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アニミズムについて教えてください。
なぜ子どもは命がないものを、あたかも命があるように話すのでしょうか?

A 回答 (3件)

心理学的には、ピアジェの「自己中心性」 プレマックの「心の理論」 ウィニコットの「分離不安・移行対象」などから説明ができるのではないでしょうか。



「心の理論」について説明すると、

(1)サリーとアンがいます、サリーはかごをもっていて、アンは箱を持っています。
(2)サリーはビー玉をかごに入れた後、散歩にでかけました。
(3)サリーが外出している間、アンはビー玉を自分の箱に移しました。
(4)家に帰ってきたサリーがビー玉を捜すのはどこでしょう。

この問題に、正しく「籠の中」(サリーはアンがビー玉を移したのを知らないはず)と答えられるのは4歳からで、3歳までは「箱」と答えるそうです。つまり「自分は箱の中にあることを知っている→だからサリーも知っているはず」という考えなのですね。

これを解釈すると、幼児には「世の中のものすべてが自分と同じと思う」「他者の立場になって考えることができない」という傾向があることが分かります(ちなみに「自己中心性」も似た概念です)。これをアニミズムにあてはめるなら、「自分には命がある。だからこの世の中のものにはすべて命がある」と考えるということですね。

そんな馬鹿な、と思うかもしれませんが「自分はA型である」「自分は真面目である」「だから世の中のすべてのA型は真面目である」なんてことを「真面目に」信じている大人もいるのですから、「自己中心性」はあながち「ありえない」話でもないでしょう。

次に「分離不安」「移行対象」について説明をします。

乳児は「母親」と自分の境界が未分化であり、この、自分を安心させてくれる大いなる「もの」は自分と同一のものと思っている。しかし、じきに「母親」が自分とは別個の存在であることに気づき、不安を覚える。これが「分離不安」である。そして、この不安を埋めるものが「移行対象」であり、自分と「同一」の存在として「モノ」に愛着を示す。 -こんな感じでしょうか。

この時、移行対象はすべて「物」でなくてはいけません。(「友人」が「母親」の代わりになる、ということはありえない) 何故なら、つねに自分のそばにいる、自分を100パーセント支持する全能の絶対者を(乳)幼児は求めている訳ですが、そんな存在が生身の人間にいる訳がないからです。同様に、無味乾燥な「モノ」であってもいけません。そこで「モノ」に仮の人格を与えることになります。-これをアニミズムと説明することもできます。

生身の人間が怖くて、漫画やアニメのキャラクターのみに心を許す成人。なんてのも、形を変えた一種のアニミズムかもしれませんね。

ところで、「自己中心性」「心の理論」「分離不安」「移行対象」などといった心理学用語について、ここでは「アニミズム」を説明する為に、かなり独自の解釈を取り入れました。本来の意味について詳しく説明したら、とても文字数が足りませんので、よろしければ、ぜひご自身でお調べ下さい。
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発達心理学方面などの専門的知見をお持ちのかたに説明いただけるとよろしいのでしょうが、全くと言っていいほど持っていない者ですので、まずは自分自身の幼い頃を(私は、生後半年くらいからの確かな記憶を持っているらしいことが分かっています)思い起こしてみますに、ときに無機物も含めて生物でないものを、命あるように扱ったりするというのは思い当たることですね。



私なりに、別の角度から考察してみます。

乳幼児期には、手当たりしだい、あらゆる掴めるものを口に運んでは、それが何であるかを、たんねんに舌で確認し始めますが、もう少し成長して、片言ながら、おとなに話しかけることができるくらいの年齢になりますと、たとえば、
おおかたの女児が好むという、いわゆる「おままごと」という遊びを盛んに始めだしたりします。まさに、小さな生活世界の再現のようなものですが、女の子の場合は、その傾向が一般的には強いように見受けますが、特に、人形や縫いぐるみに対する愛着は、私も、かなり強いほうでした。
お人形用の化粧道具やハンカチ、ハンドバッグの類からミニチュア家具に至るまで、おとなたちに買い揃えてもらい、自分の子どものように世話を焼いて楽しんでいました。
ですから、近所の意地悪な幼なじみなどに やっかまれて、人形や縫いぐるみを叩かれたり、小道具を壊されたりすると、自分が叩かれた以上に悲しかったですよ(笑)

私などは小学生の年齢になっても、極端な話、アイスキャンデーの棒すら、かんたんに投げ捨てることに、ためらいを感じたことがありました。

また、近所の年下の子をあやすのに、こちらも まだ幼かった私の縫いぐるみを使い、「ほ~ら、熊たんが、○○ちゃんに、抱っこして~って言ってるよ」などと、いかにも、縫いぐるみが甘えるよう なしぐさを演じてみせましたら、くすぐったそうな表情で、ちょっと照れたあと、今度は思いきり、その縫いぐるみを抱きしめ頬ずりしておりましたのを、私の幼なじみである、その子の姉と共に、微笑ましく眺めたことがありました。


ヒトに近い形ですらない、全くの無機物ですとか、たとえばビー玉、これは、私の知るかぎり、男児女児限らず、多くの幼児が興味を示して喜ぶ物の一つであるように見受けますが、小さな手でつまんで、光に透かしながら見つめつつ、かつての私も そうであったと全く同じように、見たはずもない宇宙空間のイメージに喩えるコトバを嬉しそうに述べるのですね。

子どもの遊びには、「見做し」という要素が、ことのほか顕著に見受けられます。

幼い子どもというのは、言わば、(悪い意味の それではなく)投影心理を盛んに発揮しながら、自分を取り巻く世界を受容し理解していってるように思います。
そこには、門外漢ながら近頃、見聞する「ミラーリング」なる要素も多かれ少なかれ加わっているのではないかという感じがします。


アニミズムというのは、宗教の原初の姿とされているようですが、宗教というものは、ナラティブ的なものと結びつきやすい面が大いにあって、幼児というものは、生まれ落ちて このかた、日々に押し寄せてくる周辺世界の諸々を、命ある自らの存在を投射し、そのおりに、同一視的な視線も投げかけたりしながら、そこからの反映を確かめつつ、世界の一員として成長していってるのではないかと感じます。

周囲の人に、おとなであれば独りよがりと言われてしまうであろうような、当然のことであるかのような話しかたをすることも、このあたりと関連している面があるのではないかと思われます。

(そこの段階での躓きがあると、後々成人したあとで、何らかの問題が表面化することがあるのかもしれないです。)
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フェティシズムに関係しているのかもしれません。


幼児は、目線が低く、視野も狭い為、自分の手の内に入るものに余計に執着するのかもしれません。すいません浅いですけど。
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