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インターネットの普及に伴い、マスコミへの批判もだいぶ強くなってきていますよね
芸能人の離婚の話を四六時中報道したり、今回のカンニング事件のように
小さい話を何度もお祭り騒ぎのように報道して騒ぎ立てたり。

アメリカの放送では、1つ1つの報道の事案についてレポートをした人が最後にその名前を言います。
例えば、「今回の事件はどのような幕をひくのでしょうか、佐藤がお送りしました。」
のようにです。

これはあくまでも1例にすぎませんが、

日本の報道でも、毎回1つ1つの報道内容について、責任者の名前を画面の右下に表示させたりするべきだと思います。

確かに番組の最後のエンドロールに右から左側にスタッフ名や製作会社や関係会社の名前がでますが、あんなのでは甘いです。

当然担当者は毎回違うだろうし、大勢の力で報道の記事を作るので誰とはいいきれないとは思いますが、いずれにしても、責任者の名前をしっかりと明記して、誰が最終の決断をだして、放送の電波にのせていいといったのかを書くべきだと思います。

ネットの批判などでも、~~新聞が悪いとか、~~テレビが悪いという言い方をしていますが
それでは永遠に解決しないと思います。

会社名を批判しても、実際に動かしている人間は責任をしっかりとはたさなくてもいいのですから。

そうすれば、~~テレビが悪いとか、~~~新聞が悪いではなく
匿名太郎 が決済をだした今回の番組内容は最悪だった
匿名花子 が決済をだした、報道は毎回同じ内容だ
という風に、名前を明確に出せば報道の方向性ももっと、視聴者に支持されるないようになると思いますが
皆さんはどうおもわれますか?

A 回答 (2件)

以降「視聴者」と統一させていただきます。



視聴者側からすれば、問題なのは「内容」でしかありません。
たとえ同じことを言っても「誰々なら良くて、誰々なら悪い」というものではありません。
ですから、視聴者は内容について意見を言う権利はあっても、それでその責任者が誰かわかったところでどうしようもないでしょう。

また、たとえ1つの問題と思える「発言」であっても、それが個人の主観なのかや、局の方針に則った上での発言かでも、その責任の所在は違うことになり、それは当事者にしかわからないこともあるわけですから、視聴者が立ち入るべきものではありません。

視聴者にとっては、その問題発言に対する見解を聞き、もし問題があった場合にはどのように責任をとり、改善されたかがわかればいいだけです。

確か新聞などには個人名が書いてあるものもあったような気がしますが、それとてあくまで記者に自覚を持たせるためであって、読者からの矢面に立たせる目的ではありません。

日本人は、人を見下して個人攻撃が大好きですが、それで騒ぎ続けることはできるでしょうが、改善することは難しいでしょう。

この回答への補足

>確か新聞などには個人名が書いてあるものもあったような気がしますが、それ>とてあくまで記者に自覚を持たせるためであって、読者からの矢面に立たせる>目的ではありません

記者に自覚を持たせる必要があります
今回の場合は、報道番組製作責任者に自覚を持たせるべきです

番組の最後にエンドロールで流すのではたりないです。誰が番組を最後まで見てると思ってるんですか、最後にわざわざエンドロールだけみたりしませんよ。
番組の放送中は最初から最後まで番組の責任者の名前を表記した状態で放送を流し続けるべきです。
自覚がなさすぎですよ。

現在の社会の流れとして、配送業者のコンテナやバイクの収納ボックスには、ドライバーやライダーの名前が書いた状態で走っていますよね?
タクシーなども名前が書いてあるのを最近は見かけます。

従業員の方が名札をつけていたりというのも同じ趣旨だと思います。

企業へ電話した場合も、お名前を伺ってよろしいですか?と最初に尋ねると、相手が緊張して対応の正確さが変わるのがわかりますよね?

報道関係者は毎回絶対に責任者の名前を表記させた状態で放送すべきです。

補足日時:2011/03/05 09:54
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仰りたいことはわかります。


ただ、個人的には、仮に、会社名などであっても、その報道に対して、会社そのものがしっかりと責任を持ち、その訂正などをしっかりとする、というのであれば、それはそれで一つの方法だと思うからです。

日本のマスコミにおいて問題なのは、個人としても、会社としても、そのような責任を放棄し、ただ、その時々で情報を垂れ流しているだけに過ぎない、という点だと思います。

ですから、同じような問題が起きたときに、数年前はこうだったのに、今回は真逆になっている、とか、そういうおかしなことになります。
また、間違った情報などを流した際に、その訂正記事などというものが発表されることは殆どありません。
勿論、同じ問題について、見方を変えること自体はあって良いでしょう。しかし、ならば、「あのときは、こういう風に考えていたけれども、そこに問題があったのがわかった。だから、現在のような見方をするように変えた」というような説明があるのかどうか、という文化を作ることが大事だと思います。


それをせず、取材した人物が「この人だ」とだけ示しても、トカゲの尻尾切りになるような気がします。
マスコミにしても、一営利企業です。そこには組織があり、その中での思惑もあります。
記者やライターなどにしても、その企業の組織の論理の中で動かざるを得ません。そして、その組織の中での権限などを、外部の人間が知ることはまず無理でしょう。
そうすると、大した権限もない記者が、会社の命令である記事を書き、責任者のように装わされ、問題として言われたら、その記者の首を切っておしまい……というようなことが横行してしまうような気がします。
そうすると、あまり意味がないのではなかろうか、と思います。

この回答への補足

>取材した人物が「この人だ」とだけ示しても、トカゲの尻尾切りになるような気がし>ます。

それでいいんですよ
もしも尻尾きりをされたら、その人が今度会社の上層部の責任者を訴えればいいんですよ。しっかりと、リンクさせていけばいいんです。
そうすれば、上層部の人が尻尾きりを次からできなくなる社会になっていきます。そういうことをいってるんですよ。

ああやったらこうなる、こうやったら、ああなるといって
びくびく臆病に実行をしないんじゃなくてさっさとやればいいんですよ

補足日時:2011/03/05 11:37
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