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まわりからみて、つまり殴る方でも殴られる方でもなく第三者が、DV(ドメスティックバイオレンス)なのか、しつけなのかを見極める決め手は何でしょうか?

当人はしつけのつもり、そして自分もそのような教育をうけてきたという場合です。

A 回答 (3件)

こんにちは。



決め手かどうかは分かりませんが、傍目から見て理不尽な理由によって暴力をふるわれていたら、虐待成立と見て良いのではないでしょうか。
あるいは叱られる様な悪い事をしているとしても、その対価としての痛みと言うにはあまりにも苛烈であるかどうか、という点でも判断出来ると思います。

親子連れが頻繁に訪れるような場所に行かないせいで、そういう見るに堪えない場面を見る事は少ないですが、何だか嫌だなと思う時は決まって、叱っているというよりただ怒っているだけの気がします。
叱るのはれっきとしたしつけですが、怒るのはしつけとは言えない、と僕は思います。ですが、叱る事が出来ずに怒る人が増えているのかも知れません。

最近は大学生でもちゃんと叱ってもらった事のある人は減ってるみたいですから、この先もっと叱れない(叱り方が判らない)親は増えるかも知れませんね。
甘やかしてばかりの親か、怒ってばかりの親、この2種類しかいなくなったら恐ろしいと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>その対価としての痛みと言うにはあまりにも苛烈であるかどうか
そうですね。怒っているのではなく、叱っているならば力加減ができるはずですものね。
これができないいというのは、やはり暴力と考えていいのでしょうか。

感情的に親が子どもを殴ると言う行為は、たとえ一回でも子どもがおびえます。
そんな親は自分の親からされたことを繰り返しているだけのことです。
これはきびしさといえませんよね。

暴力なのかしつけなのか、怒っているのか叱っているのか、暴力の連鎖、難しい問題です。

お礼日時:2003/07/23 11:19

子供に対してではないのですが、犬の躾のいい例があります。


言葉が通じない分だけ躾で叩くということはよくします。
ここで差が出るのは叱ったあとです。
犬は鼻をはじかれるのが痛いのですが、そういった「いけません!」をやったあと、犬がショボンとなって反省しているような態度になったあとは愛情たっぷりのスキンシップをします。
これで「痛いことをする怖い人」と「躾が厳しいけど好きな人」の差がでると聞き、実行していました。
悪いことをしていない時の接し方も重要だと思います。
自分が愛情を持って接していても相手に伝わらなければ意味がないでしょうし、
「怖いだけの人」に思われるか「怖いけど大好き」に思われるかの差にかかってくると思います。


実際に自分は悪いことをした手をつねられたり、悪いことをした足を手のひらでひっぱたかれたり。
「痛い」と感じてることはあっても「怪我」はしませんでした。
やはり「怪我しない程度」というのがラインじゃないでしょうか。
あとは頭は叩かれた覚えはありません。お尻くらいかな。
基本的には友達同士でもよくやる「しっぺ」程度です。
実際に私は躾を受けたが傷つけられたという覚えはないです。
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この回答へのお礼

>自分が愛情を持って接していても相手に伝わらなければ意味がないでしょうし

そうなんですよね。いずれにしても相手が愛情を感じなければだめですね。
そのへんもちゃんと見越したうえでの行動が大人の行動といえますね。
自分がした行動を正当化するだけでなく、相手がどう感じているかまでを考えられれば暴力とはいわないのかもしれません。

>怪我しない程度というのがラインじゃないでしょうか。

確かにそうなんですが、女性の場合は力ではかなわないという事があるので、精神的に怪我をする事もあるように思います。
ほんと難しいです。

大変参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2003/07/23 21:02

この線引きは確かに難しい問題であると思います。


私も子供がいますが、時として手を上げることもあります。
DVか否かはそこに愛情があるかどうかではないでしょうか?
愛情のない親はほんの些細なことでも手を上げます。
それが癖になっている人もいるでしょう。
私はまず口で説明します。
それでも言うことを聞かない、わかってもらえてないと次は口頭で怒ります。
それでもダメなら手を上げることもあります。
いきなり手を上げるのは子供が人としてしてはいけないことをした、
普通に怒るのでは飽き足らないくらいのことをしたという場合は
いきなり手を上げることもあります。
自分の子供が理由もなしに他人のものを盗るなどしたら
私は有無を言わせずまずぶっ飛ばすかもしれません。
(今のところそういうことをする子ではないのでぶっ飛ばさずに済んでますが)

言葉が話せる年齢になればほとんどはちゃんと説明してあげれば
だんだんと理解してくれます。
ですが、時としてそれ以上に鮮烈にわからせてあげる必要もあると思っています。
自分も子供の頃、好奇心が強く、まず自分で何でも確かめてみないと
気がすまない性格でした。
学校教育の一環として、こういうことをしてはいけませんというビデオを見せられました。
その中で電車の置石というのがありました。
私はそういうことがいけないと認識する前に、石を粉々に砕く電車がすごいと思って
自分で確かめたくなってしまったんです。
で、一度だけやりました。(ごめんなさい)
ビデオと同じように粉々に砕けました。
それを自慢げに自分の父親に話したんですね。
次の瞬間、数メートルすっ飛びました。
親父の鉄拳が飛んできたんです。
いつもはビンタ程度でしたが、その時はグーでした。
今でもあの時の痛さと怖さは覚えてます。
同時に、そこまで怒るほどいけないことをしたのだと
子供ながらに認識しました。

私は、手を上げることが正しいとは思わないですが、
時と場合によりそういう手段を使ってでもわからせてあげなくてはならないことがあると思っています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>同時にそこまで怒るほどいけないことをしたのだと子どもながらに認識しました。
そうですね。そう思えたということはその時のお父様は正しかったのでしょうね。
その後に殴られた子どもにどんな感情が残ったかでその意味は違ってきますね。
きっと殴る親の気持ちが憎しみからなのか愛情からなのか、伝わっているのかもしれません。
お父様は心で泣きながら殴ったのでしょうね。

貴重な体験を話してくださってありがとうございました。

お礼日時:2003/07/23 15:01

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