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ニーチェの道徳観について。

ニーチェはキリスト教を大衆向けのプラトニズムと批判し、
貴族(騎士)的道徳と奴隷(僧侶)道徳に価値を転倒させていると批判しましたが、
道徳(徳とは別?)についてはじめて考え始めたのがソクラテス=プラトンだとすると、
道徳的価値というのは他の価値と対比すれば初めから転倒していたといことですか?

それとも力への意志と結び付く自然に基づいた道徳的価値は、
本来の道徳的価値というものはこうである(だからねじまがっているのだ)、といったものではないのでしょうか?

ニーチェはあるべきもとのものに戻ろうとしたのか、
今あるものがおかしいんだといったのか、
まったく新しいことを言い出したのかわかりません。

A 回答 (1件)

○ソクラテス→プラトン→・・・・・カント→ヘーゲルまでは、道徳という名の絶対精神、つまり神の世界を地上にうち立てるという思想なのですね。


ヘーゲル以降、ヘーゲルの「現実的なるものは理性的」であるから本来の「理性的=道徳的」を誤解釈して、「理性的=科学的」という流れになったわけですね。その流れの真っ只中にニーチェもいたわけです。
つまり、「現実的なるものは科学的」であるという哲学から観れば、道徳や宗教は科学的ではないですよね。だから貴族(騎士)的道徳と奴隷(僧侶)道徳に価値を転倒させていると批判したわけですね。神は死んだ。なんていってますね。
この価値観でいえば、「今ある価値観がおかしいんだ。」といってることになりますね。
・・・そういうことかな。
追伸
でもね。このニーチェの理論は目に見えて証明できるもののみの世界観ですから、非常に狭い世界観ですよね。
ソクラテス、プラトンやカント、ヘーゲルはもっと世界観が大きいのですね。そういう意味でニーチェは哲学者としては小人ですね。小人の世界観から観ると見えない世界を包含した哲学巨人の世界観はおかしい、間違いであるといっているだけです。まあ、小学生と大人の違いかな。
とはいえ世界には小学生のほうが多いので理解しやすいというところで、小人のニーチェがいまだに生きているのですね。そろそろやめないとね。
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