プロが教えるわが家の防犯対策術!

 この質問をするに当たって、とりあえず、gooのマーケティング関連の過去ログ約600件を見ました(見落としもあるかもしれませんが・・・)。「経済学と経営学」の関連等についての質問は数件ありましたが、明確に表題について論じたものはありませんでした。考えますに、マーケティングとは、企業活動をマーケット(市場・顧客)視点で見直す考え方のことであり、結局は、企業活動全般におよびます。市場や顧客という視座から経営をとらえて行くこと=すなわち、プロダクト・インの発想=工業化社会からの脱却と、ニューエコノミーにおけるビジネス発想の転換ということでしょうか。 コトラーの新しい教科書「新マーケティング原論」では、ホリスティック・マーケティングという言葉が使われています。そこには、当然、企業組織論や労務管理論も含まれるはずです。ドラッガ-やポーターの理論も引用されています。学問のカテゴリーを広義で表すか、狭義で理解するかは難しいことだと思いながら、21世紀のマーケティング論については、経営学の一部分とか下位概念とは考られない時代だと思います。そこで、マーケティング論は既存の経営学とどこで線を引くべきでしょう。それともすでに融合(もしくは視座としてはマーケティングが凌駕しており)、将来はマーケティング論(学)的発想こそが経営学の主流になるのでしょうか。少し、ご意見をお聞かせください。

A 回答 (7件)

呼ばれて飛び出てジャジャジャジャ~ン♪


いい気になって再登場しました。このような議論の機会は最近あまりないので、まずはkaz-mさんに感謝。では、焼酎などを引っ掛けながら、まったりと書きます。

私はsasurai2さんの意見に賛成で~す。翻ればkaz-mさんの意見でよく分からないところがあります。
>ひと言でいってしまえば(中略)マーケティングの出発点であったということでしょう。
異議あり。私の立場は
>「マーケティングはとても日常的な 、誰もがやっているような行為です」といった視点で答えています。
です。つまり、マーケティングが近代工業化社会の云々以降に成立した、といったショートタームでは捉えて欲しくない。だから
>顧客主義という考え方は、日本ではマーケティングが輸入される以前から 、当り前のようにあった考え方の筈です。
を主張するので
>マーケティングがプロダクツの過剰供給時代から発生したのではなく、人間の文化的営みと同時にそこにあったもの
に賛成。

>日本の暖簾=企業ブランド
反対。暖簾は「ココロ」。
>企業ブランドは、最近の傾向であるプロダクト・ブランド的発想にはそぐわないと~
それは「カタチ」。カタチは常に変わる(だから日々アップデートが必要だし、一度教わったカタチから抜け出れない新人は大変困る)。カタチは時代とともに変われど、変わらないココロがある(ココロを理解していない新人はもっと困る)。

カタチは刻々と変わるので、求められるスキルも刻々と変わる。現実を見れば、我々の業務もどんどん細分化している。それに伴って、マーケティング・サイエンスはどんどん細分化を求められるように思う。それが別に専門学校のジャンルになることだとは思わないし、専門学校のジャンルになることが問題だとも思いません(専門学校の専売特許になったのだとしたら、専門学校の方がマーケットニーズをちゃんと理解していたということか?)。ただ、細分化していくというのはゼネラリストとスペシャリストに別れていくということでしょうからね。

>結局、マーケティングをどのような位置付けでとらえるかがポイントなのでしょう。
そ~かな~? それって
>21世紀のマーケティング論については、経営学の一部分とか下位概念とは考られない時代だと思います。
と、矛盾してないですか?
>コトラーをどう超えるか⇒ポストモダンのマーケティングとは・・・
なんて言うのなら、「マーケティング」という言葉を外してしまった方が、それこそマーケタビリティが高まるのでは?などと無責任に思ってしまいました。

もひとつ、私が言いたかったのは
>マーケティング(中略)戦いの一面があります。
コレ! コレです。
私の仕事の中心なんて、ブランディングとキャンペーン・プランの立案ですから、日々試されるのは「暖簾」の美学と「兵法」なんですよ。あと、勿論「消費者」「生活者」としての「現実認識」も大事なんですけど。

何か、私の話はちゃんと噛み合ってます? 大丈夫かしら。ちょっと元に戻します。
>マーケティングは経営の主流になるか?
そこまで言うのであれば、マーケティングを特殊なモノにするべきではない。でも「マーケティング」なんて言うと
>まるでブラックボックスか
もしくは、万能のソリューションかプログラムみたいに見られているみたい。
に日々感じるから
>マーケティング論は既存の経営学とどこで線を引くべきでしょう。
なんて言ってないで、「顧客視点の最新経営学」でイイんじゃないの? 少なくとも「生活者」としての自分は、コッチの方が分かる。ただ、その中で、マーケティング・スキルにまで踏み込むような場合は、その前に「一般教養」として「商い」と「兵法」を学んでおいてね、という感じです。

明日、冷静に読み返すと「なに暴言吐いてんだ」と滝汗になるような気がしますが、ええい!送信しちゃえっ!
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この回答へのお礼

 焼酎ですか。たしか20世紀後半にマーケティングのお陰でおおばけしたプロダクツですね。“幻・・・”なんていってね。わたしはワイン党です。関係ないか(^^;。
そういうことは、おいといて・・・。
 現実に今、企業にココロは残っているのか。いや、グローバリゼーションにおける日本のココロなんて通じるのだろうか。敢えてそう書いておきます。
 経営の美学は、従来の経営学においてさんざん語り継がれています。ところがそれらは固有名詞の経営者の人生哲学です。ここのところはどうも世の中混乱しています。企業活動におけるリーダの美学は必ずしも、企業に正しく受け継がれていかないのはご承知のとおりです。そういう意味でかなり醒めた目で最近の企業活動を見つめています。
 また、リースマンの「孤独な群集」に描かれた「他人指向型」の群集へのマーケティングと、最近の「個の価値」に立ち返る「内部指向型」への回帰(これをわたしは、再・内部回帰型と呼んでいるのですが)をどうとらえていくべきなのかも興味のあるところですね。
 顧客視点の最新経営学」というネイミングなかなかいいですね。結局、わたしが言いたかったのはこのことなんです。Mark(的)に当てるなんていうから誤解が生じる(^^;。これをなんとか工夫して、次のビジネス教育の主流にしましょう。
 
暴言に期待していますです。

お礼日時:2003/09/26 10:11

>経営の美学は、従来の経営学においてさんざん語り継がれています。


ええっ? そうなんですか!
私は「固有名詞の経営者のサクセスストーリー」の紹介に留まっており
それら(美学と呼ばれるモノ)を
構造的に/体系的に把握したり、モデル化したりといった作業は
全然なされてないと思っていたのですが、違うのでしょうか?

私はそのような客観化/相対化する視点が弱いと思っていたので
もっと単純に言えば
安易に成功例やマニュアルに従いすぎる
失敗から学ぶ、といった当り前の努力が足らん
それでは自分のモノにならないぞ!と思うことが多いので
「歴史」を持ち出していました。

でも、まあ、いずれにせよ
私はアイディアを持っている人がある程度確信しているなら
「やってみなはれ」と全面的に支持します。

そういう時って、実務上はマーケティングが邪魔するんだよね。
根拠(となるデータ)がない、とか言ってね。
消費者に「何が欲しい」なんて聞いたって
ロクな答は出てこないんだからさ。
市場はドリームメーカーが引っ張るんだよ。

kaz-mさんの新しいマーケティング論を楽しみにしています。
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この回答へのお礼

だいたい結論がでてきましたね。
おしゃるとおり、美学と言う意味や体系化というのも不足しているでしょう。ただ、わたしはちょっとそういう固有名詞の人物に内心で反感がありますが・・・(笑い)

 なお、特にポスト・モダンとは言いませんが、ホルブリックなどの消費者行動学という分野、これも所詮、マーケティングの細分化、専門化だとは思いながら、こういう見方はもはや社会学だなぁとつくづく学際というものの無意味さを感じています。
 しかし今回は、マーケティングの実務家のみなさんとお話ができてよかったと感謝しています。また、最新の話題を提供してください。
今われわれが感じている、市場の閉塞感を打破することは、結局、みなさんがた現代の「匠」たち(必ずしも製品ではなく、新発想も含めた)による新しい生活スタイル・人生スタイルの創造なのでしょうから。
 

お礼日時:2003/09/28 08:25

本論から離れる気がしますが、ご要望なので。


職業としてのマーケターは、周知のとおりメーカー、広告代理店、調査会社、独立系プランニング会社にいます。マーケティングの仕事で食っている人。正確にいえばマーケティング・プランナー。リサーチャーは厳密には除くべきでしょうか。戦略立案家。計画段階がすべて。形が待っている設計とは違うと思います。
(ポストモダン的仕事?でしょうか?)
もっとも、文字通りマーケティングする人を指すならば、ほとんどすべての社会人がマーケターなのでしょうが。
あてもない未来に向かう、とういうのは、
・月に行く計算はできても、そこ歩いてる人が買ってくれるかどうかは、計算通りはいかない。
・市場を創造する。そんなことどうやったら。
・選択肢、代替案の乏しさへのおそれ。
・やってみなければわからない、という言葉への空しい反論。
・経験の暗黙知との戦い、自信の喪失。
・競争相手企業のマーケターの同時進行的脅威。
感覚的で申し訳ありません、悲観的に表現すればそんなとこでしょうか。楽観的には裏返してみてください。「ほんのちょっと楽観」が未来にあたるには必要みたいです。
購買心理、ほとんどすべて、のテーマではないでしょうか。
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この回答へのお礼

 いや~ありがとうございます。
やっぱり空中戦より白兵戦(?)がいいですね。この回答はアレンジして是非使わせてください。
「やってみなければわらない・・・」というフレーズには思わず拍手してしまいました。たしか「やってみなはれ」と言ったのは幸之助さんでしたね。(わたしが聞いたわけではないですが)
 しかし、ここに書いていただいたことがマーケターの本音だと思いますし、企業における実際の立場やエージェントのマーケ所属のみなさんのある意味でのフラストレーションやストレスなのでしょう。
 わかる気がしながら、だからこそマーケティングの視点こそが、19~20世紀の経営学を越えるんだとこえだかに叫びたいのです。そのような暴挙(?)の根拠が、文化論というのはわたしの感覚ではちと弱いのです。連中もきっちり文化論を持ち出しますからー。そこで、例えば情報化やネットワーク社会におけるニューエコノミーに伴う新経営感覚は、マーケティング学にこそ求められるのだ、つまりマルクス主義の敗北と同じように、マーケティングこそが旧来の経営学を凌駕するいえないのかと考えていますんですがー。

お礼日時:2003/09/26 09:05

本当はCUE009さんの意見ももっと聞きたいなと思っているので、再登場を期待しながら。

また私は、「ポストモダン」の意味がよくわからない、ことも前提に。
「2000年間で最大の発明は何か」(草思社)という本があって、世界の100人の知識人の回答のうち印刷術や科学、教育という概念などに混じって「マーケティング」(の発見)があがってました。
マーケティングは発見されたもので、その発見は文化的、経済的、社会的、心理学的な革命だそうです。(宗教革命もマーケティングの洞察力らしいです。彼は、マーケティングの民主主義的な愚かさを同時に否定的に見ています。この点では私の意見は違っていますが割愛します。)
私もマーケティングがプロダクツの過剰供給時代から発生したのではなく、人間の文化的営みと同時にそこにあったもの、発見された概念と思っています。
マーケティングの視点が経営学も包含する可能性も認めています。ただ、まだ経営学の広範さに対してマーケティング革命的研究成果が全く不十分だということです。そういう意味で主流を担えるまでは数十年。
CUE009さんの仰る「歴史」的研究も一つと思います。有史に遡る研究。日本での「商い」にウェイトを置いた研究。経済学に対する研究。そんな学習可能な体系的原理と広がりが用意されれば、別に何かを凌駕しなくても、本当は医者であれ八百屋であれサラリーマンであれ、これからの社会人にマーケティングの概念理解の必要性を考えると、専門学校ではなくむしろ高校くらいでは知るべき教養ではないかと思います。就職活動=社会人になるための活動、であるならば、必須ではないでしょうか。
ただ、職業としてのマーケターは将棋差しのような、先の話です。あてもない、未来に向かうので。
こんなところで。教育の世界のことはよく分かりませんが、がんばって下さい。
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この回答へのお礼

 簡単に・・・。
結局、マーケティングをどのような位置付けでとらえるかがポイントなのでしょう。社会学的なとらえ方を推し進めていくと、例えばヴェーバーの「プロ倫」は欠かせませんね。そういう見方は大好きですが、あまりに分野が広がりすぎて、最近のわたしのように「購買心理学」的な方向に向かってしまい、先日書いたような、ビジネスの基本までおろそかになりそうです。
なお、もしよろしければ、職業としてのマーケッターという存在と「未来に向かう」という発想についてもうすこし教えて欲しいものです。

お礼日時:2003/09/25 09:33

「マーケティングと経営学」について確かになかなか見あたらない質問ですので、一人の回答者では淋しいと思い、参加します。


マーケティングが経営学を凌駕することは、今のところ考えられないと思います。
ご指摘の通り経営学はマーケティングを一部分としています。MBA志望者は増加するでしょうが、マーケティング留学という人がそれを越えることは長い当分ないでしょう。人(学生)がマーケターコースと経営者(もしくはビジネスエグゼクティブ)コースのどちらをキャリアとして選ぶか、という問いが端的だと思います。
マーケティングの凌駕、マーケティング視点での企業の機能の再構築については(大いなる可能性を認めたいと思いますが)まだ緒についたばかりで、経営学を飲み込むには時間がかかるのではないでしょうか。数十年?
コトラーはマーケティングの世界を拡大させて来たのですが、まだそれだけに留まっている気がします。(新、は未読ですが、非営利組織のソシアル・マーケティングはじめこれまでも貪欲に領域拡大しています。引用は実に多いです。言い意味でマーケティングを大きな屋根に育てています。逆に経営学にそういうダイナミズムがないのも事実。)モノ売ってマーケティング、人増えて経営ですから、始めにある方が強いのでしょう。
マーケティング「学」といいにくいように、マーケティングは即学問と行きにくい、ところあります。戦いの一面があります。戦術、戦略は現場でも多用します。言葉はまあ良いとしても、定石(学問)知っているのは当然ながら、定石を超えるのがプロのマーケターですから、学問と現場の格差は大きいと思います。
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この回答へのお礼

 参加していただいて・・・感謝しますm(_ _)m。
「コトラーはマーケティングの世界を拡大させてきた・・・」はそのとおりでしょう。
しかし、おっしゃるように「マーケティングは即学問と行きにくい、ところあります。戦いの一面があります。戦術、戦略は現場でも多用します。言葉はまあ良いとしても、定石(学問)知っているのは当然ながら、定石を超えるのがプロのマーケターですから、学問と現場の格差は大きいと思います。」ということが、現実的な限界(?)なのでしょうか。
 そうだとしたら、結局、少し言い過ぎますと、マーケティングは専門学校のジャンルになってしまいます。実際、匿名ですから書きますが(笑い)、マーケティングはツールだと割り切ったほうが理解し易いかもしれません。そうあるべきかもしれません。
 but,それではこちらが商売になりません(^^;。いまここでさせていただいている議論はそういう意味で、コトラーをどう超えるか⇒ポストモダンのマーケティングとは・・・に繋がるかもしれません。そういう期待を込めて、マーケティング学が、ここ数年、立ち止まってしまった富山の薬売り的経営学を覚醒させる役割を担うべきなのでしょうか。ただし、わたしはこういう論点をはっきりせずに、就職活動さなかの3年生の必須としてマーケティングを教えても学生に失礼かと・・・。

お礼日時:2003/09/23 09:03

質問者は御教授にあたられている方なんでしょうか~?!


>コトラーはマーケティング学の第一人者であり
なんて偉そうに書いてしまい、滝汗です。

御返事、大変興味をそそられました。
今とっても時間に余裕があるので
ちょっと思うことを気がむくままに書いてみます。

>マーケティングの実務家とし今欠けているマーケティング教育のポイントをお教えください。 
教育の「ポイント」は正直言って分かりません。

ただ
例えばこのOKWebに寄せられる質問でも
「マーケティングって、何ですか?」
「用語辞典などで調べましたが、意味がさっぱり分かりません」
みたいなモノが多くて
マーケティングって、まるでブラックボックスか
もしくは、万能のソリューションかプログラムみたいに
見られているみたい。

方や、回答側のほとんどは「マーケティングはとても日常的な
誰もがやっているような行為です」といった視点で答えています。

このギャップは何なんだろう?

だいたい、輸入されて既に半世紀以上経つというのに
今だ「マーケティング」とカタカナ表記ですもんね。

顧客主義という考え方は、日本ではマーケティングが輸入される以前から
当り前のようにあった考え方の筈です。
お客様は神様です、ですから。

私は、学生さんには「マーケティングとは何ぞや?」なんてテーマを持って
マーケティングなどという一般に理解されていない論の本を読んで
需要の少ない専門用語を覚えるよりも
(それはそれでとっても偉い努力ですが)
城山三郎や山崎豊子の本でも読んで
商い、というものの精神を深く考え
ブランドなどと浮かれずに
暖簾、という美学を論じて欲しいなあ
日本にはそういったケーススタディなら
枚挙にいとまがない筈だから。
あとは、マーケティング成立の歴史認識に
もう少し強くなっておいて欲しいな、と思います。

研究者には、何を望む?
う~ん、分からない。
私、マーケターとして経験を積むにしたがって
大学時代のマーケティングの指導教授と話が合わなくなり
ここ何年かは会っていません・・・

kaz-mさんは、実務をされていた頃
研究者や学生に何を求めていましたか?
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この回答へのお礼

 しばらくご無沙汰してしまい申し訳ありません。
(you wrote:城山三郎や山崎豊子の本でも読んで商い、というものの精神を深く考えブランドなどと浮かれずに暖簾、という美学を論じて欲しいなあ.日本にはそういったケーススタディなら枚挙にいとまがない筈だから。)
は、なかなか興味あるご指摘で思わず食指が動いてしまいました(笑い)。しかし、落ち着いて考えると、日本の暖簾=企業ブランドは、最近の傾向であるプロダクト・ブランド的発想にはそぐわないと思います。(わたしは企業ブランドは、ホールディング・カンパニーなどの現代株式会社システムの移行とともにだんだん後退するべきだと考えています)。そろそろプロダクト・ブランド中心に、ブランド論は再構築しなければならないでしょう。なぜなら、暖簾に表象された(その背後にあった)崇高な企業理念とそれに基づく無言の信用という機能が、残念ながら日本経済の破綻と経営者の小粒化とともに消滅しつつあると思うからです。それよりもプロダクトの機能を直接的に明示するようなブランド(ex.ウオーク・マン、レガシーなど)が主流になりそうですね。
 次に、(you wrote:あとは、マーケティング成立の歴史認識にもう少し強くなっておいて欲しいな、と思います。)
ということについては、ひと言でいってしまえば、近代工業化社会の技術革新によって、プロダクツの供給が需要を上回った時点で、需要のさらなる喚起をもたらすための活動(まさしく正統派の商売)がマーケティングの出発点であったということでしょう。
もちろん、そこから出発してよいと思いますが、現代社会におけるビジネスのあり方ということになると、そういうプリミティブな戦術的発想を卒業し、この成熟した経済社会におけるあらゆるビジネス活動(製品の受給や企業の雇用人員を含めて)のバランスをどう取るかがマーケッター⇒経営者としての取るべき正しい道になったのかもしれませんね。
 今、わたしはマーケティングという切り口(マーケット・イン)から、突き放して、21世紀の企業そのもののあり方を見直すべきだと考えています。そういう意味で、実務的にも求められるのは、いわゆる「メタ認知の能力(客観的に見つめる視座)」だと思っているのですが・・・。

お礼日時:2003/09/23 08:47

ご質問の主旨とはずれますが


マーケティングの実務にあたっている者の意見として
>マーケティング論は既存の経営学とどこで線を引くべきでしょう。
どうしてそんなこと気にするんだろう?と思ってしまいます。
実務の側は、目的に対して最善をつくすのみで
線引きなんて邪魔なだけです。

とはいえ「マーケティング/経営」と「マーケティング論/経営学」は
別の問題ですし
おそらく学者側から見たとき
科に分けて学することを否定してしまったら
そもそも科学になりませんものね。

ただ、コトラーはマーケティング学の第一人者であり
かつ伝道師ですから
彼がマーケティング学のヒエラルキーを上げる努力をするのは
当然だと思います。だから
>ホリスティック・マーケティングという言葉が使われています。
そのように、なるべく範囲を広げようとするでしょう。
むしろ気になるのは、今だコトラー一派が圧倒的に中心におり
パラダイムが狭い、というか
学説のようなものにバリエーションが感じられないことです。

企業活動においては、概ね自由化が進むほど市場主義になっていきますよね。
そして、学術活動はまだまだ閉鎖的で顧客本位ではないと思います。
だいたい、学問における市場や顧客ってのは何なんでしょうね?
それが明確にならないとマーケティング論(学)は
マーケティングを反映したモノにならないと思います。

最後に、蛇足ですが
仮に「マーケティングは経営の主流になるか?」を考えると
とっても悩みます。
例えば
■スネークプレビューで顧客の意見を沢山取り入れ
 オリジナルから大幅に改訂された映画
■監督など制作陣の意図がつよく
 マーケティング的な改訂要請をはねのけた映画
どっちがイイですか?
私は両方が拮抗し、切磋琢磨している状態がベストかな?と
思います。
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この回答へのお礼

 ご意見ありがとうございます。
『マーケティングの実務にあたっている者の意見として
>マーケティング論は既存の経営学とどこで線を引くべきでしょう。
どうしてそんなこと気にするんだろう?と思ってしまいます。』というのは実にそのとおりでしょう。わたしもそう思います。ただし、学問上の位置付けというか、セグメンテーションを明確にしておくことは(おっしゃるように、言葉の問題だけだとしても)、学生にも理解し易いのではないかと思います。
 もっと素直に言えば、新しい「マーケティング論」をどう教えればよいのかということへの真剣な悩みでもあります。そういう意味では、コトラーに特別こだわってもいないのですが・・・それ以外はもっと・・・。
『目的に対して最善をつくすのみで線引きなんて邪魔なだけです。』ということも(元実務家として)わたしにも解ります。そうであればあるほど、限られたコマのなかで顧客(学生)に、何をポイントにして話題提供していけば最も効率的なのかを悩むのです。
 経営学やマーケティング界には、硬直した学会があり、学者が多数いて、戦争用語(戦略とか戦術・・・ひどい場合はランチェスターの法則まで)を散りばめた机上学を論じています。
 そうそう、最近、面白かったのはある経営学のセミナーのテーマが「それぞれの企業再生」でした。新しい柔軟な発想だとかいうのが売りでしたが、一歩下がってみれば、それなら研究者なんていらないのです。
 『マーケティングは経営の主流になるか?』というお言葉に対して、わたしは今「そうしたいのですが・・・なにか問題があるでしょうか?」と問うているのかもしれません。きっと、学会で袋叩きになるかもしれませんね。
 どうか、お時間があれば、マーケティングの実務家とし今欠けているマーケティング教育のポイントをお教えください。 

お礼日時:2003/09/17 15:20

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