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大変困っています…。^_^;

それは仏教用語だと思うのですが、意味がわかりません。
”曠劫を逕歴せん”という文章です。

今、「なぜ生きる」一万年堂出版の本を読んでおり、最初は日常生活と対比させてわかりやすく書いてあると思いました。しかし、途中から宗教(仏教?)と対比させて書かれているようになってしまい四苦八苦(仏教用語を調べるために)しています。

一応、インターネット・漢和辞典・仏教用語辞典・国語辞典などで調べてなんとか読破しようとは思っております。

出来れば宗教に関しては素人なもので、できればわかりやすい解説をお願い致します。m(__)m

これからも、同じような質問をさせて頂くかもわかりませんが、皆様よろしくお願い致します。

A 回答 (1件)

読みとしては、「コウゴウをケイレキ(あるいはキョウリャク)せん」となるのでしょう。

残念ながら出典がどこにあるのかは私にはわかりません。

ただその意味は難しいものではありません。「思考の及ばないほどの長い長い時間を経めぐっていこう」といった程度の意味でしょう。前後がわかりませんので細かなことが断定できませんが、“長い時間を輪廻しながら移っていくこの身を私のものと受け止めて、いつになろうとも悟りに近づけるよう、その中の一瞬一瞬を努力しよう、そのように腹を括った”というニュアンスが込められているように私には思えます。

「曠劫」というのは、非常に長い年月のことです。“曠劫の輪廻”(考えられない程の時間を生まれ変わり死に変わりしていくこと)とか、“曠劫の無明”(長い長い時間仏縁に恵まれずに煩悩に覆われた生を送る)といった表現は割とよく使われます。

「曠」は“どこまでも広々して何もないこと”を指す言葉ですし、「劫」というのは未来永劫という言葉にも使われるように「長い時間」を指す仏教の時間の単位のひとつです。倶舎論などという仏典にはその長さが譬えで示されていますが、ざっと数十億年以上の長さとも試算されます。

一方の「逕歴」は、径歴つまり“こみちを巡っていく”ということですけれども、径は“まっすぐ縦につながる”という含みのある字で、この場合「経」とも置き換えができますし、実際そちらの方が仏典では一般的でしょう。
この「経歴」のほうなら、例えば道元「正法眼蔵」の「有時」という巻に何度も出てくるのですが、「長い時間のうちの一瞬一瞬が、全体の価値に関わる有意義なものである」というようなニュアンスで使われています。かなり難しいですけれども。

※ご質問の中の書籍を知らないもので、ちょっと勘所の悪い回答かもしれません。ご容赦下さい。
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この回答へのお礼

詳細かつ丁寧な回答をありがとうございます。
正直なところ、仏教辞典を調べれば即解決だと思っていたのですが…。(^^ゞ
大変参考になり勉強になりました…。m(__)m
これで問題が解決しましたので一安心です。
また、質問させていただくかもしれせんがよろしくお願い致します。

お礼日時:2003/07/24 20:42

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