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例えばAはモデルガンと嘘をついてBに実弾入りの拳銃を渡したとし、Cを驚かすためにCに銃口を向けて引き金を引く真似をして来いと言われたとします。しかしBはそれが本物であることに気が付きました。しかしCに日頃から恨みがあったBはそのままCを銃で殺害したとします。この時A、Bの罪責を考えるとすると、Bは道具性を失っているためAは教唆犯にあたると思います。そしてBは殺人犯になるのでしょうか?このときなんと書けばいいのでしょうか?「Aは教唆罪にあたり、Bは殺人罪になる」でよろしいのでしょうか?教えてください。

A 回答 (2件)

はじめまして。



どこかの大学のレポート課題かな?

大学のレポート課題であれば、(大学にもよりますが)学説の対立の激しいところがわざと出題し、1つの解答にならないように作られているはずです。

上記のような共犯関係の場合は、まずは、実行犯(正犯)の罪責から論じるのが一般です。

Bの罪責は簡単です。
「本物の拳銃と知りながら、Cを銃で殺害した」とあるので、殺人罪に該当します。

細かく分析すれば、
通説的な見解である団藤博士の理論を使えば、
(1)実行行為→本物の拳銃をCに向けて引き金を引く
(2)結果→Cの死
(3)因果関係→(1)がなければ(2)がない(条件関係)、ピストルで撃てばその先にいるCに当たって死ぬ可能性があることを一般人も認識し得た(折衷的相当因果関係説)
(4)実行行為時においてBは、Cの命という法益を侵害する現実的な危険性を有する行為であることを認識し、その結果も認識・認容していた(構成要件的故意)

(5)正当防衛、緊急避難、一般正当行為などの違法性阻却事由はない

(6)責任能力あり
(7)違法性の意識可能性→Cを恨み犯行に及んだという流れから、当然に違法性を認識していたと言える。

よって、Bの行為は、刑法199条の殺人罪に該当する。


では、Aはどうか?
はたして、「教唆」でよいのでしょうか?

教唆とは、人に具体的な犯行をするように唆し、その結果、被教唆者が(教唆者の想定できる範囲内の)犯罪行為を行わせることです。(別の見解もあるでしょうが・・・)

Aが、Bにピストルを渡した時の認識は、「Bを道具のように利用してCを殺す」というものです。
責任主義の観点からいえば、故意は、実行行為時になければならないのが原則です。
すなわち、Aの教唆行為時に、「犯罪をする気のないBを唆して、Cを殺させる」という認識がなければなりません。

たまたま結果的に、望んだ結果が生じたことで、罰するのであれば結果主義となってしまいます。


私は、上記のような事案の場合は、無理やり解釈で「教唆犯」にするのではなく、素直に、Bが本物のピストルに気付き、恨んでいたからCを撃ち殺したことが、「行為時に、一般人であれば認識し得た事情を判断材料にして、因果関係の相当性判断をする」という折衷的相当因果関係の問題として、殺人未遂罪とすべきだと思います。

もちろん、Bが本物のピストルに気付いても、BならばきっとCを恨んでいたので殺すだろうという認識がAにあれば、因果関係をつなげてもよいかもしれませんが。。。問題文からはそのような事情は推測できませんね。


または、中森先生だったけかな・・・が好きな理論ですが、因果関係の錯誤として、錯誤論すなわち故意論で解決するという手もありますね。

Bが気付いて予想に反してCを殺すという因果の流れは、Aが想定していた因果の流れとは異なるので、その点について錯誤があったと考えるわけです。
判例ちっくな言い回しをすれば、その因果の食い違い(錯誤)が法定的に符合していれば、故意を阻却せず、符合していなければ故意を阻却する。
この理論はかなり理屈っぽいけど、刑法理論上は一貫性があって、私は好きです。


ただ、通説的な見解(構成要件で構成要件的故意などの主観的事情を考慮するという団藤博士の見解)では、やっぱり因果関係で解決するのがすじのような気がします。


質問者のご意見も聴きたいですね^^
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Aはモデルガンと嘘をついてBに実弾入りの拳銃を渡したとし、Cを驚かすためにCに銃口を向けて引き金を引く真似をして来いと言われたとします。

しかしBはそれが本物であることに気が付きました。しかしCに日頃から恨みがあったBはそのままCを銃で殺害したとします。この時A、Bの罪責

Bの罪責
BはCに日ごろから恨みがあり銃で殺害しているので殺人罪が成立する。

Aの罪責
AはCを殺害する意図でBにモデルガンと嘘をついて実弾入りの拳銃を渡したが、Bは情を知り正犯者としてCを銃で殺害している。Aに殺人既遂罪の教唆犯は成立するが、殺人罪の間接正犯は成立するか。
ここで間接正犯の意思で被利用者を誘致し、その後被利用者が道具性を喪失し、客観的に教唆となる結果が発生した場合の処理が問題となる。
この点、Bが道具性を喪失した場合には、Aの予見した因果の経過と実際の因果の経過に不一致があるから、因果関係の錯誤があったと考えられる。
本門では、Bが殺意をもつに至ったのは偶然によるものである以上、Aの行為とBの行為との間には社会通念上相当因果関係は認められない。とすれば、その錯誤は相当性の枠を逸脱するものである以上、その後の結果について故意責任を問うことはできない。
従って、Aに既遂の責任を負わせることはできず、殺人未遂罪間接正犯が成立する。
以上よりAには殺人未遂罪の間接正犯と殺人既遂罪の教唆犯だ成立し、両者は観念的競合となる。

(補足*間接正犯の実行の着手時期について被利用者説を採れば、間接正犯の未遂成立前に被利用者は情を知るに至ったのであるから、間接正犯の未遂を認める必要はなく、38条2項により軽い殺人既遂教唆として処罰される)
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