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アートというのは、社会に貢献しようがしまいが存在できる。
それは「社会の歪み」を映した物語などが多い。
例えば「小公女セーラ」などは、イギリスの格差社会を、
見事に描いていて、それが感動を呼ぶ。

「感動を呼ぶ」のは、世界中にあるが、
日本なら「あしたのジョー」なども、貧民街を中心とした
物語である。

「ガンダム」にしても戦闘の日々である。
なぜ、戦闘、競争、格差、などが多いのか?
それらを芸術に昇華したのか?戦争がスポーツに昇華したように。。。

上記にこだわらず、自由なご意見おまちします。

A 回答 (13件中11~13件)

>「芸術」とは何ぞや?


>なぜ、戦闘、競争、格差、などが多いのか?

最近も美についてやっておられましたが、同じようなことです。

感性に訴え、刺激を与えるもの、

ですから戦闘、競争、格差(の誇張)、それに付け加えれば SEX

そういったものが好んで扱われるのでしょう。ちなみに昇華したものばかりでもありませんね。

たんなる私見です。
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>アートというのは、社会に貢献しようがしまいが存在できる。



これは芸術に限らず現代的なテーマだと思います。
もともと原始からの芸術は新しい概念をイメージ化して社会共有
することが目的ですが、芸術に人生をささげてしまうような芸術
家は、永遠にそれを求め探し続けて人生を終えてしまいます。

他の例をあげるとすれば、スポンサーに甘えて永遠に焼きあがっ
た作品を割り続ける陶芸家や、理想の味を追求しすぎてコスト割
れして破産してしまう料理人などは、

もうひとつの目的である「社会共有すること」を軽視することが
専門家のサロンで常識化されて、またそれが社会に迎合すること
のない美しい生き方のように美化されすぎてしまったことが原因
です。

芸術にかぎらず、あらゆる専門分野において、専門性を突き詰め
ることは素晴らしいことだという価値観のいきすぎは、実は、
その分野の革新の失速ばかりでなく社会からの淘汰の危険性をは
らんでいるのです。
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例の種類に偏りがありますね。

アニメだけ例に挙げて「社会の歪みを映した物語が多い」とか言われましても、説得力がありません。むしろ「萌え」はアートか?というような話題に使った方がいいんじゃないでしょうか。どこぞの自称芸術家のように1/1萌えフィギュアを何千万で売買するのも、大きな違和感を感じるトピックです。

それに「感動を与える」のがアートの役割ならば、各々の例については評価すべきところが違うように思います。「小公女セーラ」は確かに格差社会を舞台としますが、逆境に負けないセーラの美しい精神が愛されてきた理由でしょう。

「あしたのジョー」でも貧民街は主人公の背景でありますが、単なる町の不良がボクシングと出会い、ライバルと出合ってヒーローに成長していく姿を描いた物語です。最後に矢吹丈はロッキーのように王者になったわけではありませんが、自分の全てを燃やし尽くして満足した、と独白し終わります。つまり「完全燃焼」したいという満たされない精神にとって、ジョーは理想の英雄なのです。

「ガンダム」はなんでしょうね。私は正直な話、あれを「感動する作品」とは思っていません。いわゆるモビルスーツの道具としての美しさは、たとえば精緻に創られた銃のそれが心の琴線に触れる、ということはあるでしょう。しかし、戦闘自体の華やかさ、機体能力のインフレにより現実感の薄れ、薄っぺらな性格付けをされたキャラクターのマニア向けのドラマなどは、感動したといえる所があるのでしょうか?

なんだかいちゃもん付けみたいになってしまいましたが、タイトルと質問の内容に乖離を感じましたので、腹蔵なく意見を述べさせていただきました。
アートの社会貢献性の否定→社会の歪みを映したものがアート、というのは前提も結論も突っ込みどころが有り過ぎです。
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