No.15ベストアンサー
- 回答日時:
#4です。
他の方の回答を見ていて気付いた事ですが、勿体ないの意味、私は単純かつ即物的に「無駄である」という意味にとらえていおりましたが、日本語の勿体ないは「無駄である(be wastefull)」という意味と同時に「過分である(be too good for (me))」という意味がありましたね。
日本人は分不相応な処遇を得たときに勿体ない(過分である)と言います。
「勿体なきお言葉、、、」なんてね。
日本人は「分」というものをわきまえている(いた)のですね。
飯屋でご飯を注文するときに、「少なめにね!」と注文するのは中国人ではなく、日系アメリカ人でもなく、間違えなく日本人でしょう。
自分の必要とする炭水化物の量をわきまえ、それ以上を過分とみなし、勿体ないから「少なめにね!」と注文する。
中国人や日系アメリカ人やその他あらゆる国民は、「more for less」すなわち少なく支払って多くを手に入れる事が唯一の判断基準で、高ければ「安くして!」と注文し、少なければ「多くして!」と注文するでしょう。しかし、同じだけ払って「少なめにね!」と注文する日本人の文化は理解されないのではないかと思います。
人間の数が69億人にもなってしまったので、分をわきまえるということは69億分の1で良しとしなければならないことになるし、実際は69億分の1では満足できないでしょうから、日本人といえども「more for less」の思想で、資源戦争、食糧戦争、水戦争に突入してゆかざるをえません。
69億人でひとつの食卓を囲んでいる時に、69億分の1以上を取って平然としていることができるか?
自分が69億分の1以上を取ってしまったために、取り分が無くなってしまう人の事に考えが及ぶか?
分をわきまえるというのは言うが易し、行うは難し、ですね。
この回答への補足
ご回答者の皆様方へ、
このたびはご回答まことに有難うございました。
いずれもとても参考になりました。
最後に上手くまとめてくださった御方にBA付与させていただきたいと思います。
そしてkigurumi様、補足に訂正させていただいております。ごめんなさい。
またご教示いただけたらと願っております。
皆様どうもありがとうございました!!!
Mokuzo100nenn様、再度のご回答をありがとうございます。
>日本人は「分」というものをわきまえている(いた)のですね。
そうなのですよね。
本当に「もったいない」は多義的な意味合いを孕む世界でもユニークな言葉だと思います。
>中国人や日系アメリカ人やその他あらゆる国民は、「more for less」すなわち少なく支払って多くを手に入れる事が唯一の判断基準で、高ければ「安くして!」と注文し、少なければ「多くして!」と注文するでしょう。しかし、同じだけ払って「少なめにね!」と注文する日本人の文化は理解されないのではないかと思います。
はい、仰る通りですよね。
「残すともったいないから少なめにお願いします」と注文するなど、間違いなく日本人だけなのでしょうね。
今でこそ店によっては「ハーフ・サイズ」のメニューや料金設定が散見されますが、これなどアメリカの影響とはお思いになりませんか。
中国人のもてなしに至っては「食べ残すような量」の食事を用意しますよね。
面子を大切にする所以なのでしょうけれども。
>69億人でひとつの食卓を囲んでいる時に、69億分の1以上を取って平然としていることができるか?
>自分が69億分の1以上を取ってしまったために、取り分が無くなってしまう人の事に考えが及ぶか?
途方も無い宿題を頂戴して恐縮致しております。
どう致しましょう、汗
こちらにつきましても、ゆるゆると考えさせていただきますので、どうかMokuzo様のご信条「日本を昔からの再生可能・循環社会に戻さないとね。」におかれましても、疑いようも無い森林大国日本における木材自給率問題につき、またの機会にご教示賜りたいと思います。
>分をわきまえるというのは言うが易し、行うは難し、ですね。
はい、こちらのご回答の全文まったく賛同致します。
本当に行うは難しでございます。
…って、開き直ってはいけないのですよね。
「お前、悪い女だなぁ。」「貴方こそ悪い男よ。」の二人はどのような関係なのでしょうね?
ご回答をありがとうございました。
No.14
- 回答日時:
ANo.13、忘れていました。
中高一貫から、思いなおして向島百花園の近くの都立に移った時、年長でしたが同じように転校してきたやつがいました。
象牙の高踏的、知的哲学はむようだ。市井で悩み苦しみながら民衆の哲学をやる。という奴でした。
カルチャーショックで影響されましたが(高い異文化でも、その接触は民族性を阻害しますね)、“完全な行為はありえない、ないというのでなくありえない。行為するとは間違いをすることである。しかし最大の間違いは、行為しないことである。”などといっていました。
そうやって生意気な読書で意気軒昂、日本と中国のことで毎日暮らしていました。
その数年後、今のヒンドゥの哲理に入り、バガヴァン・クリシュナは無行為の達成者であるというフレーズに出会ったのです。
この創造界の仮想的主格意識での行為はない。自己性のない行為なのですね。
自己を無視する極端が、愚か者と最高の聖者ってことですね。
無駄はもったいない。行為は無駄だ。何かご質問とは違う方向に行きましたでしょうか?
krya様、続いてお礼を申し上げます。遅くなって申し訳ありません。
>この創造界の仮想的主格意識での行為はない。自己性のない行為なのですね。
>無駄はもったいない。行為は無駄だ。
奥深いご教示をまことにありがとうございます。
「無駄はもったいない。行為は無駄だ。」を拝見し、ミクロからマクロまで何やら意識がふっとぶような、とてつもない壮大さや奥深さを感じずにはいられません。
また、「無駄」という言葉そのものには含蓄はあまりないにせよ、主題の「もったいない」のうちにはこの「無駄」という意すらも、こっそり含み残しているような気が致します。
多義的な上に慎ましさや謙虚さも込められておりましょうか、昨今では特に「言うは易し」なのでしょう。
これからもゆるゆると考えていきたいと思っておりますが、今はただ私に与えられた領分と身の丈を鑑み、無駄なく毎日をていねいに暮らしていくこと、これを積み重ねていくのが私にとっての「もったいない」であり肝心のように思われます。
「足元が覚束ない」と先には進み辛いと思われますので、ふらつかずにしっかり踏みしめていきたいとも思う次第です。
度重なる得難いご教示に心より感謝申し上げます。
どうもありがとうございました。
No.13
- 回答日時:
ANo.7のkrya1998です。
mashumaro2さんも足が昔のようにはいかないんですね。私の畏敬する優しい同同志(地域の革新党)のおねぇさまも若いときから膝がどうもよくありませんでした。O型に湾曲してきたのです。
暑いもぐさを燃やしてそれを器に入れて、押し当てて治療しています。
姉はちょいと10上(83)ですが、やはり60代から同じ症状です。家系でそういう症状が出る人がいます。
私も今、半跏趺坐もできなくなり、朝晩の拙い行に多少不便です。
「もったいない」というフレーズは、私達の民族よく使いました。そう、過去形ですね。
「畏れ多い」というフレーズとともに。「もったいない」が「畏れ多い」と地続きで使われることもありますね。
私も「畏れ多く」も「もったいない」方々のご縁を頂き、ずいぶんと素晴らしいことを勉強させてもらってきております。
吉田兼好の徒然には、廊下も橋も歩くためなら、足がつく幅だけあればいい、なんていうことを批判している件(くだり)がありますね。
現役ももう13年昔になりました。国の不動産と予算で全部丸抱えの大学でしたが、無駄の切りつめを思い出したように上意下達してきました。
でも無駄のない仕事は何もしないことです。そういう人が無駄のない人でした。いえ無駄そのものでした。
友人達とちょいとした企業を立ち上げたとき、当時のはやり言葉で“無理”、“無駄”、“むら”っていう人事管理の標語がありました。
吉田兼好以下の補足をしようと昨朝、パソコンを立ち上げたら、家内が鼠がでるから大掃除。という指令を出したので、一日そんなことに使ってしまいました。
節々だけでなく、体中がいたい。それで今になって、補足させていただいています。
皆さんのもったいないをこれから拝読します。
krya1998様、再度のご回答をどうもありがとうございます。
そして半跏趺坐などお辛いとのこと、どうぞ大切になさって下さいね。
「もったいないは畏れ多いと地続きでよく使いました」と過去形を用いてのご教示には、とても考えさせられるものがあります。
いつも拝聴するkrya様の幼少時のお話に思いを馳せつつ、現代の比ではないほどに多用し慣れ親しんでこられたのですね。
用いる頻度もさることながら、言葉自体の重みというのもまた、幾らか変質してしまっているのでしょうか。
さらに「もったいない」が未来にわたって受け継がれていくという確実な保証などどこにもないわけで。
それこそ非常に「もったいない」と思います。
>吉田兼好の徒然には、廊下も橋も歩くためなら、足がつく幅だけあればいい、なんていうことを批判している件(くだり)がありますね。
はい、「歩くためなら足がつく幅だけあればいい」とは「それで足りる」という意でしょうか。
この「足るを知る」ということ、
たとえば一時の自身の食事の量の加減ならともかく、このあとのMokuzo様のご回答にもあるような地球資源の熾烈な奪取ともなると、なかなか掲げにくい美徳のように思うのです。
でも、このように考えてしまうのは、ひとえに私が強欲だからなのでしょうか。
また「足が出る」がそのまま「予算を超えた支出になる。」というのも興味深いです。
もっとつきつめて「足」そのものに「《「晋書」魯褒伝の「足無くして走る」から》金銭。ぜに。多く「おあし」の形で用いる。」
あるいは「損失。欠損。また、借金。」とのこと、古くからある意なのでしょうか。
>無駄のない仕事は何もしないことです。そういう人が無駄のない人でした。いえ無駄そのものでした。
この「無駄」という言葉の意味、三者三様に捉えました。
「【創造性の微塵もない/遊びのない/徒労のない】仕事は何もしないことです。そういう人が【如才ない】人でした。【無用/役立たず】そのものでした。」と解釈したのですけれども…的を外しておりますでしょうか?
奥様のお声でひと足早い大掃除をなさったのですね。
今年も早いもので師走に入りました。
色々とご多忙かと拝察致します、どうかご自愛下さいませ。
ご回答をありがとうございました。
次に続きます。
No.12
- 回答日時:
人間の欲望とはずれた、またはそれ以上のモノやコトを生産させることは、
もったいないと思いますし、それは労働価値を下げ、デフレスパイラルの種
にもなります。例え国有企業であっても、直接的短期的には労働価値はさが
りませんが、元は血税ですから、巡り巡ってやはり同じことです。
改善するには、真摯なマーケットの洞察が必要です。
heartmind様、こんにちは。お礼が遅くなって申し訳ありません。
また「ものづくり」のご質問についても回答が間に合わず、本当にごめんなさい。
「人間の欲望とはずれた、またはそれ以上のモノ・コトの生産がもったいない」ならびに「真摯なマーケットの洞察」とのご教示、たしかに賛同すべきところがあるように思います。
世の中には数多の要らないもの、無駄なものに満ち満ちているようにさえ映ることも。
地球資源やエネルギー消費の点でももったいないとも言えましょう。
その一方で、人間の欲望がある意味歴史を動かしてきたとも思われますし、安価であれば売れるであろうとする風潮がみられる昨今、真摯なマーケットの洞察だけに留まらず、良質で相応の価格のモノ商品をもないがしろにしないという製造者側の取り組みも期待したいところではあります。
むろん消費者サイドも企業を理解し支援していく上で、相応の賢さも積極的に求められましょう。
余談ではありますが、先日、汐留のバウハウス・キッチン展を訪れ、実際に復元されたキッチンも観てまいりました。
当時提示されたキッチン(小道具も含む)を目の当たりにして、かなりの機能性を重視追求した斬新さが窺えました。
むろん現代の視点観点からはそぐわない面が粗目立ちもしますが、より良い快適さを求めて未来にかける意気込みと申しましょうか、デザインの内に並々ならぬ強い意思、主張、理論が込められているようでした。
現代の私たちはここから何か読みとることができるでしょうか。
ただいまご質問中の「アンチ・ポストモダン」の質疑に絡み、幾許かの一助になれば幸いに思います。
ご興味がありましたらご覧になってみてくださいね。
「バウハウステイスト・バウハウスキッチン」より
展覧会評「五感から、モダンを読み直すと──バウハウスとかけて、不純なアマルガム(合金)と解く、
そのココロは、いつの時代も、生活とはつねにカオスだから」
http://www.panasonic-denko.co.jp/corp/museum/exh …
ご回答をありがとうございました。
No.11
- 回答日時:
労働を卑下することによっって利益を得てきた日本に「もったいないは」無いんじゃないでしょうか
商売とは、自分の行いに値打ちを付け、他人の行いを軽んじることですから
引き続きご回答をありがとうございます。
ん? 日本は労働を卑下することによって利益を得てきたのですか?
だから「もったいない」は無いのでしょうか?
労働を卑下するというよりも、ムラ共同体における助け合い精神が少なからずあった、
だから己の労働につき謙虚につとめる部分があったのかなと推察しているのですけれども。
これは、私がサービス残業を部署(ムラ共同体)に則り余儀なくされたという苦々しい経験に因るものです。
むしろ、純然たる年俸制提示制度のほうが、後腐れなくて良かったのだとも思う次第です。
とんちんかんなお礼しか申し上げられなくてすみません。
何度もお答えくださって感謝致します。
No.10
- 回答日時:
非常に欲深な人物の中には、自分に所有権のないものが他人に使われることに
それに我慢がならない人もいるようです
こう言う人間の秤は、人間よりも物質が重くなるみたいです
dame-kakuseizai様、再度のご回答をありがとうございます。
「非常に欲深な人物の中には、自分に所有権のないものが他人に使われることに
それに我慢がならない人もいるようです」とのご指摘、多少なりとも私の内にもあるようです。
私の秤、針がふっきれていなきゃいいのですけれども。
「自重」するところがありそうです。
No.9
- 回答日時:
自分にふさわしくない高貴なものを与えられそうになると「もったいないからいいです」って言います。
所有するのにふさわしくないので、もらってしまうとその物は力を発揮できないので「もったいないことをする」ことになるので、断るわけです。
釣り合いが取れていればもったいなくない。
改善ないし活用するには ですか?
相応のものになれば、もらってももったいないにはならなくなる。
もしくは釣り合いが取れるものを手にいいれた場合は、発揮できるのでもったいない ではない。
例えば200キロを超えるスピードを出すスポーツカー。
日本で200キロを超えて運転することは無いので、そのスポーツカーは日本の国土にはもったいないわけです。
速度に制限が無くひたすら直線の道路がある国だと、その車はもったいなくないわけです。
「俺の車は200キロを越えても余裕で加速するんだぞ」っていくら日本で自慢されたところで、「も も もったいない」って言いたくなるでしょ?
勲章とかもらうにしても、自分はそれをもらうのにふさわしい人物じゃなかった場合、「もったいなことはしないで」ってなるでしょ?
例えば有能な能力がある人が、倉庫番の仕事を与えた場合、その人の能力が発揮されないのであれば「もったいない」ってなるでしょ?
何がもったいないかというと、すばらしい能力が発揮されないことが、もったいないってことでしょ?
食べ物にしても、食料が人にエネルギーを与えるのに、捨ててしまうってことは食べものの持つ能力を発揮させないで捨てるわけで、「もったいない」ってなるでしょ?
この回答への補足
×歯切れのない
○歯切れの良い
もったいなくも得難いあなたのご回答をまったくの無駄にするところでした。
「もったいない」の「ない」につられてしまったのかも。
誤字を訂正させて下さいね、ごめんなさい。見直しにはより入念に気をつけますので。
kigurumi様、こんにちは。お礼が遅くなって申し訳ありません。
まず、仰るところの「食べ物にしても、食料が人にエネルギーを与えるのに、捨ててしまうってことは食べものの持つ能力を発揮させないで捨てるわけで、「もったいない」ってなるでしょ?」を拝見し、思わず「う~ん…」と唸って反省せざるを得ませんでした。
だって、子どもたちに「もったいないから食べなさい!」の「もったいない」の意が、「人に活力を与える食糧」そのものに加えて、「せっかくママが一生懸命作ったのに~」という邪で身勝手な言い分を押しつけているかもしれないので。
非常にマズイかも、汗
そしてその延長線上で、このたびの拙問「現代日本におけるもったいないとは何か?」につき、私にとって分不相応でお門違いの事例に対する勝手な憤りなら、かなりおこがましいことにもなりますよね。
やはり、自分自身にふさわしい日常生活において出来るだけ無駄なくするしかない、ていねいに暮らすしかないのだろうとも思い始めております。
>「俺の車は200キロを越えても余裕で加速するんだぞ」っていくら日本で自慢されたところで、「も も もったいない」って言いたくなるでしょ?
はい、そう考えると「宝の持ち腐れ」って意外に多いかもしれませんね。
おっと、私の場合「他人の宝」につき、また文句言い婆になりかねないので自重致しまするが。
車繋がりで、もったいないどころか「畏れ多い」部類に入るとすれば──例の「外交官ナンバー車」だったりして?
身の丈に合う際にはもったいなくないという歯切れのないご教示、大いに参考になりました。
ご回答をありがとうございました。
No.8
- 回答日時:
生命にとって、生きること自体が目的=意志=充足の源泉なのに、
これほど繁栄しながら、そうした自律的生のメカニズムが阻害され、
生きた上での更なる何か=お金や出世といった“馬車馬の目の前の
ニンジン”によって、他律的に生かされる(イヤイヤ働く)ようになって
しまっている状況。
生きる真の目的である「人生を通算した精神的充足量の最大化」を
これほどないがしろにした状況を、「もったいない」のNo.1にせずに何としよう!
助け合いとしての社会の本質(=助け合う喜び)を、奪い合う苦痛に
変質させてしまった社会。
たとえば、需給をつなぐ情報としてのお金を物質化したために生じた
歪みを、今であれば、オンラインマネー化+クレジット機能+課税や
社会保障など、あらゆる社会コントロール情報を一体化させることで、
貨幣を廃止する事が可能である。
もし拝金主義者の言うように、それで(「馬車馬の目の前のニンジン」
が無くなることで)人が働かなくなるのであれば、それはもはや人類は
生物(自律的生の原動力)ではなkなっているのだから、再び目覚める
まで淘汰されても止むを得ない。
psytex様、こんにちは。 お礼が遅くなって申し訳ありません。
>お金や出世といった“馬車馬の目の前のニンジン”によって、他律的に生かされる(イヤイヤ働く)ようになってしまっている状況。
はい、こちらを拝見しながら、かつての銀行員時代を思い出しておりました。
朝天気が良くて富士山が見えようものなら会社に赴くのをとても恨めしく思ったものでした。
で、明日お給料日だ!と思えば、「あと一日の辛抱だ~~」とも観念して耐えたりして。
上司の一人はよほど心配性だったのか、幾重にも保険をかけていたらしく、月々の保険の支払いのために生きているように思えてなりませんでした。
ですので、「他律的に生きる(イヤイヤ働く)状況」につき憂うというのも、なるほどよく理解できるのです。
そしてまた、給与振り込みではなくて現金支給の方がむしろ良いのではないのかなとも思う点があるのです。
お小遣い数百円を握りしめてお菓子屋さんや文具店に行くときの子どもの表情を見るにつけ、なかなかに捨てがたい気がするのです。
psytex様の仰るお説(貨幣廃止論)は理解できるのですけれども、私が強欲な性質のせいなのでしょう、どうしてもお金(貨幣)がバタ臭くも人間臭を帯びているのではないか、だから完全廃止しコントロール下に置く未来図がなかなか描けないでいるのです。
拙問「旅」でご提示下さったお写真、本当にありがとうございました。
今では広大なアフリカで撮影なさったに違いないと思っております。
それにしても、ブータン?の家屋の彩色壁画、質問共々消えてしまったのですね。
残念、滅多に見れない画像でしたし、もっとしっかり見ておけば良かった。
ああ、何てもったいない!!!
ご回答をありがとうございました。
No.7
- 回答日時:
1. 天から降る雨をそのままマンホールに流してしまうこと。
2. お風呂の取替えの水(トイレに使えるようにするといいですね)。
3. 商品の箱や包装紙。
4. 折込広告の紙
(私も現役中、いたずらで牧師たちと印刷会社を設立し、ちょいと設けました。広告印刷は、企画からデザイン、印刷までしてずいぶん利潤がありました。
━私の秘密の白状もう43年も前ですからね。)
5. ビルの照明。
6. 一人での車使用、タクシー
(父の田舎は茨城の過疎地です。車がなければ生活できない時代になりました。でも歩いて事をすますという仕方をしなくなりました。)
7. ちょいと遊んで:【生まれてきていること、死んでいくこと】
*神の創造の理念や目的は、創造界に存在させられている主格意識という存在体には理解できないし、把握ができない。
究極の存在や価値理念ということであれば、その向こうには価値も理念もない。
神自身は目指し、実現することを要するものはない。
だとすれば、神という意識と意志の創造は最大の遊びで最大の無駄でしょうね。
だとすれば、この創造界や宇宙は最大最高の無駄な残骸だと存じます。
krya1998様、こんにちは。お礼が遅くなって申し訳ありません。
多くの具体例のご教示まことにありがとうございます。
頂戴した中でも特に5と7につき長々と考えこんでおりました。
6の「一人での車/タクシー利用」は体調により致し方ないこともございましょう。
私などこの歳にして脚が悪いことが判明し、ついつい外出先でタクシーを利用したくなる衝動に駆られてしまい、何とも情けないかぎりです。
ほかの雨水と生活排水、紙に関しましては大いに賛同申し上げます。
5の「ランドマーク的ビル建物の夜間のライトアップ」につき以前質疑参加したところでは、都市部の防犯上の理由や、行き過ぎた省エネによる心理的な侘しさを感じるなどの意見も散見致しました。
いったん煌々とした灯りに慣れ当然視してしまうと、なかなか自然な暗闇に戻すことが難しいのかもしれません。
また、直近でkrya様から頂戴したお礼ならびに補足を未だに何度も拝見致します。
大変参考になります。 そしてこのたびのご教示7につきましても全く同様です。
「神という意識と意思の創造は最大の遊びで最大の無駄」であり、「この創造界や宇宙は最大最高の無駄な残骸」というのは、もったいないとは申せども──なのでしょう。
そして【生まれてきていること、死んでいくこと】──ただこれが全てなのですね。
宿題が増えました。暫くつらつらと考えてみたいと思います。
ご回答をありがとうございました。
No.6
- 回答日時:
勿体ないことをしてしまったのは、ゆとり教育の被害者の今の若者達だね。
うちにはお土産に貰った物を入れてあった箱があまりに綺麗なので、勿体なくてそれを捨てることが出来ず、押し入れに山と積んである。捨てるに勿体ないが使い道もない。勿体ないね。
あたしゃ、この世に生まれて来て酸いも甘いも味わえた。
なにごとのおこころざしかはしらねども もったいなさになみだこぼるる
てな心境だ。
木造さんよ。通勤時間の良し悪しは文化に依るね。あたしの若い頃は、若い者に取ってあの電車の通勤時間は貴重だった。あの勿体ない時間を利用してあたしも随分本が読めた。でも、あの当時でも、年寄りには辛かったんだろうね。あたしはアメリカに住むようになって、家から車で20分でオフィスに行けるようになった。ところが車じゃ本が読めないんだ。せいぜいラジオを聞くことぐらいしか出来ない。この便利さは勿体ないと思ったね。
また、ある事情でバスで通勤したときがあったんだが、その時に丁度ウオークマンが出て来た。そこで、好きな音楽をテープに入れて、あの勿体ない時間にそれを聞いていたんだが、ある時、とても恐ろしいことに気付いたんだ。耳栓を入れて音楽を聴いているときって、何も考えていないんだね。見事に頭が空っぽだっちゅうことに気が付いたんだ。散歩中もウオークマンを聞いていると同じなんだ。そこで、ウオークマンを聞くのを止めてみた。そしたら、また頭がいろんなことを考え始めた。どんな邪念でも、頭が空っぽなのよりは増しだと言うことに気付いたんだ。だから、辛い通勤時間でも、邪念でも考えている方が未だ増しだよ。
大分前に、インド人の友人に連れられてヒンドゥー教の坊主の説教を聞きに行ったことがある。その坊さんに言わせると、幸せになるには"self"を見付けなきゃいかんのだそうだ。要するに「自分」を見付けろと言うことらしい。その坊さんに言わせると、時間を忘れて夢中になれるような物に没頭している時には、"self"がどっかに行っちまってる。要するに頭が空っぽだ。だからそれはいけないんだそうだ。その坊さんに言わせると、邪念でも良いから"self"と対峙せよってなこと言っているみたいにも見えた。その坊さんを信じれば、通勤電車の苦痛は幸せになれる一歩なんかね。
やっぱ、人間て苦労しなきゃ駄目なんかね。あたしゃ、なんでそうなんか考えたことがあるんだが、日本じゃお盆の時に地獄の釜の蓋が開くって言うのと関係あるんじゃないかって思っているんだ。日本人は死ぬと皆地獄に行くらしい。日本人は前世によっぽど悪いことやって来たんだね。だから、運良くまた人間に生まれ変わって来た我々も、皆前世の罰が当たっているんじゃないかとね。楽して幸せになれないなんて、日本人は皆前世で勿体ないことしてしまったんだね。
cyototu様、こんにちは。
「勿体ないことをしてしまったのは、ゆとり教育の被害者の今の若者達だね。」とのお言葉、親として耳が痛いものがあります。
まさに上の子が小学生低学年の頃、本格的なゆとり教育が行われ始めました。
ゆとり教育の申し子です。
学校教育内容はゆとりに配慮がなされても、危機感を抱いた親は受験するしないにかかわらず可能な限り放課後進学塾/学習塾で学ばるため、課外活動やスポーツとの兼ね合いで子どもたちの自由なゆとりある時間など得られない傾向が周囲で見受けられました。
学校でのんびり休む、遊んでくる、といった感覚です。
だとすれば、本末転倒な話でありましょう、子どもたちの少年少女時代というのは二度と戻ってこないのですから。
お土産に貰った物を入れてあった綺麗な箱がもったいなくて捨てられないのですね。
日本の都市の中心部だと押し入れ/クローゼットのスペースまでもがもったいなく、あえて捨てたり処分せざるを得なかったりして。
「邪念でも良いから"self"と対峙せよ」、ですか。
通勤時間を過ごす=何だか辛い修業のようにも思えてまいります。
共働きしていた妊娠初期の頃、あまりのぎゅうぎゅう詰めに眩暈と吐き気を催し駅務室に運ばれたこと今思い出しました。
切迫流産の手前と診断されそのまま入院、勤務先の銀行を辞めるきっかけになりました。
今は妊婦バッジなるものがあって、妊娠中であることを示すことができるようなのですが、叶うことならそのようなものが必要無いような通勤時間の短縮ならびに通勤環境、幾許かの思念が生まれるようなゆとりが望まれるところではあります。
甘い考えでしょうか?
「なにごとのおこころざしかはしらねども もったいなさになみだこぼるる」から思うところのものは、
日本の「もったいない」が「なにごとのおこころざしかはしらねども」や生きとし生けるものに対する慈しみや感謝の念を弁えているという点において、倹約家や節約、ケチというある種の合理主義的精神とは少々異にするという点です。
的を射た歌のご教示ならびにご回答をありがとうございました。
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