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その後、数ヶ月が経ちますが、書店は元通り営業再開したようで、一応一段落したようにも思います。
少年が悪い、書店側に落ち度がある、と人それぞれ意見が別れました。
しかし、肝心の少年を逃がしてしまった警官が悪いという意見がみられなかったように思うのですが、この場合、警官には何の責任・処分もないのでしょうか。
私は、犯人検挙のプロとしての警官が、注意を怠った、その結果少年が亡くなった、と一番の原因のような気がしてならないのです。
考え方間違ってるのかな。

A 回答 (17件中1~10件)

ダーウィンは偉大なり。

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○「自分も配慮が足りなかった」と反省しているのなら許せるけれど、「自分に責任はない」と開き直るのは許せない、というのは、きわめて日本人的な感情論で、責任の有る無しとは関係のない事です。


世間一般でもマスコミの論調でもこのような考え方はよくあるようですが、問題をすりかえてしまっては良くないと思います。

○仮に警官に何らかの責任があって、訓告や懲戒などの「処分」を受ければ、それで満足ですか?
少年の死という「不幸な出来事」を悲しみ、一方で、「処分」という警察官に取っての「不幸」は喜ぶのでしょうか?

○何か大きな不幸な出来事があると、特に当事者に取っては、身内を失うと言う大きな悲しみにたえられず、「誰か他人のせいでこうなった」と考えたくなってしまうものです。また、第三者である私たちも、つい「責任者は誰だ」「誰が一番悪いんだ」「誰々にも責任はある」と思ってしまいます。
しかし、誰も悪くないのにおこる事故もあります。
また、「犯人探し」をみんなでして、誰かに責任を取らせて、その人を処分すればそれで終わり、という決着で良いのでしょうか?それで同じような事故は今後おこらないようになりますか?誰かに責任をとらせれば、不幸な出来事が起こらないような、より良い社会になりますか?
不幸な事故ではなく警察や役人の不祥事があったような時でも、「世間がうるさいから」と謝罪の記者会見を開いて、スケープゴートになる当事者を「処分」して決着を付けることが行われています。これで本当に不祥事がなくなるのでしょうか?

○仮に警官に何らかの責任があったとしても、その責任を取るために「処分」するかどうかを決めるのは、その警官の属する都道府県なり警察庁/警視庁です。責任を取るように求める事ができるのは当事者である、少年(およびその家族)です。私たち一般大衆が、「責任を取るべきだ」と要求する事はできません。警察官を裁く権利は私たちにはありません。
もちろん、言論の自由はありますし、意見を言う事はかまわないと思います。

○誰が悪いとか、誰にも責任があるとか、他人を批判しあうばかりで問題の解決にならない事はやめにした方が良いと思います。そんな議論は、いい加減な事を言いたい放題しているワイドショーの三流「評論家」に任せておけばよいと思います。

○仮に、あくまで仮定の話として、警察官の責任を追及する声が、このトピックから広がり、大きな世論となり、世論におされて警察官が「処分」され、その事を苦にして警察官が自殺してしまったとします。警察官の家族は大きな悲しみを持ち、「皆が父を責めるから自殺してしまった。父の死の責任は世論にある」と考える可能性も十分にあるでしょう。そうしたら、「警察官に責任がある」とはやし立てた人たちには、警察官の死に対して「責任」があると思いますか?どのように「責任を取り」ますか?

この回答への補足

私の考えは未だ変わりません・・・警官のミス違いないと思います。注意不足です。
例えば、逃げた先が高速道路で、少年が道に飛び出したせいで、何十台もの追突事故が起きたとします。
事故に巻き込まれた中に政治家とかVIPとか呼ばれる人物、小泉首相とか、石原都知事なんかの、大物が乗っていたとしたらどうでしょうか。あるいは皇族だったらどうでしょうか。
この方々がもし事故で重体になったら、これでも当の警察官に責任はなかったと言われるのでしょうか。
全ては少年の責任? 警察組織や、マスコミはどう書くのでしょうか、およそ想像できません。
違いは、単独事故か他の人を巻き込んだか、逃げた先が、線路か、道路かの違いです。この2つの違いです。

そろそろこの質問も締め切りたいと思います。

補足日時:2003/05/07 15:21
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この回答へのお礼

大変わかりやすい回答ありがとうございました。とても参考になりました。
自分でも多少感情論が入っていることは否めません。
あと、警察官に処分を望んでいるわけでもありません。
少しは悪かったな・・・と感じて欲しいと思います。
それと、全部少年のせいばかりにする風潮がなんだかいかにも日本的で不愉快です。いや実際日本に住んでいてこんな事いうのもなんですが、ものの見方がどうしてこうも一様に偏るのかなと。
また、これがアメリカだったらどうだったろうと思います。もうちょっと少年に同情する声も出てくるのではかと。

違う話しになりますが、白装束の一団もどうしてこうもみんなで、やいやい槍玉にあげるのか、やってることは「大人のイジメじゃん」と、またもや腹が立ってきました。

お礼日時:2003/05/07 15:41

>警官が、注意を怠った、その結果少年が亡くなった、と一番の原因のような気がしてならないのです。


考え方間違ってるのかな。

少年の死は、彼自身の行為によるものです。
誰の責任でもありません。
確かに人間の「死」は重たいものです。
しかし、すべてがその「死」を前にして、帳消しに
されて言い訳はありません。責任転嫁なんて
もってのほかです。

こんな事言っていたら、本を売っているのが悪い。
本の販売を認めている国が悪い。本と言うものを
考えたものが悪い、ということになりませんか?


>「少年の死に対して、自分にも責任があります、配慮が足りなかったことは否めません」

責任がある、ということは賠償問題、責任問題に
なりませんか?
どんな配慮がありますか? 
それが想定できるのであれば対策は打たれて
いたのではないでしょうか? 

確かに若い命が失われた、そのことのみに限定
すれが私も悲しい事だと思います。
でもそのことのみに力点をおいてみる時
その結果に対する原因(本質)を見失う事に
なります。

万引きと言う犯罪がある書店であった。
それが原点です。
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この回答へのお礼

違う視点からの意見、大変参考になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2003/05/07 15:26

こんにちは。


元の質問の主旨とズレていきますが、答えさせていただきますね。

>しかし現実問題として、万引きする青少年は減るどころか増えつづける一方です。
結果として、心に響かしてないからではないですか?

悪いことは悪いこと、と教えていないのだと思います。
つまり、言ってきかせていないのです。
言わなければ心に響くも何もありません。
公共の場所での親の子に対する態度を見ていると「躾も何もないな」と思わされることがあります。
すべての親がそのようではないにせよ、悪いことを「些細なこと」と気にしない、という親は多く感じますね。
親にとっては「些細なこと」でも子供にはそうではないのに。背丈に合った注意が必要なのに。
これでは、悪いことは悪いことと教えている、とは到底いえないと感じています。

では。
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この回答へのお礼

私はそれは違うと思います。

お礼日時:2003/05/07 15:42

自分の責任ではない事を、いくら警官だからといって、どうして自分にも責任があると言わなければならないのでしょうか??


おかしいですよ、それ。
そんな事ばっかり言ってると、何でも誰が本当に悪いのか分からなくなってしまうじゃないんでしょうか。
少年が亡くなった、亡くならなかったという事に関わらず、誰に責任があるのかという事ははっきりさせておくべきだと思います。
じゃないと、また同じような事件が起きますよ。
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございました。

お礼日時:2003/05/07 15:27

「教えて!goo」初登場です。

今までは色んな方の質問や回答を見てるだけでしたが、今回ばっかりは言うとかなあかんやろ~!!と思って書き込みをしてみました。
No.12の方の意見に賛成です。
万引きをした少年は中学生です。まだまだ子供だと思いますが…
万引きして→書店の店長に自分の名前すら言わず→警察から逃げようとして→遮断機の降りている踏み切りに入って電車に跳ねられた。
普通、中学生にもなれば、こんな事しちゃいけないって分かるでしょう。
いくら子供でも、何でも大人より分かっていないのではなくて、もう分かってないといけない事もあるでしょう。
子供に対して、大人が注意したり、監督したりするべき所と、子供自身が自分の責任で行動しないといけない所、その線引きは非常に難しいと思いますが…
今回の場合は、万引きが見つかった後、どういう行動を取るかは、少年自身の責任だと思います。
少年自身が死を選ぶような行動を取った事に対して、誰の責任も何もないように思います。
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この回答へのお礼

少年が悪い、自分の責任、という意見が多いようなので、それらをまとめて、仮に、少年に任意同行を求めた当の警察官が、市民の前でなんらかコメントする機会があり、こう言ったとします。

「逃亡したのは少年であり、その行動について予測不能で、その結果、電車に轢かれて死亡したのは、自ら招いた不運であり、自分にはその責任は無い」

こう言われたとしても、確かにそうだとは思います。私には矛盾があるようには思えません。
しかし間違ってはないとはいえ、もしこう言い放つ警官をこの先支持できるかというと、それは疑問です。

「少年の死に対して、自分にも責任があります、配慮が足りなかったことは否めません」

上はあくまで私個人的な理想の警察官の姿だったりしますが、そんなコメントでも新聞の片隅にでもみかけることあれば、若い命を散らした少年も少しは救われるような気がするのです。
私には、少年も悪いが、警官も不注意だった。結局今も、その見解は変わりません。

お礼日時:2003/05/02 12:16

おはようございます。



>罪の意識は低かったように思うのです。

幼くて罪の意識は低かったり更生の可能性のある若者に対して刑罰を軽くすることはともかく、逃亡の「結果」の責任までも他に転嫁することはできないと思います。
また、今回の件に限れば、罪の意識が低いというほど子供ではなく、罪の意識があったからこそ逃亡を企てたのでしょう。
ただ、危険に対する認識が甘いので、逃亡などにより注意して対応する必要があるとは思います。

>果たして大の大人に比べて、どれだけ言ってきかせ、また心に響かせることができるでしょうか。

より若年者のほうがより心に響かせることができることができると思います。
そして若年者のほうがより更生の可能性がある、ということも考慮して少年法があるのではないでしょうか。

では。
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この回答へのお礼

> より若年者のほうがより心に響かせることができることができると思います。
> そして若年者のほうがより更生の可能性がある、ということも考慮して少年法があるのではないでしょうか。

しかし現実問題として、万引きする青少年は減るどころか増えつづける一方です。
結果として、心に響かしてないからではないですか?
違いますか?

お礼日時:2003/05/02 11:20

少年が逮捕されていたなら警察は容疑者である少年を拘束する義務がありますが、おそらく任意同行だったのではないでしょうか?だとしたら警察には少年を拘束する権利及び義務はなかったことになり何ら処分の対象にはならないのではないかと思います。

ただもっと注意深く少年の行動を監視していたら逃げるスキを与えることは無かったと思います。
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この回答へのお礼

> 警察は容疑者である少年を拘束する義務がありますが、おそらく任意同行だったのではないでしょうか。

そう思います。
もし責任を明確にしろ、という声が厳しく市民からあがるなら、警察はそのような見解を述べると思います。いかにもお役所的ですが、間違ってはいないと思います。

けれど、もし・・・警察官がもっと少年心理について経験を積んだベテランであって、また同じ年頃の子供と接する機会が数多くあったなら、心の揺れを読み、未然に防げたのではないか。と思わずにはいられません。

お礼日時:2003/05/02 11:17

>結果として事故だった、と考えれば少しは、この釈然としない気持ちが晴れるのでしょうか。



そう思います。結果が事故だったのです。
少年は、逃走を確実とするため、自ら危険な場所に踏み込んだのです。
窃盗の罪と、自分の命をはかりかけて、自ら選びとった結果です。
愚かな行為とは思いますが。

わたしはこの事件の遠因は、「万引き」は「窃盗」という犯罪であることを、子どもたちに強く教えてこなかったせいであると思います。
テレビのインタビューでも、「万引きぐらいで・・・」という言葉をいった人間がいました。
そういった甘さが、ゲーム感覚を生んでいるのではないでしょうか?
死んだ少年も、「万引きぐらいで捕まってはわりにあわない」ぐらいに考えて逃走をはかったのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

そう思うことにします。すこし気が晴れました。
ありがとうございました。

お礼日時:2003/05/02 11:06

こんばんは。



私も「少年が亡くなった」ことに対しては、少年の責任だけだと思います。
悪事を働いて、なおかつ逃げる者については、結果はすべて自己責任でいいと思います。

ただ、件の事例では、警官には「少年が亡くなった」責任ではなく、単純に「逃亡を許した」点を責めることは可能でしょう。
その結果、逃げきられても亡くなっても警官の責自体は同じだと思います。

私としては、今回の件に限らず、たとえば道交法違反車両を警察が追尾した場合などに、その結果、自損事故を起こしても、すべて逃亡したものの自己責任でよいと思います。
もちろん、無関係な人がその巻き添えになる可能性を考えねばならず、街中での執拗な追尾が良いというわけではありません。

では。
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この回答へのお礼

> 悪事を働いて、なおかつ逃げる者については、結果はすべて自己責任でいいと思います。

これが少年ではなく、いい大人がしたことで、逃走した結果事故にあったなら、私も同意見になると思います。
ただ、まだ相手は社会経験のない子供です。今日び、いくら精神年齢が大人びてきているとはいえ、二十歳以上の大人と呼ばれる年代に比べれば、罪の意識は低かったように思うのです。
悪いことは悪いこと、と教えても、果たして大の大人に比べて、どれだけ言ってきかせ、また心に響かせることができるでしょうか。

お礼日時:2003/05/01 20:33

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