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「努力不足」と「能力欠損」を区別する基準は?

誰にでも得手不得手はあります。
苦手なことでも大抵は努力の継続でカバーできます。
でも努力が虚しくも身を結ばないことも稀にあります。
(もちろんそういうことが無い人もいるかも知れない。)

自身の能力に著しい欠損を発見した場合には、
専門家に相談して対応策を検討することも時には必要です。
努力した時間が無駄になりかねない場合もあるからです。

しかし、客観視できない自身の能力について、
単なる「努力の不足」であるのか、それとも、
先天的な「能力の欠損」であるのかを、
的確に見極めることは決して容易ではありません。

あなたは、自身の能力につき著しい欠陥を疑った場合、
「努力でどうにも出来ない能力の欠損である」
と判断するに至るまでの間に、
どのような情報を参照し、どのような尺度を用いますか?
また、どの程度までの努力をしますか?

あなたの考えを教えてください。

http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5722607.html
上記前質問に記した当方自身の悩みについて、
専門家への打診の必要有無を判断するための参考とします。

A 回答 (5件)

努力したかしなかったかで判断します。


私の場合、努力に量はありませんので、努力不足と言う事はありません。
努力したのにできなければ、能力不足と言う判断です。
能力欠損と言う表現はしませんが、その能力を身に付ける事が可能であるにもかかわらず、
その能力を身に付けようとさえ思わない事が多いので、能力不足と言う事で済ましています。
できなかったのは努力しなかったからだ、と言うのは明らかにわかるので、
努力しなかったのならそうだし、努力してもできなければ能力不足としています。

私の回答を含め、他の回答をいただきその内容で判断するまでもなく、
専門家への打診を試みた方がいいと私は思います。
いつからお悩みになられているのかわかりませんが、
悩み始めた時から専門家にかかっていれば、とっくに解決されていたのではないかと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
数年に渡って必死で努力を続けたにも関わらず、
どうしてもうまくいかなかったことがあります。
おまけに無理をしたストレスから、神経がやられたことがありました。
うまく行かない時には、一旦忘れて頭を空っぽにして、
数ヶ月後に再チャレンジしたら、何とかうまく行ったケースもあります。
しかし長年努力を続けても、どうしても努力が実らないというか、
混乱を繰り返すばかりのものがあるんです。
周りは普通に出来ているのに、
自分だけ必死になっても実らないと辛いです。
そういう場合は視点を変えて努力することも大事だと言われました。
ただ視点(方法)を変えると言っても、どうしていいか、
わからないこともあります。
そういう場合は第三者の意見を取り入れると良いと思いますが、
周囲に相談できる人が誰もいません。
こういった場合は専門家に聞いてみるのもいいのでしょうかね?

お礼日時:2010/03/05 00:51

やり方が分からない、どうすれば良いのか分からない→「努力不足」



やり方が理解出来ている、努力を続けているが出来ない→「能力欠損」

私の場合は、やり方を知り努力をしましたが、体の方が悲鳴をあげてしまい、すぐに調べて貰ったところ「欠損」を発見。
努力は逆効果だったことも分かりました。

自分で判断するより専門家へ相談されてから、努力ないし欠損と付き合われたほうが良いと感じます。
私のように、自分で自分を追い詰めてしまわないためと、悩みが一つ消え、対策を考えることができるからです。

前質問を見ていないため、回答からずれていたらすみません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

ズレていませんよ。ありがとうございます。
無駄な努力は空回りしか生みませんからね。
必死でやっても周囲の平均と比べて極端にダメだったら、
思い切って視点を変えるのもいいのかもしれませんね。
人間には寿命があり、人生の時間は無限ではありませんので、
効率よく自身の欠点を補う必要がありますからね。

お礼日時:2010/03/05 04:35

世間的には、


「努力不足」は言い訳を許さない。
「能力欠損」は言い訳を許す。

私は小宇宙(コスモ)で判断します。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

難しいですね。直感で判断するしかないかもしれませんね。
どんなに努力しても極端に周囲から弾き出されるようであれば、
やはり方法や視点を変えることが必要だと思います。
人生は限られているので、実らない無駄な努力は避けるべきです。
ただ、自分で新しい方法をうまく編み出せいことが多いので、
専門家に客観的判断を仰いで決めた方がいい訳ですよね。
もちろん専門家の分析・見解とて一つの意見に過ぎません。
とはいえ、何らかの“助け舟”にはなるような気はします。

お礼日時:2010/03/05 03:45

証明できるかできないか?

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
そうですね。
同じ努力をするのでも、無駄を減らし、
効率の良い努力を勧める人もいるようです。
やはりうまくいかない場合は、視点や方法を変えることで、
同じ努力量でも効果が上がった例もあるようです。

お礼日時:2010/03/05 00:44

自分を高く評価しない。


自分が思っているほど他人は自分を見てもいないし、見られるわけもない。
自分が自分に向けて「他人からは~思われているようだ」は勘違いであることが圧倒的に多い。
「自分は変わっている」を悩むと同時に「自分は特別である」という自己陶酔に転嫁しない。
ただの「社会不適格者」である。
努力すれば自分は何かができる等という根拠のない幻想に希望を見出さない。
成人するまでにできなかった努力がその後できることは無く、幻想は現実逃避の場所としかなりえない。

私が自分を判断する時はこんな感じで勘違いしがちな私自身を諌めています。
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