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今の人間は他人の痛みがわからないのか?

僕が昔かよっていた囲碁クラブの先生(戦前生まれ)が、
雑談の中でこういうことを言っていた。
「今の人間は他人の痛みがわからないからな~」

今の人間とは、平和で裕福な人間のことだろうか。
しかし僕はこの言葉に少し違和感がある。
では昔の人間は、他人の痛みがわかる、とでもいうのだろうか?
戦争を通して過酷な時代に生きて、苦労したことは認める。
しかし、時代や場所、状況には関係なく、人間はもともと他人の
痛みはわからないように、自己中心的にできているのではないか?
昔の人が今の人間より、他人の痛みがわかる人が多いとは思えない。
と、僕は思うのですが、みなさんはどう思いますか?

ちなみに、その先生は僕の囲碁をみて「いい手だな~」
「うん、いい手だ」「どーでもいい手だ」と言ってバカにする。

A 回答 (15件中1~10件)

質問者様の推論はもっともだと思います。

様々なご意見があり、それぞれ納得していますが、私なりの観点を言えば、その老人の発言の真意へ近づくには、やはりその老人の身辺へ近づいて推理するしかないのではありますまいか。
つまり、その老人は確かに誰かの痛みを感じている(いた)。にもかかわらずその痛みを今の人間は感じていないようだ、と思っているのでしょう。今の痛みの在り処は、多分その老人自身なのではないでしょうか。そしてその痛みを周囲の若い人間は感じていない、つーか無視しているという状況。老人の悲鳴のように感じるのは私だけでしょうか。
>その先生は僕の囲碁をみて「いい手だな~」
「うん、いい手だ」「どーでもいい手だ」と言ってバカにする。
老人が昔、そういって当時の老人に馬鹿にされた。でもその老人は(弱い老人の言うことだから)と必死でこらえ、「ありがとうごんす」とかいって表向きあたりさわりのない敬意を表した。しかし、今の若い人間は露骨にいやな顔をする。そういうことであなたは弱い老人を傷つけてはいないでしょうか?
私が若い頃は「幼長の序」とかいって、年齢の差は絶対でしたが、今はそうでもない、年齢は関係ない、ただ実力あるのみ、加齢臭の臭う老人は、はっきり白い目で迫害されるという情け容赦もない時代です。私を含む社会的弱者である老人たちの痛みは若いひとたちには共有されていないようです。時代の変化が最大の原因なのかもしれませんが。
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苦労人は捻じ曲がる。

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りんさん。

こんばんわ。
18番です。少しだけ、追記です。

>「うん、いい手だ」「どーでもいい手だ」と言ってバカにする。
:・・・・↑他虐っぽいし、自虐っぽい。


+ 他者への愛っぽいし、自分への愛っぽい。

お邪魔しました。
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りんさん。

こんばんわ。

>「今の人間は他人の痛みがわからないからな~」
:→「今の人間もオレ(戦前生まれ)の痛みを分かってくれないかな~」
 →「分かってくれる人間がいないからオレ(戦前生まれ)淋しいな~」
 →「分かってくれる人間がいたら、いたら、もし、いたら、
   オレ(戦前生まれ)淋しくなくなる、かも、しれないんだけどな~」

(※「分かる」≒「想像」とか「共感」とか)

・・・・・↑渇愛っぽい。甘えとか、期待っぽい。かわいい。


>「うん、いい手だ」「どーでもいい手だ」と言ってバカにする。
:・・・・↑他虐っぽいし、自虐っぽい。

>みなさんはどう思いますか?
:ということなので、感想を書きました。お邪魔しました。
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年寄りが、まるで自分が若かった頃は理想的な社会でもあったかのごとく、現代を批判する。

これは、現代を生きる者にとっておもしろいはずがありません。私もそろそろ、「年寄り」の仲間入りをする年齢です。年寄り同士の慰めあいの場は別として、現代を生きる方と話すときはくれぐれも気をつけなくてはなりません。とてもためになるご質問です。

さて、人は苦しかったり嫌だったりしたことは、できるだけ忘れたいものです。忘れたいものは忘れやすい。そして、よかったことやら楽しかったことがどんどんクローズアップされて、「過去はバラ色だった」イメージができることがよくあります。人生つらいことやどうにもならないことは多いので、こんな風に過去の幻想にでも浸らないことには悲しくて生きていかれないないのやもしれません。今まで元気に前向きに生きてきた老人を温かく見守ってやってください。お願いします。
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人間は、本源的に


自己中である。
と定義して、

人間である
「他人」はみんな、自己中!とやたらに

理由もなく批判したがる戦直・団塊闇市無法ものの暴論です。

男性が少なかったという歴史的事実にあぐらをかいて
努力もせずに地位を築いた恩知らずのじじい
ということで
無視してください。

人の心が判らないというのも同じ理論です。

人間は本源的に
人の心というものが判らない
と定義しているのです。

他人は人の心がわからない自己中であると
言い換えているだけなのです。

そういう人たちは、
社会が悪い
天皇が悪い
お上が悪い

と意味の通らない落書きの主張を、公の場で堂々と振り回す、
無知な人です。

人間は全て自己中
人間は心がわからない

という理論の根拠は、

自)
そのひと自信の「中身」です。
自分が自己中だから、みんな自己中のはず!
自分の中に心を理解する情緒がないというだけで、
他人はみんな心が判るはずがないと決め付けているだけです。

原因は、精神的病=唯物論です。

これらの人たちは例外なく「マルクス」は立派な人だったと主張しています。
直接読んだこともないくせに・・・

信)
宗教に関しては、神は、物理とは次元の違う問題と主張し、問題が存在するから神は存在するというとんでもない理論で人間の尊厳を脅かすペテン師たちです。

キリスト教的一心論を常識として
宣伝行為を繰り返す勘違いエセジャーナリストです。

デマゴーグという概念が当てはまる「からっぽ」詐欺師たち。

タダ「偉そうにする人」たちです。世代の問題です。関わっていても
えるものがないとあきらめ、出来るだけ痴漢されないよう距離を置くべきです。

ゴミ処理場に行ってゴミをあさることも出来るというのも可能性の中のひとつです。しかし、自分の健康の為に、毒電波の源泉からは距離を置くということも出来ます。いずれにしても関わっているのはあなたです。正しい判断が出来るのは、その場にいる自分だけです。
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 こんにちは。



 ★ 戦争を通して過酷な時代に生きて、苦労したことは認める。
 ☆ とおっしゃっているように 軍事的行動におけるとは言え殺し合いと敗戦による絶対的な貧しさとにかんする苦労は 或る程度において別物だと思っているということなのでしょう。
 そういう主観の表明だと思います。
 それ以上だとは思わないという意味です。

 ★ ちなみに、その先生は僕の囲碁をみて「いい手だな~」 / 「うん、いい手だ」「どーでもいい手だ」と言ってバカにする。
 ☆ この文章を読んで受け取る感覚は ギャグの棒読みをして 自分を なぜか バカにしている。わざと おれはバカだなぁと心で思っていることを別のかたちで表わそうとしている。こう思いました。
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人は得意分野を必ず持っており、そうではない人に対しては偉そうにしてしまうんです。


教わる人はその分野では師匠の方が技においては上だと知っているので、へへーってするのが妥当。
そうしないと指導してもらえず、師匠に追いつけないでしょ?

だけど、その人がその特定分野では師匠であっても、あなたの得意分野では不得意なら、今度はあなたがふんぞりかえっていればいいんです。


それにそれ読んでその先生 ユーモアがあるなぁって思った。
だから あなたはその言葉を聞いたときの反応として大笑いすればいいんですよ。
だって先生ジョーク言ったんだもん。
言葉遊び。

だから「山田君 先生に座布団一枚」って返事を返せばよかったんですよ。
それがコミュニケーション。

ユーモアを磨きましょう。
柳に風。
しなれば折れない。
心を柔らかに。
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「現代社会」における成長期の環境は、核家族化や共働き、


地域コミュニティの希薄化といった、それまで世代間の文化的
伝承を担っていた社会システムが劣化し、学校教育(=詰め込み
教育)やテレビ、ゲームなどの情報機器に依存し、人間関係を
うまく保てなくなっている事は、入学時の学級崩壊から長じての
引きこもり、ニート(あるいは親の子殺し、子の親殺し)に至る
まで、様々な社会現象における精神的荒廃、コミュニケーション
能力の低下、自己チュー化として表れています。
自分の客観視ができず、自分の事しか考えられなければ、当然
他人の痛みも分からず、“自分を傷つける物”として殺傷する
事も容易になるのでしょう。
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今も昔も近しい他人の痛みは分かります。



近くない人の痛みは今も昔も分からないと言っても良いのではないでしょうか。
人類の人口が増加すればするほど「近くない人」の数も増加するので、人類全体で平均すれば、人口が20億人だった時代と比較して、人口が69億人の現代において「他人の痛みが分からない」ケースも増加している理屈ですね。

それから、人と人が近いという概念ですが、その昔テレビの報道などが無かった時代には自分たちが知っていると人は本当に知っている人だった。今はテレビなどの映像を通じて「知っている」と錯覚していることが多くなりました。本当に知っている訳でないから痛みを共有する対象にはなりにくい。

アフリカの内戦で命からがらその日一日を生き延びている人々の事を私たちは頭で知っているが、実際は「知らない」のでその人たちの痛みはなかなか感じないですね。

残念ながら、時代が進み人口が増加するほど他人の痛みが分からないという状況は増加するのだと思います。
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