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石川啄木の詩の
 (ふるさとの訛なつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きにゆく)
の表現技法を教えてください。インターネットで私なりに調べて見たのですが、よく分かりませんでした。回答お願いします。

A 回答 (6件)

「訛なつかし」は倒置法ですかね。



ふるさとの懐かしい訛。が普通の文法となるところを
→ふるさとの訛。懐かしい。に前後を入れ替えています。

全体も倒置法になっていて
訛なつかし 停車場の っていう所の響きが特に
いい句ですね。
日常の中のささいな喜び(楽しみ)の歌ですが
啄木の人柄やこの情景が思い浮かびますね。
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まずこの詩の種類は何か? 字数を数えましょう。



ふるさとの なまりなつかし ていしゃばの
ひとごみのなかに そをききにゆく

五七五七七(字余り)の短歌ですね。

次に「短歌の表現技法」にどんなものがあるか調べてみましょう。
私が中学の時使っていた国語便覧をみると、
「比喩、倒置法、体言止め、押韻、破調、枕詞」などが載っています。

ではどれが当てはまるのか。
「ひとごみのなかに」が字余りの為、「破調」が当てはまりそうですね。
「ふるさとの ~ ていしゃばの」、「の」の「押韻」も当てはまりそうです。
上記技法で、他に該当するものはなさそうです。

そんな感じで調べてみてはいかがでしょうか。
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これといって技法はないですよ。



ふるさとのなまりがなつかしいので
停車場の人ごみの中へ、(よく聞こえる位置へ)
聞きに行く

という作文を俳句の字数に収めただけです。
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I am going to listen to the words in the crowd of station.



The words are familier to me.

私は、それを聴きに行く、停車場の人ごみの中に、その懐かしい、ふる

さとの、おくに訛りを。

倒置法ではないでしょうか? 主語述語が、文の最後にきています。

普通の文では、主語が文の先頭に来て、述語が文の最後にきます。

倒置法は、強調したいものを、文の先頭にもってきて、文章の安定感を

壊して、緊張感、不安定感、動的な、何かを伝えたいときに使うのでは

ないでしょうか?

まだ、若い人には、故郷をはなれて、勉学や仕事で苦労する体験が

ないと思いますが、知らない土地で(外国で)日本語を聞くときの安心感

を想像してください。
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 「急いでます」とのことですが、今頃はもう授業の最中で間に合わなかったかな。



 まず啄木のこの作品は「短歌」です。
 広い意味では、短歌も詩の中の1つの特殊な種類ですが、一般的には(入試などにおいても)普通の「詩」とは区別します。
 普通は「詩・短歌・俳句」というように異なる3つの種類として扱うのです。

 したがって、普通の場合に短歌を「詩」と呼ぶと、犬も動物に含まれるということで、「かわいい犬ですね」というところを「かわいい動物ですね」と言っているような感じがします。

 啄木の場合は(狭い意味での)詩も書いているので、中学生で「石川啄木の詩」をお読みになっているということで、いったいどんな「詩」かとても興味があったのですが、そうか短歌たったのか、という感じです。「ふるさとの」の短歌なら、非常によく取り上げられる教材ですね。

 短歌は「五・七・五・七・七」の5つのまとまりからなる31音でできた「詩」です。 ちなみに「俳句」は「五・七・五」の17音からなります。
 啄木のこの作品は決して「俳句」ではありませんので気を付けてください。

 「ひとごみのなかに」は本来7音の部分が8音ですから、「字余り」です。
 「破調」ではありますが、音数が少ない「字足らず」と区別する意味で「字余り」というのがよいと思います。

 短歌・俳句では、音数が制限されるので短くするために、わかりきったことは省略します。この歌でもたとえば主語は省略されていますが、短歌ではごく当たり前のことなので、特に注目すべき場合以外は「この短歌には省略法が用いられている」とはわざわざ言いません。この短歌でもわざわざ「表現技法」として取り上げるほどではないと思います。

 一首を言葉を補って現代語にすると、

 (わたしは)ふるさとの訛(が)なつかしい。(だから、わたしは)停車場の人ごみの中に、それを聞きに行く。

といったところでしょうか。

 したがって倒置になっている箇所はないと思います。

 「なつかし」は「文語(古語)」のシク活用(←高校で習います)の形容詞の終止形です。
 〔主語を表す〕格助詞の「が」は文語では省略されるというか、元々用いないことが多いのですが、ここも「訛」のあとに(対象を示す)「が」があると考えるとよいでしょう。
 「そを」の「そ」は「それ」に当たる文語(古語)です。「こ」(=これ)、「か」(=あれ)といった語も文語では使われます。

 上の現代語で「なつかしい。」としたように、「なつかし」のところで意味が切れて文の終わりになります。したがって「句切れ」は「二句切れ」です。
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この「停車場」とはどこの駅か知っていますか?


東京の上野駅です。東北の人たちには上野駅が東京の入口。
駅の改札を出て、大都会の雑踏へと消えていくのです。
郷里盛岡で神童とささやかれた啄木も、
かつて夢と希望に胸ふくらませてこの駅に降り立ったのでした。
それがいまや落ちぶれ果てての東京暮らし。
仕事をしていないから、あちこちに作った借金。
その返済のために盛岡で寺の住職をしていた父が、
檀家に無断で寺の木を売り払ったために、住職の地位を失い、
息子啄木にすがりつくように身を寄せている。
老いた両親と妻を抱えての追い詰められた暮らし。
啄木は結核を病み、家族へと感染して、
やがてみんな息絶えてしまうのですが、
小説家として世に出る夢もかなわず、
痩せさらばえたその背に家族を負っての悶々の日々の、
せめてもの憩いとなったのが、上野駅で郷里の言葉を耳にして、
恵まれていた在りし日に思いを寄せることでした。
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