アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

どちらが、いいでしょうか?
自分は前者です。

いきなりですが、例え話ですので、極端な言葉があるのですが、ご勘弁下さい。

(スポーツの試合を例えにします)意見聞かせて下さいお願します。
団体戦、個人戦、どちらでも構いません。勝敗が必ず付く勝負を行った場合の勝敗後です。

(1)勝った選手が、負けた選手に謙虚な笑顔で握手をします。 負けた選手は、相当悔しいのを、
 押し殺して、笑顔で謙虚に、ありがとうと、握手。
 (心の中は、悔しさで、勝った相手の事が憎くて仕方が無い、次は絶対倒すと思うものの、相手の
 勝利をたたえて、そして相手の勝利に水を差さないためにも、笑顔で握手)

(2)心の中を、そのまま、切り替えが聞かず、悔しい表情に、妬みがましい表情で、握手すらしない。
 ツンとして、悔しさを全面的に出し、再戦に備える。

人間関係において、特に、勝負事に生きる職種(スポーツ以外の職は、全てが安定の無い職業前提ですが) 、自分は(1)の人間です。 決して誇れません。なぜなら、負けた時の悔しさは、常に、相手を上回る物であると、認識しています。 悪魔の笑顔と、とれるような気もしますが、相手を思いやっての事です。(当然、自分が勝った場合も、そうであってほしい)人の心は見えないので、騙されないですが、勝った気分を害してほしくないと言う気持ちも一杯です。即ち、価値感の押しつけと言えば、
そうですが・・・・ 求めるのです。

求めるがあまり、相手が求めに答えなく、会場から、そそくさに去るのであればまだしも、ずっといて
勝利をたたえるわけでも無く、殺意すら感じる表情や、ふてくされるかのような態度の場合。
勝って尚、闘士がわきます。(殺意かな笑) 


皆さまはこのような時どうでしょうか?こんな経験一度や二度あると思います。
何人かで、競馬に行った時、自分だけ当り、回りは負けた時の返りの空気。
何人かで、パチンコに言った時、自分だけ勝ち、回りが負けた時の空気。
まるで、おごれと言わんばかりの(まるで勝つ事が悪のような事態)空気。
仕事で、自分だけ評価された時の空気。
同僚や、年配の方を、追い越し、昇進する際の、社内の空気。(正当な努力の末の昇進限定)
例えれば、共存競争というべきか、今の格差社会の象徴となるいろんなものに当てはまります。

他人の不幸は蜜の味でしょうか?自分は一切思いません。
しかし、他人の成功は、嫉妬の味です。しかし成功者に嫉妬してるのおを態度に出すと、負けを認め
た事になるので、(開き直って、タイトルやメダルを奪った所で)勝負に負けるような人間が、勝てる訳もない。

プライドが高いと言われます。しかしプライド亡くすと、居心地がよくないです。
(1)と(2)どちらが悪いのでしょうか?
皆さんの価値感の違いを教えて下さい。

決して、自分は、天狗になる事も無く、何が恥ずかしいかと申しますと、勝利もプライドも、何も掴んでなく、借金を抱え、負けを背負い、妄想で話をしているのです
ある意味怖いくらいのあほですが。(笑)

A 回答 (2件)

他人の不幸は…心配味


他人の成功は…笑顔になれたありがとう味
(1)(2)どちらが悪いか…どちらも悪くない人間らしいから。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

他人の成功は・・・笑顔になれたありがとうですか。
確かに、親密な関係の場合ありますよね。

成功報酬を、おすそわけして頂きたいという、妬み心でありがとうと言う人間もいますよ。
他人と言わず、知人の成功や家族の成功を喜ぶのは、その嫌らしい心からくるものでもあると思います。

むしろ他人からは、たかれない(道徳的に?)ので、成功に対し、ありがとうという言葉がでないとも思います。

結局自分は、他力本願な面が多い半面、回りが気になる。それが怒りに変わるのでしょうか?

求めるから、期待はずれだと、怒るのでしょうかね?

求めず、我が道を行けば、他人の成功も不幸も空気としか、考えられない。
しかし、そうなると(そういう生き方を極めると)冷たい人間になる様な気がする。自己中と言うべきか

>他人の不幸で・・・心配味
自分もそうです。人によっては様を見ろとなりますが(悪人)
心配するからこそ、自分の不幸で心配しろと、言ってるようなもの。
やはり人間というべきか、自分は貧乏症というべきか、輝く人では無いような気もします。

お礼日時:2010/12/18 05:52

ノーサイドという言葉もありますしね。


試合を競う競技者は同じ競技を愛する仲間でもあるわけです。
これは(1)に当たりますね。

昔テレビでアメリカンフットボールの選手のインタビューを見た事があります。その方は守備の選手で試合の一週間前から自分が担当する攻撃の選手の事を心から呪うと言っていました。相手を殺すとまで言っていました。現実の試合で彼に大怪我を負わされた選手が沢山いたそうです。これは(2)に当たるでしょうか。

やはり、勝負の世界に生きる人間の世界は地獄ですよね。フィギアスケートのような採点競技も並みの精神では耐えられない地獄の世界だと思います。価値を計って差別するとこの世界は地獄に変わってしまうのです。(1)でも(2)でも地獄の世界を生きる人間には勝利にしか価値はありませんよ。

そういうところから離れなければ、別の違った価値を感じることは出来ないかも知れません。
プライドは高くて良いのです。そのプライドが誰かの助けになる事に繋がれば、これ以上に美しい出来事はありませんね(*^_^*)

ご参考までに。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

自分は、毎日が戦場の職業、商人なのです。
公務員でもなく(ここにも当然リストラなど競争はありますが)
毎日が、勝負なのです。
大手の社員でもなく、中小でもなく、ちっぽけな血縁継ぎと自分の決めた道です。
自分はライバル視してない人間も、勝手にライバル視してるのです。
人は本当に汚い生きもので、どんな職であれ、結局報酬の対価でしか、価値感を語れない人間もいます。
そのような日々で、おのずと、スポーツに当てはめてしまうのでしょうね。
(1)の人間です自分は。 負けても涙も人には見せません。 怒っても基本笑ってます。
 しかし、自分の恐ろしい点は、涙が出たら止まらない、怒ると止まらない。
生き方としては(2)のほうが、いいのでしょうか?

双方、違法でもなく、罰せられませんが、皆さんの生き方として正しいと思う(1)と(2)どちらかを知りたいです。(知っても結局生き方変えず意味が無いと言われればお終いですが)
ましてや、自分が(1)なので、(1)に誘導、洗脳したいのかな?とも自分を見つめ汚いな、と思う始末です。

プライドで誰かの助けになる事・・これは間違いないです。 所詮は金銭ですが。 心のゆとりかな。

お礼日時:2010/12/18 06:02

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!