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私はアメリカに住んでいますが、今朝のアメリカのニュースで聞いていたら、アメリカ人だったかイギリス人だったかのジャーナリストが、日本人が決定的な災害なり出来事に会った時の尊厳さは特筆に値する世界でも稀な振る舞いである、と言っておりました。殆ど同じことを、神戸地震でも聞いており、神戸地震直後の日本の災害者達の静かさは異様だったと言っていたことを記憶しております。

一見日本人に取っては当たり前に行動しているようですが、異国人から見ると驚嘆に値する振る舞いのようです。勿論、どの国にもこのような悲惨な目にあっても尊厳を保てる方は居りますが、それはその国民の例外中の例外に属しているようです。その証拠に、異国の人とは反対に、例外を除いて日本人の殆どの人が尊厳を保っていることに他国の人達は驚嘆しているのですから。どうもこの尊厳さに対して、日本人はその異国のその他大勢ではないようです。

そこで質問です。何がこれほどまでに日本人を他の国民とは違った存在にしているのでしょうか。私には、人間なら共通して持っている喜怒哀楽や隣人愛や尊厳がどうのこうのと言うようなレベルの話しではないような気がします。別な言い方をすると、何故異国の方達は私たちの当たり前の振る舞いを感心するのでしょうか。日本人は、世界共通な地球人ではないのでしょうか。

A 回答 (88件中61~70件)

 No.53&61です。



 ▼ 大日本帝国憲法 ~~~~~~~~~~
 第1条 大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス

 第3条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス

 第4条 天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リテ之ヲ行フ

 ▼ その上諭 ~~~~~~~~~~~~
 朕祖宗ノ遺烈ヲ承ケ萬世一系ノ帝位ヲ踐ミ朕カ親愛スル所ノ臣民ハ卽チ朕カ祖宗ノ惠撫慈養シタマヒシ所ノ臣民ナルヲ念ヒ其ノ康福ヲ增進シ其ノ懿德良能ヲ發達セシメムコトヲ願ヒ又其ノ翼贊ニ依リ與ニ倶ニ國家ノ進運ヲ扶持セムコトヲ望ミ乃チ明治十四年十月十二日ノ詔命ヲ履踐シ玆ニ大憲ヲ制定シ朕カ率由スル所ヲ示シ朕カ後嗣及臣民及臣民ノ子孫タル者ヲシテ永遠ニ循行スル所ヲ知ラシム

 國家統治ノ大權ハ朕カ之ヲ祖宗ニ承ケテ之ヲ子孫ニ傳フル所ナリ朕及朕カ子孫ハ將來此ノ憲法ノ條章ニ循ヒ之ヲ行フコトヲ愆ラサルヘシ

 朕ハ我カ臣民ノ權利及財產ノ安全ヲ貴重シ及之ヲ保護シ此ノ憲法及法律ノ範圍內ニ於テ其ノ享有ヲ完全ナラシムヘキコトヲ宣言ス
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~




 ▲ 日本国憲法  上諭 ~~~~~~~~~~~
 朕は、日本國民の總意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、樞密顧問の諮詢及び帝國憲法第七十三條による帝國議會の議決を經た帝國憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。
  御名 御璽
  昭和二十一年十一月三日

 ▲ ~~~~~~~~~~~~
 第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

 第二条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。

 第七条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。

 一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
 二 国会を召集すること。
 三 衆議院を解散すること。
 四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
 五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
 六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
 七 栄典を授与すること。
 八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
 九 外国の大使及び公使を接受すること。
 十 儀式を行ふこと。
 ~~~~~~~~~~~~~~

 ☆ 中世から近世においていかなる変化が統治の形態や形式に起こったか? 何が起こったからと言って この明治維新以降の国家の形態を
  
  スサノヲ市民‐アマテラス公民 / アマテラシテ元首・象徴 の連関制

 と言わないのでしょう? 《超越卒業した》という見方は考えられません。
 (新しい憲法の《上諭》はたしかに憲法に含まないのだとか。それでも 《皇室》がうたわれ皇室典範がつくられている)。

 何をもって《武家政治》の時代に《本質的な相転移が起こって》というのか? またそれが 明治以降にどう変わったのか? 一向に答えられていないのではないでしょうか?


 ほかにも論点はあるようですが ただ参照すべき資料を掲げるだけでは 答えになっていません。答えられないから そういう手で紙面を埋めると言われても反論し得ないでしょう。
 明治維新に到るまで 律令は その制度としての中身は廃れていたとしても その条文の或る部分は生き長らえていたとも捉えられています。太政官などです。征夷大将軍が 天皇によって任命される制度上の職位であることはあきらかです。いったい何を考えているのでしょう?

 室町時代からあたらしい日本社会が始まったという見方は聞いたことがありますが それとても 大枠の国家というかたちについて変更を迫るものではありません。いったいどういう資料を読めば あなたの言うような日本の社会と国家の歴史についての見方ができるのでしょう?
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この回答へのお礼

再三の回答有り難うございます。

私は、室町時代から新しい日本社会が始まったなどという明後日の意見は持って居りません。貴方のように考えてはいけないという法はございませんので、当然のことですが、ご自分でご自由に考えても私がとやかく言う問題では在りません。世の中には貴方の見解が理解出来ない私のような人間もいると言うことを認識して頂ければ結構です。私は、貴方にとって役に立つと思える情報を疑問形で十分に伝えたつもりです居ります。そして、そのことに関する疑問が果たして解決するに足る疑問であるのか、さらにそうだとしてした場合にも、それを問題として認識しそれを解決するには、じっくり私の上げた参考資料やそれを切っ掛けにご自分で探し出した資料を読んでから解ることです。それをせずに一日二日で解決しようなんて、そんなに都合が良いようには世の中で来てはいないと言うのが私の意見です。たとえ疑問形で貴方に情報が提供されたからと言って、ここで貴方と議論する気はございませんので悪しからず。

お礼日時:2011/04/03 02:00

 相変わらず漠然とした想像を述べるしかないのですが、どうしても「この世は弥次郎兵衛」的受け止め方をしてしまいます。



 最初に“二面性”という言葉を使いましたが、今度は“弥次郎兵衛”

 弥次郎兵衛がバランスを取って立っていられるのは、左右の両腕を持っているから。
 宇宙の存在は何らかの“バランス”的現象の上に立っている、なんて考えている学者がいるかも。
 
 太陽とその惑星の規則正しい運行も、力のバランスが取れているからと云えるんですよね?
 ミクロの世界でも“バランス”というものを考えさせてしまうような現象があるのではないでしょうか。

 地球の表面の“自然”も、そしてその自然が持つ精神もバランスの上に成り立っている。
 西洋的自然に東洋的自然。
 そこに現れた生命は置かれたこの環境で生きるしかない。

 その環境が西洋を狩猟民族とし、東洋を農耕民族とした。
 これが西洋の人間に攻撃性を、あるいは外向きの精神を作り、東洋は守備性を、あるいは内向きの精神を育てていった。

 やっぱり原点は自然とのかかわり合いに因るのでは。
 自然が人間に与えた精神的影響は目に見えないけど大きいと思います。

 それではなぜ内向きの精神が、質問にあるような日本人を作りだしたのかは、多くの回答を見て学んでいます。 
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この回答へのお礼

再びの回答有り難うございます。

貴方の言うバランスを物理学の専門用語では、安定性と呼んでいるようです。不安定な状況では、与えられた状態から時間と共のどんどん離れて行ってしまう。安定な状況ではその状態に長く留まれます。この安定不安定の問題はカオスの物理学を含めて、物理学の流行りの問題の一つです。

生物の世界を見ていると、肉食獣は雌を求めたり縄張りを主張するときに互いに殺し合うまで戦いませんが、殆どの草食獣は殺し合うまで戦います。狩猟民族と農耕民族の違いをこんな辺りから考えてみるのも面白いかもしれません。

自然が文化に影響を与え他であろうと言う味方は自然です。

お礼日時:2011/04/03 09:52

「尊敬」が帝へ向けて提示される際には、


帝と民衆とが御互いを称え合ったりしませんよね。
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この回答へのお礼

回答有り難うございます。

私は帝に敬意を評す付ことはやぶさかでは在りませんが、個人的なおつきあいは在りませんので、尊敬出来るかどうかはその状況になってみないと解りません。私にとって、敬意とはその文化と歴史に対して払われているのであり、尊敬とは個人的な心の持ち方のことだと考えておりますので、区別しております。

お礼日時:2011/04/03 09:43

 No.53&61&62です。


 No.62のお礼欄を読むと けっきょく

  質問者ではありながら わたし(=質問者)の見識も見解も正しいと考え
 ている。
  わたしの言ったことにいくら反証・反論しても それは聞く耳を持たない。
  

 との表明のようです。やんぬるかな。何をかいわんや。
 にて。
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この回答へのお礼

回答有り難うございます。

お礼日時:2011/04/03 09:38

比較的に客観性に富んでいる回答例にも、


感情的な解釈を為さっている様ですが、
その様な拙い読解力で講義を行なっていらっしゃるのですか?

それとも回答の閲覧の際には、
既に眠くなっているのでしょうか?

多くの方々が学びの為に閲覧を為さっているのですから、
もっと慎重に返事を入力なさるべきですよ。
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この回答へのお礼

回答有り難うございます。

私の性格をズバっと突いたご意見、有り難く思いました。特に自虐的な話になると必要以上に感情的な反応をしてしまうようです。プロフィールにも書いてあるように外国生活が長く、日本恋しが行き過ぎているのかもしれませんね。

お礼日時:2011/04/03 21:14

zakky74です。



人間の出発は、カオスです。

その理由が、認識・判断・表現の一連の流れにおいて、

認識(人間五感覚脳の認識のクセ)
判断(判断基準の問題性)

という土台があるからです。

この人間の出発の理解をなしにしては、サムライの理解は出来ません。
それだけでなく、人類の文化文明歴史の理解も不可能です(暗記は可能)。

>しかし、サムライは源平の時代から千年も延々んと存在していましたよね。・・・そして、剣でなく槍はサムライにどんな影響を与えたのでしょうか。

cyototuさんのご質問にお応えする前段階に、僕からお伺いしたい事がございます。僕は、悟りの観点から観た日本人の特異性についてサムライの精神を道具にしながら、日本の心を語ってみようと思いました。

特に、cyototuさんのご質問内容には、アメリカ・イギリスなど異国との比較や、人間なら共通する喜怒哀楽・隣人愛・尊厳などの人間共通に働く心理なども取り入れた、質問の幅と深さがある為に、お応えする僕としても、そこに応えようとする理由として厳選したものを語りたいと思っております。

つまり、人間共通に働く仕組みと、国や文化文明歴史なども取り入れた日本を語らねばお応えにはならないと思い、前々回・前回の投稿の様に書き綴った訳でございます(それでも字数制限がある為に、抑え気味に書いています)。

cyototuさんのご質問内容に応えておりますと、cyototuさんの判断基準や認識方式を僕が理解しておりません故に、少し回り道となりますし、日本の心を語るのであれば、僕は21世紀の悟り、サムライの悟りという観点から語りたいと思います。

cyototuさんにとってもそれが新鮮だと思うのですが、如何でしょうか?それとも、やはりcyototuさんのお礼欄に応えないとcyototuさんはスッキリしないのでしょうか?

どうしても気になるというのでしたら、次回の投稿ではcyototuさんのご質問に沿う様に応えようかと思います。

この回答への補足

もう一つ、私のやり方で皆様が混乱するかもしれないと思うことに思い当たりました。

私は自分の研究生活(物理学)の経験から、重要な発見は結構自分の主題その物の中で見付かるよりも、その周辺の副産物から見付かることの方が遥かに多いことに気が付きました。考えてみれば当たり前で、前もって予測がつくようなことはその価値は高々知れていますが、思いもよらなかった物は、人事を超えているから思いもよらないので、だから予想外の所に重要なものが隠れている。だから、私は自分で出した主題もさることながら、その周辺に論理を意識的に横っ飛びさせてしまうことがしばしば在ります。

勿論そんな横っ飛びをすればいきなり本質が見えてしまうほど世の中は簡単に出来ていませんので、横っ飛びは単に見当違いの頓珍漢と言うことになっている方が圧倒的に多い筈です。それでも、横っ飛びすれば、しなかった場合よりは意外な発見に当たる機会は増えます。多分この、頓珍漢ばかりの横っ飛びで、皆さんに「何だこの阿呆が」ってな受け取り方をされているかもしれませんね。この方法は、自分の研究ではしばしば生産的なのですが、しかし、自分の阿呆を承知で相手にされてしまったら、相手にされた方が迷惑だと言われれば、成る程とも思います。「おい、ここはそんなことをする所じゃないぞ、場所を弁えろ、場所を」ってな具合に。ご迷惑でしょうが、ここや他の所でもう少しこのやり方で、皆様の反応を見て学習してみます。

補足日時:2011/04/04 00:40
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この回答へのお礼

再度の回答有り難うございます。

一々貴方の回答に反論をしている形になってしまいましたが、貴方からは既にいろいろ教わっているんので感謝しているのですよ。今まで私が考えたこともないことを指摘されることは、私にとっては大変参考になっています。でも、#68のhakobuluさんのお礼欄での言い訳通り、どうも、私の世間知らずが表に出てしまい、不愉快な気になられた方には申し訳ないと思っております。hakobuluさんの所でも書きましたが、モンテーニュ流は結構生産的なので、貴方の意見をより強固にするためにはそんなことも考えてみたらどうなんですかと言う、ある意味で余計なお世話が年寄りの癖で出てしまったのだとお考えになって頂けると有り難いです。

お礼日時:2011/04/03 22:06

#43です。



>そんな事情も在りますから、アメリカ人と日本人のどちらが奴隷根性の持ち主か、考えても良い問題ですね。

素直に受け取ってお答えすれば、アメリカは南北戦争によって奴隷制度の崩壊の端緒を開きましたが、日本の場合は、天皇の人間宣言によって同様のことが為されたと言えるように思います。
どちらが奴隷根性が強いかを cyototu  さんと争う気はないのですが、少なくとも前回の回答内容が自虐的とは思いません。
というか、むしろ、cyototu さんが案外楽天的な方だったんだな、という印象を受けました。
むろん、アメリカでは人種差別未だにあるでしょうし、日本でも問題などあり(こういったいわゆる差別の根底に天皇制があると私は考えているので)こういったことは世界各国が抱えている問題であり、日本だけに特化した要因とするには不適当であったのかもしれません。

まあ、「GAMANN」などという新聞記事なども生まれているようで、おっしゃるような忍耐強さが外国メディアでは賞賛されているようですね。
高潔性云々などという呼び声も高いようですが、果たしてどうなんですかね。

むろん、前回も触れたと思いますが、その長所を完全否定するわけではないのです。
しかし、それはあくまで一面ではないでしょうか。
裏面に全く目を向けずに賞賛のみに走るのは本質を見誤ることになるのではないか、というのが私の言いたいことだったわけです。
他の方のご質問タイトルから拝借すれば、くりからもんもんのお兄さんが、ある面では情け深く、礼儀正しく、一途で純粋で、規律正しい人間であることは事実でしょう。
しかし、だからといってそこだけを賞賛するのは哲学の仕事と言えるのでしょうか。(念のためにお断りしておきますが、これは件のご質問に対する見解とは全く関係ありません)
人間それほど大きな違いがあるはずも無いわけで、かならずどこかで辻褄を合わせているはずじゃないだろうか、というのが私の感想です。

だから人間誰も同じなどという身も蓋もないことを言うつもりは全くありませんが、裏面の視点を意識的に見落としておられるような印象を受けたので、ちょっと補足的に投稿させていただきました。
語れば長くなりますので、とりあえず今回はこの程度で失礼いたします。
       

この回答への補足

貴方にここのお礼を書いた後に、次のような記事を見付けました。アメリカと日本の比較文化の役に立ちそうですので、参考までに載せて置います。

http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=38993

またよけいなことを書くとお叱りを受けるかもしれませんが、アメリカに長年暮らしていて、アメリカには人の集まりは在るが、社会が存在していないと言う印象です。国民健康保険も在りません。いざとなったとき、周りの人は見事に誰も助けてくれません。所謂自己責任と言う奴です。人に頼ることなくしっかりと自分の足で立て、と言うんですね。だから、アメリカ人の価値の基準はお金だけ。他にも価値基準が存在していることが理解出来ていないようです。ボランティアということもアメリカから入って来たようですが、表向き同じようなことをやっているようでも、社会のな存在していないアメリカ人の動機と社会を持っている日本人の動機は全然違っているような印象を受けています。そんなことが、この記事のような現象と関係があるのじゃないでしょうか。また、災害時の日本人の振る舞いの理解の一端になっているのではないでしょうか。

補足日時:2011/04/03 23:19
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この回答へのお礼

再度の回答有り難うございます。

他の方からも指摘されて反省しておりますが、質問者の態度として慎重さを欠いているようでした。もし感情を害されたならお許し下さい。

私は、自分のプロフィールにも書いてある通りモンテーニュのファンで、彼から、どんなに説得力のある意見を聞いても、その正反対の意見にも説得力のある論理があることを学び、常々そのような反対の論理を表に引っ張り出す努力をして来ました。私は学者ですので、その態度は事象を多面的に見る方法を教えてくれて、私には大変生産的な結果をもたらして来たと思っております。だから、私は貴方の印象とは反対に結構哲学的に両側どころか多面的に事象を見ているつもりでいるんです。だから、私は若い者には「世の中貴方が思っているほどどんどん変わって行っているわけではなよ」と言うし、年寄りには、「世の中貴方が思っているよりももっと早く変わっているんですよ」というダブル・スタンダードのようなことを平気で言う癖が在ります。

そんな癖が、ついついこのような気楽な遣り取りの場所にも出て来てしまって、さらに学者に往々にしてある説教調の文章と、また私の性格が露骨に出てしまうような文章が人の感情を害してしまうのかと反省しております。こんな所に、人間関係では世間とは桁違いに喜楽な学者世界で世を送って来た者の未熟さが出て来てしまうのですね。

そう言う意味で、ここは世間知らずの学者が世間の方と接触する貴重な窓口を提供してくれていると考えており、今回もまた一つ学びました。有り難うございます。

お礼日時:2011/04/03 21:51

 慎重さを欠いているとか 相手の気持ちをそこなったとか そういう周辺の問題ではないよ。



 事実認識をしっかりせよ。とのみ。

 相手の見解と突き合わせなければ 何にもならない。
 あんたは いま当事者なんだから。

 その際には 排中律をしっかりとあてはめよ。とのみ。
 それを怠るのは 耄碌と言うのみ。
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この回答へのお礼

回答有り難うございます。

お礼日時:2011/04/03 22:51

ご盛況ですね。

どうもいろいろな意見も飛んでいるようです。しかし私は猪突先生のご人徳を一文一文に感じています。アメリカでのご経験も興味深いけれども、同時に、先生の態度に学ぶものが多くありました。私はこの応答の欄の意義について考えることを述べた際に「レストラン」という比喩を使いましたが、論題があって議論するのはゼミに近いと思います。私は質問者という言葉は使わず、設問者と呼んでいますが、ゼミでは設問者が教えを請う立場ではないというのは、当然のことでしょう。先生のゼミはさぞ楽しく、有意義なものだろうと想像します。

前置きはさておき、日本的なアルカイック・スマイルの話をフランス人としてみたのでご報告します。やはりとても特殊で、まずその仕草をフランス語では簡単に描写できないということだそうです。たとえば天皇が、震災の会見の際、微笑んだ仕草をしたのをどう表現したらいいのかという話に及びました。彼の仕草を「笑う」という言葉にするなら、何かがおかしい。歓喜の笑みでも嘲笑でもないからです。しかし、とても人間的であると感じた、ということでした。
この天皇が「人間的である」という表現に、私はとても驚いてしまいました。私の知る限り、やはり太平洋戦争の話はまだ終わってはいなくて、公的な場で日本が批判されることはありませんが、仲良くなった後に「戦争の傷跡は……云々」と責められることも多いのです。私の話相手のフランス人教授が天皇に好意を持つ理由は、どう考えてもないのです。おそらく非人間的だと先入観があっただろうと思います。しかし天皇の仕草を見ていたら、論理ではなく、実に人間的な人物である、と説得されたいうのです。苦しみの中で叫ぶ演説をするのではなく、優雅さを絶やさないということが人間的だというのです。このフランス人の人生にしてみると、天皇が人間的であると認めざるを得なかったのは大きな衝撃であっただろうと察せられるだけに、留意してよい例だと思われました。

前に南米の外国人の例を出しつつ、外国人にとっての笑いのシンプルさについて述べました。これはフランスでも同じなのです。手前味噌になるので簡単に切り上げますが、ボードレールは「笑いについて」というエッセイを書いているのです。その中では、笑いには悪魔的な嘲弄と天使的な歓喜の微笑みがあり、芸術的な笑いとは、その二側面を含むものである、と述べられています。
しかし、そんなことは、あらためて言われるまでもなく、日本人なら仏像を思い起こせば、わかっていることでしょう。翻ってみれば、わざわざこんなことを述べる必要があるほどに、西洋人の笑いはシンプルなのです。もっとも、日常生活では単純だったとしても、芸術において短絡的なわけではないのです。たとえばベルリーニの「聖女テレサの法悦」の天使の表情は、とても謎めいています。エロスの議論の好例として、よくひかれることが多いのです。
http://maszo.exblog.jp/8021496/
天使の微笑は聖女を傷つけることを喜ぶサディスティックな笑いでもなければ、晴れ渡った喜びの笑いでもない、何か深いものを感じさせます。ただその深さは精神的な高みというより、人間の卑俗さを見逃さずにとらえたという意味での深さではあるのです。こうやって西欧にも「笑い」の多様性を理解する潜在的な力はあるのです。

さて、天皇とベルリーニを同列に置くことはしませんし、厳密には笑いの性質もかなり異なります。しかし人間の多面性を芸術的に理解するという伝統に基づくなら、西欧的な日常からすれば謎めいている微笑に、深い人間性を見ることは可能であると思います。
外国人らが日本人の振る舞いに驚くのは、芸術に描かれるほどに日常的に実現されえなかったものであるからだと私は思っています。日常的な感覚に全幅の信頼を置くなら、「非人間的=地球外の存在」だということもできるでしょう。しかし西欧の美学や文化の伝統からみると、より人間的な理想を体現しているのだし、それは説得力を持っていると私は思うのです。しかし後者のように認めてくれるのは、ごく一部の突き抜けた教養を備えた文化人だとも言わなければなりません。私がここに例に出した話相手とは、その分野での世界的な第一人者なのです。万人が彼のようであるわけではないでしょう。「かくして異文化理解のためにも芸術的教養は重要なのだ」と言いたいところですが、いよいよ手前味噌になってしまうので擱筆します。

ご参考になれば。
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この回答へのお礼

回答有り難うございます。

笑いについて、『定本 柳田國男集』(筑摩書房)の総索引を引いたら、五段組のうち三段を占めていました。日本民俗学にとっても日本人の笑いは一つのキーワードになっているのでしょうね。

大分前に読んだ『定本 柳田國男集 第七巻』に出ている『笑いの本願』でノートに取っておいた部分を抜粋してみます。本文は時間が出来たときにもう一度読んで見るつもりです。

抜粋1、p154(原文は旧漢字、以下同じ):
日本人はどちらかと謂ふと、よく笑ふ民族である。上方あたりの人間は懇意な者の為に笑ひ、見馴れぬ人に對しては笑はぬだけの差別を立てて居るが、関東以北では無邪気な者ほど無差別に笑って居る。小泉八雲さんの「日本人の微笑」は有名なる文章である。いつもにこにこして居ることを愛嬌と謂ひ、心のやさしい兆候と目して居る以外にも、怒った時でも憎んだ時でも、少し笑ひ過ぎるかと思ふほど我々はよく笑ふ。高笑や空笑は社交の一様式を成して居る。宴会など何でもかでも、必ず笑を以て終始することになって居る。つまり善意にこれを解説するならば、日本人は笑いの価値を知っている国民なのである。

抜粋2、p166:
童子を意味するワラハという語が、一方にはワラハヤミと謂って物気(もののけ)の症を謂ひ、他の一方には笑の日本語と語源が共通して居るのも、かういう初期の信仰に由って、やや説明がしやすくなるやうである。

抜粋3、p167:
殊に日本人では人が笑ひ自分が笑はれる不幸を痛感する人が多かった。三百年前の借銀の証文に、万が一返済滞るに於いては「人中にて御笑ひ下さるべく候」と書いた物があったといふことは、有名な話しになって居るが、これは或二三の最も律儀なる者だけでは無く、実際この笑はれまいとする努力が、今日の道義律を打立て、又多くの窮屈なる習慣法を作って居るのである。しかも違反者に対する制裁を、肉体の苦痛のみに限るやうになって、社会の統一は乱れざるを得なかった。

日本人の笑いと災害時に於ける日本人の静寂には底の方で何か繋がっているというサイコロさんの指摘は、穿つに値する面白い課題だと思われます。

お礼日時:2011/04/05 00:45

個人的には対岸の火事の立場のアングロサクソンが作った美談に、


よって窮している被災者や、前線で支援活動者の気持ちが救われる
ならそれで良いと思いますが。

こっちのぬくぬく側の人間が、例えば「物資が足りないという被災地
の悲鳴」を「精神性が立派な日本人は武士だから高楊枝でおなかがす
かないんだよね」とすり替えてしまう危険性はさけなければならない
と思います。

観光業や外食産業は閑古鳥が鳴いているようですが、購買意欲低下の
心理は津山事件の犯人の心理と遠いところで少しだけ重なる気がします。
結核で兵役検査が不合格になったことを夜這い相手の主婦になじられた
ことに激昂し、情夫としての価値しかないという深く潜んでいたコンプ
レックスに火がついたわけですが。例えばそういうインセンティブを
理解し、一割が寄付されるという、少し割高商品と、そうでない商品の
売り上げとどのくらいの差がつくかリサーチしてみてはとも思います。

また、悪い情報を出すことによる不利益を心配してするよりも、逆の
リスクの方が高いと思います。地図上のどの被災地が食糧が足りず
衛生管理がひどく病人が多く出ているなどの本当の情報は全て出してく
れることで改善点を共有できる安心感が得られると思います。

辰巳卓郎さんのブログ炎上も、昨今のアンチ物質文明と精神性の美談
を持ち上げる風潮と無関係とは思えないのは考えすぎでしょうか。
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この回答へのお礼

回答有り難うございます。

>観光業や外食産業は閑古鳥が鳴いているようですが、購買意欲低下の心理は津山事件の犯人の心理と遠いところで少しだけ重なる気がします。

津山事件についてはインターネットで読んでみましたが、これがどう今回のことと繋がるのか私には貴方のその下の文章を読んでも理解出来ませんでした。もう少し噛み砕いて解説して下さると有り難いのですが。

お礼日時:2011/04/05 01:04

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