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信じるって何でしょう?

信じるとはどういった精神状態、また思考状態を言うのでしょうか。
それは認知する、とか記憶する、よりも積極的な要素を帯びている感じがしますが。

信じるという事の意味をわかり易く、かつ腑に落ちるように教えていただきたいです。

ちなみに私は日常、信じるという言葉は当たり前に使っています。

A 回答 (14件中1~10件)

普通に答えるならば


「疑わないこと」
これだと思います

信じるの反対語が疑うですからね

ということはどういう精神&思考状態なのか?

これは難しいです・・・
私もこれを書きながら迷ってきました
「疑わないこと」で終わりだと思っていたんですが
よく考えるとこれっておかしいですよね?

私たちってそんなに色々疑ってますか?

政治に興味のない若者は街頭演説をいちいち疑わないでしょう
じゃあ政治家を信じてるのか?
そんなわけないですよね・・・

この瞬間、大地震が起こるかもしれないと疑って生きてますか?
じゃあこの瞬間は大地震が起きないと信じてるのか?
これもなんか違いますね

言葉的に言うなら信じるとは疑わないことなのかもしれませんが
私たちが信じるという言葉を使うときはもっと違う何かを信じるという言葉に
乗せている気がしますね

彼女が彼氏にこう言った
「私あなたのこと信じてるから」

これって良く聞くフレーズだと思うんですが
こういうときって必ず疑ってますよね(笑)
そしてこういうときの状況を解説したりすると大概この言葉は
自分に言い聞かせてると解説されますよね
私も「不安な気持ちを堪えるために自分に言い聞かせてる」もしくは
「単なる嘘」の可能性が高いと思います

こうなってくると
「信じる」ということは「疑う」ということなんではないでしょうか?
さらに深く掘り下げると「信じたい」という願望なんではないでしょうか

疑ってしまう→でもそれは良くないこと(美しくない)(相手に嫌われるかも)(自分自身が救われないかも)などなど・・・

→信じなくてはいけない 信じてると言わなくてはいけない 信じたい(その方が楽だから)

→結果、信じる(信じてる)と口にするのかもしれませんね

信じるとは根拠がなくても受け入れること
信じるとは疑わないこと
などなど・・・

でもほとんどの日本人は地球が丸いことを疑わず受け入れていますが
地球が丸いことを信じているんでしょうか?
多分、大して気にしていません

今まさに踏み出そうとしているその地面が幻覚で実は奈落の底に真っ逆さまかも知れないのに、普通に踏み出します
信じてるから?
確かに言葉的にはそうなのかもしれないけど「信じる」って言葉の響きに合いませんね


結論

信じるとは疑ってるけど信じたいっていう願望
その心理状態は・・・・依存かな?
人は信じるって言葉を使うときその対象に依存してますよね

我ながら納得のいく考察が出来ました(自己満足ですが)

質問者さんはどうでしたか?
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この回答へのお礼

いやぁ、なんかとっても心にストンと落ちる回答でした。

信じるという言葉のロジックを繙く、みたいな。

信じるとは疑ってる、っていうのはなんかいいですね。私もどういうことか考えてみます。
私よく友人と「世界平和」について話します。笑 壮大なスケールですみません。
戦争は無くなるか、貧困は無くなるか、無くならないか。禅問答みたいなものですね。
この場合私が 無くなる という立場をとることは、まさに今現実にある状態から飛躍する訳ですから 戦争が無くなった とか 貧困が無くなった という状態を疑っている、知らない、訳ですもんね。そりゃ疑います。そしてそうなってほしい、そうならなければいけない、なぜならナントカカントカと、自分と相手を説得に回ることになりますね。疑ってるけど信じたい、というまさにその通りですね。
とてもわかりやすかったです。ありがとうございます☆☆

お礼日時:2010/09/30 18:47

こんにちは。



他の方が優れた回答をお書きなので、それ以外としては、

僕的には、体中の全神経と全細胞でもって信じる、というイメージがあります。(多少意志が入ってますが)
全存在を賭けることとも同じですし。

信じることは、あらゆる概念の基礎なので、それがどういうものか? というのは変な気もします。



でも、完全に信じてる状態は、言換えると、認識的には何もない状態、とも言えると思います。

信じる、という意志的な話なら別ですが、
信じてる状態、というのは、なにも考えてないし何も思ってない無の状態とも思えます。


信じなきゃ、とか、私は信じてる! と思ってしまうのは、だから(一般的語法では信じてると言いますが、本質的には)違うと思います。
それは、もっと当り前で、信じてるのが当然で、だから意識もしなくて、死ぬまでそれについて何も思わない、そういうものじゃないでしょうか?
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この回答へのお礼

信じている、または、疑っていない。という領域ですね。

疑っていないということが信じてる状態。

受動的な信じてる と 能動的な信じてる では意識と無意識と領域が違うようですね。
なんか深くなってきたなあ。

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2010/10/01 10:24

祈願とか洗脳の類でしょう。

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この回答へのお礼

なるほどです。

お礼日時:2010/09/30 18:24

自分が信じているもの


生命活動の中核(自分は生きている。当面死なないし、自分を裏切らない体を持っている)、家屋と家具、ありとある周囲の環境、自家用車、ファンダメンタル(利用する道路や橋、トンネルなど)、大方の家庭の親族たちとの相互関係など。いちいち関係するたびに信じているよと確認はしないけれど、あきらかに私はそれらを信じて生きています。信じなければ生きていけないという切実な関係にあります。頼り切っているけれどそういうものなのだ、それでいいのだという心のバイアス、思い込みのようなものだと思います。基本的に無意識の中にあって大脳の思いの中にはありません。精神状態としてはゼロではないが一番低いエネルギー状態なのでしょう。それだけに裏切られるとショックも大きいです。

これとは別に、一回一回の臨時契約的信頼関係があります。これは信じた相手にもたれかかる、任せるという強制自己暗示的安心状態で、その都度前記の精神状態よりもかなりハイなエネルギーが必要になるようです。信仰もこの範疇なのでしょう。
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この回答へのお礼

あらためて観察する感じですね。前半は特に特別なことではないと。
後半の方は思い込む、信じ込む、という感じがそれですね。
ありがとうございます。。

お礼日時:2010/09/30 18:28

「わたしは地球からまっさかさまに落ちていくことはない」(と信じる)。


「わたしは歩くとき左足の次には右足を出している」(と信じる)。
「わたしは右手をもっている」(信じる)。

信じているものとは、それを疑うことがばかばかしく、あらためて考えたりしないもの、ほとんど忘却していることなのではないでしょうか。
「疑うのがばかばかばかしい」と書きましたが、疑うことはできます。そして、いったん疑いだすと、底なしの地獄に堕ちていくいくようなものでもあるのではないでしょうか。

「わたしはあのひとのことを信じている」と口にだす(つまり、上記まる括弧の部分をかぎ括弧のなかに書く)とき、すでに「疑い」が始まっているように思えます。

かつては神を疑うことなどナンセンスでした。「神はいない」は端的に無意味な文でした。
いまでも同じこと。あらためて考えれば無意味な無数のものごと(への信仰)のうえに、わたしたちの生活は成り立っています。スーパーにいけば何でもあります。お金を出せば売ってくれます。これもまたある種の信仰です。
明日、スーパーから食べ物が消えるなんて「信じられない」と人は言うでしょう。

信じるとは、忘却すること、これがわたしの結論です。
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この回答へのお礼

新聞に尖閣諸島の問題が載った。
そうなんだ(と信じる)、ということですね☆

疑い始めたらマジで尖閣諸島まで行ってこの目で見ないと信じない、みたいなことになる訳ですね。

お礼日時:2010/09/30 18:31

語義だったり、細かな定義だったり、色々あるとは思いますが。

。。

「日常」を生きる上で、人生を歩いていく上では「許す」と同義語かな、と思います。
あるいは「覚悟する」もかな。

行為?感覚?としては「手放す」?
でも「見つめ続ける」のはやめない。

私はそう言えば、日常でなかなか「信じる」って使いません。
「約束」と同じく、あまりに強い言葉だから、かも知れません。
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この回答へのお礼

許す、覚悟する、手放す、見つめ続ける。
うん、なんか深い感じですね。
信じる→許す は考えたこと無かったです。新しい感覚です。受け入れる、みたいな感じでしょうか。

私は、思春期?多感な時期に、自分は何を信じるのか、と思索した時期がありました。

英語の歌詞で believe という単語はよく出てきますね。なんとなくかっこいいな位のレベルです。自分は。
trust もありますね。英語わかりませんが、私は全然違う主張をする人がいたりして、自分がどちらかを指示するような状況?とかになると信じるという言葉が出てきます。

お礼日時:2010/09/30 18:37

 こんにちは。



 《信じる》とは 《無根拠を受け容れる》ことです。
 受け容れないことを《信じない》と言います。でもそれは 実際には《無根拠をそれとして受け容れた。だが それをわたしの信じるということの対象とはしない。わたしはわたしの〈信じる〉があるのだ》という意味であろうと捉えられます。
 けっきょくは有神論と無神論とふたつの類型は 互いに同じ《信じる》という非思考の場にあります。


 それに似たかたちで 《なにごとかを 最終的には根拠もない状態において 妥当であると判断する》ことを《信じる》という言葉で表わすことがあります。

 《人を信じる》というのは その人は裏切らない人だと思っていることを表わします。たとえ裏切ることがあっても その行為に妥当だと思われるような事情と事由があるだろうと思っていることです。信用する・信頼するということを強めて言う表現です。
 その人は経験合理性から見て妥当だという考えをし行動をとると思っていることを 信用すると言い さらに気持ちや心にも配慮してくれると思っているとき 信頼すると言います。
 ということは 上の《ものごと》の場合と同じように 最終的には根拠はない状態にあって それでも互いに裏切らないと思っているとき 《人を信じる》という言い方をします。
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この回答へのお礼

信じるという非思考の場。
その先は無い、ということですね。

確かに何事かを信じるということは、それを疑うことを止める、思考完了の状態とも言えますね。

そして、思考とは違った感覚器官によって選びとるという行為とも思えました。

考える から 感じる への移行。その飛躍のスイッチが 信じる かなと。そんな風にも思えました。

深い感じがしました。ありがとうございます。

お礼日時:2010/09/30 18:54

変換せずに受け入れることでしょう。


深くなると、受け入れ態勢そのものの一部と化してしまいます。
信じているものが、さらなるものを信じるという感じで・・・
検証も変換も必要がなくなった状態そのものが、別のものを変換して受け入れるかどうかという側に変化してしまう訳です。

この事を逆に見ると
検証も変換も必要がなくなった状態があってこそ、変換をするかどうかという状態が生じる事になります。
信じるというのは、信じているとは気付かぬほど確かなものがあってこそ成り立っています。
信じる深さ、段階というものも、その確かなものとの照合と検証とによって定まってくるのでしょう。
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この回答へのお礼

変換せずに受け入れる、取り込む、飲み込むという。

自らの思考の振れ幅が大きくなるほど、信じるもの、照合と検証も増えていくということにもなりそうですね。

ありがごうございます。

お礼日時:2010/10/01 10:08

ある現象の、原理的プロセスを完全に理解した上で、


その結果を予測する事を、信じるとは言いません。
逆に言えば、原理を理解せずに結果を予測する場合、
それを「信じる」と言えます。

その根拠としては、自分の過去の経験であったり、
他人の言葉であったり(あるいは他の必要からの
演繹(たとえば神仏)であったり)します。
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この回答へのお礼

信じた結果、原理の理解にまで到達できるとしたら、やはり信じることも利点はありそうですね。

問題はどこを目指すかですね。ありがとうございます。

お礼日時:2010/10/01 10:10

 


「信じる」とは辞書を引くと
「まことと思う」「正しいとして疑わない」とあります。
ここの、「まこと」「正しい」にポイントがあると思います。
真のようなものを見いだし、そこを、指示すると言うのが「信じる」と言えるかも知れまん。(・へ・;;)

そういう事から推定すると精神状態は、信頼状態。
思考状態は、思考停止かも知れません。
なにしろ、考えるとは疑っている状態ですからね。...(( ̄‥ ̄;)

>それは認知する、とか記憶する、よりも積極的な要素を帯びている感じがしますが。
そうですね。認知するとか、記憶するでは、一方に重きを置いていないですからね。
Aという事象。Bという事象があるなら、信じるのは一方に重きを置く事ですからね。


蛇足・・・・・

思い込みとかなり似ている感じがします。
以下のスレッドも参考になるのではないでしょうか?私が立てたスレッドですが・・・σ(^_^;)
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6202201.html
 
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この回答へのお礼

ありがとうございます。スレも見てみます。ぺこり

お礼日時:2010/10/01 10:12

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