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今の人間は他人の痛みがわからないのか?

僕が昔かよっていた囲碁クラブの先生(戦前生まれ)が、
雑談の中でこういうことを言っていた。
「今の人間は他人の痛みがわからないからな~」

今の人間とは、平和で裕福な人間のことだろうか。
しかし僕はこの言葉に少し違和感がある。
では昔の人間は、他人の痛みがわかる、とでもいうのだろうか?
戦争を通して過酷な時代に生きて、苦労したことは認める。
しかし、時代や場所、状況には関係なく、人間はもともと他人の
痛みはわからないように、自己中心的にできているのではないか?
昔の人が今の人間より、他人の痛みがわかる人が多いとは思えない。
と、僕は思うのですが、みなさんはどう思いますか?

ちなみに、その先生は僕の囲碁をみて「いい手だな~」
「うん、いい手だ」「どーでもいい手だ」と言ってバカにする。

A 回答 (15件中11~15件)

>人間はもともと他人の


痛みはわからないように、自己中心的にできているのではないか?
:ほとんどそのとおりでしょうね。
自己中心的でない人間などいないし、自己中心的でないと言う人がいれば偽善者かなにかでしょう。
しかし、「ほとんど」と述べたのは、それ(自己中心的)だけでは満足できないようになっているのも、また人間だ、というように思うからです。
バランスの問題になるでしょう、たぶんですが。

>ちなみに、その先生は僕の囲碁をみて「いい手だな~」
「うん、いい手だ」「どーでもいい手だ」と言ってバカにする。

<解釈1>
本当は「と~ってもいい手だ」と言ったのだが、(あまりのいい手に感動して)その時だけついなまってしまった。

<解釈2>
とても正直な性格の先生だった。
  
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本能よりも理性を…


福祉よりも義務を…
重視することによる不協和音です。

だいたい社会の成り立ちだって本能的な生存と利便性にあるはずでしょう?

その生存本能よりも理性的義務を重視しているため福祉は遅れている。

その堪えがたい現状を抱える人が多数存在し…少数派ながら悪を生み出し派生問題が量産されていく…

生きるという本能を義務で抑制できるなら苦難はない…聖人など居ない…人間を過信したこと…本能的な部分を軽視したことによる問題です。
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人の痛みが実感としてわかると言うより、自分の経験から想像できると言うことでしょう。


今の若者と言うより、豊富な経験を積み重ねていない人ととらえるべきで、平凡で幅広い経験がなければ、他の人の苦労や痛みを想像するためのデータが少なすぎる。

幅広い経験や色々な生き方を実感できた人は、考え方の幅を広くできることは容易に想像でき、幅広い考え方で判断できれば自己中な対応も少なくできるでしょう。

現に、ご質問者様はまだ経験の幅が少なく考え方にも幅を求めることは出来ず、その範囲で他の人の考え方を広く想像す事は無理であり、その範囲で判断するとすれば自己中にも成りかねません。

>ちなみに、その先生は僕の囲碁をみて「いい手だな~」「うん、いい手だ」「どーでもいい手だ」と言ってバカにする。

これは人の痛みがわかるか否かの問題ではなく、その人個人の表現の仕方が色々と言うことでしょう。
先を読むことが出来る人が、初心者の差し手をどの様に表現するか、あるいは親切に指導できるかです。
先先と教えてしまうのが良いか、手つまりまで放置する方が本人の勉強になるのか。
その相手の性格をどちらを選ぶか過去の経験から判断してアドバイスしているのかもしれません。
ただし、ご質問者様がそれで傷ついたとすれば、その人も人の痛みのわからない人だったと言うことになりそうです。
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この発言に、大した内容や意味はないと思います。


きちんとした調査をしたわけでもないのに、断定的な言い方で他人を貶す人って多いですけど(と思うだけで調査したわけではありません)、それは他人を貶すことを気持ちいいと感じる心があるからだと(個人的に)思っています。
他人がダメなら、相対的に自分が偉くなるわけで、そんなことだけでも嬉しがる人っているんじゃないですかね?
痛みが分かるとか分からないとか、非常に曖昧な評価ですけど、曖昧だからこそ断言しても誰にも突っ込まれない安心感もあるでしょう。
「今の」っていうのも曖昧で、「今生きている人間」という意味だとしたら全員がそうだという意味なのですかねぇ?
年寄りは生きてきた年数だけは若者に負けないから、そこに絡めた話で優位に立ちたがる傾向があると思います(これも調査したわけではありません)。
どうでもいい発言だと思いますよ。
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古代のエジプトの壁画だったかに、


「最近の若いもんは…」っていう記述が残っているらしいですよ。

つまり、自分の若い頃を棚に上げて若者を貶める言葉は、
いつの時代、どこの国でもあったという事です。

ってことはつまり、実際に老人が若かった頃と現在の若者間で差異はないのだと思いますよ。
一種の同属嫌悪、老害というものでしょう。だって、その老人にも思いやりはないようですし。
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