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法律を国民に周知させるべきだと思いませんか?教育や義務として。

A 回答 (6件)

色々な事を法律書物に沿って心身に教えられるよりも、シンプルに各家庭に長年変わる事の無い内容が載っている法律全書があった方が良いと思います。



未成年であれば憲法の方から人としての権利全般が分かる書物をそれぞれに持たせておけば良いと思いますし、先ずは大人が常々自然にやってみせている状態で、子たちにも徹底させることが良いと思います。

これも国全体でやっていなければいけない。

無料で、そして分かりやすくなっている方が良いと思います。

人の心身に影響を及ぼすことが増して既存・過剰化・複雑化・慢性化する前に周知徹底、良い方へ順応出来るように平等にしておかなければ、誤解を招いたり、中途半端なところからのトラブルの解消困難は避けれない現実になると思います。

私は26歳か27歳で初めて法律の本を見つけて買い、仕事の内容で勉強する以外の内容でも時々読むようになりました。

本屋に行っても1~2冊あるか無いかですし、それまでも詳しくは無く、本屋に置いてあって一般人が購入出来る物とも思って居なかったです。

乳幼児の頃から遭っても自分にも権利があることを確実に知る経験も無く育ち、一方的な事から始められ、一般人としてはこの程度で落ち着いているのだと思うしか無かったです。

訴えて居れば今頃、勝訴で、働いて居なくても死ぬまで衣食住や娯楽で過ごせて居たぐらい得てたと思います。

法律をすべて知り尽くし、その中だけで生きて何ら抵抗感を示されずあれこれ人格の批評も受けず危害も加えられず許されているような人は、どの程度国民の中に居るのか知ってみたいです。

1人につき1~2人ぐらいは護衛がついていないと、中途半端な国内部の状態で交流も当然のようにあり続ける中じゃ変わらないと思います。

悪質な嫌がらせや犯罪も様々ですが、生きて死ぬまでの過程で年齢ごとに、まったく同じ事に遭った人も遭わなかった人も存在するのだと思いますし、義務教育中も既に権利すら自分には無いのだと、辛抱させられ続け隠ぺいも増され続け偏っていることを受け続ける生まれながらにしての対象だと思うしか無く、それからも年月経て変わらないのと、あまりにも人が単純でシンプルで良かったはずの事なのに死傷してきたことで直ぐに叶う周知徹底とは思い難いところがあるのが現実です。

叶うなどと言わなければならないほど実感としては法律に関して有無では違うように感じています。

この回答をしている最中も自宅横を車で走行されながら暴言を部屋窓に向かって吐かれましたし、やはり身近には感じれないのが法律です。
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 難しいと思います。



 総務省行政管理局が整備している、平成20年12月5日現在の法令データ(平成20年12月5日までの官報掲載法令)によれば、憲法・法律の総数は、「1,788」です。
 ちなみに、法律以下の政令・勅令は「1,928」、府令・省令は「3,593」なので、それらをすべて合わせると、合計は「7,309」
 自分の身近なものだけでも結構あります

 しかも結構頻繁に改正されてます
http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/index_ho …

 憲法だけで十分な気がしますが?
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やー、そーですねー。

ちょっと思いますねー。

勘違いされている人が多いんですけどー。法律とゆーと、なんか冷たいものみたいに思ってる人多いですねー。
でもでも、それは違いますよー。

法律は、本来、「何の力ももたない弱者のための剣」なんです。権力も財力も何もない人間であっても、法律というものを武器にきちんと身を守り敵と戦うことができる、そういうものなんです。

なのに、現状では、力を持つ人間が、金で法を買うようなことがちらほら見られてしまいますねー。これではなんのための法なのかわかりませんよー。

細かい法律の内容もですが、何よりもまず、すべての子供達に「法律は、弱き者の味方なんだ」ということをきちんと教えて欲しーですー。力を持つ者の無理難題も、法律という武器を使うことで撃退できるんだ、とゆーことを学ぶべきと思うですー。そーやって、弱者にとって機能してこそ、法の法たる意味があるんじゃないでしょーかー。決して、力のあるものが弱いものを虐げるための尖兵にさせてはならないですよー。
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私には、仕事上もプライベートでも覚えなくてはならない事がたくさんあります。



法律の専門家ではありませんので、成立した全ての法律を諳んじるだけの能力も余力もありません。
でも、今までそれなりに生きて来ました。

法律の知識が必要な時には、『検察官や警察官』そして、弁護士の様な専門家に頼ることが出来る事を
              ^^^ ^^^
理解していますので、特に不自由に感じたことはありません。
そんな専門家に頼るまでも無いような常識的な事は、親から躾けられていますし
世の中の流れや出来事は、新聞テレビラジオ人の噂で知ることが出来ます。

と言うことで、質問者の様な発想に到達することはありません。
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生活に最低限必要な社会ルールとして法律の基本的な部分までを、


知識として普通教育(学校)の場で教えることは必要です。
私は現状よりはもう少し詳しく教えてもいいと考えます。

ただ少し込み入った法律というのは条文知識だけではダメで、
適切に扱うにはリーガルマインドも必要になります。
これは専門教育の場で学ぶべきもので、
全ての人が習得しなければならないものではないと思います。

しかし法学の道に進まない人であっても、
複雑化した社会ではある程度は基礎法学に通じていた方が、
社会生活で損はしないでしょう。

むしろ法律の専門家や法学を専攻した人とは違う視点から、
法律を批判的に考察する視点がこれからは必要だと私は思います。
法律の専門家は「それは素人の理論だ」と批判するかも知れません。
しかしそもそも法学とは社会科学であり、
自然科学ではないのです。
すなわち、文系の学問というのは、理系の学問とは違い、
人間の主観的価値判断を多く含みます。
つまり、主観的価値判断が多いということは、
全く同じ内容の事件を扱ったとしても、
時代や民族によって異なった結論を生むということです。
絶対的な価値判断はありません。

私は法律の専門家ではなく、司法試験に通った人を尊敬しますが、
時に彼らの視点を批判的に見ます。
「弁護士でもないのに」と白い目で見られるかも知れません。
しかし、特に真面目な日本人の場合、
専門分野の世界に深く入り過ぎた人が、
かえって物事の手段目的関係が見えなくなって
偏った見解を示すことが少なくないと思います。

車で逃げる強盗犯を車で追いかけた人間が、
道路交通法違反で強盗犯と一緒に捕まってしまうことも、
日本では起こり得るかもしれません。
「日本はそういう国である」と十数年前に
テレビの討論番組で吠えていた先生がいました。

この発言が私があえて非専門家の立場から
日本の法律や法解釈を批評し始めた原点です。

これから大切なのは、知識ではなく、
多角的に本質を見極める能力でしょう。
その意味でも、法律の意義について自ら考える習慣を、
小さい頃から身に付けられる教育があればいいと、
私は考えています。
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何が何でも法律遵守で法律さえ守っていれば、正義も人としての心も関係なし。


こういった考え方の人、たまにいますが私は好きではありません。

誰かを責めるために法を覚える。
抜け道を探すために法を覚える。
(昨日、飲酒運転で事故を起こしておいて事故後、現場でビールを呷って「事故前は飲んでいなかった」と言い逃れようとした方が捕まっていましたが、この方などは法を勉強したことは明らかです。(教科書が漫画Nだという辺りが残念ですが。))

他人に迷惑をかけない

他人が嫌がることをしない

国民が法を全て覚えることは不可能だと思いますので、上記2点くらい徹底して周知して欲しいです。
これなら私も習いたいです。
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