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絵画教室に通っている者です。
練習用に、写真を見ながら描いていてふと思ったのです。
写真のない時代に巨匠と呼ばれた人達は、一体どうやって上達したのでしょう?
例えば動かない建物などを描くのは、実物を見て描くことができますが、生き物(人間、動物)や雲、流れる川、海のうねり等動くものを絵にするのは至難の業だったのではないでしょうか?でも現在に残る彼らの絵はまるでその動きまで伝わってきそうなくらい迫力がありますよね。
あそこまで到達するにはどのような練習法を積んだのでしょう?とても興味があります。
どうか初心者の質問と笑わないで下さい。よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

美術系大学卒です。


私が習った全ての先生(学校の美術の先生ではなくいわゆる画家さん)が
絶対に写真を見て描いてはいけないとかなりきつく教えられました。

うまく説明ができませんが写真を見て描くとパッと見リアルで綺麗そうな絵に仕上がるのですが
奥行きや雰囲気、空気が感じられる絵にならず、正に写真のような絵になるという理由だったと思います。

そしてやはり先生はもちろん学生でも写真から描いた絵というのはなんとなくわかるものです。
といっても、画廊などで売れてる画家さんの中にも写真を見て描いている方もいますが・・・

では写真を見ずに描く方法ですが、日本画専攻だったので洋画などは詳しくありませんが
とにかくスケッチを大量にしました。
例えば泳ぐ鯉をまずじーっと観察し目に焼き付けます。
そして綺麗に仕上げるように描くのではなく一瞬で大まかな形をいくつも小さく描くのです。
(鯉だとだいたい握り拳くらいでしょうか)
もちろん泳ぐので描ききれず頭だけとかしっぽだけみたいな絵をいくつも描くことになりますが
そのうち鯉の動き、形、筋肉(?)など理解できてきて、気が付くと描けるようになっています。

日本画に限らず人物クロッキーなどもじっくり描くというより3分~5分で1ポーズというような練習もしました。

かなり有名な日本画家さんやたしかディズニーもバンビの映画製作の際
1日中動物の動きを観察し続けたと言われています。
そして過去の巨匠(洋画で、誰か忘れてしまいましたが)は人物を描く際
骨や筋肉から勉強したとか聞きました。
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この回答へのお礼

わかりやすく説明していただいてありがとうございました。鯉のスケッチのくだりなど、大変参考になりました。巨匠達に限らず基本は「観察」ということかもしれませんね。

お礼日時:2009/07/24 18:37

どのくらい昔なのでしょうか?西洋でしょうか東洋でしょうか。


西洋ではルネサンス以前と以後では若干ですがちがうようですね
バロックあたりからではミケランジェロの最後の審判の部分だとか
の複製の版画やじかに礼拝堂に行き模写を徹底的にするというのを
やっていたようですね。
また、フランスのアカデミックな教育ではラファエロの作品の模写の
石版画を模写して手癖をつけていたようです。
アカデミーで賞を取った学生をローマに送ったりしてました。

もちろん人物を使ったデッサンや彩画もしていました、風景などは
決まりきった構図の背景を練習するぐらいでかなり軽視されていたようです。
近世を過ぎたあたりぐらいから人物風景画もだいぶ需要が伸びてきた
ようで装飾美術以外などで描かれるようになってきました。
そのときのスケッチの場所がバルビゾンの森だとかの郊外です。
スケッチはしていたようですが、そのスケッチをアトリエ修正して
作品にしていたようです。

どちらかというと夢を壊すようでわるいですが、昔は特にルネッサンス
以後は巨匠や師匠の作品の模写を徹底的にやり、自分の作品に
はめ込んでいくやり方で一応お手本があり、その作法どおりに描いて
いたようです。

また、大画面のため一人で全て描くというのは稀で、主要な人物像などは
有名な画家が下書き、上塗りまでしますが、服装や背景や小物などは
かなりの腕の弟子が描いたりもしていましたし、弟子が半分以上描いた
ものに師匠が上塗りをするなんてこともありました。
これはルネッサンスやバロックやロココ、新古典主義などの時代の
話です。
ミケランジェロやダ・ビンチは一人で描くことが多かったようですが
ラファエロは工房作が多いですね。

また、解剖学などを学んで骨格や筋肉の表情などを描いたりしてました。
時代は違いますがシートン動物記で有名なシートンは画家でシートンの
動物の美術解剖学の本なんてのがあります。

ルネサンスの頃はスケッチなどをしていた画家もいたようですが、基本的
に師匠の技を受け継いでいく職人のような位置づけであってお手本は
あったのかどうかは良くわかりませんが、技を盗んで受け継いだのでしょう。

日本ではもっと手本に忠実であり、写実というものには程遠い作品が
多いですね。中国などから手に入れた美術品から模写し、それが
緩やかに浸透していって○○派の技法になってたいたりします。

伊藤若冲はその点変わっていて、庭にニワトリを飼って日がな一日
スケッチをしたりしていたようですね。お金持ちのボンボンで
隠居してから作品を描きだしたようですからそのようなことが出来た
のでしょう。

目安として初期印象主義あたりぐらいからスケッチや風景などが盛んに
なり、現実世界に即した作品が出始め、それを見た日本の使節団が
その作品を持ち帰り、日本画でもそれなりに写実を追及するように
なりました。
現代ではちょっとえ?お手本があるの?と驚くかもしれませんが、
そのお手本を否定する運動がロマン主義であり、印象主義である
ということになります。

こんなところでしょうか。
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この回答へのお礼

丁寧に説明していただいてありがとうございました。まるで美術史の解説本を読んだように知識が増えたような気がしました。

お礼日時:2009/07/24 18:39

ダ・ヴィンチなんかはひたすら見て、スケッチして…という感じだったようですが。



昔はカメラなんかありませんでしたからね。
動体視力も今と比較にならないくらい発達してたんでしょう。
一瞬を「止めて見る」のは、ある程度は訓練でも伸びますので、やってみたらいいと思いますよ。
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この回答へのお礼

早速回答いただいてありがとうございました。やはり巨匠達は凄まじい観察力であそこまでのものを描き上げたんでしょうね。

お礼日時:2009/07/24 18:41

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