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関東の忍藩は、伊勢と播磨に飛地領を有しているのですが、どのようないきさつでこんなに遠い所に領地を有しているのでしょうか。
伊勢の大矢知は忍藩の飛地で、陣屋があり、藩の学校もあったそうですが、石高はどれ位だったのですか。
よろしくお願いします。

なお、質問の根拠はヤフオクの記事です。

武蔵国埼玉郡(現行田市)所在、忍藩松平氏十万石が、木綿屋仁兵衛、魚屋甚四郎殿を請人として、安政3年12月に、播磨国加古郡二見村(現明石市二見町)で発行した飛地通用札。忍藩は、本国武蔵以外に伊勢・播磨に飛地領を有していた。壱匁、五分の2種類発行されたうちの壱匁札。
http://ps03.aucfan.com/aucview/yahoo/d97675092/2 …

A 回答 (1件)

以前小生が同じようなお尋ねをしたことがあります。


http://oshiete.goo.ne.jp/qa/2850917.html

「データベースれきはく」の「旧高旧領取調帳」に石高が出ています。
http://www.rekihaku.ac.jp/up-cgi/login.pl?p=para … の左の「旧国名」の▼をクリックして「旧領名」に直し、その右の欄に「忍藩」と入力すると、忍藩領だった全国の村が出できます。
伊勢国には約70か村、播磨には15か村ほどあったようです。

飛び地の理由は石高合わせのようですが、備中足守藩木下家は一時期、福島県内に飛び地を持っていたことがあります。これは殿様が参勤交代の際に女性を連れていたことへの制裁でした。とり潰されなかっただけでも良かったのかもしれません。しかし石高は同じであっても藩の収入は激減し、経済的には随分苦労したようです。
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この回答へのお礼

よく解りました。
石高合せの他、いろんな事情があるのですね。
早々のご回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/10/18 08:35

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