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質問はタイトルのとおりなので、ご回答を宜しくお願いします

A 回答 (4件)

逆に、


努力を重ねても報われる可能性が低いのが昨今の不景気の
総合的実情でもあるわけで、
「努力を最大限にこなしつつもその努力が報われずに悶々とした
内面」ばかりの人が国内に充満していても、必ずしも良い
社会状況とはいえない。

更に
「努力を全くしてないのに、人様を羨ましがってばかりいる人」
といえども、実際問題、経済的&精神的 何らかの阻害要因に
起因して「努力」を向けられる対象が見つけられなかったり、
その「努力」の根源的「生命力」が枯渇していたら、「努力」
する対象が仮にあったとしても「努力」への行動に踏み切れる
実行力が表象される確率も少なくなるわけで、その「願望」と
「現実」とのギャップの内面的混沌性を少しでも軽減する意味で
「願望を実現した他の人」を「羨まし」がる気持ちも分かりますし、
「他人を羨む気持ち」を変に屈折させて「強度の嫉妬心」まで
高め犯罪に走る人よりも素直に「羨ましい」と素直に内面を
露呈できる人の方がよっぽど健康的でしょう。

「羨ましい」と素直に内面を露呈することは、ある意味、
「願望を実現した他の人」の努力を認めてあげる趣旨のみならず、
漠然とした目標しか有していなかった人には、素直な内面の露呈
、更には一つの努力の方向性への光明ともなりうるわけです。
最も、その努力を
(何らかの内的&外的 阻害要因に起因して)果たせない状況
なので、その「願望を実現した他の人」に架空の成功した自分
を投影して自己満足している部分もきっとあるのでしょう。

 ですから、世間的見てくれはかっこ悪いですが、
「努力を全くしてないのに、人様を羨ましがってばかりいる人」
がいても、いたって健康的な精神状態の人だと個人的には
思います。そのレベルでおさまっている限りにおいては。

 たちが悪いのは、「人様を羨ましがる気持ち」を
「強度の嫉妬心」にまで不本意に高め特定の犯罪&それに
準じる行為を実行してしまう人々です。
一例では「秋葉原無差別殺傷事件」の加害者も
その一人だったでしょう。

結論としては、
「努力を全くしてないのに、人様を羨ましがってばかりいる人」
に関しては、それはそれでその人の生き方なので、善悪を
問うまでの事はないとは思うのですが、「他人を羨む気持ち」
がいつ何時「強度の嫉妬心」(犯罪の素因)に変容するか、
その点に恐怖を感じます。特に、相応の努力を
しても努力が報われず目標の挫折が「強度の嫉妬心」の元凶
になりうる可能性もありうるので、「努力を全くしてない」
事が「強度の嫉妬心」(犯罪の素因)に直結しているとも必ずしも
言えず、(実現性の低い)「努力」を重ねてきた人ほど
変な執着心が身につき「強度の嫉妬心」(犯罪の素因)に変容する
可能性も高いので、一概に「努力を全くしてない」事が
社会的に悪に繋がるとは言えないような気も致します。
ましてや、「努力」の対象が違法的&反不道徳的な色彩を
帯びたものだったら、本末転倒でしょう。

ですから、「努力」という言葉を極端に妄信するのも
ある意味愚かです。ただ、適度な「努力」は社会生活には
不可欠とも言えますから、その範囲の「努力」を放棄
している人間は社会的非難に値するのでしょうね。
「努力」というと一見 美辞麗句のようですが、
過度に妄信するのも、常識の範囲を下回るのも、何れも
自己破壊に繋がるような印象も受けます。
社会と自己とを照合して、バランスのとれた適度な「善なる努力」
を維持するのがベストなのでしょうね。

あくまで、個人的意見です。
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努力をする習慣をつけられなかった。


努力をする能力に欠けていた。
努力をする環境がない。

可哀想な人。誰も相手にしてくれない。
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この回答へのお礼

皆様ご回答ありがとうございました

お礼日時:2008/06/20 07:51

こういう人にはなりたくないな。

と思います。
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ウザイので、今後の付き合い方を考えます。


(相手が病気である、精神的に病んでるとか・・・。そう言う場合は別ですが)

昔の友人で必ず「○○ちゃんはいいよなー」が口癖な努力しない子がいましたが、現在は所在も知りません。
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