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真善美の歴史

真善美について、何でも教えてください。





真善美を価値と置いたのは、いつごろの時代からでしょうか。

地球のどの地域の価値体系でしょうか。

アジアには、真善美を価値体系とする伝統はあるのでしょうか。


よろしくお願いいたします。

A 回答 (3件)

こんにちは。


遅い投稿となりますこと、なにとぞご容赦下さい。

>真善美を価値と置いたのは、いつごろの時代からでしょうか。

「美」が文明の営みとして、「真」「善」とともに語られるものであるのなら、
その源は古代ギリシアにまで遡ることでしょう。

プラトン以前の古代ギリシアにおいては、美しい詩を創作するなどの芸術行為により、
「カロカカキア(美悪合一)」から「カロカガティア(美善合一)」なる〈神〉へと
二次的に近づくものとみなされておりましたが、
その後のプラトンによって、感覚美と共に道徳的な精神美までもが理論化されるに至ります。


>アジアには、真善美を価値体系とする伝統はあるのでしょうか。

はい。まず中国思想についてですが、
本来の「芸術」とは、技芸学術一般を指す一方、呪術性をも意味する言葉であり、
何と言っても、中国人の世界観の根底には「道」が欠かせません。
古くから「技」と「道」あるいは「芸」と「徳」を分け、
技よりも道、芸よりも徳を至上とする思想もあります(『荘子』『楽記』)。
殊に六朝以降、徳行による上下の序列を定めることで、
「芸」と「徳」とが統一的な、より高度な精神性が希求されます。

古代の韓国の場合には「花郎道」にみられる調和のとれた美、
つまり精神と肉体、善と美の合一が尊ばれたようです。

イスラムにおいては、
美的感受性より行為自体の美(=人格美)を重んじる傾向があり、
人間が善美の行いを積むことこそが、アッラーの神に報いることとみなされます。

最後に日本です。
坪内逍遥が「渋しといふも意気といふも、共に巧芸に所謂美ならん」
と記したように、日本の伝統に「美」に相当するものを見い出しながらも、
当時語られた「真善美の一体化」は、文明開化の証として、
シェリング或いはバウムガルテン等の西洋思想に基づくものでした。

野蛮との対比としての文明を模索するかのように、
〈美術〉が文明社会に欠かせないものとみなされるようになります。
西周も『美妙学説』において「道徳ノ性(善悪)」「正義の感覚(正不正)」「美妙(美醜)」
こそが人において重要な構成要件であると論じております。
(森鴎外は別の見方を抱いていたようですが)

いずれにせよ「小説ハ美術なり」とした逍遥も含めた、明治の知識人達は、
ともすると西洋的な進歩史観に陥ったとの見方もありましょうが、
現代に生きる私達には遠く及ばないほどの真摯な気概に溢れる姿勢でもって、
「真善美」を通じて新たな理想社会を希求したに違いありません。

以上、多少なりともご参考になりましたら幸いです。

参考文献:『講座 美学1』東京大学出版会
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真善美とは価値の一部。

社会生活を人がするようになってから発生したはず。人が他者との交流する際の基盤の一つが価値観(社会ルール)と価値です。重要なものなのでしょう。社会的な「うすうすの申し合わせ」が価値の基準です。社会・歴史・階級などによって異なります。強く社会生活をする生き物には人間をも含めてモラルなどの社会ルールがしっかりあります。社会生活をしない孤立した生き物にはないようです(繁殖期を除いて)。
 これこれのことがどうして「真(たぶん正義のこと)」であるのか、「善」であるか「美」であるかは明瞭には論議できません。うすうすの申し合わせですから境界をはっきりさせることができないのです。いっぽう「快」「不快」は個人で定義されております。
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