家・車以外で、人生で一番奮発した買い物

先般の NHK番組 海軍軍令部の 反省会 400時間
http://www.nhk.or.jp/special/onair/090809.html

久々に、見ごたえのある内容でしたが。
陸軍、軍令部の こうした内容の書籍はありませんか?

およそ、現状認識からはずれた作戦立案の当事者たちですから、反省してるとは思えませんが、彼らが何を考えていたか、興味がわきました。
つい先ほど、発見された東条の終戦間際(1週間前くらいとか)のメモ書きでも、精神論でだらしない国民を嘆いていましたが、その時点ででも、最高責任者が精神論でことを済ませようとするロジックに驚きましたが、軍令部はどう思っていたのでしょうかね

A 回答 (5件)

すでに知っていると思われますが。


アジア歴史資料センター
http://www.jacar.go.jp/

書籍ではありませんが、ここで検索かけていけば見つかるかもしれません。
ただ、目当てのものが見つかるかは全く保障はできません。

会議の速記録や戦訓所見などがあったりして(人によっては)結構面白かったりします。
    • good
    • 0

砲戦車の存在も思い出してください。


あれは立派な戦車です。
75mm以上の砲を装備しており、また実戦に参加しています。
野砲クラスならば米戦車に対しても十分通用します。

またノモンハン事件の戦訓において、戦車はあまりいらないとすら言っています。
現代においてノモンハン事件は戦車のせいで負けたようにかかれることが多いですが、当の陸軍は戦車が弱いから数が少ないせいで負けたと思っていないんです。
これは旧日本陸軍は近代戦を理解していない証拠になってしまうのでしょうか?
    • good
    • 1

三式戦車は75mm野砲を搭載してますし、四式戦車も75mm高射砲を搭載してます。

大砲の製造が追いつかず難渋したようですが…

 ヨーロッパ戦線に投入したM4シャーマンは短砲身のM4であって、4号戦車相手なら何とかなりますが、重装甲の戦車は相手出来ませんよ。更に上陸用舟艇には数が積めませんし、何と言っても砲弾や爆弾を作るお金が米国にはありません。第5次戦時国債の発行は硫黄島の旗のお陰で何とか売れたのであって、硫黄島・沖縄戦・対日空襲の甚大な損害状況では第6次戦時国債の発行は不可能です。日本の細い荒れ道(国道が幅を拡げて舗装されたのはこの40年です)やぼろい橋を米軍の戦車が渡って進撃するのは至難の業ですよ。
 更に日本は新兵器のロタ砲(和製バズーカ)や使い捨て対戦車ロケットの実戦配備を開始しています。

 現在の高速道路のPAやSAは25キロ毎にあるのを知ってますか?これは日本陸軍以来使っている補給所設置距離なんですよ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

う~ん、発言の意図が読めませんが、
アメリカが日本より貧乏だった、って話は聞いたことが無いし、教会の鐘の供出があったって話も聞いたことが無い。

アルデンヌの進攻を食い止めたのはM4/75mm後期型だし、そのタイプだけでも 3071両生産され、それに対して、日本の中核戦車 97式チハ 57mmですら S13~18年で 2208両 その後 お話の 三式 など作られてるけど、野砲タイプのもので 30両前後の生産で終わってる。

この辺が、事実のようですが。
 

お礼日時:2009/08/15 11:42

陸軍参謀本部はかなり冷静に判断していたようです。



 42年秋には米軍の歩兵戦術の分析に成功しましたが、火力差(同じ兵士数でももっている機関銃と大砲の数が違うなど)を埋めるのは不可能な状態であったことに気付きました。
 44年初頭には米軍の暗号解読に成功(日本陸軍の暗号は終戦まで解読されませんでした)します。
 新兵器の開発にも余念が無く、三式戦闘機・四式戦闘機・四式重爆撃機・三式戦車・四式戦車と米軍に対抗できる兵器を開発しています。
 海軍が防衛責任地域であったニューギニア・アッツ・ガダルカナル・ペリリュー・サイパン・グアムは防衛陣地設営遅延の影響で大惨敗しますが、陸軍防衛管轄のフィリピンでは善戦し、硫黄島・沖縄では米軍の方が戦死傷者数が多く出るなど不利な兵器体系で米軍と対等に戦いだしました。
 本土空襲もB29の1/3を撃墜又は大破させており、米軍の本州侵攻作戦が難しい状態に持っていっています。

 それと東條英機は最高責任者ではありませんよ。44年7月までは内閣総理大臣という憲法上には規定されない大臣総代にいただけです。それ以降はただの人です。

 内閣総理大臣ってのは、戦後と違って何の権限もありません。あるのは各省庁の意見まとめ係なだけです。海軍大臣・外務大臣・内務大臣が東條に反対したら内閣不一致となって辞職となります。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

恐縮です。

でも、何の随筆か忘れたのですが、司馬遼太郎が、戦車にヤスリが掛かるから、この戦争は負けだと認識したと記述を呼んだことがあります。
また、75mm搭載の5式チリたって、終戦の時 試作が1台ですから、ヨーロッパのキングタイガーや、T34辺りと渡り合ってた、M4/75mmの台数とは雲泥の差のように思えますが。

>内閣総理大臣という憲法上には規定されない大臣総代
これは、初めてお聞きしました、有難うございます。

お礼日時:2009/08/14 17:22

・陸軍、軍令部の こうした内容の書籍はありませんか?



残念ながら、大日本帝国陸軍には軍令部は、設立されませんでしたので、ありません。(^-^)/


※帝国陸軍で、海軍の軍令部に相当する期間は、プロシアにならって設立された
参謀本部
です。参謀本部で、検索・質問されると、良回答得られると思いますよ(@^^)/~~~

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%82%E8%AC%80% …
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速、恐縮です。
参謀本部の言葉は知っていましたが、
海軍軍令部だと兵器開発までコミットしてましたから、純粋に参謀って作戦立案だけかと理解。で、軍令部の中に 参謀本部があると、思ってました。
ありがとうございました。
よろしければ、以降、参謀本部と読み替えて、ご教示願えれば幸いです

お礼日時:2009/08/14 12:34

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!


おすすめ情報