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私は、八坂神社で5,000円で祈祷し、数ヵ月後高幡不動尊で1万円で御護摩を焚いてもらいました。その他、毎朝のように八坂神社へ通い、願い事を伝え、また、行ける日に不動尊へ行き、200円の護摩木に記入しています。しかし、最近高尾山の薬王院では10万円する護摩料がありました。

私がこのような事をしているのは離婚問題と子供が乳児院にいて家庭内がバラバラになってしまっているため、家内安全や心願成就、良縁成就などの祈祷・祈願をしていますが変化はありません。

一層の事、護摩料10万かけて辛抱すれば、変わるものなのでしょうか?

家内には神棚を設置し、水や米と塩を変え、毎日のように祈っていますが、変化がありません。

どのようなことを行えば、変わっていくのでしょうか?


妻は離婚しか念頭になく、まわりの誰もが復縁を進めているのに聞き入れません。

子供の事を含め、家庭内が安定するように神仏や相手の両親を頼りにして頑張っている日々が2ヶ月経ちました。

護摩料とは、高いほうがいいのでしょうか?ちなみに、妻は今年本厄です。私も、男性ですが、女性の側のほうで厄にあたります。

どのようにしていけば、良い方向に向かうでしょうか??

教えて下さい。

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A 回答 (2件)

幸せはお金で買えるものではありません。

神頼みで変わるものでもありません。あなたの心がけ次第です。

この回答への補足

返す言葉もありません。

補足日時:2009/08/10 15:06
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金額の大小ではありません。


私は参拝の時は、殆ど5円です。護摩木は、表示金額をまあ200円から500円供えています。

気持ちの問題で、「5円しか出せませんが、宜しくお願いします。」と言う気持ちで接しています。
逆に、「10万円だしたので、聞いてください。」と上からじゃあ、効果はありません。

離婚や結婚、縁談は難しく、人の感情で変わります。
祈願・祈祷と言うのは、双方が願っているのに、他の障害に襲われることを回避するためにありま

す。

例えば、子宝を願っているのに出来ない。
結婚したいのに、身内に不幸があったり、喪中になったり、勤務先が倒産したり。

考えられるのは、あなたが離婚したくないという「念」よりも、相手の離縁の「念」が強いことが

挙げられます。

双方、生きている限り守護霊様がいらしているので、お互い、自身を守る為に守護されています。
金銭で守護を解き放つ事は出来ません。

祈願の前に、奥様とお話されたのでしょうか?
離婚の原因は?
自身の問題?経済的問題?人間関係?住居?生活習慣の不一致?
すべて、話し合いましたか?

それすら、出来ないレベルなら、浄霊してもらうしかないですね。
専門の場所をしっていますが、ここではかけません。
自身でお調べください。
尚、予約は二ヶ月前から受付しているので、早くても二ヵ月後になると思います。

この回答への補足

もちろん色々な話し合いは持ちましたが、互いに信頼を失い、妻が実家へ帰宅しました。

原因は、暴言暴力ということですが、それよりも妻からの方が激しかったという事実がありまして、妻側の父からは妻が悪いので離婚はしないでほしいとお願いされています。更正させるような話をしていますが、2ヶ月経っても変わりありません。

その結果、毎日のように15円とおみくじ100円をひぃて祈る日々を続けています。

結局のところ、双方の思いが一致していなければ祈願も祈祷も無意味ということなのですね?

補足日時:2009/08/10 15:03
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Q護摩を焚いていただく際、お礼の袋?

また護摩について質問させて頂きます。
このたび高尾山薬王院有喜寺で御護摩を焚いて頂こうと思っております。

神社などでお祓いを受ける際はご祝儀袋などに、初穂料として納めるようですが、御護摩の場合は袋は何になるのでしょう?
今日、ご祝儀袋などの売り場でいろいろ見ましたら
「お布施」用の袋に「僧侶などへの開眼、・・」などと書かれていましたので、こちらになるのでしょうか?

ちなみに社殿の前に鳥居がありますよね。
こちらでお守りをあつかっている方にお話を伺ったところ
神仏分離以前の神社と言った話を聞いたことがあります。

お寺、神社・・・どちらのマナーが通るのでしょうか?
長年お賽銭のみのお参りをさせていただいてますが、御護摩を焚いて頂くのは初めてで・・・・。
どなたか正しいマナーを教えて下さい。

Aベストアンサー

こんばんは。。

 再びですみませんが・・・あと、自分が西日本の人間なので、地域性などが異なるかもしれませんけど。

 地域性がどうこうと言っても、御護摩の場合は、紅白ののし袋でよいはずだと思います。それと、お寺のホームページを見ましたが、仏様とともに権現様もお祀りしているようですけど「お寺」ですね。

 大きなお寺だと、受付の窓口があって、普通に料金を払うように財布から直接ご祈祷料を出すような場合もありますが、御祈祷料が前もってわかっている場合や、とくに定めがない場合などは、のし袋にお包みして、裏に金額を記してお出しした方がよいでしょう。

 表書きですが、「御祈祷料」「御宝前」「御法礼」のどれでも、少なくとも大ハズレではないと思います。
 お寺さんにはなんでも「御布施」というのは決して間違いではないのですが、御護摩のような御祈祷では通常、紅白を使い、「御布施」や「御供」は使いません。(たぶんこの点は、どの地域でもそんな感じだと思うのですが。)

 お願い事が成就するとよいですね。では。

Q厄除けのお札のお焚き上げ、いくらか包むほうがいい?

前厄・本厄と、近所の神社でご祈祷していただきました。
昨年、神社の方が、ご祈祷は1度だけでいいのですよ、とおっしゃってくれたので、今年はお札だけいただいてこようと思ってます。

そこで、過去質問を検索しても、よくわからないことがあるので、わかる方教えてください。

昨年のお札(本厄の時のお札)のお焚き上げをお願いする時は、お焚き上げ料をいくらかつつんだほうがいいのでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 私はお寺に勤めております。うちの宗派ではお札などというものは売っておりませんが、他のお寺でお求めになった方が処分に困ってお持ちになることがあります。そのときは、無料でお預かりしています。ただ、丁寧な方はいくらか包んでもってこられる方もいらっしゃいます。
 神社のことはよくわかりませんが、そういったことでお困りのときは、その神社の社務所や納札所があるでしょうから聞いていただくのがよいでしょう。また、お気持ちがあるのでしたら自主的に御焚き上げ料をお納めるのもよいと思います。
 最終的にはご自身のお気持ちだと思います。
  合掌 南無阿弥陀佛

Q法人で神社に祈祷した料金の勘定科目

法人で神社に商売繁盛の祈願をしました。
祈祷料として10,000円を払い、法人宛の守札等貰ったわけですが、
この費用は雑費で損金に計上しても構わないのでしょうか?

Aベストアンサー

神社への支払が1万円程度の金額ならば、税務署も「寄附金だ」などと硬いことは言わないでしょう。損金に算入して構いません。科目は「雑費」でいいです。

Qお寺へお金を包む表書きを教えて下さい

法事などは、御布施と書いて半紙で中包みをして、奉書紙で上包みをしたいと考えています。御膳料や御塔婆供養料・御車代はその通り書いて良いものでしょうか?奉書紙は、水引見たいなものが無くて良いのでしょうか?書くのはやはり筆ですか?宜しくお願いします。

Aベストアンサー

御布施の包み方は、それで構わないと思います。基本的には毛筆で書くのが
正しいと言われていますが、どうしても毛筆は苦手だと言われるなら、毛筆
ではなく筆ペンでも構いません。慶事の場合は薄墨で書くのだと思われてい
る方が多いのですが、実際には薄墨ではなく濃い墨で書きます。
絶対に駄目なのは鉛筆、ボールペン、マジックペン、ゴム印です。どうして
も書けないと言われるなら、表書きが印刷された物でも構いません。

慶事の場合は熨斗はつけません。

水引ですが、半紙の中包みに御金を納め、奉書紙で慶事方法の折り方をし、
水引をかけません。市販の既に印刷された封筒や、通常の白い封筒でも別に
構いません。我家では御盆の読経の御礼に御布施を出しますが、白い封筒に
御布施と書いて御渡ししています。法事では正式な方法で御渡ししますが、
それ以外の際は封筒に御金を入れて御布施と書いて渡しています。

御布施の他に御渡しする物は、御車で御越し頂いた時は「御車代」、卒塔婆
供養をされた時は「卒塔婆代」と書きます。
御寺により会食を参列者と一緒にする場合と、辞退する場合があります。
会食を一緒にされた時は、御布施、御車代と引き出物を御渡しします。
もし一緒の会食を辞退された時は、御布施、御車代、引き出物の他に、御前
料も御渡しします。ただ既に会食をされるものだと思い、用意がされていた
時は、御寺さんが食される予定だった料理は、持ち帰りが出来るように別の
容器に入れて御渡しします。

御布施等をお渡しする時には、それなりの作法と言うか決まりがあります。
御布施等は直接手渡してはいけません。
法事で使用される袱紗(ふくさ)盆の上に袱紗を敷き、その上に御布施等を
包んだ封筒(必ず御寺さんが文字が読める向き)を置き、御寺さんの前に出
します。御寺さんが頂戴されてから盆を下げます。
要は絶対に手渡ししては駄目だと言う事です。
「本日は有難うございました。これは御礼ですので、どうか御納め下さい」
と言って盆を前に出します。手を引っ込めて御寺さんが納められたら盆を下
げます。御布施等を御渡しするのは、必ず喪主が行います。
御寺さんが御帰りなられる時は、必ず御車まで同行し、最後まで御見送りを
します。
御寺さんが持ち帰られる御膳や引き出物は、御寺さんが持参せず、喪主の方
が御車まで御持ちし、御車に乗られた時点で手渡します。
御車が自宅から見えなくなるまで御見送りは続けます。

御布施の包み方は、それで構わないと思います。基本的には毛筆で書くのが
正しいと言われていますが、どうしても毛筆は苦手だと言われるなら、毛筆
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絶対に駄目なのは鉛筆、ボールペン、マジックペン、ゴム印です。どうして
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Q護摩札はどうすればよいですか?

お大師様で頂いた去年お世話になった護摩札ですが
今年は初詣にいけなかったので
お返しすることが出来ませんでした。
近日中に他の神社に行こうかとしているのですが
他の神社のお焚きあげ箱?に納めてお願いしても
良いでしょうか?

Aベストアンサー

おはようございます。

先日、伝統ある神社の宮司さんとお話しました。
お守りのこととして聞いたのですが、いただいた神社でなくても、どの神社に返しても構わないとのことです(振興宗教の社殿は除きます)。
また、時期もいつでもかまいません。だいたい一年経ったら頂きなおして下さいねと言われていました。
また、お守りをいくつも持ってはいけないとか、もらったところにしか返せないということはありません、と断言されました。弁天様は女の神様なので、ちょっとやきもち焼きだと言いますが、基本的に神様同士のケンカと言うのもありませんよ、とおっしゃいました。
そういえば、某天満宮(ご祭神はもちろん菅原道真公)の職員の方が晴明神社のシールはって通勤されてましたし(笑)

自分が神職なわけではないので「自信なし」にしておきます^^

Q大日如来様とはどんなお方なのですか?

私は浄土真宗ですがご説教の中に大日如来様の話が出て詳しくしりたいと思いました。

もしよければ教えてください。

Aベストアンサー

 我が家も浄土真宗ですが、浄土真宗の説教に大日如来が出るのは珍しいんじゃないでしょうか。

 というのは、浄土真宗などは仏教の中でも「顕教」と呼ばれる一派に分類されますが、もう一派を「密教」と言います。つまり、別派だからです。

 この密教は、この大日如来(理解の仕方にもよりますが、本来は大宇宙そのものであって物言わぬ仏)から、直接意向を聞いたり、加持祈祷を通じてお願いをしたりしようという仏教を言います。

 空海が中国から持ってきたのが真言宗ですが、空海が渡海した時、空海を一目見た中国真言宗の最高僧が、「遅し!我、汝を待つこと久し!」と叫んだという逸話があります。

 勉学に励んだ空海は真言宗のすぐに最高位に就き、奥義や仏典などを全部日本に持って帰ったために、以後、中国では真言宗は廃れました。数年前、中国に空海像が里帰りしたような記事を見た記憶があります。


 密教では当然、大日如来は宇宙(宇宙を描く曼荼羅)の中心であり、諸仏(如来その他)も大日如来から産まれるものとされています。それ故、諸仏の王とされて王冠を被って描かれたり、彫られたりします。場合によっては装身具も身につけます。

 大本の思想は、帝釈天と戦った阿修羅系の神だそうです。ゾロアスター教のアフラ・マズダ(全生命の根源)・・・ そのものではないようですが、思想的には同系だとのこと。

 一神教は、他宗教信徒に対して「受け入れ」を求めるだけ(拒否すれば死)ですが、仏教のように平和的な宗教では、相手の言い分を認めて受け入れなければなりません。

 有名なところでは、阿修羅は帝釈天と何度となく戦った後、仏教に帰依したことになっています。これなどは、阿修羅を信じる者に、「阿修羅でさえ帰依したんだから、おまえたちも」と言うための方便だったものと思います。

 そう説得するためには、まず阿修羅の存在を認め、次に仏教の中に受け入れなければなりません。

 つまり、平和宗教というのは、いろんな宗教からの影響を受けざるを得ないのです。で、その一つが、大日如来。

 大日如来は、万物の根源であり宇宙そのものですので、かくかくしかじかの容姿であった、こう考えた、というようなことはおそらく伝わっていないものと思います。

 その代わり、というわけではないのでしょうが、金剛界や胎蔵界のそれぞれで、さまざまな仏や菩薩、明王などに変身して人々を教え導くとされています。例えば、不動明王も大日如来の変身姿の一つ(教令輪身)です。

 従って、大日如来そのものを直接知るのではなく、それぞれの仏などの教えや特徴を知って積み上げていくしかないのではないかと思います。
  

 我が家も浄土真宗ですが、浄土真宗の説教に大日如来が出るのは珍しいんじゃないでしょうか。

 というのは、浄土真宗などは仏教の中でも「顕教」と呼ばれる一派に分類されますが、もう一派を「密教」と言います。つまり、別派だからです。

 この密教は、この大日如来(理解の仕方にもよりますが、本来は大宇宙そのものであって物言わぬ仏)から、直接意向を聞いたり、加持祈祷を通じてお願いをしたりしようという仏教を言います。

 空海が中国から持ってきたのが真言宗ですが、空海が渡海した時、空海を一...続きを読む

Q日蓮宗と創価学会の関係

先日初めて日蓮宗の葬儀に参列しました。
日蓮宗にあまり馴染みがなかったので、「教えて!goo」で日蓮宗を
検索したところ、「創価学会」とつながりがあることがわかりました。
具体的にどういう関係なのか教えてください。

あと、日蓮宗って仏教ですよね(違っていたらごめんなさい)
なぜ、仏壇の中に仏様がいらっしゃらないのでしょうか?

Aベストアンサー

仏教には大きく浄土系と法華経系があります。
簡単に説明すると(ちゃんと信心がある人には怒られそうですが)
浄土系というのは「南無阿弥陀仏」さえ唱えていれば救われるというものです。
法華経系にはさらに密教系、禅宗系、日蓮系があります。
この中でも、古参、新興ともに団体が多いのが日蓮系でなんですね。
浄土系に対抗して「妙法蓮華経」さえ唱えていれば救われるという
日蓮大聖人の教えに反しているんじゃないかと思われるものから
儒教と迎合したものまで種々雑多なんですね。

創価学会なんですが、最初は創価教育学会といいまして、
宗教団体ではありませんでした。それが、道徳教育には宗教が必要だという考えもあって
日蓮正宗へ参加します。でもって袂を分かつんですが、日蓮正宗方の言い分は
邪流に走ったから破門なんですが、創価学会方の思いは「散々、貢がせておいて
いらなくなったらポイっかい」というものです。
なので、創価学会は寺院も坊さんもおらず、葬式も友人葬として学会員で行います。
日蓮正宗が学会を池田教といえば創価学会は正宗を日顕宗と呼んだりしています。
悪く言えば、しいたげられても尽くしてきたのに、必要がなくなったら
あっさりとフラれたときの逆恨みとでもいいましょうか、
聖教新聞なんかを見るとあからさまな攻撃記事がありますね。
共通点と言えば、双方とも何か言えば必ず反論してくるところです。

仏壇に仏像がない理由ですが
現在の仏像というのは仏教を広めるために他の宗教の神様が仏に帰依したという
考えのもとできあがったもので、本来、釈迦が説いたものには偶像という概念が
ありませんでした。日蓮大聖人もまた釈迦が説いた仏法への回帰を目指していたため
正統な日蓮系には偶像崇拝はないんですね。

仏教には大きく浄土系と法華経系があります。
簡単に説明すると(ちゃんと信心がある人には怒られそうですが)
浄土系というのは「南無阿弥陀仏」さえ唱えていれば救われるというものです。
法華経系にはさらに密教系、禅宗系、日蓮系があります。
この中でも、古参、新興ともに団体が多いのが日蓮系でなんですね。
浄土系に対抗して「妙法蓮華経」さえ唱えていれば救われるという
日蓮大聖人の教えに反しているんじゃないかと思われるものから
儒教と迎合したものまで種々雑多なんですね。

創価学会な...続きを読む

Q「護摩祈祷」と「加持祈祷」

「護摩祈祷」と「加持祈祷」

真言密教の修法に「護摩祈祷があります」。
これは、御本尊御宝前で清らかな火を燃やし、護摩木や数々の供物を投入して、願主の諸々の願いを成就することを祈る修法と理解しています。

これとは別に「加持祈祷」なる修法がありますが、この両者の違いあるいは関係等お教えいただきたいと思います。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 寺院や宗派により異なりますが、護摩と加持は修法していますので、回答をします。

 「護摩」ですが、その宗派に祭られる護り本尊を正面にして主幹者(住職等)が導師を務め、願主が護摩木に祈願を書き、それを燃やす事で祈願をするのが、護摩供養です。炊き上げの回数により、○番護摩と呼び、数回に分けて行いますので、時間は掛かります。

 「加持」ですが、こちらは法堂等で主幹者(住職等)が願主の祈願して書く護摩とは異なり、直接行う行為で厄除け等の祓いを行いますので、時間は掛かりません。

 宗派にもよりますが、「護摩」は限定されますが、「加持」は何処でも行えますので、大半は「加持」が多く行われます。

QFacebook メッセンジャー

メッセンジャーで、ウェーブが届きました。と来たのですが、これは何の意味でしょうか?
私を選択して送られてるものなのでしょうか?

Aベストアンサー

Poke機能というのはわかりますか? 肩をちょっちょっとつついて「元気?」みたいに簡単な挨拶をする機能です。
Wave(ウエーブ)とは、このpokeと携帯のGPS機能の合わせ技で、時間的に近い距離にいる友達に対して「近くだよ。元気?」みたいな挨拶をする機能です。Waveが来ることで、じゃあ、今から合おうかみたいなこともできるのではと言われています。

>私を選択して送られてるものなのでしょうか?
個人ではなく、物理的な距離の近さによって出てくるようです。どのぐらいの距離の近さに設定しているか詳細はわかりませんが。

Q「引導を渡す」という言葉について

「引導を渡す」という言葉について、教えていただけますか。
この言葉は、(とどめを刺す)様な意味で使われることはあるのでしょうか。
例えば、
「(壊れかけの)会社の車に、おれが引導を渡してやった。」
とかいう使い方をすることがあるでしょうか。
(壊れかけの車を、ごまかしごまかし使っていたのを、もう諦めて、廃車にする)
ような意味では使われるような気がするんですが、
ここでは、単に(とどめを刺す)という意味で使えるかどうか、
教えていただけますか。
なんとも分かりづらい質問で、申し訳ありません。

Aベストアンサー

 
「引導」というのは、元々中国で古くから使われていた言葉で、特に「道教」では、一種の気息術か、呼吸法で、大気を吸い込むことを言いました。しかし、普通の言葉として、「手引きする」「案内する」というような意味をあいます。

仏典を漢訳するとき、サンスクリット語 parikarsana の訳語に、この「引導」を選んだのです。「法華経」では、人々を導いて仏道に入らせる意味で使われています。また、死者を済度する意味でも使います。

後に、死者の葬儀の時、導師が、棺の前で、法語や仏教の教えの詩(ガーター)を語って、死者を、迷界から浄土へと導くよう試みる儀式のことになります。

これを、「引導を渡す」と言います。「迷界から浄土へ導く」とは何かと言うと、これは、死者に、「死んだ事実」を確実に認識させ、現世への執着を棄て、悟りの仏道へと進むよう説くことだとも言えます。

つまり、「お前は間違いなく死んだ」ということを、死者に宣言する儀式にもなります。民主主義的とか何とか関係なく、端的に「事実」を語り、事実を宣言する儀式だとも言えます。死の不可逆性を悟って、始めて、浄土への道も開かれるからです。

最初に、こういう「引導を渡す」という形の儀式をしたのは、中国黄檗集の祖、黄檗希運で、彼は9世紀頃の人です。

仏教用語から転じて、「最終的な宣告をして、諦めさせる」という意味があるようですが、これは「最終的な宣告をする」にウェイトがあります。引導を渡しても、相手が納得するとか、諦めるとは限らないからです。

仏教なら、「お前は死んだのだ、そのことを知り、成仏せよ」と引導を渡しても、死者が納得せず、この世への未練から、亡霊などになったり、輪廻に落ちるということは、別に珍しいことでもないからです。

他方、「止めを刺す」というのは、殺したはずの相手を、生き返る余地などないように、念を押して、首を突くとか心臓を刺して、死を確実にすることです。ここから転じて、念を入れて、終わらせるという意味になります。

「敵の攻撃に止めを刺した」というのは、単に攻撃を撃退するだけでなく、もう攻撃できないよう、念を入れて撃退・壊滅させることでしょう。またこれで、最後の最後だということで、「日本画のあの分野では、現代ではA氏がとどめを刺した」という風に使います。

>「(壊れかけの)会社の車に、おれが引導を渡してやった。」

これは用法としてあると思います。「引導を渡す」というのは、かなり転用されます。

>ここでは、単に(とどめを刺す)という意味で使えるかどうか

「引導を渡す」と「とどめを刺す」では、意味が元々違います。しかし、或る場面だと、二つの言い方で、どちらでも使える場合があります。「総務にかけあって、あの車は、おれがとどめを刺してやった」というのは、同僚などに語る場合は使うと思います。

そもそも車に向かい、「お前はすでに死車だ、そのことを知り、迷わず成仏せよ」などというのはおかしい訳です。この場合の「引導を渡す」は、「もう無用の車だと宣言する」ということでしょう。車に擬人的にこう言っているのだとしても、車に同意や納得を求めている訳ではありません。

だから、もう壊れかけ、実は廃車となっているはずの車に、最後の止めを刺して、実質廃車にした、という意味で、「止めを刺した」はありえると思います。

会社か総務の方針かなどで、とっくに廃車(死者)になっている車が、迷って、この世にいるのを、お前はもう廃車だ、この車はもう廃車だ、と宣言することが、「引導を渡す」であり、またそのことは「とどめを刺す」ことにもなるからです。

(もっと偉い人が、車を廃車にしない総務の担当に、廃車にしなさいと、引導を渡す、ということはあります。しかし、担当にとどめを刺すとは言いません。担当に引導を渡し、車にとどめを刺した……というような言い方になるでしょう。無理に例を作ると)。

「引導を渡す」と「止めを刺す」は、元々の意味が違いますから、特定の場面でしか、この二つの表現は成立しません。それも、かなり口語的で、「砕けた表現」の場合に、両方使えると思えます。

だから、この場合は、あれは廃車だと思っている同僚に向かい、軽く言う場合は、「おれが引導を渡した」「おれがとどめを刺した」は使えますが、上司に向かい、「課長、私が、あのぼろ車にとどめを刺しましたよ」というのは、酒の席だとかで冗談めかして言うならともかく、ちょっと使わない方が適切です。

>ここでは、単に(とどめを刺す)という意味で使えるかどうか

ここでは、話す相手や場面によりますが、「引導を渡す」は、「止めを刺す」という意味で使えると思います。しかし、この二つの表現は、本来起源が違うので、一般的な使用の慣習などで、判断しなければならないと思います。

口語調で、少し乱暴に言う場合以外は、基本的に、違う表現・言葉だと考えた方がよいと思います。
 

 
「引導」というのは、元々中国で古くから使われていた言葉で、特に「道教」では、一種の気息術か、呼吸法で、大気を吸い込むことを言いました。しかし、普通の言葉として、「手引きする」「案内する」というような意味をあいます。

仏典を漢訳するとき、サンスクリット語 parikarsana の訳語に、この「引導」を選んだのです。「法華経」では、人々を導いて仏道に入らせる意味で使われています。また、死者を済度する意味でも使います。

後に、死者の葬儀の時、導師が、棺の前で、法語や仏教の教えの詩(...続きを読む


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