都道府県穴埋めゲーム

何のためにがんばっているのしょうか?

お金? 楽しいから? 暇だから? なんとなく? きっと全部?


私は きっと全部・・・ という表現になるのかな


幅広い年齢の人に 聞いてみたい と 想いました。
とくに 人生経験が豊富な先輩がたに。
といっても 私も20代後半ですが汗

一言でも 
詳細にでも かまいません

つぶやいて下さい。 
聞いてみたいのです。

A 回答 (15件中1~10件)

神に打ち克つために

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会社で働く事は 会社を通じて社会貢献


その見返りに賃金を頂く
いろいろな物を買ったり生活を支えたり
将来の自分と家族の為 社会の為
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自分のために。

でしょうね。

人生の終焉を迎えた時に「悪くない人生だったな」と安らかな気持ちになれるよう。

日頃は家族のために頑張っているつもりだけど、それも実は自分のため。
自分が後悔しないため。
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今は毎日が日曜日です。



振り返ってみると

目の前に山があったから

かな~。

生活するための「山」
プライドを保つための「山」

私はチャレンジ精神が旺盛でしたから、苦難にぶつかると闘志が沸く性格でした。
ですから、人生が面白かったですよ。
会社では誰でももらえる役職で終わりましたが、社会では「青年団長、壮年団長、山歩き会会長」と歴任してきました。

今は一つも山がありません。草原です。
孫という花が咲いていて、妻や友達という蝶々が飛んできて、年金という小さな小川が流れて、退職金という水溜りもあります。

事務系のサラリーマンでしたが、日曜大工が大好きで、友人には大工、電気工事士、左官業の人が多いですね。
ジデジのための屋根裏配線、エコキュートの水道配管、みんな日曜大工です。
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人生の生き方は人それぞれです。

そして、誰にも共通して与えられているものが時間という平等なチャンスを有益に過ごすか?それともその逆を過ごすのか?
貴方に限らず、多くの大人達が々ような疑問を抱えたまま、向き合うことなくただ、時をやり過ごす人生を生きています。生きる機会を与えられていると言うことは、誰もが幸福に生きる機会も与えられていると言うことです。様々な問題を抱えるに至っている原因を特定しどうすれば正していけるのかに付いて向き合うことだと思います。
参考になれば http://ideosign.com/contents/myself/

参考URL:http://ideosign.com/contents/myself/
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頑張ろうが、怠けようが、人はいつか


死ぬんですから、よく考えると意味なんか
ない、と思いますよね。

ただ、頑張って生きた方が、生きている間は
良いことが多い、ということでしょう。

運が良い人、類い希な才能がある人はともかく、
普通の人は頑張らなければ、社会の底辺で生きて
行くことになります。
軽蔑され、自分も惨めです。
そんなの問題でない、と真実思えるので
あれば頑張る必要は無いと思います。

現実にはそんな人はほとんど存在せず
頑張らない人は、他人や社会を恨みながら、惨めな人生を
送ることになります。
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道を歩いていると、自動販売機があります。


コインを入れるだけで、ジュースが出てきます。
ジュースが飲みたいという欲求が無くとも、道を無目的でブラブラ歩いているだけで、「何となく」結果が与えられてしまう世の中なのです。
さほど強い動機を持たなくとも、結果が与えられてしまう便利な世の中にあって、自分自身が何をやりたいのか見えない。
意識的に不自由な中に身をおくことも効果的かと。
難しい仕事もよし、簡単には上達しない稽古事やスポーツも良し、そんな中で自分の本当にやりたいことが見えてくるのでは。
貧しい国の子供達のほうが、目が輝いているように私は思う。
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何のために(50代後半の男)


・人生
 自分のために。家族のため、子孫のためにもありますが、結局は自分の満足のために。
 20代の頃は独身でしたから、ほとんど自分のため、若干は両親のため(時々送金したり)にでした。
・仕事
 お金のために。生活するためのお金のためにですが、これだけでは長続きしません。
 楽しく、目的を持って仕事に取り組めるように、目標を定め達成感を得ることに注力。
 いわゆるモチベーションであり、結果は自己査定し頑張ったら自分にご褒美を。
 20代の頃はこんな意識はなく、ただがむしゃらに働きました。
・趣味
 自己の満足を得るために。基本的には、精神的に肉体的に充足感を得るために。
 最近は熟年になってもまだ子供が小さいために、長く働き、長く生きるためにという健康維持目的が大きい。
 暇だから、という時期が来た時(65歳以降か)困らないように、今の趣味以外のものも時間を見つけながら模索中。
 20代の頃は、仕事以外は寝る間も惜しんで、野球、スキー等々。酒というのもあった。
・自己啓発
 長くIT業界に席を置いていたため、常に自己啓発を怠らないようにし技術蓄積しないとついていけない意識がある。
 今もって資格取得や市民大学講座等への参加などを行っている。何となく人生が終わってしまうのが怖いからかな。
 20代の頃は、仕事の中に自己啓発が組み入れられていましたね。経験が無いので全て勉強から始まるわけです。
・人生のなかほど
 大手企業の55歳役職定年を機に転職。仕事の責任も時間も大幅に減り併せて収入も減りましたが、新らしい人生が始まった気分。
 これからは仕事に偏らない、人との付き合いを広めていきたいと考えている。
 近所との付き合い、親戚との付き合い、ゴルフ仲間との付き合い、仕事仲間OB仲間との付き合い等々。
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>何のためにがんばっているのしょうか?



そんなこと、若い頃はぜんぜん考えなかったですね。
ただ目の前にある諸問題をベストで解決しようと、ほぼ全力で突っ走ってきたって感じです。
つまりがむしゃら。
はっきりいって仕事しか目の前にはなかったです。仕事が好きだったのだろうと思います。もちろんそういった大きな難しい人生の岐路に立たされたり、選択を強いられることが私の場合あまりなかったということでもあるでしょう。
でも、今見るとその割にはたいした達成度は稼げませんでしたね。
結局、自分の実力相当のことしか出来なかったってことでしょう。

でも、あの頃に、(これでいいのか?もっと別の進路がないだろうか?)と迷っていたら、もっと達成度は落ちていたのではないか、と思ったりします。

リタイヤした今も迷っていません。ライフワークをしあげようと考えています。もっとも、パわーが墜ちたせいだと思いますが、がむしゃらではなく、家族全体の平安を一番に考えています。おかげさまでお金については何とか家族全体の総合力で、明日の心配はしないでもいい程度に維持できていますので。

ぜんぜん回答になっていませんね。すみません。
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生きるため

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