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来年のNHKの大河ドラマでは龍馬が取り上げられます。彼の話に必ず出て来るのが脱藩と言う用語ですが、藩と呼称は江戸時代には一般的には使用されていなかったと聞いています。としたら、当時実際には何と言っていたのでしょうか?
藩と言う呼称が明治以降に使われるようになったと聞いてから、江戸時代には一般の人達は藩の事を何と呼んでいたのか非常に興味があります。

A 回答 (2件)

「国抜け(くにぬけ)」



という言い方もあったように記憶しております。

当時は日本国という概念はなく、それぞれの藩が国という感覚でした。「国表(くにおもて)」や「お国なまり」などの言葉もあります。藩内から外に出る場合は外国にでるわけですから、当時は届け出て許可が必要でした。これを無視して出るのを「国抜け」といい重罪です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。色々な言い方があったのですね。藩と言う決まった用語がなかった以上、色々な言い方があって当然ですね。江戸時代には大多数の人は自分の生まれた藩(?)から一歩も出た事はないでしょうし、方言もかなり違いますから藩のレベルが名実ともに現代人の思う国のレベルに近かったのではないかとも思えますね。

お礼日時:2009/12/24 14:51

まだ回答が無いので記載します。



脱藩ではなく、出奔(しゅっぽん)を用いていました。

また、江戸時代は藩はあまり使われていなかったようです。

土佐藩は実際は高知藩ですが、呼ぶ時は
山之家、山内家家中(山内家中)

つまりが、家中(かちゅう)と呼んでいたらしいですね。
時代劇でも家中引き回しとかありますよね。^^;

ちなみに、
江戸所払いとは聞こえが良いですが、食えないので
どうせ上方や長崎で同じ悪さをするに決まっています。

島流しも永久追放刑で同格です。
ですので、
「あしだばって知ってるかい?」
「何ですかそれ?」
男はニヤリと笑い、「八丈島で唯一生えてる雑草の事よ!!」
女はびっくりして尻餅をつく。

と言うのは、つくり話です。^○^

自分が死罪にしたくなので体良く上方の奉行に押し付けただけ。^^;

ちゃんと3年と区切りを付け、自分の知人に預ける書状を出して
必ず戻って来いよと言ってはじめて一件落着です。

上の質問には既に伊達家の回答があったのでしていません。

学問に対する姿勢は素晴らしいと存じます。
ぜひ頑張ってください。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。大変参考になりました。江戸時代には藩と言う用語はあまり一般的ではなかったと聞いてから、時代劇の台詞の中で藩と言う用語が頻繁に出て来るのが、おかしいのではないかと思い、すっきりしませんでした。このような用語はもっと正確に使わなければいけませんね。

お礼日時:2009/12/23 22:01

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