海外旅行から帰ってきたら、まず何を食べる?

勉強やスポーツなどで、やればできる、とかできないのは努力が足りないからだ、など綺麗な言葉が好きな人がいます。

でも現実は全く逆で大抵のケース努力は報われません。

どれだけ努力してもできない人にはできない、という事を子供の時に分からせることは残酷ですか?

私は努力してもできない子供に努力が足りないからできないんだ、と教育する方が残酷だと思います。

A 回答 (9件)

http://theborderless.jp/2916/

https://the-ans.jp/column/93138/3/

僕はそうは思えないです。確かにあなたのおっしゃる部分は間違いなくあると思いますし、科学的にも言われてもいますよね。

でも上記のライフセービング日本一の和田さんは25歳を過ぎて3ヶ月のジャマイカでの生活で100メートルのタイムを1秒も減らしましたね。

もちろんこの人が9秒台になるのは不可能かもしれない、けど大人になってから始めて100メートルを10秒台で走るなんてめちゃくちゃ凄いことですよ。
仕事やめて行ってるわけだし、ジャマイカは治安が悪いし、それで行くのは凄い怖かったと思う。
周りは当たり前に9秒台で走るのに11秒台の彼がついて行くのはほんとにきつかったと思う。それでも3ヶ月最後まで耐えたのだからすごいよね。


貴景勝は公称でも175しかありません。でも190センチを超える力士がゴロゴロいる大相撲で優勝しましたよね。個人競技で相撲のように力比べになると大きいほうが圧倒的に有利です。小さい力士が無理に体重を増やすとバランスが悪くなるしスピードも出ません。
でも彼が今まで散々言われたであろう「お前は小さいから無理だ」で努力をやめてたら果たして優勝できたでしょうか?




努力してもできないことはあると思う。例えば東大で1番になるのは無理かもしれない。運もあるしめちゃくちゃ凄いやつがいるかもしれない。
でも東大の1学年が3000人を超える中で、それに入るのが上記の人たちと比べたらよほど「余裕」と思うんですよね。

だから殆どのことは「綺麗事」でいいと思うんですよね。綺麗事でも十分に上手く行くのだから。
オリンピックとか、そこを超えたところでの負けはあると思うのですけど、それでも何か残ると思うんですよね。
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ただ漠然と頑張るとか苦痛を味わったからと言ってうまく行くわけではない。


目標を達成するために適切な手段を択ばねばならないし、その手段が必ずしも苦痛を伴うとは限らない。

あと...。

人生なにが起こるかわからない。
それまで積み重ねてきたことをすべて捨て去り、まったく違う方向へと舵を切らねばならない局面もある。

この真理は教えてやった方がいいですね。
子供といってもそれなりの年齢になってからにすべきですが。


私は軽度ながら障害を持つ身であり、それが第一志望の職種では致命的な問題となっていました。
努力なんかで補えるものではなかったです。
その現実を受け入れるまでの遠回りで、貴重な新卒のカードを無為にしてしまいました。
この質問の冒頭にある言葉、色々な人から言われました。
障害の特性を理解してなかったのか、その特性がどんな影響を及ぼすか真剣に考えてなかったのか、私を傷つける業を背負いたくなかったのか…。
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どこに自分の限界があって、どこから先の努力は無駄かなんてことは、


限界までやってみた上で自分自身が判断することで、
早期に指導者から与えられるようなことではないでしょう。
「やればできる」は真実でない場合が多いけれど、
「やらなければできない」は誰にでも当てはまる普遍的な事実です。
昨今は、努力せずに華麗に諦めることが御洒落であるかのような
考え方が普及しつつありますが、人としていかがなものかと思います。
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2度目のROKABAURAです。



>少し意地悪な物言いになりますが何十倍何百倍の努力をして追いつくというのは相手がそこで止まっている時なんでやはり無理なんですよね。

どうなんだろうな。
人間は案外 「これで大丈夫」と思うと それ以上の努力を惜しむものだ。
足元をすくわれる事は 大人になってもよくあること。

悪魔じゃないけど「お前は変わりに何を差し出す?」という内容次第では 人は麻薬と同じで狂気を招き 手を喰らい足を喰らっても 行き着つこうとする。
そうなると 100倍の努力も まったく気にならなくなる が 人としてはどうかという状態になる。
それに せっかく得ても 果たしてソレに 意味があるのかどうか。
結構 そういった不幸な結末の者も この世界には多い。

ちなみに この言葉は 「好きで やれば 出来る」なら良いのじゃないかな。
そこに心の焦点を当てて 向かう事が出来れば 到達できる なら 十分納得できると思うのだが。
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そうした、えらぶって無神経な言葉を言っている人を思い出してください。


その人が得意としている分野以外では、全くどうにもならなかったり、本人が全く見向きもしなかったり
実際、サッカーのうまい小学生は増えていますが、その分ボールを投げられない小学生が増えているそうです

まず「やればできる」という言葉を考える前に、そのことが「やる必要があるか」しっかり見極めることが
周囲の大人の使命だと思います。やる必要があることなら、「根性論」ではないやり方を示してあげましょう
アホな指導者ほど、根性論や体罰に頼りがちです。指導理論の無い分、根性論に頼ります
次に子供がやりたがっているのか、やることを根本の部分で、楽しんでいるのか見極めましょう
泣きながらも卓球の練習をしている少女が、世界でもトップに上り詰めるまでになったのは、
卓球が好きだからであることが一番であって、その結果努力を惜しまなかったからです。
そうした子供に、「やればできる」という言葉は、励ましになります
そして、できないという現実の壁に子供が突き当たったときに、どのようにソフトランディングさせるか
指導者(先生・コーチ・監督・オーナー)であれば、考えておくべきだと思います
ストイックな努力を続けている子供は、時として狭い世界しか知らず、浮世離れしか発想をしがちです
女子サッカーの丸山選手などはそれをうまく利用して仕事にしています。
彼女のキャラを活かす良いマネージャーさんが、ついているからだと思います。

「どれだけ努力してもできない人にはできない、という事を子供の時に分からせる」側つまり指導者に
そうした視点が欠如していれば、「子供にとっては残酷です。」
「やるべきこと」をやめたり、「やりたいことを諦めさせられ」たり、「打ち込むこと」が見つからなかったり
「努力」する方向、内容、方法を示さないで「努力」だけを強調する指導者は危険だと思いますが、
その一方、「努力してもできないことがある」ということを、子供が誤って解釈して、
努力することを放棄してしまう指導も危険です。

つまり「1か0か」という議論ではないように思えるのです。指導者の姿勢が大事です。
「待ちぼうけ」や「わらしべ長者」の民話が、我々の心に引っかかるのはそのためだと思います
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございます。

立派な考えだと思います。
感性が悪い指導者に育てられた子供は不運では済まされないと思ってます。

お礼日時:2019/11/15 17:52

努力は 最低限必要なことだから それもなく おいしい思いだけしようとするのは間違い というのは 言って良いと思う。


エジソンも言うように「多くの人は ここまでやってダメならもうダメだ と言うが 本当はそこからなのだ」と 自分の作った壁が 一歩先を見れない原因になることもある。

しかし 得手不得手 才能という適正は 勉強にせよスポーツにせよ ある。
「出来る」人が1の努力で済むところを 「出来ない」人は2 悪くすると10 場合によれば100の努力を必要とする。
だから 実現するのに 普通の努力では到底届かず 時にはその10倍の努力をするため 他の叶えられた夢や可能性を 全てつぎ込むことにもなりかねない。

だから 「この分野は不得意」で済むものであれば 「別の適性に賭けるべき」ということは 子供の頃から教えても良いことだと思う。
決して「どうせやっても無駄」だからではなく 「どうせなら より効果のある所に使おう」という意味でだ。

そして 障害なので多くの分野で他人の半分程度の能力しか示せない子や 挫折してどうにも行く先を見いだせない子などの場合 努力を活かせる範囲は更に狭くなるので 要領よく立ち回れるポジションの上で「努力できるものに特化しよう」という 「活かしどころ」を見つける方向に 舵を取るべきだろう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

少し意地悪な物言いになりますが何十倍何百倍の努力をして追いつくというのは相手がそこで止まっている時なんでやはり無理なんですよね。

お礼日時:2019/11/15 16:16

それは真理として教えてもいいでしょう、何でも可能であるなんて教えるのはナンセンスです、人は失敗もするものだと教えるのは必要なことです。


残酷でもなんでもなく、事実ですから。

同時に、努力は必ず報われるものではないけど、努力なしで手に入る物はたかが知れているってことも教えるべきです。
良い鉄鉱石であっても磨かなければそれはただの石の塊、質の悪い鉄でも熱して売って磨けば肉を断つ剣になる、人の才能もまたそういうもんですから。

ちなみに、努力しても伸びない人は、やり方を間違っているとか、方法を知らないから伸びないって人が多い、そこを注視すべきだと僕は思います。
ぶっちゃけ努力なんかいらんのですよ、上手く出来るようになれば楽しくなって、自分で勝手に経験を重ねますからね
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この回答へのお礼

その通りですね。

成功している人は努力する能力が長けているのだと思います。

お礼日時:2019/11/15 07:30

おはようございます



でも現実的に「やらないから出来ない」という要素は大き
いですよ。これは綺麗な言葉ではなく、難易度の関係です。
やったけど出来ないと言われて、どれくらいやったか確認
すると(文句や方法論はいっぱしでも)残念な量しかやっ
ていないのはお約束です。

「まあ文句はいいからやってみな、やらないと出来ないか
ら」なのです。

残酷というのは「やらなくていい訳じゃない事に対して、
出来る可能性を提示できない事じゃないですかね?」。
「子供の能力が低いからやるだけ無駄だよ」なんて言葉の
ほうが残酷だと思いますよ。

>努力してもできない子供に努力が足りないからできないんだ

「やろうとしていることの難易度を棚上げしちゃいけない」と
思うのです。
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この回答へのお礼

貴方の考えに異論はありませんし私もその通りだと思います。

やはりこのような場所でしかも文面で真意を伝えるのは難しいですね。

私は幼稚園の年少組の時に既に大人のズルさやバカ加減がわかってしまい、らしさ、を演じるのが凄く辛かったです。

子供にわざわざ教えるのは絶対ダメですが子供だから今は分からないだろう、も又ダメで分かる子もいるんです。

お礼日時:2019/11/15 07:06

いつか気づく事なのでわざわざ言う必要はありませんし、その子供の才能などあなたに分かる筈もないです。


才能を見つける事が出来ない人間が何かを諦めさせる?
そんなもん教育でもなんでもないですよ。

残酷なのは馬鹿な大人に変な事を吹き込まれて才能を潰される事です。

あなたが言っている事は出来なかった自分への言い訳でしかないのです。
言い訳しか出来ない大人に子供の才能が分かるわけないんですよ。

最初から諦めさせるようなもんは「教育」なんて呼ばないんです。

大人なら分かる筈なんですけどね。
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この回答へのお礼

偉そうなご意見ありがとうございます。

あなたはなんでも知ってるんですね。

やはり全てを書かないとわからないか。

お礼日時:2019/11/15 06:40

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