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藩札を発行しなかった藩、そして発行しなかった理由も教えてください。
よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

再度、失礼致しますm(_"_)m



追加情報

『貨政考要[第1冊]上編 正貨事歴 金銀貨幣及ヒ銅貨ノ部/大蔵省/1887』
(9~21頁)<12~19/107>「明治二年舊藩札流通額概數表」
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/994125/12
の一覧から下記のとおり新たに藩札施行藩7藩が判明しました。

(11頁)<13/107>「二十四/本庄(藩)/銭切手」
(12頁)<14/107>「四十九/大村(藩)/銭札」
(13頁)<14/107>「七十一/加知山(藩)/銭札」…加知山藩(安房勝山藩)
(15頁)<15/107>「百三/鶴牧(藩)/銭札」
(19頁)<17/107>「百六十二/足利(藩)/銭札」
(20頁)<18/107>「百七十六/清崎(藩)/銭札」…清崎藩(糸魚川藩)
(21頁)<18/107>「二百七/荻野山中(藩)/預り切手」

よって、前回時点の藩札不施行藩候補44藩から、
上記を除外すると藩札不施行藩候補37藩となり、
「廃藩置県の際に藩札発行実績のあった先は244藩」の記述が正しいとすれば、
単純計算では残りあと2藩(=244-146-(131-35))の藩札施行藩が
存在する勘定になります。

前回分訂正おわび
(42+2)=44藩で統一すべきところ、
信濃国全国通用銭札の関連文中「45藩」と誤記してしまいました、
謹んでお詫び申し上げますm(_"_)m

さて、概ね叩き台の準備は調いましたので、
不発行理由についての賢者の方々の登場、再登場を熱望する次第で御座います^^
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。
「明治二年舊藩札流通額概數表」(表の項目では明治四年)を見ました。
藩札を発行した藩は、これほど詳しく分かるのに、発行しなかった藩は、dayoneさんがお調べになったような方法で根気よく当たるしかないのですね。
発行しなかった理由については、さらに難しそうです。
「発行する必要がなかったから」と言ってしまえばそれまですが、では何故必要がなかったのか、と考えています。
上記の表で、宇都宮藩は、「釣リ銭ノ手形」を発行していることを知りました。
ある論文で次のような解説がありましたが宇都宮藩の例を見て納得しました。

「地方においては小額貨幣に対する需要が増大したことが指摘できる.19 世紀以降にみられた商品生産の拡大,農村における市場経済の一層の進展などを背景として地方領国においては小額貨幣の不足が一般化し,それが19 世紀における藩札発行の急増につながったと論じている.このほか,銭貨不足への対応措置として銭札の発行に踏み切る藩も,東日本を中心として増大した」

私のような素人(しかも技術屋の端くれ)が踏み込む領域ではなかったと気付きました。
せっかく詳しく調べてくださったのに、私の知識になるだけのようで、もったいない気持ちでいっぱいです。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/07/29 20:40

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藩札不施行藩候補

上山藩、3万石、出羽国(羽前国)村山郡・越後国三島郡・刈羽郡、上山城。
久留里藩、3万石、上総国望陀郡・市原郡・埴生郡・武蔵国高麗郡・榛沢郡・児玉郡ほか。
烏山藩、3万石、下野国那須郡・芳賀郡・下総国豊田郡・相馬郡、烏山城。
    享保年間以降は相模国高座郡・愛甲郡・鎌倉郡・大住郡の一部も支配、厚木陣屋。
岩村藩、3万石、美濃国岩村周辺、岩村城。

大村藩、2万7900石、肥前国彼杵地方、玖島城。
松岡藩(常陸松岡藩)、2万5千石、常陸国多賀郡など。
越後長岡藩、2万4千石、越後国古志郡・蒲原郡・三島郡・刈羽郡、安政元(1858)年には、
    約14万2,700石。戊辰戦争で奥羽越列藩同盟側で敗北、2万4千石に減封。
岩槻藩、2万3千石、武蔵国埼玉郡・高麗郡・多摩郡・葛飾郡・足立郡・比企郡・幡羅郡・
    上総国夷隅郡・安房国長狭郡など各国多数、岩槻城。
亀田藩、2万石、出羽国(羽後国)由利郡、亀田城。
石岡藩(常陸府中藩)、2万石、常陸国行方郡・新治郡・茨城郡、府中陣屋。

天童藩、1万8千石、出羽国村山郡、天童陣屋。
黒羽藩、1万8千石、下野国那須郡・芳賀郡、黒羽陣屋。
茂木藩(谷田部藩)、1万6200石、下野国芳賀郡・常陸国河内郡・新治郡・筑波郡、茂木陣屋。
佐貫藩、1万6千石、上総国天羽郡・市原郡・望陀郡、佐貫城。
佐野藩、1万6千石、下野国安蘇郡・上野国勢多郡・緑野郡・新田郡・近江国滋賀郡、
    最初は佐野城、再興後は佐野陣屋。途中2度天領。
鶴牧藩、1万5千石、上総国望陀郡・長柄郡・市原郡など。
一宮藩、1万3千石、上総国長柄郡・下総国相馬郡・上野国佐位郡・
    伊勢国員弁郡・三重郡・多気郡。
荻野山中藩、1万3千石、相模国愛甲郡・高座郡・足柄上郡・駿河国駿東郡・富士郡・
    伊豆国君沢郡・田方郡・賀茂郡。
山上藩、1万3千石、近江国(滋賀県東近江市山上町)、山上陣屋。
宮川藩(近江宮川藩)、1万3千石、近江国坂田郡宮川、宮川陣屋。
加知山藩(安房勝山藩)、1万2千石、安房国平郡・越前国敦賀郡、勝山陣屋。
六浦藩、1万2千石、武蔵国大住郡・淘綾郡・下野国都賀郡・安蘇郡・
    武蔵国久良岐郡・埼玉郡。
大田原藩、1万1千石、下野国那須郡・塩谷郡・芳賀郡・都賀郡、大田原城。
足利藩、1万1千石、下野国足利郡・都賀郡・梁田郡・武蔵国埼玉郡、足利陣屋。
峯岡藩(三根山藩)、1万1千石<1863(文久2)年6千石から高直し立藩>、
    越後国蒲原郡、三根山陣屋。
志筑藩、1万110石、常陸国新治郡志筑周辺、志筑陣屋。

西大平藩、1万石、三河国額田郡・加茂郡・宝飯郡・碧海郡・相模国高座郡・
    上総国市原郡、西大平陣屋。
館山藩、1万石、安房国安房郡・長狭郡・平郡・朝夷郡・上総国長柄郡・市原郡・
    下総国香取郡、江戸時代初期、里見氏を藩主として安房一国を統治していた時期と
    江戸時代後期に稲葉氏を藩主とする譜代小藩であった時期に分かれる。
多古藩(多胡藩)、1万石、下総国香取郡・陸奥国(磐城国)石川郡・楢葉郡・
    下野国都賀郡・河内郡。
高岡藩、1万石、下総国香取郡・相馬郡・印旛郡・上総国市原郡・埴生郡・山辺郡・武射郡。
小見川藩、1万石、下総国香取郡・海上郡・陸奥国(磐城国)白川郡、小見川陣屋。
生實藩、1万石、下総国千葉郡・匝瑳郡・海上郡・上総国長柄郡・武射郡・
    相模国鎌倉郡・大住郡、生実陣屋。
牛久藩、1万石、常陸国河内郡・新治郡・信太郡・下総国豊田郡・岡田郡・相馬郡、牛久陣屋。
宍戸藩、1万石、常陸国茨城郡、宍戸陣屋。
下妻藩、1万石、常陸国真壁郡・下野国都賀郡・武蔵国埼玉郡・大里郡 、下妻陣屋。
麻生藩、1万石、常陸国行方郡・茨城郡、麻生陣屋。
吉井藩、1万石、上野国多胡郡吉井、上野国群馬郡・上総国夷隅郡・長柄郡など、吉井陣屋。
吹上藩、1万石、下野国都賀郡・河内郡・芳賀郡・伊勢国三重郡・河曲郡・多気郡、吹上陣屋。
本庄藩、1万石、武蔵国児玉郡本庄、本庄城。
三日市藩、1万石、越後国蒲原郡、三日市陣屋。
黒川藩、1万石、越後国蒲原郡、黒川陣屋。
清崎藩(糸魚川藩)、1万石、越後国頸城郡・魚沼郡、糸魚川陣屋。

以上42藩のほか『大日本貨幣史』から漏れたと思われる2藩を加えて、

大網藩(長瀞藩)、1万石、出羽国(羽前国)村山郡・下総国豊田郡・千葉郡・埴生郡・
        上総国長柄郡・山辺郡・武射郡、長瀞陣屋。
喜連川藩、大名格(5千石)、下野国塩谷郡・都賀郡・芳賀郡・摂津国八部郡 、喜連川陣屋。

計44藩が藩札不施行藩候補となりました。

(なお、和紙関連から、44藩中の烏山藩藩札・荻野山中藩藩札などの情報もありますが、
現時点では私なりの裏付けがとれておりません)
また、「大泉藩(庄内藩)」は最後まで残留していましたが、
「庄内藩の知行制は蔵米知行制、家中や給人に対する知行米・扶持米は米札で支給、
米札制度は寛永元年郡代柴谷武右衛門によって創始され、米札は貨幣同様流通した。」
◇ユニフォーム姿>山形県といえば、庄内藩
http://www.isagiyoi.com/e291.html
との記述から藩札施行藩としました。

大村藩<肥後>、山上藩<近江>、宮川藩<近江>、岩村藩<美濃>、西大平藩<三河>
辺りまでの5藩を西国に数えるとしても、残り39藩の拠点は東国ですから、
藩札(大名札)不施行藩候補は明らかに東高西低の傾向にあるようで、
東国では領民が札遣いに馴染みがなく中止された例もあるそうですから、
頷ける結果ではあります。
また、藩領が各地に点在する小藩が多いのも一つの傾向でしょうか。
あと「藩領→幕領→藩領→幕領→藩領」のパターンもあるようです。

さて、ここまでの難^^作業は意外と順調に進み、次は最終段階の不施行理由となるワケですが…
正直素人の私には荷が重すぎます(><)ので賢者の方々の登場&再登場に期待しつつ…

例えば、明治2年10月「信濃全国通用銭札(伊那県・信濃国内14藩ほか)」の発行により
◇公益財団法人八十二文化財団「信州の紙幣の歴史」
http://www.82bunka.or.jp/money/shinshu.php
…14藩のうち以前に藩札発行実績のある10藩を除く…
それ以前には藩札発行実績がなかったと思われる
龍岡藩(信濃国佐久郡領分)、岩村田藩、小諸藩、須坂藩の4藩は
結果的に藩札施行藩に数えられるため45藩には含まれませんが、
いずれも地理的には幕領に囲まれた中の小藩か小藩混在地域であったことが
以前の藩札不施行の理由のうちの一つにはなりそうです。
ただ、同様の条件や飛地領でも藩札施行例はあるようですから、
理由の一つには成り得ても主たる要因ではないのかもしれませんが…

「藩札不施行藩候補44藩」が新たな展開に繋がることを期待しつつ一旦失礼致しますm(_"_)m
私自身再登場させていただけるか否かは、予断を許しませんが^^
なにしろ近親の初盆二つをひかえ、自らの墓掃除・盆準備など諸々の諸事情が…
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
前回の「明治維新」のご回答同様、詳しく調べて下さって真にありがとうございます。
藩札を発行しなかった理由の一つとして、
関東地方の藩は、幕府のお膝元であるので、幕府に遠慮したのだろう、という説がありました。
このことを確かめたくて調べようとしたのですが、手がかりを掴めませんでした。
教えていただいた「コインの散歩道 藩札の話」と『日本実業史博物館旧蔵古紙幣目録/旗本札について』の二つのサイトで、たしかに関東地方では、藩札を発行した藩は少ないということは、分かりました。
(ご教示のあったサイトを全て見るにはまだ数日かかりそうです)

「計44(37)藩が藩札不施行藩候補となりました」ということで、藩名を列記してくださいましたが、これらの藩はいずれも3万石以下の小藩ですね。
ネットで検索すればどこかの藩の財政状況の分かる論文にヒットするかも知れません。
根気よく調べてみようと思います。
藩札を発行しなかった理由が分かるかも知れませんので…。
ご親切なご教示に深く感謝します。ありがとうございました。

お礼日時:2011/07/27 21:49

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藩札不発行藩の規模、藩財政、近隣藩札・旗本札・私人札等との関係、領民意識など
歴史・政治・経済・地理状況などによって、それぞれ理由は異なるでしょうから…
その前提として藩札不発行藩の特定作業を通じてその傾向を探れればと思います。

「廃藩置県の際に藩札発行実績のあった先は244藩・14代官所・9旗本領、
全国諸藩の約8割にも達していた」などとする論文等の記述は
◇『紙幣整理始末/大蔵省/明治23.10』<15/217>(26頁)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/800530/15
「…紙幣發行ノ藩ハ二百四拾四。縣ハ(舊徳川氏直領)拾四。旗下領ハ九ニシテ…」が
典拠元の様子ですが、

上記のうち「旗下領」の旗本札だけを捉えても
◇『日本実業史博物館旧蔵古紙幣目録/旗本札について』では
http://www.nijl.ac.jp/info/mokuroku/57-1.pdf
「…本目録に収録した旗本札だけでも、
近畿の37を初め、中国18、中部4、九州1で合計60家を数えている…」として、
『紙幣整理始末』の数字は新政府に届出た分についての数字と思われ、
脱漏が多いとみられる旨が指摘されています。

また『紙幣整理始末』(27頁)では、
「…藩廰自ラ囘収ノ處分ヲナシ政府カ負債ノ義務ヲ免レタルモノ少ナカラス…」
との記述のとおり、明治政府の関与なく藩札を回収処分した藩もあるようですが、
何れかにかかわらず具体的な藩名一覧が記述されているわけでもありません。

そこで、第一段階としては、藩札と明治政府の新札を交換した藩と、
それ以外(藩札新札不交換または藩札不施行)の藩との区分作業から始めたいと思います。

◆近代デジタルライブラリー
http://kindai.ndl.go.jp/index.html

◇『大日本貨幣史/吉田賢輔等編/大蔵省/明治9-16年』23冊(全46巻)の中の
『大日本貨幣史[第17冊]33・34』~『大日本貨幣史[第22冊]附録10』の6冊には、
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/800612/7
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/800613/3
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/800614/3
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/800615/2
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/800616/2
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/800617/2
「藩札新札交換藩(146藩)」と「藩札新札不交換または藩札不施行藩(131藩)」が
記述されていますが「藩札新札不交換」か「藩札不施行」かの記述は曖昧です。

(廃藩置県以前に明治政府直轄領となった山形藩<明治3(1870)年近江国朝日山藩に転封>、
会津藩<会津若松城下での戦いに敗北降伏、会津藩領没収、
松平容保の嫡男・容大は家名存続が許され、陸奥国に斗南藩を立藩>や、
維新後、長州藩の占領下となり廃藩となった浜田藩などは算入されておりませんが、
山形・会津・浜田各藩は藩札施行藩に該当します。)

なお◇コインの散歩道>「新貨幣旧藩製造楮貨価格比較表」
http://homepage3.nifty.com/~sirakawa/Coin/J048.htm
では「藩札新札交換藩(151藩)」が記録されていて、
『大日本貨幣史』の146藩と5藩の差異がありますが、
該当する5藩(高槻藩・三田藩・堀江藩・小田原藩・浜田藩)には
何れも藩札発行実績があります。

また、藩札発行藩の地域&発行時期については、
◇コインの散歩道>藩札の話
http://homepage3.nifty.com/~sirakawa/Coin/J032.htm
下部にある全国地図を見るとイメージし易いかもしれません。

あと「藩札新札不交換または藩札不施行藩(131藩)」の中には、
支藩や廃藩置県直前に立藩された藩も含まれますので、
必要に応じ支藩や廃藩置県直前に立藩された藩等を除外した上で
藩札発行藩で「藩札新札不交換」の藩を特定除外して、
「藩札不施行藩」を選び出す運びとなります。

藩札(大名札)施行藩を抽出除外する手懸かりとしては、

◇『日本実業史博物館旧蔵古紙幣目録』
http://www.nijl.ac.jp/info/mokuroku/57-2.pdf
http://www.nijl.ac.jp/info/mokuroku/57-3.pdf
http://www.nijl.ac.jp/info/mokuroku/57-4.pdf
http://www.nijl.ac.jp/info/mokuroku/57-5.pdf
http://www.nijl.ac.jp/info/mokuroku/57-6.pdf
http://www.nijl.ac.jp/info/mokuroku/57-7.pdf

◇「古貨幣・古札 画像データベース/東京大学大学院経済学研究科所蔵」
http://www.lib.e.u-tokyo.ac.jp/shiryo/kahei.html

◇『作道洋太郎名誉教授旧蔵藩札類目録/倉林重幸/大阪大学経済学/2007』
http://ir.library.osaka-u.ac.jp/metadb/up/LIBOEP …

などを参考にした上で、別途ネット検索各種情報と併せて、
「藩札新札不交換または藩札不施行藩(131藩)」から必要に応じ
支藩や廃藩置県直前に立藩された藩等を除外、藩札(大名札)施行藩を除外した結果、
藩札不施行藩の可能性がある藩としては、後記42藩が残りました。

ただし「廃藩置県の際に藩札発行実績のあった先は244藩」の記述が正しいとすれば、
単純計算では残りあと9藩(=244-146-(131-42))の藩札施行藩が
存在する勘定になりますので、私の検索&除外漏れが理由で後記42藩の中にも、
藩札(大名札)施行藩が含まれている可能性はありますから、
取り敢えずの叩き台=藩札不施行藩候補と御理解下さい。
また、廃藩置県頃を基準にしているため、
明治維新以降廃藩置県の間に藩札初発行の場合でも藩札施行藩として除外していますし、
過去に廃藩となった藩は含まれない点にも御留意下さい。

以下(2/2)に続きます。
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藩札は多く発行された割には、資料は少なく詳しいことは


不明のようです。
約300の藩のうち、発行したのは約240の藩といわれ、
2割の藩が不発行ですが、その全容はわかりません。

10万石以上の中、大藩は極めて少ないようですが、その
ひとつに山城国の淀藩10万2千石があります。
発行しなかった理由の記録はありません。
財政状態は他の藩と同じで窮状でした。
1723年稲葉家に決まるまで、
松平(久松)、永井、石川、松平(戸田)、松平(大給)と
藩主の六家がくるくると交代したこと。
稲葉家に決まってからも、藩主の若死が続いたとか、
藩政が落ち着かなかった。
もうひとつ、藩領が飛び地の集まりで、八個所にも及んだ。
最大のものでも、全体の三割位。
1784年までは越後にも飛び地があり、まとまりが悪い。
木津川が中を流れ水運の中心地で、各国と取引あり、
藩札は問題が多い。

以上のようなからまりで、発行が出来なかったものと
考えられます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
西国の淀藩がそうですか。これは以外でした。
とても参考になります。
発行する理由はいろいろ書いてあるので分かるのですが、発行しない理由については一向に分かりませんでした。

お礼日時:2011/07/19 19:58

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