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「自信」と「傲慢」の違いって、なんでしょう?

自信というのは、自分の能力などを信じることですね。
では、一度、自分に自信を持って叫んでみましょうか。
「俺は天才だ! その気になれば、すぐにノ―ベル文学賞も取れる!」
……こうなると、傲慢どころか、単に痛々しい人ですね。
それとも、
「俺は凡人だけど、やればできるんだ!」
ならいいのでしょうか。「凡人」と言ってる時点で、自分に自信を持ってないような気がします。

はっきり言って、違いがわかりません。自信を持とうとしても、すぐに傲慢になってしまいます。謙遜しようとしたら、今度はひどく自分を見下してしまいます。

心のなかでは、「自分は天才だ」と考える。ただし、他人と接するときには、「いえいえ、私はただの一般人ですよ」と謙遜する。でも、結局は、自分を天才だと思っているのに変わりない。これも、究極的には「傲慢」でしかないように思います。

それとも、普通は、「謙遜」と「自信」を同時に持つことができるものですか? 「傲慢」にならず、「自信」を持つことができるものでしょうか?

A 回答 (5件)

「謙遜」と「自信」を同時に持つことができるものですか? 「傲慢」にならず、「自信」を持つことができるものでしょうか?



そのような方々もかなりあると思います。
例えば、一つの学究、技芸、技能などに人生をかけて取り組んできた人の中には、世間では第一人者と評価されているのに、「一つの疑問が解ければ新たな疑問が湧く」「これまでに自分が満足できた仕事は数えるほどもない」「死ぬまで修行です」と何の臆面もてらいもなく述懐していらっしゃいます。

ちなみに、
「自信とは、自分の能力や価値に確信を持っていること。自分が正しいと確信をしていること。」
であり、

「傲慢とは、驕り高ぶって他人を侮り、見下すこと。」
です。

両者には「他人を侮り、見下す」という点で違いがあります。

したがって、自信家は傲慢になりがちですが、自信家でも、他人を自分自身と同等に尊重できれば傲慢ではありませんネ。
そのような人格者は少ないとおもいますが。

「謙遜」も、心からの謙遜家は少なく、「私などは・・・」などと言葉では謙遜しながら、「とんでもない、あなたほどの・・・」との褒め言葉を期待している輩の多いこと。

だから、「謙遜も過ぎれば傲慢となる。」ということになるのです。

「「謙遜」と「自信」を同時に持つことができるものですか? 「傲慢」にならず、「自信」を持つことができるものでしょうか?」
どちらも可能でしょうが、凡人には不可能に近いでしょうネ。
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この回答へのお礼

ああ、「他人を見下す」という点が違いますね、たしかに。

立派な業績をあげながら、自分の技術を、心から「たいしたことない」と言える。これはすごい……。私なんかは、心のなかでは汚いことを考えていそうです 笑

謙遜も過ぎれば傲慢となる。この言葉には、目から鱗がでました。
そうです。その通りです。文豪と呼ばれる人が、「いえいえ、私の文章なんて、そもそも『文章』といえるレベルですらありませんよ」なんて言ってたら、しらけますものね。

返答、ありがとうございました。

お礼日時:2010/08/04 21:07

アリストテレスが二コマオス倫理学において「中庸」の大切さを説いてます。



誇り=自信が適切な人(自尊心)
傲慢=自信が過剰な人
卑屈=自信が不足の人

健全な自尊心を持つ人は謙虚さと自信を同時に持つことができると思います。
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この回答へのお礼

アリストテレスの言葉、なかなか深いですね……。

適度な自信は、誇り(または自尊心)になる。ただし、自信が過剰な人は傲慢。で、自信が足りない人が卑屈とは……、初めて耳にしました。たしかに、過度な謙遜は、かえって痛々しいですよね。

返答、ありがとうございました。

お礼日時:2010/08/04 20:56

この二つの大きな違いは自信は自分に対しても他人に対しても使います。


傲慢は自分に対しては使いません。
俺は傲慢だとか言いませんよね。
結局は自信も傲慢も同じものだと思います。
ただ、周りが納得すれば自身に思ってもらえ、周りが納得しなければ傲慢になってしまう。

自信の根拠となるものがあれば周りは納得しやすくなりますが、その人のことを見下している人から見ればどんな根拠を示しても傲慢としか映らないでしょう。

天才だという自信があるという例なら、「ただの一般人ですよ」という謙遜の仕方でなく、「まだまだ若輩者なので、努力を続けていかないといけないですよ」というような謙遜の仕方なら同時に持つことは出来ると思いますよ。
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この回答へのお礼

なるほど、その見方はありませんでした。

「自信」か「傲慢」か判断するのは、周囲の人間次第、というわけですね。すなわち、主観的なものであると。

なかなか面白い視点からの意見です。参考になります。
返答、ありがとうございました。

お礼日時:2010/08/04 20:50

皆さんのご指摘内容も、該当すると思いますが、もう1つ重要なのは、


「自信」においては、他人との関係性は必須ではない、という事です。
もちろん「他人に勝つ自信」と限定すれば関係しますが、別に他人に
勝とうと負けようと、自分の信念に従っていれば「自信」があると
言えます。
一方「傲慢」は、他人との関係における表現であり、逆に自信があれば
相手に反論されてもムキにならず、自信がない方がムキになり、傲慢に
なったりします。
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この回答へのお礼

他人は関係ない。
おお。
自分が天才、他人は凡才。勝手にそう判断して、他人を見下す。これは、たしかに傲慢ですね。
そうではなく、自分のなかだけで、能力を信じる。これが自信。

ほほう。
納得のできる回答です。
ありがとうございました。

お礼日時:2010/08/04 20:43

質問者様の言葉を借りれば、


根拠を持って自分の能力などを信じること、が自信で、
根拠もないのに自分の能力を過信すること、が傲慢じゃないでしょうか?
>「俺は天才だ! その気になれば、すぐにノ―ベル文学賞も取れる!」
これは通常は、根拠のない自分の能力への過信、と考えて良いと思うので傲慢でしょう?
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この回答へのお礼

返答、ありがとうございます。

なるほど。
根拠があれば、自信。
根拠もないのに、自分を過信するのが傲慢。
おお、視野が広がった気がします。

その自信を表にだすと、逆に傲慢ってことになりますかね。
「私は、一日しか勉強してない。でも、テストで100点取った。暗記の才能あるんじゃん?」
と、まわりに言い回るのは、傲慢です……よね? おふざけで言う場合は別にして、ネットなどの公共の場で、そうやって叫ぶのは傲慢。自信を持つ根拠はありますが、それはさすがに傲慢。
うむ。
難しいですね 笑

お礼日時:2010/08/04 15:17

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