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 あたらしいこうこうせいかつのふあん
このはるこうりつふつうかのこうとうがっこうににゅうがくしたなやみおおきものです。
 まず、わたしはちゅう2のはじめごろから、まんせいてきなせいしんしっかんとつきあいながらせいかつしているということです。いまげんざいもうつがとてもひどく、なにもやるきがおきません。
 ちゅう3のときはじゅけんもうけられなくなるのではとおもうほどしょうじょうがひどかった(れんじつのちこく・けっせき・ほけんしつ・かみん・きょしょく・じゅぎょうをうけられないほどのひどいだるさ)のですが、おやからなぐられたりかんどうされたりして、しにものぐるいでじゅくにかよい(ほんとうにしぬかとおもうほどはっきょうしそうでした。)、じゅけんしたけっか、へんさち52ぐらいのがっこうにうかりました。(ほんとうはもっとうえをねらっていました。)
 けんりつこうこうにごうかくできたことはとてもうれしかったのですが、なんだかくうきょかんをいだかずにはいられません。わたしにはしんゆうもいなければ「し」とするようなたのもしいかたもちかくにおりません。しかも、きのあわないははとたった2りぐらしでかていかんきょうもわるく、まいにちこうろんがたえたくて、いえにいるのがとてもつらいです。こどくいじょうに、こりつじょうたいです。まいにちがこころぼそくて、やりきれないです。
 それと、わたしはそだったかんきょうあるいはいでんてきよういんかはわかりませんが、しゃかいせいやこみゅにけーしょんのうりょくにとぼしく、ちゅうがくせいのときもしょっちゅうういていて、あまりひととかかわりをもつことがなかったです。ぶかつやいえでのとらうまもたくさんあって、あたらしいこうこうにてひとにはなしかけようとするのですが、ひとからけいべつされるのではないかとか、きらわれるのではないかというおもいがじゃまをします。きょうはこくごのてすとで1ばんをとって、おせっかいにもきょうかたんにんがぼくのなまえをこうげんしたので、これからもそれをたもたなければならないというぷれっしゃーとか、まわりのぼくをかいかぶったまなざしにおしつぶされそうになり、とてもくるしいいちにちでした。はるやすみのかだいもいっしょうけんめいといて、せんせいからほめられたのですが、ぎむきょういく9ねんかんでいちどもちょうききゅうぎょうのかだいをていしゅつしたことがなかったので、とてもつらかったです。おまけにせんばつくらすなので、せんせいやおやからきたいをかけられていることもあり、ほんとうににがおもいです。いってもしょうがないくりごととはわかっているのですが、このままこうこうせいかつをやっていけるかどうか、ふあんでふあんでしかたがないのです。うちにはけいざいりょくがないので、ふりーすくーるとかもかよえません。からだがおもたくてしにそうです。しゅみやきょうみのあること、たのしいこともありません。いまはひとのぬくもりや、やさしさしかもとめることしかできません。でも、それをもとめるゆうきさえこかつじょうたいです。わたしをはげましてくださったひとはたくさんいらっしゃいました。しかし、まだまだたちなおれないじぶんをみると、とてもじこけんおにおちいります。ほんとうに、たりることをしらなくてなさけないです。

A 回答 (2件)

私も苦しくて死にたいと思い悩んだ次期があります。


だから貴方の気持ちが少し判る気がしますよ。
もって生まれた資質ってやつなんでしょうね。
自尊心を捨てれば楽になれるのになれない。
相矛盾する欲望の葛藤をもつ人間は苦しい人生を強いられる宿命にある。
でもね、普通であることに自尊心を求めても報われないですよ。
自尊心を捨て去り謙虚無欲になることのほうが、実は人間にとって難しく、立派で気高いことだと思いますよ。
俗に言う「悟りの境地」です。
私もまるっきり未熟で子供ですから、偉そうなことはまったく言えないですが。
そんなふうに考えることはできませんか。
人は変わっていくものです。
私はいつしか欲望のバランスが変わり、葛藤が消えました。
今、満ち足りた人生を送っています。
貴方にもそんな日が来ることを願っています。

この回答への補足

度々すいません。私はステータスというものはどうでもいいのです。只、自分で自分がどれだけできているかを自己アセスメントして納得し、自信(自尊心)を獲得する。尤も欲深いことには変わりないのでしょうが。
 本題に戻ります。以前、通信制やサポート校の類へ行きたいと親に言ったことがありますが、「駄目だ。絶対許さんそんなの。あそこは不登校とかバカが行くところだから。しかも金がかかってしょうがない。」と、まともに取り合ってくれませんでした。その他にも、受験の為に通った塾が性に合わないから通信教材に変えたいといっても「お前は塾でやらなかったらだめな性格だから、許しません。」塾では三者面談の時に、「もっと厳しくしていればよかった。そうすればもっと上の高校へ行けたのに。ほんとに申し訳無いです。」先生からそう言われて、塾に行かない日があると、先生から電話がかかってきたり、親から責められたり。小さいころだって、欲しいもの・行きたい所たくさんあったけれど、「やだよそんなもの・とこくだらない。むだ。」ずっと買い物に付き合わされていた覚えがあります。父が健在の頃はまだマシだったのですが、今は二人きりなのでとても辛いです。しかも厄介なことに、親の友達も干渉してくることが目に見えていますから、身動きがとれません。下手に我を張るとまたややこしいことになりかねません。色んなものを束縛、否定されてか、いつしか周りの人と趣味を共有できなかったり、それ故友達がつくれなかったりで、悪いことは連鎖します。だから余計、「普通」を求めてしまうのです。実際はそんなものある筈無い幻に違いないのに。普通という名の理想なのかもしれません。
 自立して家を出られるもんなら出たいです。でも、発達障害と健常者の中間という訳の分からない人間が、1人で暮らすことは難しいのです。ちなみに、親は全く自分が精神疾患だったり、発達障害の疑いがあるということに関心がないどころか、病気のせいにするなと怒ります。
 普通に頑張ろうとすればする程、周りから普通にやっていけるから問題ないと軽視されてしまいます。
 私は死にたくない。けど、生きたくもない。只単に存在しているだけで、何もやる気が起きない。そんな私はどう人生を生きたらいいのか分かりません。私が生かされる場所、待っている人が、どこにあるのか皆目分かりません。誰か知っている人がいたら、今すぐ教えてください。自分1人だけで、自分探しをするの、もう、疲れました。

補足日時:2010/04/11 14:12
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この回答へのお礼

またのごかいとうありがとうございます。
>自尊心を捨てれば楽になれるのになれない。
あげあしをとるようでもうしわけないですが、じそんしんをすてるのではなくて、しゅうちゃくをすてることだとおもいます。それと、「じそんしん」と「ぷらいど」とは、にていみをことにするものです。
じそんしんはにんげんとしていきるうえで、ひつようふかけつです。しかし、いらないぷらいどをせおっていきることはいましめねばなりません。
>自尊心を捨て去り謙虚無欲になることのほうが、実は人間にとって難しく、立派で気高いことだと思いま>すよ。
>俗に言う「悟りの境地」です。
 ごもっともです。じつはわたし、しゅうきょうほんをついさいきんよみました。ひとのくるしみのたいはんは、よくぼうやしゅうちゃくによるものだと・・・・。しかし、「ぼんのうそくぼだい」ということばがあらわすように、さとりのきょうちへとうたつするにはふしぜんに(あたまほんいで・りせいでもって)ぼんのうをよくあつしてはいけないそうです。このことをがんじんのことばで「しゃじょう」といいます。
 ちなみにいまのわたしが、その「しゃじょう」とあるがままのどんよくなじぶんとをいききしているじょうたいといえます。さとりのきょうちにはほどとういです。
>でもね、普通であることに自尊心を求めても報われないですよ。
ふつうとはそんざいするようでまったくのくうそうですからね。あくまでそうたいてきなものでしかないことをわかっているのですが、なかなかうけいれるゆうきがありません。
>そんなふうに考えることはできませんか。
 それをただしいこととみとめることはできますが、こころがそのいきにまでたっするにはまだまだじかんがかかるとおもいます。そくらてすがといたもののなかに、わかっただけでこうどうにうつさないことは、ほんとうにわかったことにならないということばがありますが、いまのわたしにとってはなかなかみみのいたいひとことです。

お礼日時:2010/04/10 23:16

貴方は無理をして普通の学校に通うことはないと思います。


日本では、多少の精神疾患のある人も普通の学校に無理やり通わせることが多いのですが、それは明らかに無理をさせすぎで、とんでもない虐待です。
最悪、母親の親権は剥奪されるべきだと思いますよ。

貴方は母親に無断で、精神科の医師か、役場の福祉課などに相談してみてください。
お金などもってなくても、まったく気にする必要はありません。
親切な人たちが、なんらかの良い手を考えてくれるでしょう。

とにかく貴方は死ぬほど頑張る必要などありません。
自分を責める必要もまったくありません。
周りが無茶を言い過ぎてるんです。

貴方は無茶を言う人から離れて暮らす必要があります。
そのために、専門の医師などに遠慮なく助けを求めてください。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。(今は図書館からうっているので全部ひらがなになりません。)
>日本では、多少の精神疾患のある人も普通の学校に無理やり通わせることが多いのですが、それは明らか>に無理をさせすぎで、とんでもない虐待です。
はい。わたしもそう切実に思います。しかし、何も普通の学校へ通うことを決めたのは母の一存によってのみではないというか寧ろ、私の意志でもあります。その意味で、私は自分で自分の首を絞めているんだとおもいます。言わば自虐というやつでしょうか??従いまして、虐待をしている人に何か言えた口ではありません。なんというか、今まで搾取されつづけていた自尊心を、普通という枠のなかで適応することによって一刻も早く取り戻さねば手遅れになるという強迫観念というか、衝動というか、焦燥感が激しく僕を駆り立てるんです。僕は自分の中の理性的活残虐な自分の完全支配下に置かれてしまったのです。
 恨むべきは、母親などではなくて、この私自身に他なりません。
 眼前に展開する道はたった3つ、イデオロギーに忠誠を誓って生きるか、己を欺く世の中に反旗を翻し、戦に挑むか、たくさんの無償の愛を裏切って死ぬか・・・・。何れにしても、わたしにとっては死ぬことに相当する程に(或いは死を超えた)苦しい道程が待っているように思われます。だからこそ途方に暮れるのです。私は人生の脱落者です。あなたの好意が有難いと思うだけで、報いることができません。お礼らしからぬ文章になってしまい、申し訳無いです。

お礼日時:2010/04/10 18:01

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