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アメリカザリガニは、昭和の始め、神奈川県で、ウシガエルのえさ用として、持ち込まれたのが逃げ出して繁殖して、九州まで繁殖したということですが、
四国、九州には、どのようにして、繁殖したのでしょうか。
そのころは、本四国連絡橋、関門橋,関門トンネルもありませんでした。

A 回答 (5件)

食用蛙の餌として国内(本州だけではなく北海道や九州、四国にも食用蛙の養殖業者が居たはず)に主に船便にて持ち込まれたのだと思います。


蛙を食べる必要が無くなり、養殖業者やザリガニの輸入業者がそのまま投棄処分したに違いありません。
又、アメリカザリガニをペットとして売られる様になった為、日本中のあちこちに分布範囲を広げたと思われます。
いわゆる外来種ですね。
アメリカでは普通に釜茹でして食べてますよ。
余談ですが昔は北海道にはカブトムシとゴキブリは居ないと言うのが常識でした。
本州に仕事で始めて行った時、紙切り虫やクワガタに似た大型のゴキブリを見て感動した記憶があります。
現在は北海道にもどちらも当たり前に居ます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/10 10:35

日本に移入されたのが1927年で20匹(本当は100匹だったが、当時は船便だったので20匹しか生き残らなかった)、鎌倉の食用蛙養殖場に放されたのが最初で、放流から数年後には蛙が消費しきれなくなったようです。


1960年代には九州地方で確認されたそうです。

そして脱走を始めたようで、大雨で水位が上がったときに陸へ上がったもの、池の中の土手に穴を掘って逃げたものが多くいたそうです。
それらのアメリカザリガニは、川を流れる藻や流木につかまって川下り等を行い、神奈川県内の田んぼや池などに繁殖したそうです。
アメリカザリガニの幼生(孵化してすぐのもの)は、親の腹脚と間違って水鳥の脚の毛にしがみ付いて遠くまで移動したものもいるらしいとのことです。

そして、田んぼなどで繁殖を始め、数が多くなると、捕まえて縁日などで売る人が出てきたそうです。
当初はかなり高額で売れていたそうですが、数年もしないうちに子どもが買える値段になったそうです。

そして、脱走して田んぼなどに移住したものが、同じようなプロセスで他の場所に移動したり、購入した人たちが飼い切れなくなり捨てたことなどで生息範囲が一気に広がっていきました。

最初の放流(養殖池に)から、10年後に埼玉県で生息調査を行ったところ、1アールの田んぼに約1100匹のザリガニがいたそうです。

考えられるのは、自力で移動したもの(上記の水鳥につかまって)と、人為的なもので(飼い切れなくなり逃がした)、人為的なもののほうが確率は高いと思います。
また、鑑賞魚用の藻に付着してい可能性もあります。


ちなみに、マッカチンは泥吐きさせて、塩茹でにすると凄く美味しいです。
下手に茹でたエビ以上にうまいです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/10 10:34

昭和30年代の縁日の夜店では、キンギョ・ミドリガメ・アメリカザリガニ・雄のヒヨコ等は定番でした。

人為的に分布を広げたものと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/10 08:28

 アメリカザリガニは、それ自体食べられます。

私が子供のころ近くの小川で獲って、塩茹でにして食べた記憶があります。海老のような味がしたと思います。 

 なので、人の手によって運ばれて繁殖したのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/10 08:28

自力では海を渡れませんので・・・恐らくフェリーの荷物内(魚類関係)に紛れ、便乗し繁殖したのではないでしようか。


北海道も同じかと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/10 07:23

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