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アテネの街並みについての質問です。
アテネはヨーロッパの都市なのになぜあのような無機質な灰色っぽいビルが立ち並んでいるのでしょうか?
隣国のブルガリアの首都ソフィアの方がまだヨーロッパらしいと思います。
まあそうゆうアジアっぽい雑多な雰囲気も嫌いじゃないですが・・・

気になります。

A 回答 (3件)

 もともとギリシャという国は古代から、古代ローマに見られるような国家としての形態を持たず、アテナイやコリントスをはじめとする、いわゆる都市国家の単なる集合体でしかなかったのだし、ひとつの国家として整い始めたのは古代マケドニアによって征服され、さらにペルシャの侵略に対して都市国家間の協調が叫ばれはじめてから以降、つまり、およそ紀元前5世紀以降のことだと言われています。



 さらに、当時の古代ギリシャでは、パルテノン神殿をはじめ豪華な大型建築が建築され今日までその威容を誇っていますが、それは政治と宗教、あるいはほんの一握りの富裕な層だけのもの、これらの階層でだけ発展した文化であって、一般庶民にとっての古代ギリシャとは、政治も行政も行き届かず、都市計画もなく、結果的に道路も整備されず、上水も下水も不完全であり、個人の住宅は荒削りの木材と漆喰だけで雨風を凌ぐだけの構造のものを行き当たりばったりで適当に構えていた、このようにかなりひどいものであったらしいのです。

 それ以降二千数百年を経て、今日でさえ、こうした当時の無秩序さを名残りとして留めている今日のギリシャ、抜本的に無秩序と混沌を整理し、合理的な都市計画を現実のものとして推進するには、あまりにもこれまでの姿が乱雑すぎるし、経済破綻してしまったギリシャでは、またそれを根本から整理し整備するだけの国家予算もないのが現状・・・。

 というわけで、実際にアテネの街を歩いてみますと、たとえば案内書に書かれたパルテノン神殿に登るルートですら、中にはなんとクネクネと曲がり曲がって続く肩幅ほどしかない狭い小道でしかなく、しかも時には個人の住宅の小さな庭を遠慮会釈なく通り抜けなくてはならないとか、とにかく乱雑な小路の連続、それもまたひとつの雰囲気と言えば言えなくもありませんが、そのあたりに国家のあり方の行き詰まりを見せてしまっているのが本音ではないかと思うのです。

 そうした背景が、一方では、地元の人たちの人懐っこい笑顔に出会うチャンスを作りながらも、その一方で、ご質問者様がお感じになったような印象を与えてしまっているのではないでしょうか。
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アテネは中世~近世にかけての目立った歴史がないからでしょうね。


ローマの属領になって以後、東ローマ帝国やオスマントルコ時代はただの寒村だったらしいですね。
ですので、19世紀に入ってアテネ建国時に首都とされて以降の街並みとのこと。
だから、遺跡もそのままですし、そんな雰囲気なのでは?
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 日本でも京都ではマクドナルドの看板の色が茶色なのはご存知でしょうか。


 ギリシャは資源も乏しく観光収入が大きな財源となっています。
 そのためアテネでも景観保護のため大きな看板などは撤去されていますし、目だったものは立てれなくなっているのだと思われます。

 また第二次大戦の戦火をうけたことが原因かもしれません。ドイツ軍による空爆も行われましたし、その後の復興の際にそのような意図が組み込まれたのでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
確かにあの白っぽい建物がアクロポリスの景観に溶け込んでいるのかもしれませんね。
京都も見習ってほしいと思います・・・

お礼日時:2011/01/30 19:28

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