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2より大きな偶数は、2個の素数の和で必ず表せると、ゴールドバッハは予測しました。例えば14は、3+11=7+7と2つの素数の足し算で表現することが出来ます。実際にコンピュータで5×10の17乗の偶数まで成り立つことが証明されています。この事実は、何を意味しているのでしょうか。
偶数は、等しい2つの数に分けることが出来ます。偶数(2Pとする)を2つに等分した(Pとする)一方から、ある数(A)を引き(引いた後をXとする)、他方にその数(A)を足し(足した後をYとする)、XとYが共に素数である様なAが必ず存在すれば、予測は証明されます。
Y=X+2Aと表されます。表を使ってイメージを伝えます。横線の左端を0、右端を2Pとし、中間点をPとします。元々、XとYはP上にあります。Pが素数であれば、XとYを動かさなくても済みます。偶数(2P)=P(素数)+P(素数)と表されます。そうでない場合は、XをAだけ0に近づけなければならず、その分YはAだけ2Pに近づきます。
0からPまでの間には、素数が2から順番に3・5・7・11・13・17・19・23・29(どこまでも続きますが、説明の便宜上10個までとします)と順番に並んでいます。Pから2Pまでには、0からP間にある10個の素数の倍数が並んでいます。そうして、0からP間にある素数の位置にXを置いた場合、Yが0からP間にある10個の素数の倍数位置に来なければ、Yは素数となります。(素数の倍数の位置にYが来ると、Yは素数ではなくなります)
Pが、0からP間にある10個の素数である、2から29までのいずれかの素数で割切れる場合は、その位置にXを動かしても無駄です。Yがその素数の倍数になるからです。(PはXの倍数となる。P=X+Aなので、AもXの倍数である。従ってY=X+2AもXの倍数となり、Yは素数ではありません)その場合と、A=X/2の場合以外は、YはXを置いた位置の素数(Rとする)の倍数にはなりません。
そうして、Xを0からP間にある全ての素数上に置いたとき、Yが全ての場合において、0からP間にある素数の倍数の位置に来た時のみ、Yは素数ではあり得なくなります。その時のみ、偶数(2P)を2つの素数(X・Y)で表現することは出来ないと言えます。
 偶数(2P)を2つの素数で表現出来ない確率は、偶数(2P)が小さい間は、大変低いと言えます。Xを置くことが出来る位置は、素数の位置のみです。素数10個の例で説明すると、Xを10箇所の位置に置いて見て、その10回全てにおいて、Yはその10個の素数の倍数位置いずれかに来なければなりません。1回でもそれらの倍数の位置に来なければ、XとYは素数となります。Xを置くことが出来る位置は10であるのに対して、Yが来られる位置は非常に沢山あります。しかも、10回中1回でも来る事が出来れば良いのです。
 従って、偶数(2P)が小さい内は、2つの素数で表せない確率は大変低いと言えます。しかし、偶数(2P)が大きくなるに従って、0からPまでに現れる素数が多くなって行き、Pから2P間においては、増えた素数の倍数がどんどん除かれて行き、素数は次第にまばらに成って行きます。そして、偶数(2P)が大きくなるに従って、XとYが共に素数となれる確率は、低下して行きます。偶数(2P)が極端に大きくなると、Pから2P間に素数が全く存在しなくなることもあり得ます。その場合、偶数(2P)は決して2つの素数では表せません。
コンピュータで確認出来た範囲は、まだ偶数が小さく2つの素数で表現出来る確率が高かった為そうなっただけです。ゴールドバッハの予測は、言い換えれば、偶数が2つの素数で表せる確率が高い時には、その偶数はその2つの素数で表せると、当たり前の事を言っているだけだったのです。

A 回答 (7件)

言いたいことは、



偶数(2P)が極端に大きくなると、Pから2P間に素数が全く存在しなくなることもあり得るから、偶数(2P)は決して2つの素数では表せない。

でしょうか?


前の質問でも同様でしたが、ここにも無限の問題がでてきていますね。
無限について安易に論じないほうがいいですよ。


なお、任意の自然数 n に対して n と 2n の間には素数が存在することは証明されています(ベルトラン=チェビシェフの定理)。
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> 偶数(2P)が極端に大きくなると、Pから2P間に素数が全く存在しなくなることもあり得ます。



この「あり得ます」が、怪しいレトリックになっている。
2Pが大きくなると、Pから2P間に素数が存在しなくなることもあるような気がする
…という単なる感想を、実際にそういう例がある…という証明にすり替えようとしている。
これを、まともな証明へ修正したいなら、Pから2P間に素数が存在しないようなPが
確かに存在することを、何らかの方法で示さなければならない。
それが不可能であることは、A No.2 に書いてある通り。
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多分質問者さんは、数学の定理を証明することの意味を理解していないのだと思います。

ある人にそれの正しさや、あるいは間違いであることが自明に見えることでも、それが本当にそうであると厳密に証明することは簡単なことでは在りません。そして、その当たり前だと見えたことを証明する過程で、数学の基本的な概念が洗練され、幾つかの新しい概念がそれによって生み出されて来る歴史を数学は何度も経験して来ました。そしてその新しい概念を使って他の自明でない定理が証明されて来たりもしたのです。だから、誰が見ても当然に見えるものを、実はその通りに正しかったと証明をして何になるのか、という非難はお門違いなのです。

例えば、「ジョルダンの閉曲線定理」と言うのを質問者さんはご存知だと思います。それは、以下の通りです:

c を平面 R2 上の単純閉曲線とする。このとき、c の像の補集合は二つの互いに素な連結成分から成り、一方の成分は内部と呼ばれる有界領域であり、他方の成分は外部と呼ばれる非有界領域となる。また、c は両成分の境界を成す。

厳密さを犠牲にしてもっと直感的に言うと、

 平面上に閉じた連続曲線を描く時、その平面は曲線の内部と外部に必ず分けられる。

と言う定理です。この定理の証明は、複素平面の意味、連続の意味、閉じた曲線の意味、集合の意味等々、数学の基本的な概念の正確な定義を解析的に明確にして行かないと証明できません。だから、直感的に自明に見えることを、やはりその通りであったと厳密に証明することは数学では大変重要なのです。


実は私は物理屋なのですが、物理屋から見て解析的に証明が出来ていると見えることでも、数学屋さんに言わせると穴だらけのことが諸っちゅう在ります。私が知っている有名な例は、非線形数学で有名なKAM(Kolomogorov-Arnold-Moser)理論あるいはKAMの定理と言うのが在ります。私は1955年ごろに出たKolomogorovの数ページばかりの原論文の英訳を読みましたが、そこで論じられている解析的な分析から見ると、彼は本質を全て説得力ある形で述べており、物理屋の目から見ると証明は本質的に終わっているように見えました。ところが、この定理を数学屋さんの目から見て厳密に証明されたのはその5年後あたりで、それぞれArnoldとMoserが独立に提出した論文でした。それらの論文に目を通したことがありますが、ArnoldはKolomogorovの論理に近い形で証明しており、それには100ページを優に超えており、MoserはKolomogorovの論理を大分変えた形でアプローチしており、その論文も数十ページに渡っていました。そして、その結論は、Kolomogorovは正しかったと言っただけでした。確かにその証明の過程で、ArnoldはArnold拡散というKolomogorovも気が付かなかった現象を見付けまいたが、そのことは元のKolomogorovの論理の単なる枝葉で、本質的な主張はKolomogorovで全て出ていました。

こと程左様に、数学の相当訓練を受けている筈の物理学者が見て証明が出来ているように見えている物でも、それを数学者を満足させるように厳密に証明するには、細かな問題を一杯明確にして行かなくてはならないのです。

幸運にも物理屋や工学者には、自然現象との直接な比較と言う、数学者の持っていない認識の仕方が在るので、厳密さに欠けていても物理屋や工学者は安心していられるのです。しかし、数学者はそんな便利なものを持っていないので、物理屋程度の理解では納得されないのです。そして、その徹底した態度が数学者を有意義な存在として皆さんから尊敬されているのです。
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....


「偶数が2つの素数で表せる確率が高い時には、その偶数はその2つの素数で表せる」
がどうして「当たり前」なのか.

ちなみに「素数がまばらになる」というのはある意味正しい (素数定理) が, 逆に「どんな α>0 に対してもうまく N を選べばすべての n>N に対し『n と (1+α)n の間に少なくとも 1個の素数が存在する』」ということも知られている.
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質問者さんの数学的センスがないだけです。


数学をやらなければいいのです。
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Pから2P間のほうが0からP間より素数の密度が低いことは確かでしょう。

ここであなたの考察を逆にしてみますと、Pから2P間のほうから素数Yを選んだとき、素数Xを選べる確率は高くなると考えられます。

(あなたも確認していると思いますが)以下サイトにあなたの考察と逆の予想が書いてあります。
「偶数が大きければ大きいほど、二つの素数の和で表されるというのはより"ありそうな"こと」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%BC% …

すなわち、この予想は即席に確率を掃きだして範囲を限定できるようなものではなく、「当たり前」の事を言っているだけではないと考えられます。

また、この予想が「ナンセンス」かどうかですが、これは意外と答えるのは難しいですね。数学も含め、いわゆる自然科学は「真理」を求めるのですが、「なぜ真理を求めるのか?」という疑問は、自然科学の中で問われることがありません。"単純な"文章や数式で真理を表現できる定理を発見することに、「美しさ」を感じたり、「森羅万象を知る欲求」が満たされるから、意味がある(=ナンセンスではない)といえるものと思います。
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何が何だかサッパリわかりませんが、0の発見に代表されるように、数学って当たり前を証明する事じゃ無いの?

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