は示談で終わらせる事も多かったらしい。

一方、遊郭はあくまでも娯楽と捉えられ、お金を払って遊ぶぶんには罪には問われないもの。
気に入った遊女を裕福な旦那衆が大金を積んで身受けし囲う場合があり、それが言ってみればお妾さんという事になります。
家屋敷を与え、養っているぶんにはそれも不倫、密通とはみなされない。

つまり武家女性と遊郭の遊女では決定的に身分が違うのです。
苗字を与えられ、それなりの武家に嫁いだ女性の不義密通はもっとも重罪で、その相手の男性も同罪に処されたわけです。
武家女性がたとえ夫に先立たれて寡婦だったとしてもお妾さんにはなりません。
同じ女性であっても厳格に、身分の違いが設けられていたわけです。
また遊郭というのは高級な売春宿であって遊女は高級コールガール、そんなところで遊べる経済力のない男たちは岡場所と言われる遊興街にあるもっと下賤な売春施設で女郎や夜鷹などを買っていた。
同じ売春婦同士でさえ上下があったというわけ。
さらには武家同士の不倫であっても出会い茶屋と呼ばれる、今で言うラブホテルで関係を持つ男女もいた。
これが露見すると、切り捨て御免の罪になるわけですから、命がけの密会だったわけですね。

お妾さんと不倫の境界線ですか。
お妾さんは堂々と生活の面倒をみてもらっている武家以外の女性。
身分を持たない弱い立場なので養ってもらって良いという考えですね。
一方、武家の女性が夫以外の人に生活をみてもらう術はありませんから、お妾さんにはなり得ないのです。

身分の違いというものが明確かつ厳密だった時代です。男女の情に上下はなくても、世間がそうは認めませんでした。
また既婚の女性は眉を落としお歯黒を塗り丸髷を結う、というふうに一目で女性が未婚か既婚かわかる時代でした。
そういう女性を相手にするからには男性は相応の覚悟が必要であったわけですね。
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この回答へのお礼

なるほど、江戸時代では
階級の違いによってこんなにも待遇が違うものなのですね。
不倫は現代では許されないものに近いですが
江戸時代は遊郭などがあり、恋するという欲、性欲はそこで満たされ、
または命をかけてまでも恋人に会うなどといったり、
江戸時代には様々な形の不倫があったことにも改めて驚かされました。
お妾さんについてもよくわかりました。ありがとうございます。
ご回答感謝します。

お礼日時:2009/07/20 01:22

大体回答が出ているようなので付け足しなど。



お妾さんは旦那(自分を囲っている男性)やその奥さんとは
主従関係にあったらしく、お正月に旦那とその奥さんに挨拶に
行く時の作法等いろいろあったらしいです。
玄人さんを身請けしてetcという他に、素人の境遇の貧しい女性が
有力な(経済力も社会的地位もあるような)町人男性に妾奉公という
形で家族ぐるみお世話になったりなどもあったようです
(落語の「星野屋」とかそういう感じでは・・)。
妾も一人とは限りません。

武家が妾 という場合には、武家以外の町人農村出身の
女中出身者等だと思います。あるいは武家であっても
本人が二男、三男以下であった場合
(正式な結婚を許されない部屋住み身分)など。

出身が公家や武家だと側室です。
多くは武家屋敷の「奥」や江戸城「大奥」の出仕からの
「お手つき」でしょうが、事情があって正室ではなく
側室として嫁入りに近い形で入った例もあったようです
(江戸時代中期の政界実力者・柳沢吉保の「側室」
公家出身の正親町町子。既に柳沢は縁者?のなかから正室を迎えていた。ただし、町子は教養も深く正室に近い扱いを受けていたらしい)。
ただ、江戸中期頃までは庶民出身の女性が将軍生母まで
のし上がった例もあったようです。

どのような関係にせよ、当時の規律に則って
いることが大事で、それを越えた時、厳しい制裁が
あった ということなのでしょうね。
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家産をどうするのよ?


これを明確にしなければならない時に不倫問題が生まれます。
不倫だなんだというのが問題になるのは、財産を正当な子孫に残すためのルールです。なので、江戸時代の一般庶民では基本的に「野合」です。
財産のある武家や上級商家でのみ不倫が問題になります。
遊郭の場合は、そこで子供が生まれても誰が父親か分かりませんので、財産相続に関係しませんので問題は生まれません。妾の場合は、財産を継承させるための子供作りなので、これまた問題になりません。財産相続の子供が不明確になる行為が不倫となります。

究極の不倫防止システムである大奥が、日本最大の家産保有者である徳川家というのは、このためです。
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遊郭は文字の通り、くるわ(堀)に囲まれて遊ぶテーマパークです。


遊郭の中は治外法権で、切り捨て御免、身分の差もありません。
武士しか乗れない馬も持ち込み禁止。時代によっては帯刀も禁止されました。
遊女を郭の外に連れ出すことは死罪に値して、遊郭の自警団「首代」によって二人とも切り捨てられ、無縁仏として処理される為、神隠しとして行方不明という形になりました。

どの時代もここまで厳しい訳ではありませんが、これを定めないと、血縁で構成される士分制度が崩壊し、遊女が江戸の町に流出して、売春宿ばかりになってしまうのです。
その為に吉原は、江戸の売春宿を検査し、取り壊しを行う責任まであり、遊郭以外で売春が見つかった場合には共同責任で幕府から死罪を含む行政処分を受けました。

連れ出せず、金を払って店でしか会えない花魁は、不倫でも妾でもなく、本当にただの風俗です。
それも太夫クラスになると太夫が相手を断ることもでき、最初の二回は出会いの儀式だけで性行為もなく会話も禁止、三回目に太夫側から相手を指名をします。
そして太夫を抱くには現代で数百万円かかり、ふられても返ってきません。これは恋愛とも呼べず獲得ゲームです。
太夫に指名がかかると、遊郭内で「道中」とよばれる盛大な行進が行われ見物客が集まりました。

明治以前の結婚は、現代の恋愛結婚とは遠く離れている政略結婚です。
夜這いなどの文化も普通にあり、不貞や不倫の概念も全く違います。
結婚に恋愛がなく、性行も不貞ではない時代にとって、遊郭の中にだけ恋愛があるような状態で、金を払って恋愛ゲームをプレイできるゲームセンターであり、金がなくてもパレードショーが見れるテーマパークだったのです。
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この回答へのお礼

遊郭の中に一歩入れば、もうそこは異世界というべきものなのですね。
遊郭では不倫も何も関係なく、もう実体験のゲーム状態なんだということにも改めて思い知らされました。
決められた敷居で暮らす遊女の暮らしぶりや、その厳しさが目に見えるようです。
やはり、ただ華やかなだけじゃないのが遊郭なんですね。
ある意味江戸時代に不倫という概念はあまりなかったのかな、と思いました(男性において
回答、ありがとうございました。

お礼日時:2009/07/20 01:29

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