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貨幣とはなんですか?

太古人類は貨幣を所持していなかった。それがいつのまにか貨幣の量が多いか少ないかで苦しむようになりました。

貨幣とはなんですか

A 回答 (9件)

物品交換の代換手段です。


あるものの価値を表す為に簡単に扱えるようにしてものであり、別に貨幣でなくとも、「土地の広さ」とか「所有している家畜の数」でも一緒です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2010/03/15 03:16

ふつう一般的には、お金の種類のひとつで、紙でできているものでしょ?

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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2010/03/15 03:16

取引・蓄え・投機。

この3パターンのために貨幣は存在します
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2010/03/15 03:15

商品交換が、現物交換のときは、貨幣はいりません。

等価交換が原則です。
商品とは、自給自足経済で余剰がでてきたときに、その余剰生産物を交換して、必要な物品(商品)を入手した。商品は、売るために作られるもの。使用価値と交換価値をもっています。(もっていなければ、商品になれない) 使用価値とは、その商品の有用性です。食品であれば、調理して、空腹を満たすことができます。道具であれば、農作業、日曜大工、そのほか、用途に応じた作業が、能率よくできるようになります。交換価値は、すべての商品に共通に含まれるもの、つまり人間の労働生産物、という価値です。労働時間の長さで測られます。
さて、商品交換が、数百年、数千年続くうちに、小さくて、価値の大きい商品で、みんなが欲しがるものが等価物のなかで、一般的等価物という、頂点に立ちます。塩や、お米などです。金、銀、銅なども、等価物のなかで、一般的等価物になったのでしょう。貨幣の誕生です。商品と商品の交換は、相手が自分のほしい商品をもっているときだけ成立します。ところが、貨幣をもっていると、どんな商品でも購入できます。
商品と貨幣の交換と、貨幣と商品の交換、これは、あきらかに違います。貨幣は、オールマイティです。全能なのです。商品から貨幣への交換は、命がけの飛躍です。
商品、貨幣の物神性、呪物的性質です。
貨幣が、自己増殖しないかぎり、どんなに大きなかたまりでも、消費生活をする人間が、食べて、着て、遊んで、なくなります。
自己増殖する貨幣のことを、資本といいます。資本主義経済の、富である、利潤、地代、利子の源泉は、労働者が生産する剰余価値です。
剰余価値の発見は、マルクスに負っています。
経済学のカテゴリで質問すると、もっと的確な回答が、もらえるかもしれません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2010/03/15 03:15

等価交換を実現するための手段で、貨幣が無ければ、物々交換するか、自給自足の生活に戻ります。

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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2010/03/15 03:14

 貨幣制度の長所を述べます。



 そのむかし 不覚にも病いを得て仕事が思うように出来なくなったり 自然の災害によって家もそれまで仕事で得た資産も失くしてしまい一から始めなくてはならなかったりしたとき たとえば資金を借りるのではなく そうではなく 家を建てることを手伝ってもらったりあるいは 仕事の道具を貸してもらったり 果ては食べるものから何から隣の人びとにめぐんでもらったりという状態になった場合を考えてみてください。
 その場合なかには意地のわるい人間がいます。やがてその《貸し》が積もり積もって雪だるま式に増えてしまったとき 中にはおれのしもべとなって働けと命じる者も出ます。債務奴隷になるという事態です。

 こういう情況に対してひとつの人間的で民主的な策として 貨幣があったらよいという側面も見られるのです。つまりひとつに 労働そのものではなく――ましてや 人身売買ではなく―― 持てる力としての労働力をいわば売り買いするという制度です。 つまり貨幣をつうじての売り買いの対象は 労働契約にもとづく労働のための拘束時間に限るというかたちにすることです。

 むろん社会的な力学がはたらきますから 上下関係ないし強弱関係がつきものですが まづは対等な両者の労働力の等価交換なのです。ひとに貸しをほどこして多くの人間の債権者になった有力者によって やつこ(奴隷)として屋敷内に飼われるという情況をまぬかれる度合いが大きいと思われます。いわゆる人権が守られると考えられます。

 つまり 貨幣価値が定量的に決められることによって 債権債務の関係がその価格という量の範囲におさめられるという長所があります。個人の資産をも担保にして事業をいとなむかたちの合資会社ではなく 株主にとって株式の額面(ないし払込金額)のみに責任を限ったかたちの株式会社になったというような事例ですね。
 つまり 貨幣があるおかげで 貨幣の金額まで債務を負えばよいという側面もあります。事実――その貨幣制度の所為かどうかはっきりしないところがありますが―― 奴隷制度はなくなっています。
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経済カテではなく哲学カテなので



貨幣とは宗教です。
メモ用紙にもならなければケツを拭くにも使えない紙切れ。
なのに人々は子供の頃から「お金は大事だよ」と洗脳され、この紙切れの為に人まで殺すのです。

カルト宗教となんら変わりません。
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この回答へのお礼

なら国家経済学はファシズムじゃないですか

お礼日時:2010/03/14 21:30

貨幣とは必要悪です。

それは、3千年前の原始共産制(=現代の家族も)から、助け合いとしての意識(自律的社会行動)を省略して、簡潔に社会行動をとらせるために矯正具として発達した物質(あるいは情報)。つまり金をもらうために働くようになった(=他律的社会性)のです。
そもそも、物々交換の時代から、本来「助け合いの証拠」としていた情報を「貨幣」という物体に転嫁したのが現代です(必要悪)。その物体を奪い合い欲しがるようになった、ていう。

これを解消するには個人により物価が変動する制度が有力でしょう。
あなたが1000円しかなければ、それで衣食住がまかなえるように、例えば1食1円で構わない制度。個人物価変動制度です。(もちろん国庫から自動で飲食店には支払われるので店には損はなし)
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この回答へのお礼

難しいのでわかりません。
ただ交換の話になると構造主義みたいで他の観点はないのかなと正直思います…

お礼日時:2010/03/14 02:28

そもそもは無償で他人を助けることを回避する為の手段である。

数人程度なら助け合いで集団生活を維持できるが、大規模になってしまうと、助け合いの行為自体に不公平性があらわれたため。これにより、既存国家の違いや言語違いや文化の違いをまたいだ社会環境、すなわち複雑で高度な社会構造の形成が可能となった。





















・・・・嘘です。

なんなんでしょうね^^
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この回答へのお礼

たとえば私が読んでいる商品のレビューを別の誰かも読んでるんですか?
最近やけに買い物をする人がいるから気になりました。

お礼日時:2010/03/13 22:36

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