No.1
- 回答日時:
私見ですが…
圧倒的優勢といわれたバルチック艦隊との決戦に向けての出撃ということで、前半部分には決然とした強い意思が見えつつも、後半部分の「波高シ」あたりで悲壮感を漂わせる…こういった叙情性が、本来情感を廃すべき軍用電文の中に見え隠れしているからではないでしょうか?
かく言う私もさすがに「名文中の名文」とまでは思いませんが。
ありがとうございます。返事が遅れてすみません。
軍用電文の中に叙情性が含まれているからですか。
確かに、戦前派の心に深く根付きそうな文ですね。
ちなみに、「名文中の名文」と謳った高木彬光氏は、
大正九年の生まれ、10年ほど前に亡くなられています。
No.2
- 回答日時:
これは状況説明、天気が良い、風などがあって波が立っている、この状況は日本軍にとって有利な状況である。
勝利を確信し、予感させるものであると。それをこの短い文章で伝えたられたことが名文と言われているのではないですか、ありがとうございます。
波が高いと、海戦に有利なんでしょうか?
自衛隊や海上保安隊に入る気もないし、よく分かりません。
やはり、短く簡潔によく分かりやすく、が電文の真骨頂なんでしょうか。
私は電報なんて、入学や卒業の時の祝電しか見たことが無い上、
それも最近はレタックスで済ませてしまうので、
電報はアンティークだとしか認識できません。
No.3ベストアンサー
- 回答日時:
この電文はロシアの大艦隊を迎え撃つ前に打電されたものです。
大国ロシアを相手に小国日本が寄せ集めの軍艦で海戦を挑む直前の決意を示したものです。名文として後に有名になったのは
1.先ず海戦に勝ったこと。(負けたら名文も残らない)しかも世界が驚く一方的といってもいいくらいの勝利をおさめた。
2.これから出撃します。と短く報告すると同時に海の実戦経験者だけに分かる短い言葉で、これから起こる戦闘がどのようなものになるかをうまく伝えているからです。
つまり、兼ねて準備していた連合艦隊は予定どおり、故障艦も脱落艦もなく、直ちに出撃し敵を撃滅することを前文で伝えています。後半の天気の文章も海軍の現場の人にはいろいろな情報を伝えています。即ち、本日は天気に恵まれ海上の見通しは非常に良い。砲撃戦に理想の天気である。しかし、海上には高波が見られるので、魚雷艇などを使った細かな作戦を実行するには難がある。本日の戦いは砲撃で決着がつくだろう。
ようやく近代国家の仲間入りをしたばかりの日本の存亡を賭けた戦いを前にして、七、五調の短い電文でこれだけの情報を送れるのは名文でなければ出来ません。しかし、これが決意表明ではなく作戦の変更や指示を仰ぐ電文であれば、決して名文とはいえないでしょう。読む人によって理解が異なるような文章は戦時に使用すべきではないでしょう。やはり戦争に勝ったということと決意表明の電文だったからこそ後世まで語り継がれたのでしょう。
ありがとうございます。
やっぱり、分かる人は分かるんですねえ、こういう文の真意とか。
魚雷戦ってナニ?とかは思いますが……
(私にとっては、水中爆弾なんかで交戦出来るのか?と思ってしまう。
元寇なんかも、「てつはう」やら火薬兵器はありましたけど、結局主戦力は弓矢だったでしょう。)
秋山参謀は文才のある人だったんですね。
軍人なんかにならなくても良かったのに、と思うのは私だけでしょうか。
その後、秋山氏はどうなったのでしょうか?
少し気になります。
No.4
- 回答日時:
名文の定義には「有名な文章。
」というのもあるみたいです。この文章はバルチック艦隊を打ち破ったという華々しい出来事に附随する、いや、むしろ日本海海戦やバルチック艦隊という言葉以上に、この海戦と勝利とを象徴する文章として有名なので、名文と呼ばれるのではないでしょうか。
それに、「撃滅セントス」までが暗号で連合艦隊司令長官からの発令で、後ろの「本日・・・」が平文で秋山が加筆したものみたいです。
ま、こういう時に運良く加筆しちゃったりするところが名文の名文たる由縁でして。
No.5
- 回答日時:
俳句に「取り合わせ」という技法があるそうです。
単純な平叙文なら1+1=2ですが
「取り合わせ」は、文章としてはAとBを併置するだけなのですが
AとBをぶつけることにより「火花(効果)」を出し、それを感じさせる技法です。この場合、ABは関連性が遠く、言葉として短いほうがぶつけたときの効果が高く、かつABの背後に感じさせられる「はっ」とするような関連性が、強ければ強いほど深い感興を生みます。
くだくだしい説明では言葉数の多さで希釈されてしまう感興を、端的な表現の取り合わせ、ぶつけあわせることで言外に読者に強く印象づけるのです。
たとえば「緑」と「風」を取り合わせることで、具体的に書いていなくても読者には「涼しさ、爽やかさ、初夏」などを連想させる、といったものです。
非常、劇的な状況背後に感じさせつつもひたすら事務的な指令文
指令とはそっぽを向いたような感情の入らない天候の叙述
それらが淡々とした平坦な形で並べられたとき
そういった表現の中にムリヤリ抑え込もうとしている内なる感情の激越と状況のひっ迫がむしろ強調されて伝わってくるように思います。
非常な平坦な叙述と、感じさせられる激越。その落差の大きさが人に名文と感じさせるのではないでしょうか。
参考URL:http://www5d.biglobe.ne.jp/~mae_sei/HAIKU/haiku2 …
ありがとうございます。
「取り合わせ」ですかあ。面白そうな技法ですね。
夏期休暇課題に「短歌を何十首か作って来い」と言われているので、
チャレンジしてみたいと思います。
マイナスかけるマイナスはプラス、という数式が何となく飲み込める気がします。
まさか、大昔の数学者が、日本のワビサビを考えていたはずはないと思いますが。
No.6
- 回答日時:
司馬遼太郎先生の「坂の上の雲」によると、
大本営の気象部から送られてきた気象予報「天気晴朗なるも浪高かるべし」を付け加えたようですね。
ただ、これを撃滅せんとす。だけでは確かに文として色気はないです。
後の一言で、この文が生き生きしてます。
この文を受け取った方は、晴れた波の高い海を切り裂いて進む三笠の姿が浮かんだんじゃないでしょうか?
天気晴朗は見通しがいいから、敵を逃すことはない<5月の日本海は靄が多い。しかも、ウラジオ艦隊に霧を利用されて、何度も苦杯舐めている。
浪高しは艦の動揺が激しいから、砲撃戦の練度の高い日本が有利だと言いたかったようです。
秋山真之は正岡子規と友人で、文学に憧憬が深かったことも関連してると思われます。
ありがとうございます。
そうか。確か、戦艦が何隻か沈んだんですよね。
解釈も、うなずくことばかりです。
そういえば、「ウラジオストク」は某クイズ番組で
「ウラジ・オストーク」と発音するのが正しいと言っていました。
ドイツ語で東のことを「オスト」と言いますが、ロシア語の「オストーク」も東という意味があるそうです。
日本では「ウラジオ」と略すのが一般的ですから、単なる雑学ですが。
正岡子規の影響もある、とは初めて聞きました。
「柿食えば」なんてのどかな歌を作った彼が、
ばりばりの軍人と友人だった、というのは、ある意味おもしろかったですが……
No.7
- 回答日時:
ありがとうございます。
興味深いサイトでした。
秋山参謀は、やっぱり軍人になって良かったんだ。
そう思いました。
秋山氏のひととなりだけで、軍人を引退してからとか
対バルチック艦隊戦以後の経歴が書いてないのは少し残念です。
調べてみようかな。
No.8
- 回答日時:
No.3 補足します。
当時既に敵艦めがけて打ち出す方式の攻撃用魚雷が実用化されていたようです。魚雷は大型艦船から打ち出すのではなく小回りの利く水雷艇が敵艦に接近して攻撃しました。しかし波が高いと艇の揺れが激しくなるので魚雷の射出ができなかったのでしょう。水雷艇は各種の機雷も施設していました。
参考URL:http://www.geocities.co.jp/MotorCity-Circuit/297 …
ありがとうございます。
この頃は、三国干渉とかがあったから、
イギリス製の戦艦が平然と使われていたのですね。
「英国アームストロング社製」という文字列を見て、すごく驚きました。
それにしても、20ノットって遅すぎませんか?
高木氏の小説から、1ノット=時速1.6キロというのは知っていたのですが。
撃沈されない方がおかしい、と思うのですが、当時の技術ではそれが精一杯だったんでしょうね。
No.9
- 回答日時:
もうひとつおまけ情報。
日本海海戦にはアルゼンチン海軍がイタリアに注文して完成したばかりだった戦艦2隻が参加しています。アルゼンチンは隣国チリとの紛争に備えて発注していたのですが、ローマ法王の仲介で国境紛争が片付き不要となり、日本の求めに応じて売却しています。2隻とは7,700トンの装甲巡洋艦「春日」と「日進」です。春日に搭載されていた大砲(アームストロング社製)の一基が兵庫県天橋立(公園)に野外展示されていますよ。アームストロング社製の大砲は明治維新でも官軍が使って成果をあげています。
ありがとうございます。
アルゼンチン海軍から買った?
……今の価値で、どのくらいの値段だったんでしょう……
イタリア、イギリスとヨーロッパの軍事最先端工業の粋を凝らした軍艦だったんでしょうね、きっと。
天橋立には幼い頃行ったっきりですね。
落ちたらどうするんだと怯えながらあの独特のポーズをしてあの砂洲を見たのを覚えている程度で、
大砲があったかどうかすら覚えていません……(笑)
No.10
- 回答日時:
No.8において参考URLとして紹介されたページですが、そちらに
ちなみに「本日」以下は、海が荒れて連繋機雷が使えないため、砲戦主体で戦う意思を示す先任参謀・秋山真之の補筆とされる
と、書かれてあります。この連係(連繋)機雷は機雷2個をつなげたもので、その間の鎖に艦首が突っ込むと両方の機雷が近づいてきて爆発する仕組みになっておりました。ただし、波の荒い状況では相互にぶつかり合って爆発してしまうので、使用できないと言う意味です(同ページには補助的に使用予定ともあります)。
ただし、これには異説があり、波が高いと低い位置に置かれているロシア側の副砲が使用不能となるので有利だというのもあります。日本側の艦艇は、全てイギリス式の設計であり(国産艦艇は非常に少なく、戦艦、装甲巡洋艦に関しては全て輸入品でした)、外洋での使用を想定して高所に副砲が配置されていました。しかし、国産艦も含めてロシア艦は基本的にフランス式で、船型を小さくして発見されにくいようにすると言う考えから比較的低い位置に設置されていました。また、海面から甲板までの高さが同様の理由から小さく、その点でも不利でした。ロシア側の砲撃練度に関しては決定的な情報はなかったと思います。
No.9で話題になった日進、春日は、砲はアームストロング(安)式ですが、船体はイタリア、ジェノヴァのアンサルド社製です。副砲の配置は低く、日本海海戦でも激浪に洗われて非常に照準が困難であったと言われます。天橋立の中央にある天橋立神社に奉納されている春日のアームストロング砲は、この15サンチ副砲で、1923年に海軍大臣から下付されたものだそうです。なお、両艦あわせての購入価格は153万ポンドですが、邦貨にするといくらかは資料を持ち合わせておりません。
ウラジヴォストーク(ウラジオストク)を基地とするロシア巡洋艦戦隊は日本近海で作戦行動を行い、多数の日本船を沈めます。これを追跡していた日本の第二艦隊は翻弄され、せっかく出会っても霧に紛れて逃走されてしまいます。このため、濃霧、濃霧と言うけれど逆さに読めば無能なりと国会で問題になったぐらいです。したがいまして、天気晴朗に関しては、逸する心配はないと言うNo.6の回答に賛成します。
この電文に関しては、実用を旨とする中にこのような文学的表現をするのはけしからんと言う意見もあり、当時としても非常に異例の文面でありました。この異例さによってこの文章は有名となり、さらには名文と喧伝されるわけですが、日本海海戦の司令長官であった東郷平八郎を伝説化する過程で生じたのではないかと思っております(「勝って兜の緒を締めよ」と言う言葉で締めくくられる連合艦隊解散の辞も秋山の筆によります)。秋山自身が非常に精神的な面に関心を持つ人であり、使いやすかったのではないかと愚考いたしております。
本来の質問に関しましては以上の通りですが、派生的に出されたものがありましたので、お答えさせていただきます。
>イギリス製の戦艦
日英同盟もあって、日本はイギリスから大量の艦艇を購入しています。政治的配慮によりフランス、ドイツ、アメリカでも造っておりますが、武装はアームストロング式に統一しています。実は、日露開戦時、香取、鹿島と言う戦艦をイギリスで建造中でありましたが、入手不能となったので(戦後入手)、代わりに購入したのが日進、春日でした。たまたま、日本の2戦艦が蝕雷により沈没したため戦艦と伍して戦いますが、砲の小ささ、装甲の薄さを考えると、本来は主力となるはずのない艦です(このため、日本国内で急遽建造されたのが筑波、薩摩を初めとする大型装甲巡洋艦と戦艦でした)。もっと大きな大砲を搭載した戦艦より大きな射程を持っていたので使用されましたが、艦隊決戦では非常に危険な艦でした(若き日の山本五十六が同海戦での日進艦上で重傷を負ったとか、春日を回航したのが後の内閣総理大臣鈴木貫太郎であったとか、話題には事欠かない2艦ではありますが、事実はそうです)。ただ、当時としては優速の20ノット(1ノットは約1.8km毎時です)の速力を利用すれば、戦艦を持たない国の主力艦、偵察任務、通商破壊等に使用するには適した艦であり、イタリアで建造された同型艦が他国でも使用されています。
なお、魚雷艇は水雷艇のこと、戦艦2隻(日進、春日)は軍艦2隻のことと思われます。
ありがとうございます。
いやー、それにしてもお詳しい……
1ノット=時速1.8kmですか。すみません、訂正します。
(時速200メートルが、どのくらいのひずみになるのかわかりませんが……)
防衛大学校とか、軍部の学校ではこういうことを勉強するのでしょうか?
軍人の偉さを初めて知ったような気分です。
返事が遅れて申し訳ありませんでした。
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