アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

人を大切にしたい、思いやりを1番大切にしたい。という気持ちは結局は損をするのでしょうか?
私は思いやりを持つ事が1番大切だと思っています。
そのように人を大切にしたり傷つけないようにしたり思いやりを持って接しているのですが、
私とは全く考えの違う、自分が1番大事、自分が満足しないと気がすまない。という人間にいいように使われてしまっています。
その人は本当に自分勝手に振る舞い、周りがそれに合わせ、ご機嫌を取っているしかない状態です。
結局は思いやりや一歩引いて相手を立てるという行動は、いいように使われてしまって損をするのでしょうか?

A 回答 (6件)

損だと見えるのは、あくまで表面上、見かけ上の話です。


結局は、人に迷惑をかけた方の負けであることは見えています。
人の思いやりに応えてこその思いでなければなりません。
ですから、思いやりの人が損することはありません。
損するのは、思いやりを汲み取らなかった人であり、それを逆手に利用した人です。
人生に実績があるとしたら、どれだけ多くの人を愛したかであり、一人の人をどれだけ深く愛したかであり、どれだけの人に迷惑をかけなかったかです。
そういった思いやりと愛の生き方・・・つまりは人として真心や善を競い合っているのです。
そして、それができなかった人は、結局は他の誰かにではなく、自分自身に負けたのです。
「最後に愛は勝つ」というヒット曲がありましたが、騙されても裏切られても愛を貫いた方の勝ちです。
人間を不信したり、憎んだり、恨んだり、批難したりする方には容易に向かいやすいのです。
思いやりの核心は愛でしょう。
愛というテーマがあったなら、愛する生き方が理想ですが、それを更に深めれば、愛を勝たせる生き方が最強です。
人が愛する・・・愛よりも人が主体ですが、愛の方が人よりもっと価値があるということを証明したいなら、自分が死んでも愛を負けさせてはならないのです。
愛が愛らしいということはそういうことですね。愛を上回る価値は存在しないのです。
愛そうとするのではなく、愛というテーマをかけて、自分はどういう生き方ができるだろうかと考えるのです。
こういう人がいた・・・ならば同じ愛する愛でも、どうしたら愛が愛らしいといえるだろうかと考えて愛しかたを捻出するのです。
それによっては、愛し損どころか、逆転的愛得にもなりえるのです。(ちょっと難しいかな・・・)
    • good
    • 1

もしも「損」ということを考えるのであれば、それは「嘘」なんですよ。


思いやりというのは、私はちょっと茶化して「重い槍」だよ、なんて、人には言ってます。
その「槍」が、そうしてそんなにも重くなるか?というと
「善心は、重たいものだから」ということになります。
良い心が軽いはずはないのです。
だから「重たくなるのを承知で」片手で槍を持ち、そしてそれを「振るう」腕力が要るのです。
相手に「響く」衝撃を与えるためにはね。

どう考えても「いいことをする」って効率が悪いんですよ。
片手で振るう「槍」と同じで、前時代的で効率がわるいものなんです。
でも「魂」を込めることが出来ます。

ただ単に「勝つ」ということだけ考えれば、あなたが言っているような相手の「生き方」は変ではありません。
損もしないし、効率もいいからね。
だから、それが良いんだ、そうしたいなあ、と思うならば、そうするべきですよ。
真似しても良い。
けれど「いやそうじゃない、それは違うんだ」という「心の声」に従うならば、自ら進んで苦労するべきです。
それが自分にとっての「利益」となります。
    • good
    • 1

人を大切にしたい、思いやりを一番大切にしたいと思うのなら、


いいように使われてしまって損をするなどとは考えないのではないですか
そういう気持ちで人と接するにはたとえ自分は犠牲になっても…
という気持ちがあってこそ本物だと思いますよ
口でいうのは簡単だけど
人を大切に思いやりを大切に
ということはそう簡単には出来ないってことですよ
    • good
    • 2

おもいやりの定義ってあいまいですよね。


他にも、優しさや親切についても同類だと思います。

ご質問のケースの場合、自分勝手にふるまう相手に、
一歩引いて思い通りに行動させることが思いやりなのでしょうか?

そういう人は恐らくみんなから嫌われていますよね。
であれば、そういうところに気づかせてあげるべく
指摘や注意をするのも本当の思いやりかもしれません。

使われることも相手のためであれば思いやりですし、
それを「損をする」と、ご自身をかばう時点で
思いやりとは異なるもののような気もします。
    • good
    • 0

んー、個人的には確かにそう思う部分も否めないかな?



でもそういう自己中な人って、大抵自分一人だけでなく、幅広くいろんな人間に
迷惑掛けるからね。

自己中な人間にいいように使われるのが嫌なら、
自己中な人間にいいように使われている人を支えてやるのも
人を大切にする。思いやる事になるんではない?

まあ、口で言うだけなら簡単だけどね。
    • good
    • 0

おはようございます。


私個人の考えですが、「人を大切にしたい、思いやりを1番大切にしたい。」という気持ちを持つことは素晴らしいことだと思います。
でもそれが「損」と思ってしまうということは、心の底には、「自分が一番、自分が損をするよりだったら・・・」という気持ちがあることは否めないかと思います。

ただ「人を大切にしたい、思いやりを1番大切にしたい。」となんでも自分が負ってしまうことが思いやりになるかと言えばそうではないでしょ。
その人のためを思って一歩引いて見守る、叱咤激励するのも思いやりだと思います。優しさとも言えるかな。
結局、その人にとってプラスになるかならないか、だと思うんです。思いあがらせるようなことをしておいて、最終的にその人の周りから人がいなくなってしまうような付き合い方は「思いやり」でもその「人を大切に」していることにもならないと思うからです。
子育てがそうですよね。できないから、かわいそうだからって何でもしてあげたり、先取りして思いを受け止めてあげてはその子は成長できません。

相手を立てることはいいことですが、何事もバランスです。
相手が正しければいいですけど、ただ相手を立ててばかりでは、第3者が入ってきてその人も立ててあげなければならない場合、どっちつかずの優柔不断になってしまいます。

損とか得とかではなく、自分の中の芯がしっかりしていれば、相手を立てても思いやりを持っても損することはないと思っています。
    • good
    • 1

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!