これ何て呼びますか Part2

こんにちは、高校生です。
最近、宮沢賢治「銀河鉄道の夜」を読みました。
描写もきれいでとても素敵なお話だったと思います。

読み終えて疑問がいくつか残ったので、質問させていただきます。
答えづらい漠然としすぎる質問だと思いますが、どれかひとつだけ答えていただくだけでも十分助かるので、回答よろしくお願いします^^;

(1)主人公は自分のものを他人に与えることで幸福が実現すると考えましたが、なぜ他人に自分のものを与えることで幸福が実現するのでしょうか?

(2)みんなの幸せのために自分の身を犠牲にすることを願ったサソリの話をきいたあと、
「ぼくもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸のためなら僕の体なんか百ぺんやいてもかまわない」という主人公のセリフがありましたが、
「もう」という言葉から話をきくより前までとの心境の変化があったように読み取れます。(1)番とかぶるかもしれませんが、なぜ主人公はこう考えたのしょうか?

(3)この話では結局宮沢賢治さんは「他人の幸せが自分の幸せにつながる」ということを言いたかったのでしょうか?


答えというよりは、あなたなりの考えや解釈をきかせていただけると嬉しいです。おねがいします^ω^

A 回答 (2件)

高校生という多感な年頃に、宮沢賢治の作品に出会ったことは、とても幸運なことだと、先ず申し上げます。


私もあなたと同じ年頃で、「銀河鉄道の夜」を読みました。それからいろいろなメデイアで賢治の作品や人生観を知る機会がありました。
あなたの質問に対しては(直接的な回答ではないかもしれませんが)このようにお応えしたいと思います。

賢治の作品に一貫して流れている思想は、ある部分ではキリスト教の生命観であり、またある部分では仏教の教えでもあります。
共通して言えることはあなたの質問文にも引用されている
「みんなの幸せのために自分の身を犠牲にする」
「他人の幸せが自分の幸せにつながる」
「銀河鉄道の夜」が賢治の代表作といわれている由縁はそういった宗教観がとてもわかりやすく物語として語られていることだと思います。

質問(1)については、私自身、相手が誰であろうと、自分のしたことに対して相手が喜んでくれればとても幸せを感じます。それは時には即物的なプレゼントであったり、またあるときには形のない精神的なことであったりしますが。どんなことであれ、相手が喜んでくれれば自分も嬉しい、これは言ってみれば「幸福の実現」ではないでしょうか。

質問(2)については、賢治の作品を読む際に、あまり細かい部分(この場合は「もう」という言葉)にとらわれずに読んだ方がいいのではと思います。とても言葉のリズムを大切にした人で、音楽のように賢治の文章を感覚として捉えることができれば、言葉の背景にある賢治の思想を感じることができる、といってもそれは実際には難しいですね。
いつか家族を持ち、護られる存在から護る側になったとき、家族の幸せのためならこの身を犠牲にしても構わない、という主人公の心境がわかるかもしれません。
回答にはなっていませんが、「銀河鉄道の夜」は読む人の数だけいろいろな読み方ができる作品だと思います。それは読む人の年齢に応じても受け取り方が変わってくるとも言えます。
5年後、10年後、20年後とあなたの人生の中で幾度か読んでみて下さい。
私も又、読んでみたくなりました。
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「情けは人のためならず」って言葉の意味、どう取る?


これを検索してみれば分るんじゃない。
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