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選挙が近くなると、より多くの有権者に投票させようという呼びかけを様々な媒体を通して見かることかと思います。
しかし無理やり母数を増やすと質が下がるだけだと思うんです。

政権交代以降、日本は多くの重要な出来事に直面してきましたがマスメディアが散々持ち上げた民主党はご覧の有様です。
しかし、判断材料は選挙前から沢山ありましたので全く予想が付かなかったということは無いはずだと思います。
特に鳩山前総理の沖縄と米軍の問題は、多くの県民の知性を本気で疑ってしまいました。

他総理と比べて国民の事を思っていたであろう麻生元総理はテレビや新聞から全く政治と無縁で的外れな非難ばかりが繰り返し取り上げられていましたよね。
マスメディアから嫌われた主な原因は恐らく広告税だろうと思っておりますが国民の大半は見事に騙され、便乗していたようです。
結局、様々な分野で既得権益を守りたいお偉いさん達が得しただけでしょう。
私は麻生さん結構好きでしたので、もしあのまま総理を続けてらっしゃったらなーと何か事件が起こる度に思ってしまいます。

テレビや新聞では情報の精度はあれど街頭インタビューのような悪習が残ってたり編集者が意図した一部の限られたニュースしか流れなかったりと印象操作のようなものが多くあり、なかなか判断がしづらかったものとは思います。

極端な話ワイドショーを見て感情に流され、ドヤ顔で投票した主婦の一票と知識も情報もある専門家が真剣に考えた一票が同じ価値というのはおかしな話だと感じます。

自信を持って投票できる人のみが行くべきではありませんでしょうか。

でなければ今まで通り一人一票としても何か試験を作って2票目以降を与えるというのはどうでしょうか。
そうすればしっかり勉強した学生は投票できますしコメンテーターやネットの書き込みでもある程度の信憑性の指標ができると思います。

皆さんはどう思われますか?

個人的な主観を多く含んだことを最後にお詫びします。
回答のお願いと共にもし間違い、矛盾等ありましたら遠慮なくお願いします。
そのために質問したというのもありますので。

A 回答 (9件)

 選挙は常に「完全普通選挙法」であるべきです。

全成人に等しく権利として、選挙権、被選挙権が与えられるべきです。衆は愚であるかもしれません。しかし衆は個からなっています。個を信じずに衆は信じられません。優秀な神のごとき専王による政治を良しとなさるおつもりでしょうか。現在の政治状況は、国も地方も最良かと問われれば、過去も現在も常に否でしょう。しかし良き政治を望み、衆から権利を奪い、造られた政治は果たして政治と呼ばれるべきものでしょうか。理想的な政府というものがあるとして、人間はそこにたどり着けるのでしょうか。たどり着いたとき人々は皆、神のようになっていたりして。そんな世界はオイラは嫌だけどね。衆は愚で結構だね。おいらも愚の一人だし、まわりも愚だらけだけどその方が楽しいや。
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>>kafunshokoさんの考えと異なる人が自信を持って投票しても納得していただけますか?


>いや、そもそも選挙ってそういうものじゃないですか

あれ?kafunshokoさんが最初に選挙でマスコミが煽るから選挙に行く人が増えて困ると言ってませんか?
その選挙結果が現在ですからそれを否定するのはおかしい話では?

それと人権は平等に与えられると言うのが現在の民主主義ですがその勉強はされたのでしょうか?
その勉強をされたのかわかりませんが、もしその試験があれば落ちて選挙できませんよ。(まっ自己矛盾の反論ですが・・・)




>>コメンテーターとネットはメディアとの付き合い方メディアリテラシーの問題
>そこらへんの指標ができるのでは、と申し上げているのですが

これは初耳です。
そんな指標があったら見せて頂きたい。抽象論ではなく具体的指標ですよね。
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まあお気持ちはわかりますが賛同しかねます。



昔、アメリカでは奴隷に選挙権はありませんでしたし、過去のヨーロッパ等でも女性には選挙権がありませんでした。これは奴隷や女性には質問者様の言う「質の高い投票行動」ができないからという差別的な考えからくるものであったことはわかるかと思います。

現在の選挙制度は、知識の高い学者さんやきちんと勉強されている方から八百屋のオバチャンなどのいわゆる愚民(失礼な言い回しすみません)まで幅広い意見を集約するという思想に基づいていると私は思いますので、メディアの戦略に騙されるような人の1票もきちんと1票として扱うことが大事だと思いますし、またその選挙で勝利して主流となった候補者や組織、政党などは、国民の幅広い層からの意見により信任されたという根拠が出来ますので自身の政策や政治行動を遠慮なく実行できるということになりますから。 

これが一部の教養層からの信任に基づいた政権等では、それこそ魚屋のオジチャン等から、わしら一市民の意見を反映してないじゃないか!というツッコミが多分入ると思いますし、国民の広い範囲から信任されてない状況が続くと、場合によってはクーデターや革命などにつながる可能性もあるかと。

っていうか、いまの民主主義制度はそういう一部の人間が行っていた政治体制がそれこそクーデターや革命を経て出来上がってきたものだと思いますしね。

まあ、質問の意図を別な側面から解釈すると、投票するならキチンと勉強し、自分で熟慮した後、結論を出してから投票しましょうよ、っていう意見ともとれますのでそれならもちろん大賛成ですがね。
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1,政治家を選ぶ基準はなんでしょうか。


  能力こそがその基準になるべきだと
  思うのですが、他人の能力なんて
  どうやって測定できるのでしょうか。
2,人柄だとすれば、もっと判りません。
  話したこともない人の人柄なんて
  判るはずがないと思います。
3,政策ですか。経済の専門家でも無い人が、
  経済政策の是非を判断できるんでしょうか。
  外交政策では肝心のことが秘密にされるでしょうが
  そんな秘密を、素人がどうやって探るんでしょう。
4,結局、どうやっても無駄ではないでしょうか。
  政治に関心があり勉強している人に限定したら
  日本はとっくに社会主義国になっていたかも
  しれません。それをくい止めたのは無知な大衆では
  ないですか。

英国の社会学の学者が言っています。
無関心層と関心層が適度にバランスをとって存在していない
と民主制は上手く機能しない。
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以下は、質問の要旨を「個人の能力に応じて選挙権を制限するべきか」と解釈した回答です。



回答:以下の理由で同意できません。根本的な解決にならないばかりか、新たな問題を誘発する怖れがあります。


>自信を持って投票できる人のみが行くべきではありませんでしょうか。

それでは自信に溢れたバカは止められません。
バカは自覚がないからバカなのです。(そして、私はバカの投票権を否定してはいません。)


>でなければ今まで通り一人一票としても何か試験を作って2票目以降を与えるというのはどうでしょうか。
>そうすればしっかり勉強した学生は投票できますしコメンテーターやネットの書き込みでもある程度の信憑性の指標ができると思います。

その試験、しっかり勉強した内容(=教育)とやらの評価基準は、何に拠って決めるのでしょうか。
また、見当はずれなコメントであっても、それを言う自由は保障されなければなりません。
それ以前に、見当はずれという判断自体も、それを見た個人が行うべきものです。

仮に、その評価を政府機関が行うとした場合、それは時々の政権与党(=多数派)の都合によって、変わらないのでしょうか?
そしてそれは、民主主義の重要な要素である「少数意見の尊重」を犯さないのでしょうか。
また、それは一党独裁=民主主義の破壊に繋がらないのでしょうか?

質問者様の発想は、ただの選民思想に過ぎないと思います。
バカを排除したエリートが納めればうまくいくという発想は、更にその中の上層部による支配に走り、最終的にそれらが既得権益や貴族階級化した、独裁に陥りかねません。

そうならないとしても、知能・知識・常識は、憲法に保証されている個人の内面の自由(思想・心情の自由)に関係しており、たとえそれらが社会常識や法に照らして、不健全・悪・愚劣と評価されるものであっても、否定されるべきではありません。
他者のそれらに対する評価で、その個人の人権が制限される事は、民主主義の否定になると思います。

極論すれば、内面や思想信条の自由とは、バカである自由すら認められるということです。


>個人的な主観を多く含んだことを最後にお詫びします。

主観は自由意志であり、悪ではありません。それ自体を否定するつもりはありません。
民主主義は、異なる主義・思想(主観)の存在を前提とし、それらの調整を目的としたシステムです。
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この回答へのお礼

>自信に溢れたバカは止められません。
別にいいんじゃないですか、有権者ですし
>しっかり勉強した内容(=教育)とやらの評価基準は、何に拠って決めるのでしょうか。
専門家ではないので問題の選別方法など今すぐにこうだ、とはいえませんがセンター試験みたいなのはどうですか、ルールなり歴史なり不変の事実のみ問い、不都合が指摘されれば再検討もありということで。
>見当はずれなコメントであっても、それを言う自由は保障されなければなりません。
今も同じでしょう、少なくとも知ったかぶりの発言は見なくてすみますね。
>選民思想に過ぎないと思います。
皆条件は同じです。そんなことはないはずです。

お礼日時:2011/03/28 03:05

>自信を持って投票できる人のみが行くべきではありませんでしょうか。



kafunshokoさんの考えと異なる人が自信を持って投票しても納得していただけますか?



>でなければ今まで通り一人一票としても何か試験を作って2票目以降を与えるというのはどうでしょうか。

するとだれがその試験を作りますか?まさかkafunshokoさんとかではないですよね?政府?選挙管理委員会?
試験内容は?

>他総理と比べて国民の事を思っていたであろう麻生元総理はテレビや新聞から全く政治と無縁で的外れな非難ばかりが繰り返し取り上げられていましたよね。

その側面は否定しませんが、あれは自民党が小泉氏から阿部福田麻生となにも選挙せず経済とかの理由で3人も総理を勝手に続けたフラストレーションがあったからです。自民党のおごり

>そうすればしっかり勉強した学生は投票できますしコメンテーターやネットの書き込みでもある程度の信憑性の指標ができると思います。

どんな試験を考えているか知りませんが、理系の学生不利では?
コメンテーターは話半分以下に聞くとか
ネットは信じないか匿名で無くすしかないと思いますが
コメンテーターとネットはメディアとの付き合い方メディアリテラシーの問題もあります。
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この回答へのお礼

>kafunshokoさんの考えと異なる人が自信を持って投票しても納得していただけますか?
いや、そもそも選挙ってそういうものじゃないですか
>理系の学生不利では?
不利とか関係なく知らないのは興味が無いからでは?知らないなら参加しないでいただきたいということです。
>コメンテーターとネットはメディアとの付き合い方メディアリテラシーの問題
そこらへんの指標ができるのでは、と申し上げているのですが

お礼日時:2011/03/28 03:10

選挙の大勢を決するのは、普段は政治に無関心な、無党派層です。



市町村長選、県知事・都知事選となれば、投票者の7割は「有名だから」という理由で票を投じます。


衆院選、参院選の場合、そういった、「政治に無関心」な無党派層が投票をする根拠とするのはマスコミの
報道です。

http://www.jiji.com/jc/v?p=ve_pol_politics-suppo …
↑政党支持率においても、その50%以上が「支持政党なし」の無党派です。

参院選において、比例区で有名な人を立候補させたがる所以です。

衆議院議員の森喜朗さんが、過去の総選挙において、「政治に関心が無い人は家で寝ていてくれればい
い」と発言しましたね。

これは、まさしくその通りです。

(政治に関心のない)無党派層は、投票行動を行う際に、マスコミ報道を判断材料とするわけですから、
言い換えると「マスコミが画策した通り」に投票行動に走るわけです。

そして、その無党派層の投票行動が、そのまま選挙結果となるわけです。

私は、ご質問者の意見に賛同します。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2011/03/28 03:11

民主党政権に対して不平・不満をいう人はいてもテロとか暴動とを起こす人はいませんね。


それはやっぱり民主党政権は総選挙の結果だからです。
投票数が増えることは社会に安定をもたらすことになります。
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この回答へのお礼

個人的には国民性の問題な気がしますが確かに参加すれば多少の責任感は生まれるかもしれませんね、その後の問題として質を高めるために試験を設けるのは良い策ではないですかね?

お礼日時:2011/03/28 03:14

>投票数が増えることは本当に良いことなのか


選挙が近くなると、より多くの有権者に投票させようという呼びかけを様々な媒体を通して見かることかと思います。
しかし無理やり母数を増やすと質が下がるだけだと思うんです。

     ↓
お気持ちやご意見には大いに賛同します。

しかし、それでも投票数(投票率)は高い方が民意を汲み反映しており、その選挙結果はより多くの方の価値観で選ばれた民主主義ルールに則った審判(当落結果・選択)だと思います。
ただし、それには候補者の人物像や政策の情報が正しく開示され、選挙は全有権者の自由意志で公正に投票され開票されたものという前提が守られている場合です。

例えば、独裁国家や一党独裁下の投票率100%、支持率100%に近い選挙は、強制的な動員や脅迫・不正・上意下達(官選・押し付け)の臭いがする。
それは特定の組織や人物の利害に基づき作られた形式だけの選挙・見せ掛けの信任投票のように思います。
さらに、買収や成りすまし(替え玉投票)、開票の不正があったり、選挙公報や経歴・政策に偽装やごまかしが無い事も公正な選挙を構成する不可欠な要素です。

また、選挙や政策に関心の低い方とか云々のご指摘は・・・
すこし、異論があります(反論や批判ではありませんが)、それは選挙区・有権者を構成する人々は等しく1票の権利を持っておりその方の信条・ニーズ・選択肢で投票権を行使されるのは政治への関心や知識とは関係なく差別されるものではないと思うからです。

1%でも、1点でも、1部分でも、その方の視野視点価値観で、共感・可能性・与件の高い候補者・政党・政策に自由意思で投票されるのが公正な選挙だと思うからです。
少し嫌な物言いと成りますが、悪気の無いご意見だと思うのですが、見方を変え立場が変わると⇒上から目線・思い上がり・傲慢・差別にも繋がる、ある種の不公正選挙(性別・身分で選挙権に制限をしていた普通選挙以前の選挙制度に酷似)だと思います。
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この回答へのお礼

どちらを取るか難しいですね。
>普通選挙以前の選挙制度に酷似
これには納得しかねます。試験制度は公平な条件だと思います。
>買収や成りすまし(替え玉投票)、開票の不正があったり、選挙公報や経歴・政策に偽装やごまかしが無い事も公正な選挙を構成する不可欠な要素です。
何より知識がない有権者はこの点の判断ができていないわけで今に至ってるんじゃないでしょうか。

お礼日時:2011/03/28 03:26

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