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貧乏性でけちな性格が嫌でたまりません。どうしたら、いいでしょうか?このままでも良いのでしょうか?

私、年収1500万円、既婚・子供有、30代後半の自由業の男です。
収入が増えたのはまだごく最近のことで、それまでは年収800万くらいでした。

性格的に貧乏性で、貯金がすでに3000万円をこえていて、この数年は収入も多いのですが、なぜかお金を全然使う気が起きません。

たとえば、
(1)携帯電話はほとんど使わないので基本料金980円のみで、通話は職場の電話で済ましてしまいます。
(2)車は若いときに中古でベンツを買ってもっていますが、ほとんどDIYで治してしまうので維持費は年に10万円もかかりません。古いベンツですが、飽きが来ないのでもう20年近く同じ車に乗っています。
(3)家は借家です。10万円台の家賃です。家を建てようとか土地を買おうという気もあまりしません。同じクラスの家を買うとなると4000万はしますので、3%のローンだと、家賃と金利とたいして変わらないので、ライフスタイルの変化で転居するのが容易でなくなる不便さだけでなく購入諸費用や固定資産税が惜しいのです。
(4)子供達(3人)はまだ小さいので全然お金がかかりません。無駄なお稽古事をさせるよりは家で専業主婦に勉強を教えさせたほうが安上がりですし、親子の絆も深くなると思ってしまいます。
(5)趣味はいくつかありますが、アウトドア系は無く、月に1万円くらいの小遣いしか使いません。それでも十分満足してしまいます。
(6)飲みにいったりは職場の接待ばかりで、自分で払う事はありません。接待で1食2万円とかのコースを食べる分には全く気兼ねがありません。自分で払うと2000円でも惜しいのですが・・・。
(7)家族での外食はしますが、一人1500円以内のところで満足してしまいます。ドリンク類はけちですので注文できません。水で十分と思ってしまいます。
(8)何かを買うときでも、徹底的に価格を調べ上げて、ネットで最安値でしか買いません。買って、満足できないものはすぐにヤフオクで売却してしまいます。
(9)妻は元々裕福でない家の出なので、私と同様に消費欲はない方です。

等々、以上の様に、兎に角、すごく消費行動についてけちな性格が強く、病的ではないかと悩んでおります。自分よりも1/5以下の所得の人たちが、気前よく消費しているのを見たりすると、時にうらやましくなります。数千円~数百円を節約しても、たいして残る財産が変わるわけではないことを計算上は理解しても、生理的に節約志向になってしまいます。

私は、裕福な家庭で育ったため、特に消費について不自由を強くした記憶は子供のときにはありませんでした。しかし、大学生のときに、親にもらった仕送りをはじめて一人暮らしをしたためも会って散在し半月でほとんど使い果たし困窮した事がきっかけになり、消費行動を厳しく律する習慣がついてしまいました。もはや、収入も増え安定したにもかかわらず、その時からの性格が変わりません。

どうすればあまり細かくお金のことを考えない性格に変えられるでしょうか?

A 回答 (9件)

お礼をいただきまして、ありがとうございます。



お礼の文章を読んでいて、質問者さんは つくづく≪経営者向き≫
の方だな~と関心致しました。
特にNO1さんへのお礼には、同窓会費等について書いてあったこと
税金に書いてあった事等を読むと、『わかるなぁ』と 
思ってしまいました。
また、同窓会費については、払っていない人も多いですよ。
(私も、知人も、友人も…です  ^^;)

そう言った点で、質問者様のご両親の 教育方針が間違っていないと
思えるし、性格が歪んでいるとは思えませんよ。
他の方より無駄使いに対する嫌悪感が 強すぎる と言ったふうでしょうか…

実は、私の父も自由業です。離れて暮らしております。
父の車はやっと車検が通る軽自動車、アパートは雨漏りのするボロ家
(治すと家賃が上がるから治さなくて良いと言ったらしいです 苦笑)
外食はせず、自炊・弁当。といった徹底ぶりです。
なんとなく質問者様と似ているかなぁ…? (失礼ですみません)
と つい書き込みしてしまったわけです。

そんな父ですが、年に一回程度 家族そろってレジャーや食事に行く際は
高額な費用(20万以上)は惜しくないと言ってくれます。
普段はまず飲むことのない お酒を口にし、家族そろって美味しいものを
たくさん食べた後には ほろ酔いの顔で 必ず
『俺が稼いでいるウチは、こうして皆で 美味しいものを食べような!』
『楽しいよなー!』と 言ってくれます。
そんな父に 家族は『ありがとう、ご馳走様でした~!』と手を合わせます。
(変な習慣で お恥ずかしいですが)

皆が父の稼ぎで美味しい食事を囲んで 満足し、
また家族の一人一人が 父に感謝の言葉を口に出すとき、
父は 本当に嬉しそうです。

金銭面での無駄を教える面で 質問者様の姿勢は間違っていないと思います。
ただ、ここぞ!といった『使い時』を…と 思います。

こうして書いていて、本当に大切なもの・子供に教えたいものは
働いて、その稼ぎを・お金を、自分に使ってくれる人への 
感謝の心 なのかな? と 思ってしまいました。

大変 参考になる質問で 読ませていただいて色々考えることができました事。
ありがとうございます。

最後に…
>ジャラジャラとお祭りなどで無価値なアイテムを大量に購入して身に付けている親子ずれを見ると、生理的に駄目なんですよね。

↑お祭りなどで、バッタモノと分かっていて買うのは、大変な無駄だと
私も、たいがいの親も分かっているんですよ ^^;>
どうせ買っても、その時だけ…って 分かっているんです(苦笑)
…では、なぜ買うのか?
子供の喜ぶ顔が見たい。も一つの理由ですが…
実は、小さい子供と親が一緒になって、
あれやこれやと選びながら、遊びながら
楽しく買い物する機会ってほとんど無いのですよ ^^
なので、無駄なものとは思いながらも、そんな時間を楽しんでいるのです。
言えば、楽しい時間を“買って”いる事になりますでしょうか。
(お祭りで何も買わなかったら…ただの我慢大会?になってしまいますし、
悲しい思いをします、そのくらいなら行かないほうがマシと思っていまいます 自分の小さい頃のように…)

そのバッタモノが 後日子供に放り出されていたら 怒ることは怒りますが…
“しかたないかな…?”と 諦めがつきます。
だって、親子そろって 楽しい時間を過ごしたのですから。

長々と申し訳ありませんでした。
それと、色々気付くことが出来ました。ありがとうございます。
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この回答へのお礼

こちらこそ、色々と参考になるお話を頂き有難うございます。

ところで、sasarahimeのお父上のお話を伺って、私の場合もストイックな生活をしているかといえばそれは違うのです。
なんといいますか、ある程度の生活はしています。
車は二台、3ナンバー車ですし、家も借家とはいえそこそこの大きさでシャッター式ガレージ付です。
大型テレビもあるし、家電もひととうりあるし、ということで消費欲は強い方です。
なので、矛盾するようなんですが、ひととうり今までまあ必要なものは全てこの数十年でそろえてしまい、もはや買うものがとくに無いという状況です。物持ちは異常にいいほうで、電子レンジなどは15年以上使っています。治せるものはとことん治して使う、壊れるまでは買い換えない性分ですから、自然と普通に必要なものは飽和状態になってしまいます。

生活上は清貧というものとはまるで違うのです。

それなのに、280円のソフトドリンクはもったいない、月謝5千円のくもん(子供が行く低レベルな学習教室です、なぜか近所で流行です)は無駄、服はユニクロで十分、電車に乗るときも特急は無駄、昼食は380円のお弁当、ガソリンはハイオクとレギュラーをオクタン価比を計算して混合して節約(何の事かわからないかもしれませんが)、新聞は夕刊は取らない、NHK受信料は契約しない、高速道路は通勤割引を必ず利用するように時間を工夫してしまう、等々数え切れないほどの数百円~数千円台の節約(いや?ケチ?)を日々、どうしてもやってしまう自分が異常なのではと悩んでしまいます。

書いていて思ったのは、私、耐久消費財に関しては、(価格は最安値で買いますが)消費にそんなに抵抗が無いのですね。サービスとか飲食などには、過剰に節約志向なんですね。そういえば、最近USJに行った時に、2時についたのに、3時まで待てば入場料が安くなるという事で1時間近くの飲食街で時間をつぶしましたね。ホントせこいですね。もちろん、USJのお土産などは一切買わずです。今度行くときは、何か子供達の好きなものを一つくらいは買ってやろうと思います。楽しい時間を過ごすために、お金を使う事の抵抗感をなくしていこうと努力してみます。

お礼日時:2010/03/27 22:07

No1です。

なるほど、あなたの消費行動の陰に、非製造業が不適当な水準の利益を上げてる、それを阻止したいという思いがあるのですね。製造業、生産者も作ったものを自分で売れればそれにこしたことはないですね。できないから、流通サービスを利用しているだけでしょう、今度はそれがamazonや楽天に変わるといった感じですかね。選択は自由ですからね。可能性は広がります。サービス業も投資をしてるんですから、利益取らないとできないですよ。まぁ、結局消費者が決めることなので、ニーズがなくなれば淘汰もされますし。ただ、製造業や生産者が報われないのは、中国とか海外の安い品物のせいだと思いますよ。借金で破たんするのは、国も個人も収入に見合ったお金の使い方をしていないからであって、高い買い物をしても収入に見合っていれば問題ないですね。今は消費経済ですしね。。。個人の消費と行政の無駄使いがシンクロって。。。国内総生産ですか、日本は海外にお金を貸して利潤を得ている債権国ですからねぇ。。。貸付分の利潤より国債(借金)利率が下回ればなんとかいけるんじゃないですかね。うまくやっているほうだと思いますけど。それでも経済成長は横ばいですし、生産人口も下がってくるし、今後借金を増やすのは得策ではないですね。それと、百貨店の話ですが、あなたが無駄だと思っているのは百貨店の店員ではなくて、その業界だったり、業態だと言いたいんですよね。会社のきまりで正装してるんですから、店員を攻めたってお門違いでは?と思います。まずは、いろんな物事を多角的に見るようになれば、あなたの消費行動も変わってくるかもしれませんよ、いろいろと気になる問題もあるとは思いますが、それがすべてではないですし、よく見てみると悪い所だけではないと思いますよ。当然あなたの指摘する悪いところは改善してゆくべきなのでしょうけど、本当の意味で立ち行かなくなれば、変えるしかないですから、大丈夫ですよ。長くなりましたが、ケチを直したいという悩みを解決するためには、偏見をいったん取り払い、よいところや違った視点で物事を見るようにしてみてはいかがでしょうか。消費に対して別の考え方も出てくるかもしれませんよ。
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この回答へのお礼

とても詳しく指摘していただきありがとうございました。
長々と書いた私のつたない文章を読んでいただけて書いた甲斐がありました。
zxc55さんのように広い視点に立って、狭小化しやすい自分の視野を広げるように努力したいと思いました。

実は私自身の仕事自体が、無駄・過剰な行動(消費行動とはちょっと違いますが)のおかげで7割以上は成り立っている側面も多々あり、カスタマーの心理について首を傾げる毎日です。そういうこともあって、色々と偏見が募ってきたのかもしれません。

先日、家電店へいってみると、メーカーの応援社員でしょうか、仕事にはそぐわないような(動きにくい)ピチピチのスリムスーツに爪先から5センチくらいも長そうな馬鹿みたいに長く歩きにくそうな革靴を履き、髪型を今風の長髪で芸能人よろしくセットした20代の店員補助員がいました。近くにその愚者しかいなかったので、テレビの価格を尋ねたところ、価格を聞いてきますと正規社員のいるレジへむかったのですが、歩きにくいその靴の足音がこつこつと店内に響き渡り、本人もそれを気にしているようで、自然ゆっくり(客をなめてるのかと思うほど)しか歩くことができない始末でした。こういう連中が至る所にいますね。たいした収入もないのに、TPOを考えないで買ったファッションで身を固め、大いに消費しているのでしょう。最近の若者はどうも、消費社会に腐食されすぎて、若者らしい魅力のない者が多く感じ苛立ちます。zxc55さんのように鷹揚に考えることができれば、血圧も上がらずにすむのですが(笑)

自分の健康のためにも、消費に対して別の考え方も理解するきっかけにしたいともいます。有難うございました。

お礼日時:2010/04/01 08:51

てっきり、同窓会に参加して会費を払っていないと思ってました。

要するに払うべきものを払わなければ誰かが払っているということを伝えたかったので、あなたの安いものを選んで買うという例は、私の思うところと少し違いますね。需要と供給のバランスがとれるところで価格が落ち着くので、安いもの、サービスを選んで買うという選択もありでしょう、時間がないからこれでいいやと買う人もいるでしょう、いろんな人がいるからバランスが取れてるんじゃないですかね。見方を変えるとみんなが安いものだけ買うみたいなことをやっちゃうと、雇用や労働環境が悪化するんじゃないですかね。百貨店はピンチでネットショッピングは好調ですね。みんな安いものを選んで買っているからだと思いますよ。程度の違いはあってもあなただけじゃないのでは?と思います。結局のところ、人が集まったときに、いろんな価値観があってその平均値をとると、あなたにとって無駄がありすぎるところを無駄を省くことが目的ではなく一人でも多くの人が満足を得られることが目的などちょっと支出目的の見方を変えるなどして、あなたが如何に妥協できるかではないですかね。それと、お祝い、プレゼントなどは主役の価値観で話が進められれば、あとの個人的な消費活動については無問題のように思います。経済的に困窮している人を心配するのであれば、私はむしろ高いものをたくさん買ってあげる人が増えた方が雇用も生まれ、経済的に苦しい人も減ると思いますよ。まぁ本気で心配はしていないと思いますが、結論的には、みんな似たり寄ったりなのであまり、気にされなくてもいいのでは?と思います。税金。。額と行政サービスのつり合いがとれてないと感じますね。公園で座ってるだけのおっさんにいくら給料が支払われてるのだろうとか思いますよ。深く考えても結論が出ないので、時間がもったいないですね。
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この回答へのお礼

度々お付き合いいただき有難うございます。
話がだいぶそれますが、暇なのでちょっと書いてみます。

百貨店や専門店で買うよりもネットショッピングの方がはるかに価格競争力があるのは確かです。家電などは、大手家電店はだいぶ儲けを入れているなと、ネット価格と比べると驚きます。
同じ製品であれば、安い方で買いたいと思うのは当然ですが、あまりにも行き過ぎると、現物を扱う実店舗が消滅してしまうかもしれません。そうなると、現物チェックと修理依頼の窓口としか利用しない家電量販店が無くなると少し困りますが。まあ、無くなっても、宅急便が発達した世の中+ヤフオクが発達した世の中なので、修理もメーカー直取引・現物確認は購入して気に入らなければヤフオクで新品同様メーカー保障付で売却してしまえば解決するような問題です。

つまるところ、ほとんどの物は、アマゾンで売ってるようなものは、店舗型小売業者は不要になるでしょうね。膨大な産業・人が淘汰されるかも。私はそれでも良いと思ってる人です。物を作る人よりも、売るヒトの方がたくさんいて、その利益を得ている構造はどうも気に食いません。物を作ってる人たちが、低いマージンでネット販売できるようになれば、販売価格は下がっても、得られる利益が増えればその方が健全な社会ではないでしょうか。金融業や小売業、農協など、モノを生み出さずに右から左に流す連中の方が良い生活をしてきた時代がようやくネット社会のおかげで変わるかもしれないと感じています。

私が心配している経済的に困窮している人というのは、がんばって食べ物や製品を製造しているにもかかわらず、流通マージンを搾取されているために適正な利益を手にしていない人達です。国外国内問わず。百貨店で身分不相応なスーツに身を包む店員達が路頭に迷うのは、笑いが止まりませんね。連中こそは、けちなわたしに言わせれば、無駄そのものですので。

税金については、やはりみんな怒ってます。しかし、役人としては、税金税金と偉そうに納税者が言うが、今の日本は納税者の税金でやりくりできる規模ではなく、国家の借金で賄われているので、お前ら納税者風情がえらそうな事を言うなと思っているのではないでしょうか。国を動かしている原資は、この国を管理し、莫大な借金を作る能力を構築してきた官僚や政治力によるもので、血税などではないという事です。もし、そうしてこなければ、今の豊かな日本は絶対無いと確信していることでしょう。国民が、いまの身分不相応な豊かな暮らしができるのは、わずかな血税をうまく応用して借金できるようにプロデュースしてきた国(官僚)のおかげという事です。これが多分事実です。さきの世代がどうなるかは知れませんが、この60年いい生活ができたのは事実ですから。

そう考えると、”公園で座ってるだけのおっさん”の給料は我々の血税で払ってるわけではなく、我々の血税を金融工学で利用して得た借金で払っているのだともみる事ができます。役人はそういう風に思ってるらしいので、いくらでも無駄使いすることに躊躇はありません。無駄使いすればするほど経済は周り、国民総生産も増えるでしょ、そしたらまた借金を増やせるでしょ、それでどんずまるまでまわしていけば、しばらくは良い生活ができんるんだから。
そしてこの考え方は結局の所、”むしろ高いものをたくさん買ってあげる人が増えた方が雇用も生まれ、経済的に苦しい人も減る”という考え方とほぼシンクロするのです。

血税なんて、回している金の規模からすれば、はした金でしょうから。行政のサービスなんてたいした問題ではないわけですよ、役人にとっては。大規模な箱物行政で何百何千億と金を使わないといけないので、その事で忙しいのです。また、補助金や金融工学を応用しにくい行政サービスなどに原資を回したくないのでしょう。

わたしは、こういう風に考えて、もう税金に関してはもう完全に諦めてます。”公園で座ってるだけのおっさん”や”天下りのおっさん”の給料は、私の納めた金ではない、国が勝手に作った借金で払ってるのだと。そうでも思わなきゃ、気が狂ってしまいますよ。

お礼日時:2010/03/30 22:41

No1です。

あなたの悩みは物事の見方と価値観のお話なのではないかと思いました。同窓会費についていえば、あなたが支払わないことで誰かが代わりに払っているのですよね。気づいていない?となると、物事をあなたの価値観で一面的に見てしまっているからではないでしょうか。同窓会を企画し、場所決め、連絡をするにしても、ボランティアでやってるのだと思いますが、経済的に困窮している人への嫌がらせで同窓会を企画していることはないと思いますよ。結果的に支払いができない人、あえてしない人も含めて、別のだれかが支払っているわけですから、問題もないんじゃないですかね。いづれにしても、誰かに会費を払ってもらっているのですから、その人を探していつもありがとうと言うべきでしょうね。この延長線上で、こういう形で間接的にでも人の世話になりたくないと思えば、お金もケチることもないのではないでしょうか。お子様等への支出については、誕生日のお祝いや、努力して結果を出した時のご褒美など、多少の贅沢というのもありかも知れませんね。こういうケースでは、あなたの価値観は置いておいて、主役の価値観で物事を決めた方が喜ばれますよ。
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この回答へのお礼

"誰かに会費を払ってもらっているのですから、その人を探していつもありがとうと言うべきでしょうね。この延長線上で、こういう形で間接的にでも人の世話になりたくないと思えば、お金もケチることもないのではないでしょうか。"

個人的にはこの思考回路は、もちろん理解できますが、同時に最も嫌悪感を感じるものです。

同窓会費の件でもりあがってもしょうがないので、それは置いとくとしまして。
例えが飛躍するかもしれませんが、目玉商品というやつがあるとしますね。まあ、それだけ買っていかれるとほとんど赤字というような商品です。マックでいうところの100円ハンバーガーみたいな。企業は、ついで買いによる効果で集客目的で設定するわけです。ポテトまたはドリンクぐらいは買って行って欲しいという事です。まあみていると、大概ドリンクくらいは購入されてますね。

私の場合は、100円バーガーだけ買って、ドリンクはスーパーで別買するようなケチな人間です。この場合でも、zxc55の理論では、私はついで買いをしてくれる財布の少しゆるい大勢のお客さんに迷惑を掛けているということでしょうね。間接的にその人たちに迷惑を掛けているということ。だって、私のようなついで買いしない客を想定して、原価率を計算し、ドリンクの値段を下げられないため大勢のお客さんに余計な出費を強いられているという事ですから。

私の思考回路では、こういうことです。赤字でモノを売る行為自体がダンピング行為で、小資本でダンピングする体力のない経営者にとっては大迷惑行為なんです。集客作戦に騙されずに、ケチといわれようが目玉商品だけ買ってしまえばよいのです。みんながそうすれば、ダンピング行為は成立しなくなるはずですから。わたしに言わせれば、過剰な同窓会費も利益率の高すぎるドリンク類もそれを許容してしまう大勢の人間により成立しているもので、その人々に感謝の気持ちなどサラサラありませんね。逆に、みんなで払わない・買わなければ、適正な価格になるのではと思うのです。(あ、ちなみに同窓会には行った事ありませんので。一方的に利益を得ているとは思わないで下さいね。)

この典型はまさに税金です。こればかりは払わなければ捕まり経済活動ができなくなるので払うしかありませんが。

ケチの話から、ずいぶん飛躍してしまいましたが、最後の”主役の価値観で物事を決めた方が喜ばれますよ。”とのアドバイスは肝に銘じたいと思います。有難うございました。

お礼日時:2010/03/30 05:25

再度失礼致します。


(途中で投稿ボタンを押してしまい、中途半端な文章になってしまいましたこと、お詫びいたします)

質問者様の 金銭面での徹底ぶりは、お仕事を切り盛りしていく上で
大変大切なものです。
その徹底ぶりあったればこそ、今日の質問者様の年収があるのでしょう。
経営者として、素晴らしいです。

私もそんなに問題はないのでは? と思った一人ですが。
知人がこう言っていました ↓
貧乏性=ケチ と 節約家・倹約家の 違いとは
≪他人(自分以外の人間)に嫌悪感を抱かせるのが=ケチ・嫌悪感を抱かせないのが、倹約家≫と。
自分以外とは、ご家族も入ります。
つまりは、自分以外の者に、自分の倹約感・節約感を押し付けるな といったところです。
NO2の方もおっしゃっているように、家族や周囲の方がギスギス
するようでは、ただの≪ケチ≫ だと思います。

>子供達(3人)はまだ小さいので全然お金がかかりません。無駄なお稽古事をさせるよりは家で専業主婦に勉強を教えさせたほうが安上がりですし、親子の絆も深くなると思ってしまいます。

お子さんがいくつが分かりませんが、お稽古事をすべて無駄と思って
いらっしゃるのは、質問者様が【金銭面】からしか捉えていらっしゃらないからでは?
お稽古事は確かに無駄に終わる可能性も大きいです。
例えばピアノ 習ったからと言ってピアニストに成れるわけではありませんし
サッカーや日本武道、バレエなども同じで、習ったからといって武道家にもなれないし
バレリーナにも成れません。
お習字も 現代では滅多に役に立たないものとなりましたし
そろばんも現代は使いませんし ね。

でも、≪家庭内≫では 教える事の出来ない 他人との関りかたや
習い事を通しての≪向上心≫ ライバルを見つけることによっての≪競争心≫
など、お金では買えないものを 多く見つける・身につける事が出来ると思うんです。

こういった事に質問者様が考えが及ばないで居るなら
こられをすべて金銭面からしか見ていないとするなら…
失礼ながら、質問者様のお心が ≪ケチ≫ なのではないでしょうか…?

お金を使う事柄には、多くも少なくも ≪心・気持ち≫が ついてまわります。
#お世話になっている方から、ご馳走になった=いつもお世話になってる
上にご馳走になって…と心から思う故に 『ご馳走様でした』と頭を下げますし
冠婚葬祭も 同じです。

学生時代に仕送りを使ってしまい、困窮した経験から節約するようになった という経験は 大変素晴らしいと思います。

ただ、お金という≪差し引きで目に見える分かり易い現実面≫
のみで 物事を捉えているとしたら…
それは 人間関係を築く上で大変危険かと思います。

ご自分で苦労して稼いだお金を、ご自分の愛おしいご家族が喜ぶために使うって
一家の柱として、夫として、父親として 大変誇らしいことなのではないでしょうか?
(勿論、結婚記念日・誕生日・クリスマス 等のイベント事に 等節度は必要と思いますが。)

>どうすればあまり細かくお金のことを考えない性格に変えられるでしょうか

『…無駄な・もったいない』と思う気持ち・性格は簡単には変えられな
いと思います。
考え方を変えたらいかがでしょう?

『無駄』そう口に出すのを、一瞬だけ我慢して、その向こうにある将来や 
人の心 家族の心・喜ぶ顔 楽しい雰囲気…等を思い浮かべれば
それらを 作ることができるのは、他でもない 質問者様の稼ぎ!
だと、自負することから 初めてみてはいかがでしょうか。 

一度、ご家族でおしゃれをして、ちょっとイイ所へお食事にでもおでかけになって、
『今日は 好きなの頼んでいいよ・ジュースでも、デザートも』
って やってみたらいかがでしょう?
最初は恐る恐るのご家族も、次第に笑顔になると思います。
その時のご家族の笑顔を見たら、少しは考え方が変わるかも知れません。


(
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この回答へのお礼

丁寧なご回答をいただき、ありがとうございます。
まずは、手始めに外食のときに子供たちに好きなものを取らせてみようと思います。

ドリンクやデザートを一切頼まない習慣は、実は僕が子供のころ親がそうだったのです。
裕福な家庭にもかかわらず、全くその辺は厳しかったです。
祭りの出店でも、全く何一つ買ってもらえませんでした。
子供のころは、けちな親父がいやでたまりませんでしたが、親になりおんなじことをやっている自分が悲しいです。
子供ながらに、家が貧乏ではないことはわかっていると思うので、お金がないわけではない事はわかっているはずですので、けちと思われているでしょうね。

しかし、ジャラジャラとお祭りなどで無価値なアイテムを大量に購入して身に付けている親子ずれを見ると、生理的に駄目なんですよね。

無駄使いさせないための教育なのか、自分の性格的な歪みによるものなのか、自分でも良くわかりません。

お礼日時:2010/03/27 13:21

nnnnn,


正直自慢に見えます。うらやましいです。
自由業されてるということですので、これから先、何があるかわかりません。せっせと貯めて悪いことはありません。
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この回答へのお礼

たしかに、人生先に何があるか分かりません。しかし、無意味に現金を溜め込んでいくのも何か、満たされない面もありますね。正直収入がいくら増えても生活が変わらないわけで、満足感が乏しい日々です。

それはそれとして、貯蓄はこれからもしていくと思いますが、それにほとんど影響が無いような数百円~数万円の消費行動についても過剰に抑制してしまう自分を何とかしたいという気持ちで質問いたしました。

何か良い矯正方法があれば教えてください。

お礼日時:2010/03/27 15:02

失礼致します。



私もそんなに問題はないのでは? と思った一人です。

知人がこう言っていました ↓
貧乏性=ケチ と 節約家・倹約家の 違いとは
≪他人(自分以外の人間)に嫌悪感を抱かせるのが=ケチ・嫌悪感を抱かせないのが、倹約家≫と

子供達(3人)はまだ小さいので全然お金がかかりません。無駄なお稽古事をさせるよりは家で専業主婦に勉強を教えさせたほうが安上がりですし、親子の絆も深くなると思ってしまいます
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節約することで、


たとえば、ご家族がギスギスしてしまい、
奥様がイライラしたり、子供さんが笑顔がない、などが無ければ
問題はないと思います。


家族がいつも笑顔でいて、
楽しく暮らしているのなら、細かい性格であってもいいと思います。

何でもかんでも我慢したり、精神にストレスをかけるほどの
節約状態であるなら、子供さんに影響が出ると思いますので
見直されたほうがいいって思います。

環境を考えるような節約というのは、
子供さんのためにはとても勉強になっていいと思いますが
何でもかんでも無駄だ無駄だ、という節約の仕方であるなら
気持ちに余裕の無い、心の狭い人間に育ってしまうかもしれません。

無駄だ、と言う言葉を発したとき、
人の表情はどうなっているでしょう。

決して笑顔で言う言葉ではないですよね。
ですから、あまりそういう系統の言葉を発しない方が
穏やかな表情をいつも浮かべている素敵な人になると思います。
無駄も必要ですョ。

>ドリンク類はけちですので注文できません。水で十分と思ってしまいます。

お気持ちわかりますよ。
でも、子供さんなら、
たまにはジュースを飲みたいって思うんじゃないでしょうか。

うちは普段はジュースなどは絶対に買いませんが
家族で外食したときは、特別です。
子供達の嬉しそうな笑顔が見たいですから
「ジュース何が飲みたい?」って聞きます。
そうしたら、どんなに顔を輝かせることか・・・・

家族の笑顔が見られるなら
お金を多少使うことくらい、なんでもありません。

子供と過ごす時間なんていうのは、
一生のうちの、ほんの少しの時間しかないんですものね。


いろいろ、申し上げてしまいましたが
気持ちを切り替えられたいと思われていらっしゃるなら
少しでも参考にして頂ければ嬉しく思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

自分の子供をみていて思うことがあります。まだ小学生低学年以下の幼児ですが、ベイブレードというおもちゃが流行っています。流行は1年以上前からでしたが、買い与えず我慢させていました。ようやく、祖母が誕生日に買い与えたのですが、最小は嬉々として喜んだにもかかわらず、1ヶ月ほど経つと次から次にもっと強いコマが出たので買いたいと言う様になりました。クリスマスやなんやかんやと次々と新しいコマを買い揃えるようになり、既に8個ほどに増殖しています。

しかし、それでももっと新しいのが欲しい欲しいというのです。たしかに、子供の友人を見ていると、膨大な量のコマを持っている子が何人もいるようです。ひとそろえ全部買い占めたような状態で、何十個ものコマや部品を一人一人の子供が所有しています。

近所の家庭は裕福な家庭が多いせいか、DSやらなんやらおもちゃについてはほとんど無尽蔵に与えている家庭がほとんどです。それで、満足しているかというと、子供はけして満足しません。次々と欲しくなるだけです。

それで、私などは、なんと無駄な事。+なんと教育的に悪い事。と合掌してしまいます。
ジュース一つでも、たまに頼めば顔を輝かせてくれると思いますが、外食の度となると、当たり前という顔にならないか心配です。

家族の笑顔も、ハジメダケデ無ければよいのですが・・・と思う私はやはり、そうなってしまうと無駄だからと考えてしまうわけです。

どうも、私の性格はひねくれていますね。
でも、膨大な玩具を買い与えられたガキドモの可愛げの無さときたら、非常に腹立たしいのです。

お礼日時:2010/03/27 15:20

サラリーマンですが、収入は同じぐらいで子供が4人います。

私も携帯電話は着信専用みたいな感じになっており、20年前に買った家電を今でも使っていたり、必要のないものは購入する必要ってないですよね。外食も行く場合はほとんどがファミレスですし、子供たちの勉強などは私が教えていたり、嫁が教えていたり、その他ピアノなどのたしなみも嫁が教えていたり、習字は私が教えていたりするのでお金はかかっていませんが、自分をけちだとは思ったことがありません。だって、お金を使わなくても間に合っているんですから、無理に使う必要はないですよね。物を買ったりサービスを利用したりするのは、生活をより便利にするためですし、レジャーの場合は楽しむ場合もありますが、お金を使わなくて家族そろって楽しめるのであれば、それがあなたの生活スタイルですよ。私の場合ですが、そのうち自分で勉強を教えるにも教えられなくなれば、塾(サービス)を利用するかもしれませんが、もしそういうときが来れば、あなたもそこをけちることはしませんよね?消費は経済のために必要かもしれませんが、節約はecoにつながるので、どっちに貢献するかです。この話の内容だと気にしなくていいレベルだと思います。基本的に私の中では、ケチというのは、日ごろお世話になっている人たちがいたとして、その人たちのために出費する何かがあったときに出し惜しみする人だと思っています。
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この回答へのお礼

有難うございます。

最後のセンテンスが引っかかりました。

”基本的に私の中では、ケチというのは、日ごろお世話になっている人たちがいたとして、その人たちのために出費する何かがあったときに出し惜しみする人だと思っています。”

もしかしたら、と思い当たる事があります。
中・高・大学とそれぞれ同窓会があります。しかし、同窓会費というのがあまりにも無駄なように思え、一度も払った事がありません。まあ、それでも、懲りずに案内状や振込用紙が来るわけです。同窓会自体がくだらないといっているわけではなく、何でもかんでも会費を徴収して無駄に豪華な印刷物や高級ホテル会場貸切のイベントを催す必要があるのかと思ってしまうわけです。もっと、質素に節約してやれば、会費も半額以下でできるはずだし、そうでないと経済的に苦しい同窓生は困っているのではと思います。自分は払えるのですが、会費を徴収する際には、経済的に困窮している会員のことも考えて、過剰に無駄な経費にしないような精神が必要だと思うのです。

まあ、税金はきちんと払いますが、税金に関しても同じような憤りを感じますね。

他人からすれば、同窓会費をびた一文払わない私は、あきらかにケチでしょうね。

なんだかんだと理屈をつけても、はらってないわけですから。でも、自分は払えるにもかかわらず、生理的に経済的に困窮している人に配慮しないやり方というものには俄然噛み付いて抵抗してしまう性分なのです。

お礼日時:2010/03/27 15:32

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