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教えてください。

A 回答 (4件)

プライドは高いけど自己評価は低い、って所じゃないでしょうか。


プライドが高いために、人に馬鹿にされるのは許せない、人に良く思われたいという気持ちが強い一方で
これまでの対人経験や客観的な能力から、実は自分はそれほど大した人間ではないのかもしれない、という不安も持っている。

プライドが高い人間にとって自分がなにかしらの点で劣った人間であるという事実を
認めることは非常な苦痛を伴うことであり、
他人に見下されたような態度をとられるということは、そのような事実を突きつけられることになるため
他人から見下されることを過度に恐れてしまうのではないでしょうか。
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人それぞれ、価値観が違うのですからある程度は仕方がないのでは?



鳩○さんだって「本当に言っている事が実現できるの?」みたいな嘲笑めいた論評もありますよね。

「他人から絶対に見下されない存在」って本当の意味では存在しないと思うんですよ。
例外は「宗教団体内部に於ける教祖様」くらいではないでしょうか。

人は「自分が至高の存在ではない事を知っている。このため、自分よりも弱い立場の人間を探して比較し、自分が不幸ではない事を確認したいと欲する。」
これが「他人を見下す心理」です。

別に他人から見下されていたって良いじゃないですか。
自分は自分のなすべき事を確実にこなしていれば良いんですよ。
逆に、「他人を見下さないと、自分の自尊心が保てない哀れな人」と考えれば腹も立たないと思いますが。
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「他人から見下されるのをものすごく恐れる」というのは、結局、確たる自分というものがないからです。



他人の評価ばかりを気にして生きるのは、一種の「心の牢獄」といえます。そこには自由がなく、苦しみを感じざるを得ません。真の自由な人間というのは、「他人が自分のことをどう思おうが、そんなの関係ないね」という、強気の心を持てる人です。

私は創価学会の会員ですが、池田名誉会長は「自分が人からどう思われるかではなく、自分がどう生きるか、である」「人ではない。社会でもない。環境でもない。すべては、自分で決まるのである」という指導を折に触れてします。

強くなることです。強くなれば、他人の評価なんて、ばかばかしく思えてきます。自分は正しいと信ずるのならば、「見下すなら見下せ。自分は何も間違ってはいないのだ。人を見下す者こそ、哀れで弱い人間なのだ」と笑い飛ばして、むしろ逆に哀れむくらいの余裕を持つことです。

「他人から見下されるのをものすごく恐れる」弱さを乗り越えることです。そうすれば、他に左右されない確たる自分を築くことができるのです。
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会社に30代半ばの独身の女性がいて、


あまり仲良くないので情報はわかりませんが、
彼氏いるんです、寂しくなんかないんです~
っていう行動を、毎回オーバーにしていて
余計、寂しそうにみえてしまうことがあります。

周りはそこまで見下してはいないけど、本人にとったら
やはりプライドなんでしょうか。
まさに
他人から見下されるのをものすごく恐れる人間の心理といったかんじがしますが。
参考にならなかったらごめんなさい。
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