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ルールが無いことがルール…
理解できそうで理解できない。
ルールの定義付け次第で結論が変わってしまうのですが
ルールが無いことがルールとはどういうことなんでしょうか。

A 回答 (12件中1~10件)

文脈が分からないと、正確には答えられません。



1. 元来、ルールとは、社会性(組織化&分業化)に付随して
自己中心的な衝動的行動を抑制し、社会行動をとらせるための
ガイドであり、それが無いのがルールというのは、一次的には、
自然淘汰的な社会性のない状態を指す可能性があります。

2. 社会性の発達において、個人の社会行動を導く方法として、
社会情報に対する自覚的な方法や、その補正たるモラルや法規
といったルールを設ける方法の他に、社会性を情報としてではなく
貨幣や地位といった制度の側に盛り込み、その二次的に処理された
社会情報の先入化(虚構の価値)を奪い合うことによる、弱肉強食
の擬似ジャングル化することで、「ルール無用」にできます。

3. もちろん、そうした自己の生存における社会生命性の自覚化
により、自律的に社会行動をとれるほど認識が発達すれば、ルール
=強制の必要はなく、ナマの社会情報を流通させれば良くなります。
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おいでイスタンブール


うらまないのがルール
飛んでイスタンブール
光る砂漠でロール

おいでイスタンブール
人の気持はシュール
好きよイスタンブール
どうせフェアリー・テール

実際に発声していただけると、お解かりいただけるかと思いますが、
「韻を踏む」の定義に沿った言葉であれば、
「言ってる自分に酔える」という結論になります。
結論は変わらないでしょう。

加齢とともにダジャレやエロトークが向上しますが、「韻を踏む」もまた人生経験を重ねた人の言葉遊びから派生したものと思われます。

また、これは単なる一般若年者が人に披露しても不成功に終わる事が多く、それなりの立場の人間が周囲から次の発言を待ち注目をされている場面でこそ効果を発揮します。
つまり、説得力を持たせる伏線ありきなのです。
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田舎の坊さんです。



 先ず、現象界にはそもそもルールは無いと云うか、成り立たないです。

例えば、交通ルールで一旦停止の札や信号機を設置してもいくらでも、違反は出来ますし、運転者(人間)にルールがあっても車にも馬にもルールはありません。人間でも文字が読めなければ意味も判りません。

次に人間の観念界はどうなっているのでしょうか? 万引きをしてはいけない・一旦停止・駐車違反…、ルールは沢山ありますが、守るも破るもその人次第です。
 その社会のルールを破れば、罰則が強制的に与えられる場合もあります。しかし、観念界にもルールと云う不変の真理があるのかと云うと、人が思考でルールを自分の都合で理解するだけでルールと云う実態はありません。 文字・音声・記号…程度の共通主観が存在する程度です。
 「無いものが、無い」と云う概念は成り立たないです。


 私がルールと呼ばれているものを意識して、自分の観念に作るのは、自分が幸福に生きる為、他と協調して生きる為です。 だから飲酒運転のルールも守りますが、五分で帰れる道で、私の思う安全に問題なく警察の取り締まりも無いだろうと判断した時は飲酒して運転もします。
 ルールは共通の現象界にある様に勘違いしやすいですが、個人の脳の中の観念にのみ、まったく一人ひとりバラバラに創られては消えてゆきます。これを佛教では「無常」ともいいます。
 「無常」や「無我」の理が見えたら、ルールは無いのが当たり前で、だから他と協調して正しく生きようと努力します。
 
 と云うわけで「ルールが無いことがルール(理)」です。
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何やっても良いということです。

つまりルール違反が無いということがルール。

論理的に言うと、集合Aがやってよいこと、集合Bがやってはイケない事とすると、AとBの和集合が全体集合です。
ここで、集合Bが空集合である場合が「ルールが無いことがルール」の状態です。
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 ANo.6 俗にジャングルのルールは外部的にはルールのないルールということにもなります。


 そういう状況をもルールなきルールでしょう。ANo.7さんのご回答です。
 それは弱肉強食、強いもの勝ちというルールでしょう。
 これは従来法制史でいわれる先の自然法というタームの内容とは異なります。
 労働者団体法や保護法。或いは社会保障法やその他の社会立法がない資本主義社会は、そういうルールのない弱肉強食、強いもの勝ちのジャングル社会という事もいえます。
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素人ですが、ルールというのは何か目的がないと成立しないのではないかと思います。

俗にいう目的のためには手段を選ばないという状況がルールがないことがルールということに対応するように思います。
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 規定などで束縛をしない、ということをルールにしている。


 だれもそこに一定の考えで規定やルールを持ち込んではいけないという、その“いけない”がルールだということでしょう。
 自然のままを大事にしようというルールではないですか?
 でも西洋の法思想史での自然法っていうのは、私の理解では、一定のあり方をこれが神や自然でのもっとも根本に根ざし、根幹的なルールだ。という主張のために言い出されてきている経過がありますね。
 自己の主張のジャシティファイの看板と理屈付けに。そういう側面もある自然法とは違うと存じます。
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こんにちは!


法哲学でいう「ナチュラルロー(自然法思想)」のことと同義だと思います。

たとえば,ナチュラルローの思想では,人間が生まれながらに持っている権利と義務を認めていますから,日本国憲法で戦争放棄を規定していても,国家が成立以来持っている,他国からの武力侵略に対して自衛戦争をして自国民を守ることは固有の権利であり,また自国民を守る国家の義務であると考えて,戦争放棄を無効の規定と考えます。条例や訓令よりも法律が上位の規定になりますが,その法律より上位の憲法よりもさらに上位にあると考えます。
 この場合もルールの上位,ルールがなければ,そこにナチュラルローの考え方が存在するものと思われます。やさしい言葉で言うと,常識がこの場合,一番近いようですね。
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まだありました。



「バカって言った方がバカ」
「血で血を洗う」
「スミマセンじゃすみません!」
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ネットゲームのMMOなどでそんな言葉をよく耳にします。


ゲームの開発・運営が設置した遊び方には、設置したこと以外はルールが無いはずなのですが、
効率的だったり、他人に対する思いやりのためにローカルルールもしくは俺ルールが発生します。
当然のことながら、守らない人もいますし、そんなルールは無効だという人もいます。

そのために、ルール違反だマナー違反だと論争が起き、さらにトラブルの種になります。
そこで飛び出すのが「ルールが無いことがルール」、
設置されていないルールを勝手に作るのはルール違反ではないか?という観点です。

本来はフェアプレイの精神の反映でルールが無くても規律を持ち、あえてルールを作らないことを示していると思いますが、
良識を疑う行動にでる人を非難できないのも現状でしょう。
ルールが存在しない場所でルールやマナーを勝手に作る。
ある意味では紳士的、ある意味では傲慢である行動を嗜めるための言葉が、
現状の「ルールが無いことがルール」ではないでしょうか?
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