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という表現をテレビで良く聞きます。
放射線量が微量であることの説明として盛んに使われている表現です。
これを「だから安全である」という意味で使っているようですが、これはおかしくはないでしょうか。
また、聞くほうも「あ、そうか。だから安全なんだ」と思うものでしょうか。

「後で危険な状態になる」
あるいは、少なくとも
「後で危険が状態になる可能性がある」
という意味ですから、決して安全性を担保するものではないはずです。
原子力安全保安院や官房長官あたりも平気で使っているようですが、この感覚は不思議な気がします。
みなさんは、どのようにお感じになるでしょうか。
  

A 回答 (10件)

客観的に表現しようとして、この表現になっているのだと思います。


安全か危険かは主観的な基準により個々に異なりますから、安全かどうかは自己判断してください、ということでしょう。
微量でも危険と思う人にとっては危険な状態、それくらいならいいやと思う人にとっては安全な状態になるってことだろうと思います。
逆から言えば、安全とは言ってないから、自己判断で何が起きても責任は持てないよ、という意味も言外には含まれているのがこの表現だろうとは思います(笑)
例えば、危険と判断して、避難しようとした人が殺到してパニックが起きたとしても、「危険だと思ったから避難したのに」という文句は発表者側には言えないよ、ということです。危険と判断したのは本人で、パニックに巻き込まれても自己判断だよ、ということですね。

もっとも安全だという判断を前提として原発が建設されているわけですから、この期に及んで責任転嫁もできないだろうと思いますけどね。
原発反対の人は危険だと自己基準で判断していたわけで、それを安全だからと説明して施設を作ったわけです。
その時点まで遡るなら、安全か危険かの判断は緊急時においても、原発側が判断すべきですし、人体に危険が及ぶわけではないレベルを安全と判断するなら、「安全です」と責任を伴う表現をしてほしいとは思いますけどね。

更に深読みすれば、安全だと言わないのは、安全じゃなくなる可能性が極めて高いから、と考えることもできますよね。
建設時においては明らかに安全だから、安全です、と説得もできたのでしょう。確かにそれは条件付きで、未曾有の大災害が起きれば安全は保証できないけれど、そんな大災害、百年に一度起きるか起きないかですよね、と説明していたのかもしれませんが。
その大災害が起きてしまった以上、安全といった前言は撤回します、という意志表明の表現とも受け取れます。
つまり、誰にも安全か危険かは判断できない、と言えるかもしれません。
安全と危険の分岐点だからこそ判断を個人に委ねているのだとすれば、安全じゃないんだろうなあ、とくらいには覚悟しておいた方がいい表現じゃないかと個人的には感じています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>安全か危険かは主観的な基準により個々に異なりますから、安全かどうかは自己判断してください、ということでしょう。

んな馬鹿な。^^;
自己判断できるわけないでしょう。
なんのために税金を払っているのでしょうか。

>微量でも危険と思う人にとっては危険な状態、それくらいならいいやと思う人にとっては安全な状態になるってことだろうと思います。

まあ、これはおっしゃっている意味はわかりますけどね。
しかし、微量かどうかというのは、素人にはわからないですよ。
放射能の影響というのは累積で判断されますからね。
一瞬、ある程度の強い線を浴びるのよりも、いくら弱くても継続的に浴びるほうが影響は大きいはずです。
どの程度の期間浴びることになるのか、どの程度の量を浴びるのか、について明確ではないにしろ目安も示さずに「すぐに人体に危険が及ぶわけではない」などと言える人間の気がしれません。
いや、あなたに文句を言っているわけでは無論ないのですが。

>逆から言えば、安全とは言ってないから、自己判断で何が起きても責任は持てないよ、という意味も言外には含まれているのがこの表現だろうとは思います(笑)

そういった意図を知られないように表現しよう、という姑息さが、この表現にはあると思いませんか?

>もっとも安全だという判断を前提として原発が建設されているわけですから、この期に及んで責任転嫁もできないだろうと思いますけどね。

いや、これはですね、別の問題になると思っています。
原発の恩恵を(否応無く、という場合も含めてですが)甘受しているのは全国民ですからね。

>つまり、誰にも安全か危険かは判断できない、と言えるかもしれません。

そうですね。
繰り返しになりますが、そうであるのに、判断できるかのような印象を与えるための姑息な手段として国語表現が不当に利用されているのではないか、と思うわけです。

>安全と危険の分岐点だからこそ判断を個人に委ねているのだとすれば、安全じゃないんだろうなあ、とくらいには覚悟しておいた方がいい表現じゃないかと個人的には感じています。

自己防衛手段としては、そういう心構えが必要ですね。
しかし、我々の税金で食っている連中が、我々を誤魔化しで納得させようとする言動には、異論を唱えていく必要はあるような気がします。
  

お礼日時:2011/03/19 22:03

質問者さんの言語感覚には同感しますし、そのことに気付いている人はたくさんいることでしょう。


ただ、自分を抑えて冷静に推移を見守り、いたずらに騒がずに待機している人が多いのだと思います。
ここは国語のカテゴリーですから、政府やマスメディアの対応に対する批判や原発事故の今後の推移などの問題についてはここでは触れずに、言葉の問題についてのみ回答したいと思います。

> 原子力安全保安院や官房長官あたりも平気で使っているようですが、この感覚は不思議な気がします。
むしろ、意図して「すぐには……わけではない」と表現していると見るべきでしょうね。
閣僚の記者会見やニュースの原稿は事前に専門家が充分チェックして表現方法も慎重に選ばれています。
昨今の発表や報道での言葉や言い回しを分析すると「ハッキリ言いたくない、しかし嘘は言えないし、かといって事実を伝えなかったことで後から責任を追及されたくない。あとで言い訳の出来る余地を残しつつ、当面は人心を落ち着かせ、あわよくば国民が勝手に誤解してくれるような都合の良い表現をしたい」という政府の立場がにじみ出ている言葉が、あの「直ちに影響が出ることはありません」になるのだと思っています。
そう言う点では、あれ以上の表現は思いつけません。

> 「すぐに人体に危険が及ぶわけではない」
> ではなく、
> 「すぐにではないが、後で人体に危険が及ぶ可能性はあります」
全くその通りだと私は思いますし、私個人としては(政府がなんと発表しようと)現状でそう判断し行動しています。今の状況では、危険なら危険と事実を隠さず示してくれた上で国民に必要な対処を指し示すことこそ、してほしいですね。(やっぱり、触れてしまいました)
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

> そう言う点では、あれ以上の表現は思いつけません。

ということは、政府筋の目論見どおり、
>ただ、自分を抑えて冷静に推移を見守り、いたずらに騒がずに待機している人が多い

ということになるんでしょうかね。

>今の状況では、危険なら危険と事実を隠さず示してくれた上で国民に必要な対処を指し示すことこそ、してほしいですね。

必要な対処ができない、と考えているのかもしれませんね。
  

お礼日時:2011/03/20 15:24

>すぐに人体に危険が及ぶわけではない


と権威ある人からいわれたほうが
>「後で危険が状態になる可能性がある」
といわれたよりも
100倍30Km圏内へ入る勇気が出るような気はします。
少なくとも私はそうです。

そういう計算から政治家たちは言っているのだろうと思います。
私も政治家になったらそういうと思いますよ。

真実をあえてせきららにいうよりも、物事がうまくすすむのなら世人の多くはそれがひとを傷つけない限り多少のウソもつくでしょう。
そん名ものではないでしょうか。
私はそう思いますが。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

現状を正確に言うとすれば、
「すぐに人体に危険が及ぶわけではないが、後で危険が状態になる可能性がある」となるでしょう。
なぜ後半を削除するのか、と言えば、おっしゃるように思わせるためだと思います。
その作為がどうにも私には受け付けません。

話は違うかもしれませんが、おそらく戦時の大本営といった、実際に危険を冒さない立場の人間も、そのようにして兵隊を操っていたのでしょうね。
国語表現には人間の心が如実に表れる場合がしばしばあるので面白いと思います。

お礼日時:2011/03/20 01:14

#4です。



お気持ちはよくわかるのですが、「ある」ことを証明するよりも「ない」ことを証明する方が何倍も難しいと思います。

ですので、「このことが原因でのトラブルが起きるリスクはほぼ心配ないが、可能性がゼロとはいえない」ということで、このような表現になるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>「このことが原因でのトラブルが起きるリスクはほぼ心配ないが、可能性がゼロとはいえない」ということで、このような表現になるのではないでしょうか。

なぜ前半だけで、後半はカットするのか、ということです。
意図が隠されているとは思いませんか。
  

お礼日時:2011/03/20 01:07

短時間で大量の放射線を浴びた場合にはすぐに死ぬ可能性があります.


少量の放射線を長時間浴びた場合は癌になる可能性が多少高まります.
200mSvの放射線を浴びた場合は癌になる可能性が1%上がるということを聞いたことがあります.
ただ,日本人のうち約40%が癌になっているのでこの1%を大きいとみるか小さいとみるかは人それぞれです.
まぁ,煙草をすっている人が放射線を浴びて肺がんになった場合,原因が放射線か煙草かは分かりませんよね.

今回の事故での放射線量は確率的な事象なので,「すぐに人体に危険が及ぶわけではない 」としかいえません.後々癌になったとしてもそれが放射線によるものか生活習慣によるものなのかということもわからないからです.

なので,すぐに人体に危険が及ぶわけではないは妥当な言い方かと思います
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>少量の放射線を長時間浴びた場合は癌になる可能性が多少高まります.

そうなんですよね。
案外、この点が見落とされがちですね。

>後々癌になったとしてもそれが放射線によるものか生活習慣によるものなのかということもわからないからです.

なるほど。
では、安全とされている屋内退避地域である、原発30Kmの範囲にも心配なくお入りになれる、ということですね。
私は入りたくありませんが。
  
>すぐに人体に危険が及ぶわけではないは妥当な言い方

なのかもしれませんが、危険が及ぶわけではないから安心だ、という意図が含まれているのが非常に無責任ではないか、という気がしますね。
    

お礼日時:2011/03/19 22:55

今すぐに人体に危険が及ぶわけではないが、長期的に見ればその可能性はある。


そう受け取ります。それでは今後どのような対策を取るつもりかまで言ってくれないと
我々の不安はぬぐえないと思います。その場しのぎがみえみえの発言です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

常識的で、論理的な感覚と思うのですが、同じようにお考えになる方が少ないのはなぜなんでしょうね。^^;

お礼日時:2011/03/19 22:31

 仮に世界に原子力発電所が無かったとしても、我々の体は宇宙から飛んできたり自然の鉱物から飛び出したりしている放射線の害を受けています。

地球に暮らす以上、放射線の害は有ります。「放射線はありません。安全です。」と言える状態は原始時代から無かったのです。そこで問題は、原子力発電所の事故によって放射線による疾病になる確率が有意に増加するかどうか、となるわけです。実際に放射線を原因とする疾病にかかる確率は増加していませんよ、という事を分かりやすくかつウソにならないように表現した言葉が「すぐに危険が及ぶわけではない」です。「発がん性が認められない」という言い方と同じです。なにを食べても食べなくてもがんになる可能性はゼロではないのですから。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>実際に放射線を原因とする疾病にかかる確率は増加していませんよ、という事を分かりやすくかつウソにならないように表現した言葉が「すぐに危険が及ぶわけではない」です

理屈としてはわかるのですが、そのような意図よりも、単に安全だと思わせようという意図のほうが強いのではないでしょうか。
真実を伝えようというよりは、なだめよう、という意図ですね。
現に、安全性の基準として、当初はX線撮影時の被爆量などをあげていたのですが、今日、官房長官から発表された牛乳の原乳汚染に関しては、CT スキャンの線量よりも低いという説明をしています。
当初は、CTスキャンよりも少ないから、とういうのが安全の証明であるかのように言われていたにも拘らずです。

>なにを食べても食べなくてもがんになる可能性はゼロではないのですから。

全くおっしゃるとおりですが、
ゼロではない、のと、
確実に一以上になる、のとの間には大きな隔たりがあるように思いますね。
あなたはどうかわかりませんが、私の場合、秋刀魚の黒焦げは食べても構いませんが、
今、原発30Km圏内の屋外退避区域に行きなさい、と言われたら断りますね。
  

お礼日時:2011/03/19 22:29

個人的な主観では、「タバコの箱に書いてある警告文と同等か、ワンランク下くらいの危険度」という風に認識しています。

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

煙草の、その表現はまだ潔いですよね。
「すぐに人体に危険が及ぶわけではない」
ではなく、
「すぐにではないが、後で人体に危険が及ぶ可能性はあります」
という警告であればわかるのです。
  

お礼日時:2011/03/19 22:10

>「後で危険が状態になる可能性がある」


>という意味ですから、決して安全性を担保するものではないはずです。

十年後二十年後に、身体に影響の出る可能性はある。
しかし、現時点で直ちに健康に影響の出る(端的に言えば死んじゃう)事はない。

と言う意味ですよね。
100%安全て言ってもらった方が安心できるが、そんなわけ無いのは自明なので別に不思議には思いません。
「100%安全」なんて言われた方が心配になる。

今現在は、短期的な問題の成否がどうなるのか?の方が優先されるのではないですか?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>十年後二十年後に、身体に影響の出る可能性はある。
しかし、現時点で直ちに健康に影響の出る(端的に言えば死んじゃう)事はない。

と言われて安心ですか?
私としては、安心もできないことを、なぜ安心できることのように言うのか、というのが私の疑問なのですが。
  

お礼日時:2011/03/19 21:44

100%安全だとは言えないからです。


例えば都会の排気ガスまみれの空気だって、
安全かどうかを聞かれたら、
「すぐに人体に危険が及ぶわけではない」としか、
回答のしようがないですよ(^^;
     
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

ただ、放射能の場合は、排気ガスと異なり、「すぐにではなくても一定量以上が蓄積すれば必ず危険が及ぶ」ことは証明されていますよね。
排気ガスの場合は、幸か不幸か、
「すぐに人体に危険が及ぶわけではない。しかし、継続的に摂取しても特段の危険がある」
ということは証明されていません。
これは大きな差異でしょう。

つまり、
>100%安全だとは言えないからです。

というのは詭弁ではないでしょうか。
「普段、排気ガスを吸っているのだから大丈夫。原発の30km圏内に物資を届けに行ってくれよ」と言われて行きますか?
      

お礼日時:2011/03/19 21:35

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