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「なぜ人間は死ぬことをわかっていながら,生まれてくるのでしょうか。」
」ことの答えられる方教えてください。死ぬことがわかっているならば,最初から生まれてこなくてもいいのではないですか。こんな無駄なこと不合理ではありませんか。別に人間がこの世に存在しなくてもいいではありませんか。生まれてこなければ,生きていることに苦労して,死ぬことをおそれるともないでしょう。

A 回答 (31件中11~20件)

 私は能書きと大議論には向かない人間なので・・・一言。



人間の存在は自然現象の一つ位にしか考えていませんので

人間の生死というのは・・・宇宙の新陳代謝でしかないと思っています。

・・・生きる苦労に死ぬ恐怖・・・ただの錯覚か、人間の考えすぎですよ!
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>「輪廻転生」を仮定していません。


しかし、最初の設問
>>「なぜ人間は死ぬことをわかっていながら,生まれてくるのでしょうか。」
は、言い換えると、
「生まれる前に生まれ出ようとする意思を持った何かが、死ぬことをわかってる
のに生まれてくる。」と言うことと同じですので、論理に矛盾があります。

失礼ながら、この矛盾はsearchingboyさんが人生の矛盾や不条理に対し、真っ向
から向き合わずに、自分以外、あるいは自分でどうしようもないことがらに
責任転嫁しようと思う心があるからだと思います。

それがどうしていけないことかと言うと、実に世の信仰やカルトというのは
そういう心の弱さに付け入ってくる物なのだからです。

ご質問に対する答えとはいえませんが、現に生まれてしまって生きているの
ですから、それを受け入れて、精一杯生きて死に際に後悔しないように生きる
ことを考えるのが、よろしいかと存じます。

この回答への補足

「輪廻転生」を信じない方もおられます。その方は「輪廻転生」を考えていないと思いますので,その方のご意見もお聞きしたいのです。「人生の矛盾や不条理に対し、真っ向 から向き合わずに、自分以外、あるいは自分でどうしようもないことがらに 責任転嫁しようと」そんな気持ちはさらさらないです。「私はあなたのいわれるように現に生まれてしまって生きているのですから、それを受け入れて、精一杯生きて死に際に後悔しないように生きる」,そうです。そのとおりです。私はそのように生きています。
 「なぜ人間が死ぬのに,生まれてくるのでしょうか。」ということでもいいのです。 生まれる前 0 こ世にいるのが1 死ねば0
 0-1-0 とすると結局は 0=0ですね。この1に不合理だと思っているのです。1の内容(存在意義、存在理由、生き方とか)に対していっているわけではないのですが。   

補足日時:2001/04/21 09:54
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科学的、哲学的に説明する事は私には出来ませんが、


人間も動物の一種である以上、種の保存の原則が成り立つと思います
人間は始めから人間であった訳ではなく、猿人、原人などを経て人間として確立したのだから、DNAに種の保存の法則が書き込まれているじゃないかと思います
死ぬことを恐れるのは、生への執着が多かれ少なかれあるので、生まれる感情だと思います
あなたの質問に則した回答になっていないかも知れませんが、私の考えを述べさせていただきました
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私には、生きる意味とか、生まれてくる意味、人間や生命が在る意味について言及する力がないんですけど、質問の「なぜ人間は死ぬことを分かっていながら。

。。」は、searchingboyさんのご両親に聞いてみればよいのではないでしょうか?「将来死ぬことが分かっているのに産んだ理由、育てた理由」を。ご両親がいらっしゃらない場合は、育ててくださった方とかに「なぜ育てたのか?」と聞いてもよいのではないでしょうか。それが一番の近道なような気がします。

それと、御自身が将来子供を作るかどうか(現在いらっしゃるならなぜ子供を作ったか)を考えてみる方法もあると思います。なぜ欲しいか、なぜ欲しくないか。。。
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世の中にあるものはすべて合理的です。

人間によって意味付けることが出来ようが出来まいが、「そこにある」ことにはすべて理由があります。
シャーレの中の細菌にしろ水面に浮かぶ泡にしろ生まれ死んでゆく人間にしろ、現象としては不合理なものなど何もないんです。
「そこにある」現象に意味付けていくのが科学です。意味付けられないものはなくてもいい、というのは合理的でも科学的でもないです。
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われわれは生きている.でもいずれは死んでしまう.0が1になる.でもその1は,いずれは0になる.それは不合理ではないか? つまり無意

味ではないか? 単純化するとそういうことを,searchingboyさんはおっしゃりたいんですよね?・・・わたしは単純に「原理」の問題だと思うけどなぁ.serpent-owlさんがおっしゃっているように,ただ「秩序から無秩序へ」という原理があるだけなんだと思います.「有形から無形へ」「生から死へ」という原理.それにも関わらず,地球に萌芽した生命は,その原理を「死から生へ」というように逆方向に辿った.それゆえにそのことは「ムリダ」「アリエナイ」「ソンナバカナ」という「存在驚愕」にさらされている.そこ(原理)は常に出発点であって,さらにその奥は不可知の領域じゃないでしょうか? つまりカオス.だから意味や合理性を追求することは無意味だし,だいいち不可能なはず.もしもそのカオティックな領域に合理性を求めるなら,おそらく神話が生まれる・・・こんなんでどうでしょう?

この回答への補足

「われは生きている.でもいずれは死んでしまう.0が1になる.でもその1は,いずれは0になる.それは不合理ではないか? つまり無意味ではないか? 単純化するとそういうことを」そうです。
 

補足日時:2001/04/21 07:53
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ところで、どうして死ぬとわかっているのでしょうか?



冗談ではないですよ。本気です。

そりゃまあ、いままで200歳も生きた人はいません。
生物学的に言えば老化があるから常識的には死ぬだろうと
考えられている。しかしながら、そうだとしても人は
必ず死ぬとは限らない。

まあ、百歩譲って、人は死ぬとしましょう。(笑)
だからといって無駄なのかといえるのでしょうか?
生き続ければ無駄じゃないんでしょうか?

さらに、百歩譲って、無駄だとしましょう。(笑)
だからといって不合理なんでしょうか?
それはちょっと独善的なんじゃないでしょうか。
せめて不都合だというなら、理解しないこともないですが。
もしかしたら貴方が死ぬことで生きられる人もいるかもしれません。
そのような人にとっては貴方が死ぬことを貴方が言った意味で
「不合理」とは絶対に言わないでしょうね(笑)
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仮にここで納得のいく答えを得られたとして、いずれ貴方は死んでしまうのだから、無駄ではありませんか?なぜ質問するのですか?



僕の意見ですが、それは無駄ではないのです。「これだ!」という答えを得られた瞬間に「なに無駄なことしちゃったんだろ?」とは思わないはずです。その時得られる満足や感動は貴方にとって無駄ではないし、それを誰かに伝えれば、貴方がいなくなっても意味は残ります。もちろん永遠ではありませんが。

まず、「いずれ死んでしまう(壊れてしまう)ものは無駄であり不合理である」という前提自体がナンセンスです。「永遠なるもの」イデア以外価値を認めないという主義で現世を楽しめるというのはある意味すごいことですが…

仮に世界中の全ての形がなくなって、原子までばらばらになったとして、これで壊れたり死んだりといったものの変化がなくなるでしょうか?searchingboyさんの言う“不合理”ではない世界になるでしょうか?答えはNOです。物には質量があるため、引力によって偏りが発生し、いずれは恒星が出来てしまいます。つまり、物質はその自らの本質によって寿命のある形態をとり、秩序を生み出し、また壊れるのです。完全な真空(何もない空間)世界は考えません。量子力学的(説明しきれないのでご自分で調べてね)に無理でしょうから。

人間がいなければ動植物は自然のまま残るというような趣旨の補足をANo.2でしてますが、むしろ個体が常に変化することで総体としては安定を得ることが出来るのです。ここらへんはガイヤ理論でも参考にしてもらえば良いでしょう。

ちなみに、kensakuyaさんの言いたかったことは、こういう事では。
人間は生まれる前に自分が死ぬことを知ることは出来ないのだから、「最初から生まれてこなくてもいい」という選択肢はありえない。とすると、生まれた後で自分"も″死ぬという事を知った時、「意味ね-ナ、死のう」か「とにかく生きてみるか」しかありえない。
したがって「なぜ人間は死ぬことをわかっていながら,生まれてくるのでしょうか。」という設問は間違っていると。
ちなみに「なぜ生まれてきて死ぬのですか」は全く意味が違います。(気持ちは分かりますが)これに科学的に答えれば、以下のようになります。
環境の安定の為には種の多様化が絶対条件であり、進化(分化)の為には世代交代が必要で、このためには個体の寿命を制限する必要がある。その働きをするのがテロメアという細胞の分裂回数を管理する部分であり、この存在により生物は死を免れない。(士郎正宗を参考文献にしてもいいな)

結論をまとめましょう。
栄枯盛衰、盛者必衰は物質の持つ物理的な性質である。そのような物質によって構成される動植物にそれらの性質が付与されることは、個ではなく全体からみた時には極めて合理的であるし、科学的に証明できる。
以上です。

この回答への補足

「なぜ生まれてきて死ぬのですか」はあなたのいわれる通りです。「環境の安定の為には種の多様化が絶対条件であり、進化(分化)の為には世代交代が必要で、このためには個体の寿命を制限する必要がある。その働きをするのがテロメアという細胞の分裂回数を管理する部分であり、この存在により生物は死を免れない。」はわかります。
 「なぜ人間は死ぬことをわかっていながら,生まれてくるのでしょうか。」という設問は間違っていると。
「なぜ人間は死ぬことをわかっていながら,生まれてくるのでしょうか。」という設問の問いかけ方がおかしいかもしれません、「なぜ人間が死ぬのに,生まれてくるのでしょうか。」ということでもいいのです。 生まれる前 0 こ世にいるのが1 死ねば0
 0-1-0 とすると 0=0ですね。この1に不合理だと思っているのです。 

補足日時:2001/04/21 07:30
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NO.2の回答者nobo3です。

補足に対する回答です。

>私は例えをだしますと,人はは他の動植物を食べて死んでいくならば,
>最初から,存在しなければ,他の動植物を食べなくて,
>自然そのものがあるではないですか。
他の動物を食べたりすることが悪だという意味なんでしょうか?
それが自然を破壊していると・・・?
もしそういう意味で言っているのなら、ぜんぜん違うと思います。
人間が他の動物を食べたり、ウンコしたりするから蛆虫やバクテリアやパラサイトが生きていけるんだし、植物だって動物の死骸や排泄物を養分として育ったりします。人間(や他の動物)が、生き死んでいくのも自然のうちです。もっと言えば人間が地球環境を破壊するのもそうです。
別に僕は地球環境を破壊するのを肯定してるわけではありませんが・・・。
単細胞の生物が自分で排泄したアンモニアで融けてしまったりするのと基本的には同じ事ですよね。

>死があるならば,最初から,ないのと同じではないのですかと言う
>「不合理さ」を尋ねているのです。
生きて死ぬのと、最初からいないのとは全然違うとおもいますよ。
算数の足し算引き算をしてるわけじゃあないですから。

>私は生きていることに「ムダ」と思っていませんし,「死」を恐れてはいません。
質問内容に「無駄なこと・・・」「死ぬことをおそれること・・・」と書いてありましたけど、質問と補足が矛盾してませんか?
生きてることを「ムダ」と思ってないし、「死」を恐れてないのに、こうい質問をするって事は、議論をふっかけて、楽しみたかったって事ですね、きっと。

最後にぼくの考えですけど、生まれてきたので苦労もあるけど、楽しいこと、気持ちいいこともできるし、死ぬのはもしかしたら怖いかもしれないけど、いい人生だったなーと思って死ねるかもしれないねって感じです。  

この回答への補足

生まれる前 0 こ世にいるのが1 死ねば0
 0-1-0 とすると結局は 0=0ですね。この1に不合理だと思っているのです。
質問内容に「無駄なこと・・・」「死ぬことをおそれること・・・」と書いてありましたけど、質問と補足が矛盾してませんか? この1の内容に「無駄なこと・・・」があるとかないをいっているのではないのですが。おわかりいただきにくいでしょうか。 「生まれてきたので苦労もあるけど、楽しいこと、気持ちいいこともできるし、いい人生だったなーと思って死ねるかもしれないねって感じです」はもっともだと思います。 「生きて死ぬのと、最初からいないのとは全然違うとおもいますよ。
算数の足し算引き算をしてるわけじゃあないですから。」そうですよね。世の中には科学的に説明できないものがいっぱいありますよね。それを説明できないから,信じないという方もおられるでしょう。それにも私は疑問があるので,このような質問になりました。 

補足日時:2001/04/21 07:46
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どうもよく意図が分かりません。


いずれは死ぬ運命である、ということが、生まれることの
不合理の原点だという意見なのでしょうか?
けれども、そんなに死にこだわる理由がよく分かりません。
私は、仮に永遠の命が保証されたとしても、生まれることは
相変わらず、かなり不合理なもののように思いますよ。

確か芥川龍之介も言っていますが、私たちはあらかじめ
「生き方」を知っているわけではなく、まるで溺れながら、
水を飲んだりしながら泳ぐように、大変な思いをして人生を
生きなければいけない。
そんなふうにしてまで生きなければいけないこと自体が、
そもそもかなり不合理に思うのです。

ですから、もっぱら死ぬことが、生まれてくることの意義を
疑問視させるわけではないと思うのです。
むしろ極端なことを言えば、美しく死ねたら、それだけで
生まれてきた意義はあるっていうような気はしませんか?
その場合、死は生の意義を裏付けるくらいの役割を
果たしているってことにもなるかもしれませんよね?

もちろん、死というものは確かに不可解なことではあると
思いますが、ですが、生の不可解さのすべてがそれに
拠っているわけではないと思います。
生きるとは、それ自体で既に十分不可解でしょう?
それなのに、質問のようにことさら死にこだわるというのは、
理由がよく分かりません。
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